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田島義博先生を偲んで

 

経済学部教授 青     

 

私が初めて田島先生から直接ご指導いただいたのは,先生がドイツでの在外研究から戻られて開講された外国書講読の授業であった。その翌年には,運良くゼミにも入れて頂くことができ,以来,公私にわたり数えきれないほどお世話いただいてきた。

 

そもそも私が研究者の道に進むことになったのも,田島先生のお勧めがあったからだが,跡取り息子である私の大学院進学に強く反対していた父を,先生は根気強く説得して下さった。また,当時は,学習院大学の経済学部に大学院がなく,先生の母校である一橋大学の大学院を受験することになったが,その際にも,先生は学部時代からの親友である田内幸一先生にご紹介下さり,今日に至る道筋をつけて下さった。だが,田内先生は先年亡くなられ,父も既にこの世を去っており,今また田島先生が亡くなられたことで,私は二人の恩師と父を失ってしまった。

 

5月の学習院葬の折り,門下生を代表し弔辞を読ませて頂いたが,田島先生は学部・大学院での教育を通じて数多くの教え子を育てられた。同時に,(財)流通経済研究所の所長・会長としても数多くの研究員の指導・育成にも携わられてきた。それら門下生や研究員の中からは,現在大学で教鞭をとる研究者も数多く輩出している。また,日本商業学会会長として学会の発展にもつくされ,更には,先生が主宰された研究会などを通して,影響を受けた研究者は極めて多い。

 

幸運にも私は,学部時代に外国書購読で原書の読み方の手ほどきをして頂いて以来,流通経済研究所でも院生時代には嘱託研究員としてお世話になり,学会でも,学習院に奉職してからも,常に多くのことを学ばせて頂いた。ただ,時代の流れ,世の中の変化を先取りする先見性,複雑な現象の背後に潜む要因とその関係性を掴み取る洞察力,絶妙な言語感覚で分かりやすく語り聞く人を魅了する表現力,等々,どれ一つとっても私など及びもつかないが,それ故に,そんな先生に少しでも近づこうと努力してきた。また,先生は学問のための学問を否定され,理論と実践,知行合一を学問的信条とされていたが,「現実からの帰納があってこそ演繹に意味がある」,「現実を直視し,その裏側に潜む本質や構造を見極めろ」という先生の言葉は,研究者としての私の拠り所である。

 

「凡庸な教師はしゃべる。良い教師は説明する。優れた教師は示す。偉大な教師は心に火を付ける」とは,弔辞でも引いた英国の哲学者ウィリアム・アーサー・ワードの言葉であるが,間違いなく田島先生は数多くの人々の心に火を付けた偉大な教師であった。

 

元より,良い教師でもなく凡庸な教師に過ぎない私だが,学問の師であり,人生の師でもある田島先生に付けて頂いた心の火を大切に守り,志を高く持ち,出来れば次の世代に心の火を繋げていくことで,先生の学恩に報いていければと考えている。             合掌