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島野先生を偲んで

 

日本銀行政策委員会審議委員 須       

 

 

島野先生のお通夜の日,それぞれ忙しい玄田さん,宮川さんと私の3人で,代々木上原の居酒屋で,久しぶりに飲もうという日であった。当然のことながら,当日,実際に3人が顔を合わせたのは島野先生のお通夜の会場であった。ストレス発散のための飲み会は島野先生の偲ぶ会に変わった。

EUの研究の第一人者として,また専門分野に共通部分があったので,当然,書物の上では島野先生のことはよく知っていたが,先生に初めてお会いしたのはいつであったか定かではない。ただ,残念なことに,先生と専門的に議論を戦わすことはなかった。したがって,先生との関係は,同じ教授会の仲間として教育や雑務などを通じて,また飲み屋さんやスキー場での語らいを通じて,築き上げられたというのが実感である。

島野先生と飲むのを楽しんでいたのはなぜか。この追悼文を書くにあたって,思い出してみると,むずかし話を議論した覚えはない。島野先生のお宅でこまごまと日常の話を伺った光景やキール大学へ行くまで,そしてそこで苦労して博士号をとるまでのお話とか,国際大学学長としての苦労話が思い出される。ひょっとしたら,島野先生は聞き上手で,多くの場合,私や同僚たちの話を上手に聞いて,ストレスの発散に付き合ってくれていたのではないだろうか,と思う。だからこそ大学を退職されてもたまに会うのが楽しかったのではないだろうか。

 

私が専修大学から学習院に移ったときに,「島野先生の後任?」と聞かれたものである。当時,後任といわれるのはまんざらでもなかったが,実際は違って,10年近くご一緒できたわけであるが,島野先生が退職されて,いくつか仕事を引き受けさせていただいた。一つは大学院の学生である。修士号をとれて望みどおりの就職をした学生もいるが,他方,結局,修士号をとれずに就職してしまった学生もいる。十分後任の役目を果たせなかったことを島野先生にすまなく思う。もう一つの仕事は応募論文の審査の仕事であった。これは私が日本銀行に移ったため,一年限りで止めざるをえなかった。せっかく島野先生が推薦してくださったのに仕方ないことであったが,島野先生との関係が一つ切れてしまったのは残念であった。

 

最近,ECBを通じて大陸ヨーロッパを見ているが,EU統合はいろいろ問題含みでありながらも実務面で着々と進みつつあり,また次第に拡大しつつある。ユーロの国際通貨としての役割も高まりつつある。それをみながら,アジアについても地域統合を進めていくべしという議論が盛んである。アジアも共通通貨を作ったらよいのではないかという声も聞こえてくる。島野先生の意見はどうだろうか。今になって先生と地域統合について本気になって議論してこなかったことを本当に残念に思う。