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社会で活躍する卒業生

1995年高等科卒業生
(1995年高等科卒業,1999年学習院大学法学部法学科卒業,
同年名古屋大学大学院法学研究科進学,同大学院博士課程(後期課程)満了退学後,
2005年4月より桐蔭横浜大学法学部法律学科専任講師)

 月日の経つのは早いもので,私が高等科を卒業してから10年が経ちます.この度は,後輩の皆様のお役に立てればと思い,卒業してから現在に至るまでのこの10年間について,高等科時代の経験をもふまえて述べたいと思います.
高等科時代は,自由な学風のもと,様々な授業・部活動等を通じて,色々と自分の可能性を模索することができる期間であると思います.私の場合は,大学さながらの講義形式の授業や難解な数学の授業等で知的好奇心をかきたてられました.大学受験の人達よりも時間があったので(授業においても,モラトリアム,無用の用といったことを習いましたが),3年次に友人達と作った部活動を通じて様々な体験をし,アイデンティティーや人生観等について色々と友人と語りあうこと等を通じて,自分の進路・目標を定めることができました.
このようなことを経て,私は自分の能力を試したく,自由業たる弁護士になりたいと思い,学習院大学法学部に進学しました.他大学受験も考えましたが,大学浪人する可能性がある以上,司法試験浪人した方がよいと思い,そのまま学習院大学に進学することにしました.
大学時代は,ちょっとした専門と外国語くらいしか身につかないと思い,ゼミ等には,司法試験用のものをも含め,2年間で5つのゼミに在籍し,中国語を大学4年まで4年間勉強しました.もっとも1年次は,授業にも出ず遊びまわっていました.けれども何のために法学科に入ったのか自問自答し,大学2年次から司法試験予備校に通い,勉強を始めました.しかし大学3年次の後期から,弁護士よりも研究者になりたいと思うようになり,大学院進学を考えはじめました.その理由は,研究者以上に,端的に自分の能力を試せる職業はないと考えたからです.
そして,中等科受験より10年ぶりの受験をし,なんとか名古屋大学大学院法学研究科に入学することができました.なお私がこの大学院を選んだのは,私のゼミの先生が定年退官を迎えられたこともさることながら,大学2年次の授業で,感銘を受けた(判例にも採用された)学説を主張した先生のもとで研究したかったからです.また国立大学には研究者養成のためのコースがきちんと確立されていたためです.
大学院時代,修士課程の時は,はじめての一人暮らし・ドイツ語・論文執筆等で,生活に慣れるのに精一杯でした.博士課程に進学してからは,徐々に研究生活という環境に慣れ,「研究」の面白さ・難しさといった醍醐味を感じることができるようになりました.また、ローマ法以来,永きにわたって続く法の歴史および先人の業績等の研究を通じて,学問に対して謙虚かつ真摯に接することができるようになった気がします.その結果、学問的には勿論ですが,人間的にも大きく成長することができたと思っています.なお、私は,私人間の自律的活動を規律する「民法」について研究しています.より具体的なテーマは,法律学における「意思」とは何かを明らかにしたうえで,「意思」によって基礎づけられている「権利」概念を中心に構築されている私法理論全体を再編する,ということです.研究成果をきちんとした形でまとめあげるには,あと10年近くかかるような大きな研究テーマです.
まだまだ未熟な私ですが,今年度から,桐蔭横浜大学法学部法律学科の専任講師として赴任することになりました.これで研究者になるという目標は達成することができたわけですが,今後は研究者でもあり,教育者でもある大学教員という自覚をもって,日々精進していきたいと思います.
以上,私の高等科卒業後の10年間について述べました.最後に,一言述べさせて頂きたいと思います.社会の中で生きていく以上,自分一人では生きていくことができません.そのため,人と人とのかかわりを重視して,色々な人々と様々な経験をして,人間的に成長することが大事かと思います.高等科時代は,このような人間的に成長するための土台を作る時期だと思います.自分の人生について真剣に悩み・考え,進路ないし目標を見定めて,大学時代には,その目標に向かって一生懸命進み,人生を謳歌して頂ければと思っています.

私が通っていた司法試験予備校  http://www.w-seminar.co.jp/shihou/index.html
私が通っていた大学院  http://www.nomolog.nagoya-u.ac.jp/
私が勤めている大学  http://www.cc.toin.ac.jp/UNIV/japanese/

内山 毅
(1999年高等科卒業,2003年学習院大学経済学部卒,
現在伊勢丹 婦人第三営業部 コンテンポラリーガーデン ドナティ勤務)

「私の高等科・大学時代,社会人生活を始めて」

私が高等科で過ごすに辺り,気をつけた点は4つあります.1つ目は選択肢を増やす事です.2つ目は授業をしっかり聞きノートを取り,定期テストでしっかり点数を取るようにする事,3つ目は一生懸命部活をする事でした.

(1)選択肢を増やす
私は将来何をしたいか決まっていませんでした.あえて言うならば,どこか会社に入って働こうと思っていたくらいです.何をしたいか決めていないと言う事は,なんでもできるようにしておけば良いと考えました.大学で理学部に行きたくなるかもしれない,行きたくないかもしれない.どちらにせよ,2年生で数学はベータを,理科も物理を選択しました.そうする事で,苦労はあるかもしれませんが,どちらにも行く事ができるので,自分の幅が広がりました.

(2)授業を聞き,定期テストで点数をしっかり取る
私が気をつけていたのは,授業を聞いてノートを取る事,資料を無くさない事です.
私は剣道部に所属していたので,週に6回稽古がありました.毎日が充実していました.その代わり,定期テストに対する不安は人一倍でした.そこで,努力した事は,ノートを完璧にする事です.そうすれば,定期テスト前にコピーをするなどという手間もかからなければノートに書いておくだけでも,自然に頭に入ってくるものでした.しかし,全てが上手くいった訳ではありません.とりわけ,2年生の時は正直苦労しました.数学が解らなかったからです.しかし,それは先生に終わった後に質問したりする事で克服していきました.授業中に解らなかった事,試験前に家で勉強していて解らなかった事,どこができなかったかをチェックしておいて,それを学校で先生に聞きに行きました.学校は色々な専科の先生がいます.私は塾や家庭教師などは一切やっていなかったので,教えてもらえるのは先生だけでした.その代わり,良い意味で先生を利用させて頂きました.昼休みや試験前で部活が休みの時の放課後に主管室や教員室をよく訪れて,聞いていました.それで定期テストに向けて頑張っていました.

(3)部活を一生懸命頑張る事
高等科生活で一番燃えたのが部活動です.剣道部に入部して稽古を続けました.部活はいい物です.学校が終わってから遊びに行く事はもちろんできません.しかし,それ以上に仲間との友情,先輩後輩との友情,試合の勝ち負けで嬉しかったり,悲しかったり,と色んな経験ができました.私には授業が終わってから,家に帰ってダラダラした生活をするのは逆に退屈でした.友達と帰りに毎日遊びに行くのも,毎日だと飽きてしまうような気がしました.部活動をする事によって,練習にでなければいけないという,拘束される事によって,たまに練習が無くて友達と遊びに行ったり,家に帰ってリラックスしたりする事が新鮮でした.
特に,部活動では社会の規則の根底を学んだと思います.時間に遅刻をしてはならない.一生懸命に稽古をしないと試合に出してもらえない.苦しさがあるからこそ,試合に勝った時の喜びは何倍にもなりました.今となっては良い思い出です.
部活動があったからこそ,高等科生活が充実した物になったと,私は思っています.

大学時代
大学に入るにあたり,内部の推薦試験(実力試験)を高等科生は受けなければなりません.私はその試験がとても怖くて仕方ありませんでした.そこで,自分はどの教科が得意なのだろうか,得意なものがなければ,比較的勉強し易いのはどの教科だろうと考えていました.そこで,実力試験を受ける教科を下の学年の時にある程度決めておきました.私が選択したのは世界史・政経・物理Aでした.ですから,ノートは高校一年生の時から綺麗に書いて,取ってありました.そうして学習院大学に進学しました.

 進学してからは,剣道部にまた入部して,運動生活を送っていました.しかし,高等科の時に培った癖は抜けずにノートはできるだけ完璧にして試験の時に困らないようにしていました.後は毎日部活の日々でした.しかし,高等科の時よりも,もっと社会に出る為に必要な事を身につけました.良い先輩に恵まれて,組織を運営していくには,どのようにしていったら良いのかを学びました.
大学の部活動は学生だけではなく,OBの先輩方にも支えられています.なので,現に社会で働いている方々と話す機会が多く,貴重な経験ができました.特に剣道という,歳をとってもできるものだったので,上は80を越える方から下は初等科生の剣道部員と話す事ができて,非常に有意義でした.
剣道部の夏合宿は非常に面白く,初等科から大学,OBまでもが一緒に行う大々的な物です.朝集合すると半ズボンを履いた,平成生まれの小学生から80歳を越した方までが一堂に集い,合宿を始めます.団体生活というよりも,一つの大きな家族のような感覚に包まれながら,稽古に励みました.幅広い年齢層の方々とお話できるとても良い経験をしたなと思っています.

社会人としてこれからの抱負
私は百貨店に就職して,仕事をしています.ただ,学生時代に培ったものは,社会に出てからも生きてきます.やらなくてはならないことを,しっかりやる.書類の提出期限を守る.遅刻,欠勤をしない.当たり前の事を当たり前にできるようになるには,学生時代からその癖をつけておくことが非常に大事だと思います.まだまだ,新人で右も左も解りません.しかし,解らない事をそのままにしておくのではなく,人に聞いたり,自分で勉強したりすることで,解消しています.
皆さんは,将来に不安を感じているかもしれませんが,学生時代にしっかりとやるべき事をしていれば,社会に出てからも胸を張って生きていけます.日々,人生の勉強だと思いながら,苦しみ,楽しみながら学生生活を送って下さい.

 時間は元には戻りません.一秒一秒を大事にして下さい.


川田 幸祐
(1999年高等科卒業,2003年慶應義塾大学法学部卒業,ソニー勤務,現在ペンシルバニア大学に留学中

 今春学生生活に終わりを告げ,新たな社会人生活が始まった.今は企業のリーガル・スタッフとして学生時代にはなかった「仕事」の責任の重さ,辛さとともに楽しさを味わう生活を送っている.この半年は「社会人」という新しい環境の下で必死に走り続けてきたという感じであるが,プレゼンがうまい同期や仕事を素早くこなしていく先輩等々,回りからいい刺激を受けながら毎日が勉強の日々である.ただ,このような生活の中で自分を振り返りたい時や気兼ねなくバガ騒ぎをしたい時,それが容易に出来るのが不思議にも学習院高等科時代にめぐり会った友人達とである.高等科を卒業して早5年が経ち仲の良い友人らはそれぞれの道を歩んでいるが,彼らとの久々の再会は何よりも楽しみであり,今では私にとってかけがえのない存在になっている.

 学習院中等科に帰国子女枠で入学した当初,私は日本の学校になじめるか不安であったが,入学式の当日から気の合う友人とめぐり会え,すぐに打ち解けることができた.ただ,勉強については小学生の理科・社会の基本的な知識がほとんど抜けていたために最初の1年間は皆についていくのに必死だった.幸い英語の科目数が多くて,外国人の先生の授業も面白かったため,楽しく勉強ができた.中1からブラスバンド部やテニス部に入部して充実した日々を送れたとともに,クラスを超えて様々な友人にめぐり会えた.部活で知り合った友人とは今でも交流が続いており,色々と刺激を受けている.

 学習院高等科での3年間は,何よりも生徒の「個性」を最大限に尊重してくれたお蔭で自由にのんびりと過ごすことができた.高等科の先生はとにかく「個性的」で授業でも先生が研究している話や興味を持っている分野の話を聞くのが楽しく,また数学の授業で触れられた哲学にも興味を持ち,休み時間にはよく友人達と職員室に遊びに行った.

 高校生になってから漠然と「大学受験」の考えはあったが,受験対策というものは高2までせず,志望校や具体的に何を専攻するかも決めていなかった.高3の春にたまたま現代文の授業で取り上げられた阿川尚之氏の「我が友ベーコン」(『アメリカが嫌いですか?』)の作品に感動し,アメリカの弁護士である阿川尚之氏のように将来は法律に関する仕事に就きたいと思い,外部の大学を受験することを決めたことから毎日家の近くの塾に通う生活が始まった.出来れば阿川氏といつか会ってみたいとは思っていたが,阿川氏が慶應義塾大学総合政策学部の教授になったことを姉から聞き,志望校・進路先が具体化した.よく友人からは文系で法学部が学習院大学にあるのになぜ外部の大学を受験するのか,と聞かれたが,外部の大学を受験した理由の1つは単純に「外の世界がどうなっているか」を見たかったからで新しい大学で全く新しい環境のもと友人作りから始まり色々と苦労はしたものの,学習院とは違った価値観を持つ様々な人や教授と巡り会うことができた.

 学習院が世間で言う受験校ではないので受験勉強は塾と自分で対策を講じなくてはいけないためデメリットとなるのかもしれないが,私の場合は受験校ではなかったことがよかったと思う.夕方から夜にかけて塾での勉強の毎日では,昼間の学校がとてもいい「息抜き」の場所になった.受験校では学校またその後の塾でも絶えずライバルを意識しながらの勉強で「息抜き」する場所がないが,付属校のマイペース・のんびりとした雰囲気に身をおいていい意味で「息抜き」し,夜はおもいっきり集中して勉強していく方が自分にとっては効率的なサイクルだったと思う.ただ,のんびりとした雰囲気に自分が流されなければではあるが.このことさえ留意すれば,先生方も受験勉強には協力的で自分の勉強に専念できる環境であったと思う.

 高校卒業とともに法律を勉強したいとの思いから,慶應義塾大学法学部法律学科へと進学した.高等科で1学年が約200人の小さな環境で育った私としては,法学部だけで1000人以上もいる大学で,様々な友人・教授にめぐり合えた事が大きな財産になったと思う.何よりも多様なバックグランドを持つ友人達と一緒に法律を勉強することが楽しかった.大学ではヨット,留学生のためのボランティアサークルに所属し,勉強はそっちのけで長い休暇を活用して高校・大学の友人らと国内・海外と旅行に行きまくった時期もあった.今から振り返ると大学は基本書を読みながら勉強するだけではなくて,大学にいる「人」から学ぶことも非常に多いと思う.友人・先輩・教授などなど.大学3年時には数多くの先輩から「日吉では遊べ,三田で学べ」と聞いていたので三田で法律学科でも勉強がエグイとの評判だった国際法の研究会に入り,予想通り勉強とゼミ中心の生活に変わった.ゼミ形式が模擬裁判をとっていたため,担当のメンバーになれば毎日図書館での勉強・準備が日課となったが,グループワークを通して色々な意見をぶつけ,相手を論理的に打ち負かすには何をすれば良いのか等,ゼミでの勉強は後の企業でのインターンや就職活動で非常に役立ったと思う.大学4年時には学科の授業に余裕が出てきたため,SFC(湘南藤沢キャンパス)で教授をしていた阿川教授の「アメリカ憲法」の研究会に頼んで入れてもらい,2つの研究会に属することになった.阿川先生の下ではアメリカ最高裁の判例を発表し,ソクラテスメソッド形式により先生からの様々な質問に対して答える必要があるため,準備が非常に大変ではあったが,新しい研究会の下で先輩や後輩と多くの友人と巡り会うことができ,4年が大学の中で1番充実していた年でもあった.何よりも念願の阿川先生の下で勉強できたのが大学での最高のいい思い出となった.

 就職活動としては,ゼミの先輩がメーカーでのインターンを薦めてくれたこともあり,運良く3年の春休みに2週間ほど法務部でインターンをする機会に恵まれた.インターンの内容は職場で契約に関する課題を与えられ,最終日にプレゼンするというものであったが,大学では経験することができない,企業を通しての法律を勉強することができ非常に有意義な経験となった.
現在はインターンでお世話になった社員の方々と一緒に契約書の作成という業務を担当している.企業の様々な契約書と格闘し,色々なことを学びながら1日でも早く一人前のリーガル・スタッフとして活躍できるよう,これからも精一杯頑張っていきたいと思う.



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