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流通経済研究所と田島義博先生について

 

財団法人流通経済研究所理事長

東京経済大学名誉教授

宮下 正房

 

田島義博先生の活躍された舞台は実に多彩であったが,その中心的な舞台としては当然のことながら学習院であり,そしてもう1つの中心的舞台は流通経済研究所であったといえよう。今回,学習院大学経済論集の田島義博先生追悼号に部外者の筆者が投稿の機会を頂いたことは,流通経済研究所の舞台からの代表として選ばれたものと受け止めている。

そこで,筆者は流通経済研究所の舞台における田島先生の精力的な活躍の一端についてご報告することによって,田島義博先生を偲ぶ追悼の言葉としたい。

 

多数の政府審議会をリード

田島先生は2002年,学習院院長に就任されたのを契機に,流通経済研究所理事長ポストを筆者に譲られたが,創設時から約40年にわたり,流通シンクタンクの最高トップとして超多忙なスケジュールに追われた。そのことは創設者だから当然だったかもしれない わが国における流通研究の最高権威者というレッテルが必然的に先生をそうさせたと見ることができよう。

流通経済研究所は,196610月に任意団体から財団法人に改組し,公益法人として政府の流通政策に関して政策提言を行うための機能を遂行してきたが,田島先生は研究所のこの機能遂行のために先頭に立たれてきた。最高の流通研究者というレッテルから政府は,田島先生に長年にわたって多数の流通関係審議会(産業構造審議会流通部会長,大規模小売店舗法審議会委員長,食品流通審議会会長,中央酒類審議会会長など多数)のリーダー役を要請した。このリーダー役が,流通経済研究所に数多くの政府関係委託調査研究プロジェクトが委嘱される背景になったし,研究所の安定的財政基盤の形成に少なかぬ貢献をした。

 

超一流の流通コンサルタント

流通経済研究所は財団法人といっても政府筋からの補助団体ではなく,財政的にはあくまで自活研究所であって,その主たる財源はむしろ民間企業に依存した。この民間企業依存の研究所経営において田島先生の一方の名声が大きく貢献した。一方の名声とは,超一流の流通コンサルタント・流通問題アドバイザーというレッテルであり,このレッテルが結果として流通経済研究所の諸活動を支えた。研究所の諸活動とは,民間企業や団体を対象とした各種の研究会活動,調査活動,コンサルテイング活動,人材育成活動などであり,田島先生はこれらの諸活動に随時参加し,つねに現役のスペシャリストとして活躍されたことが結果としてそれらの諸活動を順調に発展させ,研究所の安定的財源の確保と維持に大きく貢献した。

 

人材育成を信念に

流通経済研究所を通じた学会に対する田島先生の貢献も大きかった。流通経済研究所から学会に巣立った研究者は約40名にのぼり,彼らは流通・マーケテイング研究者が集結している日本商業学会において一大勢力となって現在大きな活躍をしている。それらの研究者はいずれも研究378頁】所に在籍中に田島先生の指導を受け,流通研究者として成長した者たちである。田島先生は研究所経営の目標は人材育成にあることを信念とされ,それを実践されたわけである。

先生が育成され,残された研究所の内外の人材が流通経済研究所の最大の資産であり,先生の後継者として研究所運営を引き継いだ筆者としては,その人的資産を最大限に生かしながら先生の意志を継いでいきたいと考えている次第である。

以上