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田島先生を偲ぶ

 

学習院長

波多野 敬雄

 

3年余り前私が学習院女子大学の学長に就任した時,田島前院長は私が教育問題について知識・経験がないことを御存知で「知らないということはマイナスばかりではない。知らないから新しい発想で自由に行動出来るプラスがある」と云って励まして下さった。そしてある時「女子大学なら出来ることも目白という大きな組織になると中々難しい」と歎かれたこともある。私が女子大学に英語コミュニケーション学科を新設して,授業は全部英語,2年生は全員カナダへ留学,と云い出した時も全面的に支持して下さり,私はそれを一つの頼りにして女子大学内部での反対意見を抑えたことがある。田島先生と私は元々学者と役人で,以前はそれ程親しくお付合い頂く機会はなかったが,それでも政府関係の会議や社交の場でお会いすると,先生は私が学習院で学んだことを御存知でよく声をかけて下さった。実に洒脱で趣味が広く話題が豊富で会話の上手な方だった。笑い顔が魅力的でアゴ髯もよく似合った。「自分は田舎出で苦学した」と云われるのを聞いて私は半分冗談だと思って聞いていたものである。

 

私が女子大学に来てからは共通の趣味もあり昔からの親友のようにお付き合い頂いた。歌舞伎は私も国際演劇協会の副会長を務めていて毎月歌舞伎座には通うが,学生時代から木戸御免という田島先生の知識には到底敵わなかったので教えて頂いたことが多い。相撲は私も学習院初等科の頃から双葉山時代の国技館へ行っていたので,若貴時代の相撲のエキスパートである田島先生とはお互いの知識を補うように話が合った。それからマージャンがある。私も最近は殆んどやらないが,2年程前波多野里望元教授が昔田島先生のマージャン仲間だったことから,田島先生が里望夫妻と私を相手にスリー・ハタノズとやろうと云われて拙宅で設営したが,勝ち負けに拘わらない綺麗な打ち手で私が知らなかったマージャンのエチケット等も教えて頂いた。夜中まで楽しい一日だった。

 

趣味と遊びの話ばかり書いてしまったので一寸気になる。「学習院大学経済論集」には相応しくない気もする。但しそれが田島先生の人間としての幅と魅力を造り出しているだけに言及しておかねばならない。何故なら先生は流通経済の教授を超えた存在だったのだから。

私は先生を大変尊敬している。というよりとても好きだった。私は長い間外交官を務めたが外交官の第一要件は相手に信頼され好かれることであり,その点田島先生は良い外交官になっただろう。その田島先生と何回か真剣に話し合ったことがある。議論になったこともある。それは学習院,特に大学の人気をどのようにしたら高められるかということについてである。私はこの問題についてこれから知恵を絞って努力してみたいと考えている。