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留学体験記

大野 誠士
高等科1999年卒業,2003年学習院大学法学部法学科卒業
(現在 John F. Kennedy University 大学院に留学中. Integral Psychology 専攻)
「高等科,大学,そして,今」」

 僕は高等科が好きだった.個性的な先生方との日常生活(例えば,F先生の英語(選択)は英語(雑学)とかに名前を変えてもよかったのではないかと今でも思っている.山本五十六の名が出てきたり,パチンコやるなら天気とかのデータも取れというアドバイスをいただけたりする英語の授業もそうないだろう.そして,個人面談の時の,F先生の無意味に近距離な顔に圧倒され,多くの生徒が立ちくらみを起こしたことは言うまでもない).そして,生徒の自主性を温かく支えてくれる環境.僕はその環境に身を委ね,思う存分,様々なことに挑戦させてもらったような気がする.テニス部主将,新聞部編集員,文化祭でコント,卒業アルバム制作,謝恩会でまたコントなど.まるで一貫性がないことを色々とやったが,おかげで自分の幅が広がったように思う.何事もやってみなければ自分の潜在能力・可能性,そして,自分の本当の気持ちはわからないのだから,「役に立たないことはするな.」と挑戦する前から大人に否定されることなく多感な時期を過ごせた意義はとてつもなく大きい.
高等科卒業後,学習院大学の法学部法学科に進学したが,ほとんどのエネルギーを体育会の硬式庭球部での活動に注いだ.一つの目標に向かって仲間と共に努力したかけがえのない時間,目標を達成したときの充実感.それらは何にも置き換えることの出来ない大切なものである.学業の面では,3年から商法のゼミ,4年からもう一つ知的財産法のゼミと二つのゼミに所属していた.勉強をしていなかったわけではないが,ゼミの仲間と楽しく過ごしたことやゼミ合宿でどさくさにまぎれて先生を海に投げこんだことなどのほうが印象深い.勉学の重要性を軽んじるわけではないが,楽しむこと,人間関係から学ぶこと,何か一つのことに打ち込んで自らの意志で工夫を重ねていくこと,自分と向き合って自分自身を学ぶことに優る大事なことはなかったように思う.
そして今,僕はカリフォルニアのとある大学院に在学している.なぜここに至ったかは非常に説明しがたい.気がついたら今ここにいるという感覚である.アメリカに来てから一年と二ヶ月が過ぎたが,自分の内面の変化は計り知れないものだったように思う.恵まれた境遇とはいえ,異文化の中で孤独を体験し自分と向き合うことは簡単なものではなかった.頭で知ることと,体験することとは大きく違うと思い知った.アメリカという国を体験し,アメリカという比較対象が生まれることによって自国を見る目が研ぎ澄まされた.比較の中で,両方の国のいいところも悪いところも前よりよく見えるようになった.しかし,違いに注目する時期を過ぎると,ある時に共通点というか普遍性に気がつくようになる.日本人だろうが,アメリカ人だろうが,ゲイだろうが,白人だろうが,黒人だろうが,障害者だろうが,同じ人間なのだ.当たり前なことなのだが,このことを理解することは感動的な体験であり,自分の中の何かを強く揺さぶった.
話は変わるが,現在,若さを強調するメディアの影響も強く,老いるということは世の中で肯定的に捉えられてはいない.現代社会は,情報を重視していて,主に高齢者だけが持ちうる知恵をないがしろにしている.でも,それはすごく悲劇的なことだと思う.なぜなら,情報は劣化するのに対して,自分の体験を通して得た知恵は蓄積するからである.必ず老人が尊敬され,知恵がとてつもなく必要とされる危機の時代がやってくる.その危機の兆しはもういろんなところに現れている.例えば,現在,地球では毎秒,サッカー場一面分の緑が消失している.石油はもうすぐ足りなくなりはじめると言われている.僕らが死ぬまでは大丈夫だろうと無視できる規模ではないし,知恵を発揮して何かを変えていかなければならない.僕らが年を重ねて,予想される一番悲しい未来は,知恵が必要とされる時に自分たちが劣化していく情報だけをかき集めて,知恵を育んでこなかった事実に気がつく瞬間だろう.
この問題を考える中で,最近,高等科の地理の授業で習った「Think globally, act locally」という言葉の本当の意味が分かってきたような気がする.一つにはただ自分勝手に生きるのではなく,周りの家族,友達,社会,そして,地球という大きな土壌に目を向けなければいけないということ.でも,もっと大事なのは,まず始めに耕すべき場所は自分の心という無限の土壌なのだと気づくことなのだと思う.まずは自分に本当の意味で優しくして,受けいれてあげなければならない.自分の心の土壌が肥沃であればあるほど,自然と周りの人や社会のことも豊かにすることが出来るのだから.そして,僕が敬愛する写真家の星野道夫さん(故人)の言葉にあるように「私たちが生きることができるのは,過去でも未来でもなく,ただ今しかないのだ.」ということが土壌を耕すうえで非常に大切になってくる.日本にいようが,海外にいようが,僕らは今に生きるしかないのである.その事実を理解することが,何をするにしても最初の一歩になるように思えてならない.
これから,高等科に入学する皆さん,高等科生活でたくさんの種を自分の土壌に植えてあげてください.中にはうまく育たない種もあるかもしれません.でも,その育たずに腐ったその種と枯れた花は土壌の養分となり,また新たな種が育つのを助け,きれいな花が咲くチャンスを広げてくれることでしょう.時には春の陽気だけでなく,冬の寒さのような辛い時期も養分として必要なのかもしれません.きれいに咲いた花の華麗さだけでなく,いつか,土壌自体が美しいと気づくその日まで,努力という陽光と優しさという水を注いであげてください.

2005年6月17日
大野誠士


高橋 伸佳
高等科2002年卒業,学習院大学経済学部経営学科4年
イギリス・エディンバラ大学人文社会科学部経済経営学科に留学
(現在(株)日立製作所に勤務)

「自分の可能性が大きく広がる所,それが高等科です.」

 高等科は非常に校風の自由な学校でしたが ,自由だからこそ自己責任が大きく問われると思います.又,自分のやりたい事には先生方が暖かく援助して下さいます.この恵まれた環境の中で私は高等科が単位認定している国際ロータリークラブの留学プログラムに合格し,アメリカへの切符を手にしました.アメリカでは,自分と同じ高校生にもかかわらず自分の目的をはっきり持った友達や,少人数でのディスカッションで進められる授業等,国・文化の違いを感じると共に,海外に出て日本を客観視する事で,自分が日本人としてどうあるべきかを考える事が出来ました.海外で得た経験を進級の単位として認めてくれる,まさに高等科の公認留学制度があったからこそ得られた一生の経験だと思います.

 帰国後,私は学習院大学への内部進学を決めました.もちろん,外部受験も考えましたが,学習院大学が比較的小規模の大学ではありますが,その分,他校へ出たら得る事が出来ないであろう様々な機会があると思った為です.その一つが学習院大学の協定校留学制度でした.大規模の大学であればある程,応募者多数に対して海外の大学に行ける人は僅かであり,どんなに留学を志す人でも平等にチャンスが与えられるとは考えられません.しかし学習院は前述の通り,小規模である為,より機会が多く与えられます.又,中・高等科からの内部進学生と言う事で,面接をする教授の先生方の信頼も厚く,今年も多くの内部生が留学への切符を手にしました.そして私も今年,イギリス・スコットランドの名門,1583年創立のエディンバラ大学に交換留学をさせて頂く事が出来ました.又,外部団体の奨学生に応募した際にも,中高等科そして大学と長く学習院で学んで来た事が高く評価され,結果として今回留学を援助して下さる事になりました.

 エディンバラは,大学も去る事ながら街並みも古く,最近世界遺産に登録されました.常に史跡と隣り合わせという大変恵まれた環境で生活しています.9月29日の入学式は,17世紀に建てられた,オペラ座かと思わせるような素晴らしいホールで盛大に行われました.歴史ある建物に響き渡る巨大なパイプオルガンの美しい音色を聞いていると,改めて世界の大学の素晴らしさを身にしみて実感すると共に,与えられた環境で最大限の努力をしなければいけないと感じさせられました.

 9月のはじめから行われたサマープログラムでは,経営学科用の英語を勉強しました.英語の授業であるのは勿論の事,ビジネスレターの書き方・交渉の仕方・履歴書の書き方・会議の仕方など実践的な内容の事や,経営学科に入るに当たって必要な単語の学習や発表の仕方など3週間の間に様々なことを学習しました.

 イギリスの大学は普通3年で終了するのですが,ここスコットランド地方(国)は日本と同じ4年制を採用しています.ただし日本の大学と大きく違う点は,イギリスでは伝統的に,それぞれのコースに必ず1時間,チュートリアルという少人数での指導があり,より学生一人一人を大事にする,きめ細やかな指導方法を採っているので,日本の大学のように講義を聴いたら試験までそれっきり,にならない本物の勉強をする事が出来ます.更に,エディンバラ大学は全学部合わせて蔵書約200万冊という,英国全土でも有数の大学であり,我々学生に多くの学習の機会を提供しています.
私は今,メインキャンパスから15分歩いたところの学生寮で生活しています.僕の学生には3つの建物があり,一つの建物に7つのフラットがあります.それぞれのフラットには4人から5人が一緒に生活をしています.私は2人のドイツ人と,一人のスコットランド人と生活していて,学生寮の建物の全体では,私ともう一人,中国からの留学生以外,誰もアジアからの生徒がいないので,英語を学習するのには最高の環境を頂いてます.夜は,医学部の学生も,物理学科の学生も,法学部の学生も皆同じ建物に住んでいる人で集まって,楽しいひと時を過ごしています.
皆それぞれが,はっきりとした目的を持って,親元を離れて,自分ひとりから全てを切り開いていく経験をしているのをみると,未だに親と一緒に住んで,頼っている自分が情けないと思うと共に,彼ら彼女らのたくましさを感じました.一年間という,長いようで短い留学ではありますが,出来る限りの努力をして帰国したいと思います.

 最後になりましたが,高等科で勉強したからこそ,自分の可能性を追求することが出来たと思います.この場を借りまして,改めて母校に感謝したいと思います.


宮副 信也
1999年高等科卒業,2003年筑波大学体育専門学群卒業,同大学院体育研究科修了
ペンシルヴァニア州立大学留学

(現在(株)アシックスに勤務)

 現在,私はThe Pennsylvania State University, Nittany Lion Basketball Teamの下でバスケットボールコーチングの勉強をしている.大学,大学院とバスケットボールに関わり続けることとなったこと,また,アメリカ留学を決意したきっかけは,高等科生活3年間にある.

 高等科では,とにかく部活動に没頭し,毎日バスケットボールのことを考えていた.学校の成績は中の中程度.大学で何の勉強がしたいかもはっきりとしていなかった.受験が必至であったなら,それでも大学合格のためにとにかく「勉強」に明け暮れなくてはならず,その結果,自分の夢を見失っていたかもしれない.しかし,高等科は,むやみやたらな「勉強」を押し付ける代わりに,自分が抱いた興味,関心事を最後まで追求する場,やりたいことをやり遂げる場を与えてくれたように思う.目標が定まればそれに向けての努力や苦労はさほど難しいものではなかった.やりたいことを見つけ,それに向かって一歩を踏み出す.順序を間違えることなくその過程を踏めた.このノウハウを高等科で学べたからこそ,今の自分があると思う.

 留学に対して漠然とした期待を抱き始めたのもこの頃であった.特にこれといった理由はなかったが,ただなんとなく海外生活に憧れていた.しかし,この漠然とした留学への思いが決意へと変わり始めたのが,筑波大学での経験からである.

 アメリカに来ようと思った理由は,ありきたりではあるが,他の文化に触れるためである.このことを強く感じたのは大学時代である.高校3年生まで東京以外で生活したことが無かった私は,地方出身の友人との間に,狭い日本の中にすら文化や考え方の違いを感じた.

 さらに,6年間通った学習院を出て筑波大学に入学して感じたことは,大学の同級生と自分の価値観が全く違ったということだ.学習院で常識であったことが筑波では通用しなかった.学習院の友達は,いわゆる育ちがいい.どこか似たり寄ったりの学習院思考があり,それを不自然と感じることも無かった.ぬるま湯にどっぷり浸かって中学・高校時代を過ごした私は,そのギャップに戸惑いを感じたことを今でも覚えている.バスケットボールに関しても同じことが言えた.プレーのレベル違い,目指すレベルの違い,考え方の違い.それらを目の当たりにした時,高校時代の自分の甘さを痛感した.もちろんこのことは,私の学習院生活を否定しているわけではない.ただ,この環境の違いは,それまで築き上げた自分の固定概念を客観的に見直すきっかけを与え,視野の拡大に大いに役立った.

 新しい文化・環境を知ることや高い水準に身を置くことができた大学生活は,私にとって大いに意味があった.これらの経験が,アメリカでバスケットボールの勉強をすることに興味に抱かせた.

 大学院に進学後,1年間アメリカに来ることを決意した.アメリカでは,競技レベル,コーチングシステム,サポートシステムなど全てが日本よりも進んでいる.日本にいても,メディアを通じて多くの情報を得ることはできる.しかし,現在アメリカの現場で実際になされていることやそこへ流れてくる最先端の情報に直に触れ,自分の目で確かめることで,日本にいては得ることのできない,また感じることのできない何かを吸収できると考えた.

 今,私はアメリカでバスケットボールコーチングの勉強をしている.現場にいるため,現役のコーチや選手と話す機会も多く,その中から多くのものを学んでいる.日本にいた時からある程度の予測はしていたものの,大学スポーツの規模の違いには驚いた.バスケットボール部に関して言えば,選手13人に対して,監督,コーチ,マネージャー,メディカルスタッフ,トレーナー,秘書,equipment staff(洗濯係)など,総勢25名を超えるスタッフがサポートしている.学費の免除はもちろんのこと,住居,食費,お小遣い,遠征費,練習着などが選手には支給される.1万5千人収容のバスケットボール部専用の体育館には,トレーニングルーム,クリニックなども完備されている.また,テレビとラジオの放送は毎試合行われる.これら全ては,日本の大学スポーツの領域を超越している.そのスケールの大きさから,あらゆる面でのレベルの違い,規模の違いを見せ付けられ,圧倒された.日本のスポーツ界とアメリカのスポーツ界との差異を埋める努力の必要性を痛いほど実感させられた.

 1年という時間は何かを習得するには十分な期間とは言えないかもしれない.しかし,海外に来たからこそ受けることができたこの感覚は,私にとって非常に有意義であった.この体験を日本での活動に生かした時にはじめて意味を持つと考えている.残りわずかのアメリカ生活の中で少しでも多くのものを吸収し,それを日本に持ち帰ることで,今後の自分の糧としたいと強く思う.



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