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田島先生と言葉

 

流通経済大学経済学部教授(日本商業学会会長)

原田 英生

 

 

20年近く前のことだったと思う。田島先生と二人,帝国ホテルのラウンジでコーヒーを飲みながら打ち合わせをしていた。その時不意に,中年のご婦人が「あら,田島先生…」と近づいてきた。先生も立ち上がり,二言三言,かわされた。そのご婦人が立ち去ると,先生は「塩野七生さんだよ。イタリア語も使えるようになりたいと,時々彼女の個人教授を受けてるんだ」と,事もなげにおっしゃった。

先生は努力もされていたのだろうが,持って生まれた語学の才が抜群であった。流通研究についても先生に追いつくのは不可能だろうが,それ以上に,どうあがいても先生の語学力にはかなわない。なにしろこちらは,何年やっても英語ひとつ満足にできない身だ。それを,英語,ドイツ語,フランス語,中国語を自由にあやつり,さらにはイタリア語等々と広げられていく。天はなんと不公平なのだろうかと思えてしかたない。

 

そうした私でも,先生から学べたことが1つだけある。それは,言葉・単語の意味を厳密にしろ,大事にしろということである。たとえば,「小売店の英語は何だ。storeshopという語を,日本人は区別なしに使っていないか。Storeとはstorageと同じ,つまりよそから持ってきたものを置いておくだけのところ。Shopとは作業場のこと,つまりそこで製造や加工が行われているところ。だからチェーンストアであって,チェーンショップというのはありえない」というのは,先生がよく言われていたことである。そういえば,最近眼にした日本の100円ショップを紹介するアメリカの雑誌論文でも,One-hundred Yen Storeとして論じていた。100円ショップは決してショップではない,ストアなのだ。

 

英語力が不十分であるのにもかかわらず,なぜかアメリカの都市計画や開発・土地利用規制の研究を専門にしてしまった私だが,先生の注意は頭から離れない。文献を読んでいても,この語はどういう意味だろうか,なぜこの語を使っているのだろうかということが気になってしかたがない。その結果,例えば,日本では土地利用に関する規制強化の意味でのみ用いられるdownzoningという語が,アメリカでは実は全く正反対の規制緩和の意にも規制強化の意にも使われること,それぞれにその根拠があること,だからその意味はコンテクストから判断する必要があることを知った(最近は,アメリカでもほぼ規制強化の意味に統一されてきたが)。気をつけていると,そうした例は実に多いのだ。

 

言葉の意味に厳密であれという先生の信条は,当然,日本語にも当てはめられていた。その典型が,ご著書の書名にもなった成長と膨張の峻別であろう。大手スーパーが急成長を続けていると一般には言われていた昭和40年代後半に,それを成長ではなく膨張であると喝破され,警鐘を鳴らされたのは,まさに慧眼であった。それだけではない。その上で,先生は難しい語・概念をわかりやすく表現される天才でもあった。ある時,飲みながら,「簡単に言うと,成長と膨張382頁】とはどう違うのですか」と質問した。すると言下に,「成長とはグラマーになること,膨張とは肥満体になることだ」という答えが返ってきた。

不可能ではあろうが,先生のように物事の核心を突いた上で,なおかつそれをわかりやすく解説できる才を,できることならいつか身につけたいと願っている。