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卒業生父母

  • 相澤 君子(2002年卒業生母)
  • 「部活を通して」

 十五年前,娘の通った公立中学校のこと.三年最後の授業参観に主人と出かけた.授業中の雰囲気に活気がなく欠席も目立った.いじめ・登校拒否など荒廃していた環境であった.それが要因ともいえよう,自然環境に恵まれ伝統ある学習院の一貫教育を望んだ.ほとんどが親の意向であった.そして運良く学習院中等科に合格,入学することができた.

 部活はなんとなく陸上部を選択したようだ.その時はこれをやってみたいというのがなかったらしい.時がたつにつれ学習院にも馴染み,色々な様子を語ってくれ,そのうち友達が我が家に遊びに来てくれるようになった.皆,明るい笑顔で挨拶し,それぞれ個性的ですばらしい魅力を持っていた.そんな中で息子は部活も勉強もほどほどにこなしていた.二年の頃から,色々な大会に出場挑戦してきた.陸上部の仲間と交流も深まり,他の学校の友達も増えた.厳しい練習も自分のものになることも悟った.三年の時,中学陸上全国大会に出場,予選落ちし悔しい思いをしたことで,以来高等科でもひたすら陸上にのめりこんでいった.しかし,その反面,家で勉強する姿はみられず,私は心配のあまり「基礎的な勉強をしっかりやらないと一から出直すのは大変なエネルギーを要するのだ」と息子を説得した.だが,息子は聞く耳を持たず,何度も口論になった.案の定,成績は下がっていく一方で,学習院大学進学すら危ういというところまで落ち込んでしまった.私自身悶々とした日々が続き,時間に追われるような思いであった.

 あっという間に三年になり,受験を真剣に考える時期に差しかかった頃,担任の先生に学習院での様子を伺った.「彼は今真剣に授業に取り組んでいる」,「頑張っている」と話して戴き,沈む気持ちも多少吹っ切れたのはその時からであった.高等科時代に自分の将来を決めてしまうのは無理ではないか,関東大会が終わるまで何も言うまい,信じてみようと・・ 夏の終り色々と課題が残ったようだが帰宅すると真剣な顔で机に向かっていた.正直,親としては部活にかける情熱をもっと早く勉学へと向けてほしかった.ただ,部活を通して勉学では得られぬことを数多く体験・吸収できたことは良かったと思っている.

 陸上に打ち込んだものが支えになり,バネになり,勉強にも集中して頑張ることができたようであった.先生方のご支援,友達からの励ましがあって希望通りの大学進学が叶えられたこと,深く感謝している.大学を入学した今も陸上部で相変わらず走っているようである.これから,この大学時代に得た学問からの感動や知識,そして築きあげた人間関係を大切に,自分を良く知り社会に出てどうすればいいか模索して欲しい.


  • 荒船 旦子(2002年卒業生母)
  • 「男子部に通わせて」

 長男は男子部中等科を受験し,高等科を卒業後,他大学に通っています.と,書きますとありふれているようですが,実はその間,主人の仕事の関係で外国に駐在.休学を2度経験しています.その結果,長男は中学,高校ともに3つの学校に在学しました.次男は,丁度学習院が中高一貫性を取り始めた年に当たり,高校の募集が少なかったので,友人を作るのが難しいだろうと判断し,高校で帰国した時に他校を受験し,通っています.その様なわけで,私は色々な学校を見ることができました.又,私の兄は今,60代ですが初等科から大学まで学習院に通い,男子部のすばらしさを語ってくれます.その経験を元に学習院の特徴を述べてみたいと思います.

 私自身は初等科から一貫教育の学校に通い,全く受験というものを知らずに過ごしてきました.友人とは6才からのつきあいで今でも続いており,そのありがたさを折に触れ感じています.又母校の教育理念を今でも引きずり,学校教育の素晴らしさというか凄さも実感しています.

 男子部中等科に入学した折,その校則の厳しさに驚きましたが,理由があるのに納得しました.そこできちんと日々の生活を送る内に身に付くものもありました.残念乍ら,前述のように海外に出てしまい,長男には他の学校や家庭で教えることの方が多くなりましたが,実際に通えば3年間で習得していくものは大きかったことと思います.

 高等科に上がると,校則はないものに等しく,今までに身につけてきたものを尊重し,その中での自由を楽しんでいるようでした.つまり,義務と責任を中等科の間に習得し,それに裏打ちされた自由で,勝手気儘な自由とは意を介していたように思えました.一線を踏み越えればその分自由な領域が減ってしまうと言うことも暗に知らされていて,ある意味,高等科では大人として扱って頂いたような気がします.

 又,一貫教育校でありながら他大学を受験したいと希望をすれば,きちんと資料も揃えて下さり,勿論相談にものって下さいました.生徒の気持ちを尊重し,受験に向けて学校の勉強以上にしたい子には放課後や休み時間を利用して先生方がお教え下さり,電話でも相談にのって下さいました.大学ともなれば親は相談にのれても,決めるのは子供ですのでその点もとても有り難く思いました.

 学習院に通った期間は短いながら,幹事をさせて頂いたことや他大学を受験したことなどで濃密な日々を過ごさせて頂いた気が致します.先生方だけでなく,職員の方々にも色々とお世話に預かり,感謝しております.色々な国内外の学校を見てきたお陰で学習院の良さを他の方以上に感じることができたのかも判りません.


  • 内山 英子(1999年,2002年卒業生母)
  • 「私の息子の高等科時代」

 私共の息子は.平成5年〜平成11年までの6年間.学習院中等科・高等科でお世話になりました.その後学習院大学経済学部に進学.平成15年4月より社会人1年生として歩き始めました.

 勉強については日頃のクラブ活動もあり.疲れて帰ってまいりますので.試験の1週間前の練習が無い時に机に向かう姿を見た記憶があります.普段は.「いかに講義に集中しているか.ノートを取れるか.取る事が出来るかが.試験の前の短い時間の勝負」とか.勉強に「勝負」などと言う言葉はどうかと思いますが.子供が申しておりました.実際に本人が先生方の講義をまじめに聞き勉学に真剣に取り組んだかは.私共には良く分かっておりませんが・・・. 中間.期末試験が終わると成績表を頂いてくる訳ですが.各科目評価点.クラス及び学年の順位が記載されてあります.親としては順位がとても気になる所ですが.選択科目が皆違うので.1点違えば10番も違う事があるのですから.「クラスの何番」「学年の何番」よりも平均点が取れ各科目をどれだけ理解できたかが重要です.と言っても気になるものです.高等科3年の内部進学の2回の実力試験が終わった時は親子共々ほっと致しました.外部受験とは比べようはないでしょうが.内部受験なりの厳しさを感じておりました.1回目の9月テストは何が何でもがんばるという気合が必要でしょう.次のテストに向けて,欠点を子供に早く気づかせ.勉強に立ち向かう姿勢をさせ,親子共々緊張するのが大切だと思います.子供と話合うのもこの時期です.とかく子供は口うるさいと言いますが.「大丈夫.大丈夫」「何とかなる」では絶対に大丈夫ではありませんし.何ともなりません.親も緊張する事は大切なのではないでしょうか.親に出来る事は子供の食事.体調に気を付けて試験当日を迎えさせる事です.そして後は発表を待つだけです.

 クラブ活動については初等科4年生から大学卒業まで剣道部に在籍し.日々の練習.1月上旬の寒稽古.夏の合宿.試合等々.学校には勉強よりも部活動の為に行っているのではないかと思われる事が何度もありました.それでも筑波大学附属との定期戦.いわゆる「附属戦」には強い印象と感銘を受けました.初めて附属戦を見に行った時の事.学習院の道場には選手・応援団・観戦応援する生徒・先輩方の熱気と緊張感は独特かつ異様な雰囲気だった事を覚えております.家では話かけても「あー」とか「うん」程度の返事しかしない子供が.監督・コーチの話を真剣な眼差しで聞き.大きな声でしっかりと返事をし.また一つの目標に向かって全部員が一致団結している姿に感動いたしました.「附属戦.附属戦」と子供がプレッシャーを背負いながら大騒ぎをしていた事の意味を理解しました. このクラブ活動に関しては.古くからの伝統で.故人になられた秋田一季総監督(元桜友会会長)はじめ先生.諸先輩の方々が生徒の面倒を真剣に見て頂いた事を親として心より感謝しております.技術面は勿論ですが.「心」を教えて頂きました.これが伝統ある学習院ならではの財産であり.魅力であると思います.この様な環境の中で私共の子供が.人生の中で一番感受性の高い.また人間形成の上で大切な時期を過ごせた事を有難く思っております.損得と無縁な人生での財産である真の友人を得る機会でもあったとも考えております.この様なクラブ活動に没頭する事が出来るのも一貫教育の良さだと思います.受験校とは違い.一貫教育は選択の幅が広いのではないでしょうか.他校受験の方にはクラブ活動とか受験に関係のない講義があるなど.いわゆる受験対策がとられていないと言う声があったのも事実ですが.

  大学在籍中は.生活面で自由を謳歌しておりました.しかし心配だったのは自由を履き違えてしまわないかと言う事でした.自由とは自分に責任を持つという事ですから.本来は難しくて厳しいものと思います.幸い子供はクラブ活動と言う歯止めがありました.厳しい練習や辛い事もあったでしょうが.充実した日々を送る事ができました.これも監督や諸先輩のご指導のお蔭と思っております.就職活動は3年の後半に入ってから本格的に実施.コンピューターで何もかもする時代になった事にビックリ致しました.就職に関して親はほとんどノータッチ.先輩方に相談したりご意見をお聞きしたりして,行動していたようです.そういう点でもクラブ活動をやっていて良かったのではないでしょうか. 学習院という恵まれた環境(諸先生方.諸先輩方.友人.そして後輩)で育った事を本人が自覚し.世の中で他人の為に役立つ人生を送って欲しいと望んでいる次第です.


  • 高橋 史子(1999年卒業生母)
  • 「私の息子の学習院中・高等科6年間」

 我が家の次男は,平成11年3月に学習院高等科を卒業し,東京大学工学部で学び,今年3月卒業しました.そのまま大学院に進みましたが,アメリカの大学院で勉強したいと願書を出し,希望がかなって先月(8月)下旬ボストンへ出発しました.  父親の仕事の関係でアメリカに5年3ケ月暮らし,小学校6年生になる時帰国しました.1年間地元の小学校へ通った後,帰国子女枠で学習院中等科に入学させて頂きました.人間形成で一番大切な中高6年間を,学習院で過ごさせて頂き,良いお友達,すばらしい先生方に恵まれて自分の進む道を選び,歩き始めております.

 息子は学校生活がとても楽しく,平日は毎日の様にクラブ活動ですし,休日はクラスのお友達とも遊び,良くお宅にもお邪魔して遊ばせて頂きました.出来る事なら回りのお友達とご一緒に学習院大学へ進みたかったのでしょうが,大学では工学部で勉強したいと思い始めた様でした.残念ながら学習院大学には工学部が無く,それで高校に入った頃から外の大学へ進むことを考え始めた様です.しかし学校生活が楽しく,クラブも高3まで止めたくなかったので塾に行く気もありませんでした.そこで考えたのが推薦での入学でした.高2になって推薦して頂ける基準に達しているかどうかを担任の先生にお聞きしに行った折,担任ではなかった数学の先生からお言葉を頂いたのでした.「外に出るなら堂々と受験して出て行け」と.そして「受験するなら第一志望は国立にしろ」と.その気になった息子は,あわてて塾を探しました.大学受験の準備としてはギリギリのスタートだったかもしれませんが,学校の授業を一応ちゃんとこなしていた事と,先生方の励ましを頂いて何とか間に合いました.きっかけを作って下さった数学の先生には,高3になって担任として本当に色々とお世話になりました.

 学習院は確かPTA活動の様なものが無かったので,親同士が仲良くなれるチャンスが少なかった様に思います.学校に出かけて行くのは各学期1度の保護者会の時だけだったでしょうか… うちは帰国枠で入学した為か,入学してしばらく誰も知った方がいなくて学校の様子も分かりませんでした.もっとお母様方とお友達になって,子供の様子や態度に対する不満や不安を話してみれば良かったと思います.よそのお子さんも皆その様であれば「うちの子だけではなかった」と安心もしたでしょうし,口に出す事で発散も出来たと思います.幸いにも,中3の時クラス幹事を引き受け,他の幹事のお母様方や先生方とお話できる機会が出来,これは私にとってとても有益なものでした.3年生は中等科生活にも慣れ,高校受験が無いため気がゆるんで遅刻が多くなったり,授業態度が悪い生徒が出始めた,と先生からお話があったと記憶しております.これらに対して,先生側からの対応策や親として注意する点を話し合いました.又,「高校生になったら変わりますヨ」と少しおどかされました.「ご家庭でも変化に気をつけていて下さい.」ともお話があり,その時は少し不安になりましたが,結果的に息子はそれ程変わりませんでした.朝乗る電車も中1以来同じ時刻の電車でしたし,服装の乱れも出ず,授業中も面白くなければ居眠りをしていた様でした.口うるさく注意する母に,おなかの中では「ウルセーナー」と思っていたのでしょうが,口に出した事は一度もありませんし,よほど虫の居所が悪い時に注意された時だけ,ふてくされた顔をして自室にこもっていました.色々思い悩む年頃だったのでしょうが,息子は学校生活がとても楽しく,たくさんのお友達がいたので家には何の問題も持ち帰りませんでした.私がしてやったのは毎日お弁当を作った事と,家でもちゃんと食べさせた事だけです.それから朝出かける時,必ず顔色や様子を見て見送り,帰ってきた時も顔色をチェックしていました.

 我が家の3男は,現在高校2年生です.学習院とは全く雰囲気の違う男子校に通っておりますが,これ又学校生活が楽しく,クラブやクラスのお友達と遊んでばかりいます.個性が全く違う兄弟ですが,本人の個性に合った学校に入れたことはとても幸せだったと思います。中高時代にたくさんのお友達を作り,一緒に遊んだり大いに語り合う事が将来に向けての貴重な財産になると思います。母親としてはこの時期,きちんと食事をつくる事と異変はすぐに感じ取れるように毎日見守ってやる事しか出来ませんが,それで良いのではないかと3人の息子を育てて思っております.



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