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島野卓爾先生を偲ぶ

学習院大学の改革に先見性と指導性

 

学習院長 田     

 

 

学習院大学卒業50周年の集いで,少し上気した様子で,しかし実に楽しげに,そして元気に司会進行一切を仕切っておられた島野先生が,その僅か数ヶ月後に逝去されるとは,まことに衝撃であり,全く信じることができませんでした。先生の遺言だからと奥様に言われて,僭越にも弔辞を読ませて頂きましたが,深夜の書斎で弔辞を書きつつ,先生に初めてお目にかかって以来の40年あまりを,まさに万感胸に迫る思いで振り返ったことでした。先生は文字通りの学習院っ子でありました。旧制学習院から新制学習院大学へと進み,恐らく学習院大学出身者で母校の教授になった第1号ではないでしょうか。

専門分野での学究活動の他,国際経済や国際貿易・国際金融等に関する産業界や行政への指導でも,先生の令名は知れわたっていました。同じ敗戦国のドイツ(当時の西ドイツ)が奇跡の経済成長を成し遂げたことから,経団連をはじめ日本の産業界や政官界に,「ドイツに学べ」というブームが盛り上がったことがきっかけでした。当時,島野先生は欧米諸国とくに西ドイツの経済に関する最新の理論と知見を携えて,留学先のキール大学から帰国して上智大学に奉職されたばかりでした。輝くばかりの風貌と,流麗この上ないドイツ語に,まさに圧倒される思いを抱いたのは私ばかりではなかったと思います。

島野先生が偉かったのは,母校に招かれて以降,多忙な国際的活動の一方で,学習院大学の発展と改革に先見的で指導的な役割を果たされたことでした。教務部長や学生部長,経済学部長などの要職を歴任される一方,学習院大学の将来ビジョン策定にリーダーシップを発揮されました。キール大学その他のドイツや広く欧米諸国の大学についての知識から,学習院大学についての先生なりの将来像が,鮮明に描かれていたためだと思います。本格的なシンクタンクを設置し,それを通じて産学連携を活発に行うという構想は,現在の経済経営研究所(GEM)の原点でありましたし,100億円ぐらいのマネジメント・ファンドを大学として持つべきだという指摘は,学習院21世紀計画や学習院新長期計画の立案に当たって,私自身が一貫して実現に努めている課題でもあります。先生のご遺志を忘れることなく,学習院のいっそうの発展に微力を注ぎたいと,改めて決意する次第です。

合掌