79 頁】

 

我が国の企業経営の課題と展望組織の視点を中心に
“Issues and prospects of corporate management in Japan:
focusing on organization's viewpoint”

 

Takashi Uchino
Faculty of Economics, Gakushuin University,Tokyo, Japan

 

This paper attempted to analyze the issues and prospects of Japanese corporate management, mainly from the organization's point of view. First of all, I reviewed the present situation of Japanese corporate management from a global perspective, the political and economic reality of the world, the progress of the IT revolution, and stated the difficult reality surrounding Japanese companies and the difficulties standing in the future. Next, we introduced three successful cases of corporate innovation, and summarized management issues of Japanese companies from three viewpoints: @ paradox of success, A management perspective, B organizational perspective - “big company disease”. Finally, From a viewpoint of continuity and stability to risk taking and change,we discussed the change of corporate view, management reform, diversification of organizational view, new organizational view, and dynamism of strategy and organization. As an essential supplement, we pointed out the nature and limitations of the corporation.

 

[謝辞]

 

学習院大学経済学部に在任中は,学部の先生方,副手の方々に大変お世話になりました。とりわけ,比較的専門の近い今野浩一郎名誉教授,守島基博教授には,折に触れて大学の内外でご卓見をご披露頂き,貴重なアドバイスを頂きました。竹内倫和教授からは,いつもパワフルなエネルギーを頂戴しています。経済学科の南部鶴彦名誉教授からは,産業組織論の面白さと併せて情報通信・エネルギー産業の課題と未来について,様々なお教えを頂きました。併せて大学改革プロジェクトをご一緒させて頂き,ご縁の深さを感じます。統計学の権威であり,ピアノの名手でもあった故新居玄武教授とは,同世代ということもあり,生きる希望と苦悩についてよく議論したのを懐かしく思い出します。また学外にあっては,多くの企業の方々に加え,一般社団法人研究所にお力添えいただいている経営者,研究者の皆様から多くのことを学ばせていただきました。とりわけコアメンバーである藤本隆宏,新宅純二郎両東京大学教授に加え,冨山和彦氏(経営共創基盤 代表取締役CEO)からは,いつも示唆に富んだ刺激的なメッセージと活力を頂いています。
 そして最後にやはり大なる謝辞を申し上げなければならないのは,第24代学習院長の責務を立派に果たされた故田島義博名誉教授であります。田島先生には,まさに手取り足取り公私にわたり熱心にご指導いただきました。
 改めまして,退官された先生方・副手の方々も含め経済学部の皆様に,併せて学習院大学,学校法人学習院に対して深甚の感謝とお礼を申し上げます。

 

80 頁】

 

目次


1.グローバルな視点から見た我が国の企業経営の現況
2.我が国を取り巻く政治と経済の現況と展望そして我が国の課題
3.IT 革命の進展とその意味
4.企業イノベーションの3つの事例IT─革命の波に乗るアリババ(中国)とコマツ(日本)そして不動産業界の常識を破ったスターマイカ(日本)
5.日本企業の課題経営と組織の視点を中心に
5−1.成功のパラドクス─“ 成功は,失敗の母! ”
5−2.経営の課題
5−3.組織の課題─大企業病の深刻化
5−4.小括─そこから見えてくる厳しい現実
6.企業観・経営・組織観の多様化とパラダイム・チェンジ
6−1.企業観の変化─パラダイム・チェンジ
6−2.経営改革─経営者とそのガバナンス
6−3.組織変革─組織観の多様化と組織のダイナミズム
付論:株式会社論再考─メリットとその限界そして新しい萌芽

 

1.グローバルな視点から見た我が国の企業経営の現況

 

 戦後のアジアにあって,刮目に値するめざましい発展を遂げた日本も1990年代のバブル崩壊とともに成長に急ブレーキがかかり,グローバル競争の中で相対的に日本経済・企業の地位の低下が続いている。図1−1は,1990年以降の名目GDP の主要国別の推移であり,米国の驚異的な伸びに加え,中国の急伸ぶりとは対照的に,日本の低迷ぶりがひときわ目立つ。併せて図1−2のフォーチュン上位500社の時系列の国別ランキングを参照されたい。日本企業の相対的地盤沈下を見て取ることができる。10年前のデータだが,気になるデータがある。図1−3をご覧いただきたい。グローバルに成長を続けている産業群(半導体DRAM, メモリ,リチウムイオン電池,カーナビ,DVD プレイヤ等)にあって,高いシェアを誇っていたわが日本の一人負け,シェアダウンであり,現在に至るも復活の兆しは見えない。宮川(2018)によれば,経済成長(GDP)を支えていた,生産性の代表的指標たるTFP(全要素生産性)成長率がバブル崩壊を境に大きくダウンし,GDP に対する人材投資比率も他の先進国と比べて極めて低い水準にある。また伊藤レポートで一躍話題となったROE の国際比較(表1−1を参照されたい。)を見ると,4〜5年前と比べると当時目標とされたROE8%を超え,だいぶ改善されてきたが,依然として,欧米とは2倍近い差がある。その差の原因を見ていくと,欧米と比較して,以前と同様に総資産回転率も,財務レバレッジ(ただし近年は超低金利が続き,資本コストの面から負債による資金調達が増えており,財務レバレッジを意識したファイナンスが増大しつつある【出:日本経済新聞2018.12.25】)も大きな差はないが,どうも問題は売上高純利益率の差─効率・生産性にありそうである。また成長ポテンシャルの尺度としてよく使われる開業率の国際比較を見てみると,欧米の約半分といったところである。(図1−4を参照 81頁】 されたい。)最近何かと話題のユニコーン(起業してまだ日が浅く非上場だが,推定企業価値が10億ドル【約1100億円】を超える新興企業のこと─その代表例が,ウーバーテクノロジーズ【米国】,バイトダンス【中国】)は,世界に約300社くらい(合計で約1兆ドル規模)あると言われるが,ここ1年の比較でも我が国には,昨年上場したメルカリともう1社くらいしかなく,米国の150社,中国の88社と比較すると,全く精彩を欠いている。(出:日本経済新聞2019.1.1)
 最後に,技術革新と並んで経済成長のエンジンたる人口問題について触れておこう。図1−5をご覧いただきたい。少子化,高齢化(65歳以上の比率)の進展のスピードは先進国の中で最も早く,生産年齢人口の減少は深刻である。
 以上,企業を中心に我が国のおかれている厳しい状況について素描を試みた。
 もちろん,ここ数年の足元の景気動向については,消費動向は相変わらず伸び悩んでいるものの堅調を維持し,企業業績についてもここにきて急ブレーキがかかりつつも好調を保っている。しかし中長期を睨み,一層のグローバル化とIT 化が進むこれからの時代にあって,日本企業の未来の成長ポテンシャル,未来に対する企業としての対応力とその備え(ヒト,モノ,IT,技術─等への投資,経営・組織体制のあり方)は十分と言えるのであろうか。企業イノベーションにも陰りが見える。また我が国の企業成長のエネルギーは枯渇することなく,再び成長軌道に乗ることができるのであろうか。

 

 

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2.我が国を取り巻く政治と経済の現況と展望そして我が国の課題
−世界を展望する際の重要な4つのキーワードと日本の困難

 

 そうした課題に入る前に,世界の政治と経済を以下の4つに集約し,簡潔に展望しておこう。
@中国(&インド)の台頭─日本の近隣に巨大な人口と高い成長ポテンシャルを有する国が出現したこと─今まで,距離的に遠い欧米を主たる取引の相手としてきたが,アセアンの台頭も含め日本の近くに巨大商圏が生まれたことになる。ただし欧米とは全く異なる国家体制・政治システムを有する国々であり,我が国がどういう形で向き合っていくか,対峙していくかについては,地政学的な視点も含め複数のシナリオの構築が不可欠であろう。 A冷戦終結後,つかの間ではあったが曲がりなりにも,競争と協調,平和と互恵が世界のコンセンサスだった時代が終焉を迎え,統合から分断・分裂へ,共生から闘争へ時代の歯車が逆回転を始めている。ブレグジット,ポピュリズムの台頭─その象徴が,世界の警察官の一翼を担う役割を降り,自由貿易のフロントランナーの役割も放逐し,アメリカンファーストを貫く米国のトランプ政権である。国内外に加え国内の格差問題が深刻化し,地域紛争が激化する中で,世界は対立と混沌と解体の淵にあって,我が国と日本企業は,そうした厳しい状況にどう向き合ったらよいのか。

85 頁】

B IT 革命の進展─ビッグデータとAI(人工知能)のシンクロナイゼーションによって,我々は“ 神の目”(近代社会は,合理主義と科学の発展によって中世まで続いた神の時代に大きな区切りをつけたが,サイエンスは,自らの力によってAI という新たな神を生みだした。そして時代は先に進み,目だけではなく,耳(音─例えばAmazon エコー等)と手足を持つに至った(新しいロボティクスの時代の到来)。現代のサイエンスが生み出した“ その新しい神” に対して,我々はどう向き合っていけばよいのであろうか。 C最後は言うまでもなく,地球温暖化等の環境問題の深刻化である。経済成長をコアに文明の発展の大きなマイナスの副作用が,豊かな自然の破壊,地球環境の破壊につながるとしたら事態は深刻である。1997年の京都議定書で一躍有名となった一連のCOP をはじめとしたゼロエミッションへの動き,地球環境の保全の動きは,再生エネルギービジネス,リサイクルビジネス(静脈型ビジネス)等を生み出す一方で,既存の企業には多大なるコストと成長の制約となる可能性もある。しかし環境保全は,今や企業の努力目標ではなく,企業存続のための必達要件となりつつある。

 いづれにしても世界は果てしないハイリスク─VUCA(ブーカとは,Volatility【変動性・不安定さ】,Uncertainty【不確実性】,Complexity【複雑性】,Ambiguity【曖昧性】という4つのキーワードの頭文字をとったものである。)な時代に入りつつある。そしてそれらのリスクに対して,自らの構想力を駆使し,勇猛果敢に,しかもタイミングを計りスピード感をもってチャレンジをしなければ生き残れない時代を迎えつつある。国家も企業も自らのビジョン・構想力・戦略の可否・実行力の真価が問われることになる。(野中,紺野[2018]を参照されたい。)
 やや乱暴な物言いにはなるが,戦後の困難を乗り越え,高度成長期が終焉を迎えると,バブル崩壊後の日本は,リストラを含め存亡をかけた試行錯誤が続く中で,すべてというつもりはないが,リスクテイク,チャレンジに及び腰となり,ひたすら様々なビジネスリスクを回避し,国家も会社も個人も,安定と継続を志向し,慎重に過ぎるスタンスをいつも堅持し,リスクテイクの前にリスクヘッジに前のめりになってしまったのではないか!長期展望,構想はいつも掛け声倒れに終わり,(国民の間に,リスクの最大の担い手の有力なプレーヤーたる国家に対する疑心暗鬼の増幅とも相まって),短期的な急場しのぎに明け暮れ,変革より安定を志向するいわば“ 問題先送り的な国家・国民” になってしまったのではないか?─だとしたら,事態は深刻である。

 

3.IT(DX─デジタルトランスフォーメーション)革命の進展とその意味

 

 冒頭でもふれたが,改めてIT 革命(最近では,DX と呼ばれることが多い)について簡潔にふれておこう。
 世界の株式時価総額のトップグループを占めているのは,GAFA(グーグル,アップル,フェイスブック,アマゾン),アリババ,といった,いわゆるプラットフォーマーと呼ばれている一握りの企業群である。基本的には,IT テクノロジー,コンピューティングの発展を背景にインターネット上に基盤を整備し,ヒトは言うに及ばず,モノとモノの連結を含め膨大な情報(ビッグデータ)の継続的累積とAI を組み合わせることで,そのプラットフォームをコアとする生態系(エコシステム)に参加しているメンバー(ユーザー,ベンダー,補完的なサービ 86頁】 サー(決済等),プラットフォーマー自身等)に高付加価値をもたらすビジネスを意味する。(図3−1を参照されたい。)
 そして今やその革命は,冨山[2018]が指摘するように,GAFA 等のサイバー系のヴァーチャルでカジュアルな世界から,質量のある世界─自動車,ロボット等,モノづくり系のリアルでシリアスな世界(重量のある世界であり,品質に加え安全・安心が問われる。)に波及しつつある。サイバー系ではもはや勝負ありかもしれないが,そこは“ モノづくり日本” のまさに出番であり,勝機につながるのではないか。(図3−2を参照されたい。)
 一方で,今まで暗黙知であった世界─熟練の技,技能,言語化できない経験─の知の“ 完全コピー! ” が可能となり,AI とディープラーニング(深層学習)は,それらの時間を無化!ゼロ化!してしまう可能性がある。熟練,技能の獲得のためには,また全体を見渡すためには,“ 時間の蓄積・継続性・教育・共同性が不可欠である” という見方がこれまでの常識であった。そしてそれは,言うまでもなく,“ 組織” 化の重要な契機のひとつであるが,そうした常識が,根底から覆されることになる。併せてAI とロボティクスの発展は,ルーチン領域を席巻し,サービスを含む様々な領域で完全自動化が進展すると,ヒトはより創造的な領域へシフトせよということになる。しかしルーチンに安住し,創造的な領域は苦手だ,という人がたくさんいることも事実である。さらに厄介なのは,この創造的な領域においても,シンギュラリティの到来といった形でAI が圧倒的な存在感をもつことが予想される。AI が人間の経験と知を代替(もちろん完全に代替はできないにしても)し,ロボットが人間の労働(同様に)を代替するとしたら,前述のようにヒトの働き方,生き方,社会との向き合い方は,根本的に変わることになる(落合[2018])。 “ 組織の意味・存在理由,働くことの意味・時間” が改めて問い直され,再定義が必要な時代に向かいつつある。

 

 

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4.企業イノベーションの3つの事例

 

 日本企業をめぐる様々な課題に言及する前に,この節では自ら果敢にリスクをとり,見事な企業イノベーションを展開している3社のケース─IT 革命の波に乗る@アリババ(中国)とAコマツ(日本)のケースと不動産業界の常識を破ったBスターマイカ(日本)のケース─を見ておくことにする。

 

4−1.IT を活用した企業革新のケースT─アリババ

 

 中国に,いま世界の注目を一身に集める小さな大巨人がいる。若き馬雲(ジャック・マー)現会長が1999年に立ち上げ,通販サイトの『タオバオ』で一世を風靡し,毎年,売上40〜50%増の驚異的な成長を遂げ,驚くべきスピードで中国全土を制覇し,今や世界のIT 業界の先頭にたつ。2014年に米国で上場を果たした,あのアリババ・グループである。上場後,株価は,一時低迷したものの2016年後半から上げに転じ,中国の既存の巨大企業,世界のIBM, インテル,GE, ジョンソン& ジョンソンそしてトヨタといった名だたる大企業を抜き去り,2018年半ばには一時,株式時価総額,約54兆円!なんと世界の時価総額ランキングで5位(なお筆頭株主は,孫正義氏率いるソフトバンク・グループである。)に急上昇した。アリババ創立の2年前にあたる1997年に日本でも同じ業態の会社がスタートした。三木谷浩史氏の率いる『楽天』であり,我が国にあって数少ないネットビジネスの先駆者であり,急成長した成功企業である。しかし時価総額は約1兆円であり,後発のアリババが時価総額で50倍以上というのは,日本と 88頁】  中国の人口比を勘案しても驚異的である。約14億の人々が住む中国の巨大市場を背景に,現在ではサイトの会員数は6億人を超え,クラウドを通じて様々なサービスを提供し,海外展開も積極的に進めている。驚きなのは,あのIT サービス業界の先駆者である“ 世界の大巨人” −アマゾンですらなしえない様々なサービスを提供していることである。その中の特筆すべき3つのエンジンを以下に紹介しておく。
 第1は,タオバオの会員が,様々なもの売りの店に入り,買いたい商品にスマホをかざし写メをとると,その情報が,ネット(クラウド)を介して約8億アイテムの商品情報群につながりAI を通じて,その商品名,販売元,より安い値段が提示され,ワンクリックで注文ができ,同時にネット上で決済(アリペイ)も行われるというものである。これはIT(スマホ+クラウド)が,遂に“AI 付きの優れた目! ” を持ったことを意味する。アリババからすると,リアルなすべての売り場,店舗が,アリババの単なる販売促進の場,単なるショーウィンドウになってしまうこと─売る側の主役の明確な交代─言い換えると買う場が,リアルからネットに雪崩を打って移行することを意味する。(出;日本経済新聞2017.12.5)
 第2は,4種類のビッグデータの活用である。(図4−1を参照されたい。)1つは販売・購買履歴データの蓄積である。ベンダー側の販売に関わるビッグデータであり,アリババには膨大なベンダー側の販売情報,顧客情報,資金繰り情報の蓄積がなされ,ベンダーに対するデータ・マイニングを通じたマーケッティング分析サービス,金融支援(フィンテックー銀行の代替)サービスが展開されることになる。もう一つは,ユーザー側のビッグデータの蓄積である。アリババは,ユーザーごとの膨大な購買履歴のデータ蓄積とその分析を通じて,階層別のマーッケティング─例えば富裕層に対して特別な特典,有利な融資(フィンテックーアリペイ)等のサービスを展開している。2つ目は決済(アリペイ)情報の累積であり,3つ目は動画系,4つ目が,出前,食品宅配系の情報である。一人について約500プロフィールの情報を継続的に蓄積しており,しかもこれらの情報が統合されて蓄積されていくのが卓越した強みになっている。この点だけ見れば,日本の情報インフラは分断されたままであり,3週遅れと言わざるを得ない。
 第3は,ジーマ・クレジット(芝麻信用)の活用である。これは,人々の信用格付けの仕組みであり,人々の経時的な行動の累積のモニタリングを通じて信用の格付け(低格付け350点から高格付け900点くらいまでをコアとする)が行われる。今まで市場取引においてC2C の取引が普及しなかったのは,売り手と買い手の間にある情報の非対称性の問題(⇒高い取引コストがかかる)が立ちふさがっていたからであるが,この格付けを通じて,こうした問題が克服されたことになる。それは,市場が信頼(取引において,ごまかしたり,詐取したりするとジーマ係数が下がり,様々な取引に参加できなくなる可能性を意味し,正直者が得をするメカニズムということもできる)を形成する場となり,市場が参加者にとって,高度な学習システムとして機能していることを意味する。
 ただし蛇足ながら,その功と罪について若干の付言をしておく。見ようによっては,ビッグデータの驚異的な蓄積とAI を装備したプラットフォーマーという“ 神の手” によってとりわけC2C の取引の領域にあっては,完全競争の世界が実現したと見ることもできるのではないか。ただしこの膨大な取引とそのビッグデータが特定企業に私的に独占され,濫用されるとしたらその外部不経済の弊害は甚大である。併せてそれが監視カメラと組み合わされて国家管理の一翼を担うとしたら,それは恐るべき監視社会─自由を装った不自由と抑圧の世界─の到来 89頁】 を意味する。IT 革命は,人々に大いなる自由を与え,高密度のコミュニケーションの機会を飛躍的に増大させたが,同じ道具が人々の自由を縛り,抑圧の道具ともなる─まさに両刃の剣となる。人類はそうした新たな難問に挑戦しなければならない。
 さて本題に戻ることにして,情報を制する者は,すべてを制する!第4次産業革命にあって,その巧みな活用の先端を行くのが,まさに時代の寵児たるアリババに他ならない。さて,「アラビアンナイト」に登場したアリババは,自ら知恵と創意工夫,そして豪胆さで,見事に困難を切り抜け,巨万の富を手に入れた。さて現代のアリババの運命や如何にといったところか。

 

 

4−2.IT を活用した企業革新のケースU−コマツ
−コマツの中国進出の成功のポイントも併せて−

 

 コマツは,日本を代表する大手建設機械メーカーである。今では,売上高約2.5兆円,従業員数約6万人,海外売上高比84%の典型的なグローバル企業であり,建機業界では米国のキャタピラーに次ぐ世界第2位の成長企業である。ここでは,1990年代後半以降のコマツの中国進出に焦点を絞り,IT の活用を中心にその成長の足跡を追うことにする。
 1970〜80年代にコマツは,国内の建機マーケットの成熟化の中で,多角化に舵を切る(その代表例が,半導体シリコンウエハー【その象徴がコマツ電子金属】分野への進出である,ただし2006年に売却,撤退する)。しかし2000年代に入ると,国内マーケットの成熟と厳しい落ち込みと併せてキャタピラーの華々しい海外展開等を目の当たりにし,起死回生のリスクテイク& チャレンジたる本格的な海外展開に乗り出した。最初の巨大ターゲットは,成長著しい中国であった。

 

90頁】


 第1のチャレンジ−中国に進出したコマツは思いもよらぬ,全く想定外の事態に直面することになる。売却後の製品(信用貸しで実質的な所有権は,まだコマツ側にある)の盗難・ローン滞納の頻発である。そこでコマツは,GPS で製品を常時監視し,盗難の恐れがある時やローンの滞納がある時は,遠隔操作でエンジンキーを切れるようにして,自社でリスクに対応できる仕組み(KOMTRAX)を導入した。
 第2のチャレンジ−中国のマーケットは広大であり,地域によって建機需要は大きく異なる。KOMTRAX の導入によって中国ですでに稼働している数十万台の稼働状況は手に取るようにわかる。それらの詳細な稼働データを上手に活用することを通じて,各地域の市場動向の把握が容易になり,時機を得たピンポイントの販売戦略(どこで何を売ればよいか)の展開が可能となった。
 第3のチャレンジ−併せてそれらの稼働状況のデータ・マインニングを通じて,顧客の保有する建機のより効率的な活用について,顧客に対するタイムリーなアドバイスもできるようになり,顧客サービスの充実につながった。
 第4のチャレンジ−厳しい環境での作業を余儀なくされる建機の継続稼働には,タイミングの良い部品の補給・修理が必須であり,それがアフターサービスの根幹をなし次の受注を決する重要事項となる。そこでコマツは,機械の様々な部品にセンサーを搭載し,劣化が進み,取り換え時期が近付いている部品を検知できる仕組み,また異常を感知できる仕組みを導入し,夜の非稼働時にサービスマンが修理する等,稼働中断のない対応,予防型の顧客サービスを徹底させた。そうした展開は,第3のチャレンジと併せて,製品の見える化を推進し,ユーザーの効率的な機械活用─意思決定の支援サービスを可能にした。
 第5のチャレンジ−機械を動かす運転員(オペレーター)の熟練度にバラつきがあったり,運転員の安全確保の困難,熟練運転員の人手不足は,販売のボトルネックになる可能性がある。また建機を購入し,所有しているユーザーも常時,建機を使うわけではない(所有からシェアの時代へ)。現在では,機械が作動する作業現場の土の形状・土質等を探知し,AI を使い機械を半自動化し,無人でも作業ができる環境づくり(IoT−Internet of Things)の展開を進めている。建機の生産性が2倍になり,耐久性が向上し,自動化が進めば,おそらく建機の販売は半減する!(コマツ野路國夫会長の言)⇒単なるモノ売りビジネスから脱却し,3次元土壌ビッグデータのプラットフォームビジネスをベースに自動運転・サービス化が,次のコマツのビジネスシーンのコアになる可能性が大である。
 確かに,自前の販売のネットワークの確立,部品のサプライチェーンの充実,自前のクレジットサービスの充実等を,強力に進めたことが,コマツの成功に寄与したことは紛れもない事実である。しかし何といっても成長戦略の中核エンジンにIT という武器があったことは,特筆すべきであり,コマツは,そうしたIT の上手な活用を通じて,リスクテイクを行い,一見解決困難な問題を,次から次に見事にクリアし,中国における“ ダントツ” の地位の獲得を成し遂げたように思われる。しかも,IoT の新展開は,新しいビジネスモデルの登場─コマツがメーカーポジションから,大きく自らの立ち位置を変えて,サービス業化していく予兆とみることもできる。「産業イノベーションが起きるときは,『何が売れそうか』よりも,『産業構造がどのように変化(バリューチェーンの変化)し,どんなビジネスモデルが隆盛するか』の方が経営上の本質的な論点となる」という冨山和彦氏の見解は,卓見というべきである。(図4−3を参照されたい。)

91 頁】

 

 

4−3.不動産ビジネスの常識と既成概念を覆したケース−スターマイカ

 

 スターマイカは,不動産業の新興企業であり,創立は2001年,上場は2006年(現在は1部上場),社長は創業者の水永政志氏,従業員数(連結)155名,株式時価総額280億円(2019年1月現在)の会社である。3期連続増収増益の成長企業である。そのビジネスの特徴は,マンションの中で,コモディティの典型たる普通のファミリー仕様のオーナーチェンジ(現在居住中の物件)の中古マンション物件を主たる売買対象としていることである。オーナーチェンジによる仕入れは,相場が2割程度安く,空室化+リノベーションで,確実に仕入れ値より高く売れる。売れなくてもオーナーからの家賃収入がある。我が国は,不動産の中古市場が海外(海外−英米は8割を超える)に比べると極めて不活発─約14.7%であり,今後は成長が期待される分野と言える。
 一般的な不動産業界の常識としては, @金利負担を考慮して,仕入れから売却までの期間をできるだけ短くする。Aコストをかけて,居住者に強制退去してもらう。Bハイリスクではあるが,絶対利益の大きい大型物件を狙う。C安く仕入れる─そこでは仕入れ業者の経験に裏付けられた“ 目利き” が重要となる。
 そうした業界の常識に挑んだのが,スターマイカである。具体的には@入居中の物件を買うことにより,家賃収入(それは,不動産取得のための借り入れに伴う金利負担の緩和につながる。)を得ることができる。A現在居住するファミリーは,平均2.5年で退去(1年で約35パー 92頁】 セントが退去)する─そうした顧客層のみを主たる対象とする。B小口の物件を多数保有する(現在は約3000戸を管理,当社のホームページより)ことでリスクの分散を図る(AとBの組み合わせを通じて確率論,統計学の基本定理の一つである“ 大数の法則” の適用が可能となる。)。Cデータ・マイニングによるプライシングが基本(購入の際の目利きの排除!),D参入障壁が高い─@)ファーストムーバアドバンテージ,A)データ蓄積を通じたプライシングの能力の高さ,B)ブランドイメージが高く,融資を受けやすい(信用力),等が考えられる。創業者の水永氏は,ご自身の金融ビジネスの経験を活かし,金融の世界では当たり前のビジネスモデル(ある種の裁定取引,データ蓄積とデータ・マインニングの活用)を不動産業界に持ち込んだと言える。まさに不動産業界の常識・文化を打破した典型的なケースである。市場における競争は,実は相互学習のシステムであり,古い慣習・業界の常識(業界の既成概念)は,イノベーション(新規のビジネスモデルの登場)によって,一新されていく,淘汰される可能性がある。(以上は,同社のホームページ並びに経営研究所での水永氏の講演録による。)

 

5.日本企業の課題ー経営と組織の視点を中心に

 

 前節で,いくつかの企業イノベーションの事例を示したが,一方で過去の成功と栄光に安住し,業績低迷にもかかわらず,営々と過去の延長上で経営を行っている企業が多くあることも事実である。もちろんすべての企業とは言わないが,我が国の企業の多くが,過去からの安定と継続を重視し,リスクテイクを忌避し,チャレンジと変革を回避してきたのではないか。以下,@ “ 成功は,失敗の母”─パラドキシカルな視点から全体を捉え,その根源たる2つの視点─A経営の視点,B組織の視点─大企業の病理─から,その原因に迫ることにする。やや結論を先取りして言うならば,組織自身がその存続・維持のために普遍的に備えている特性に加え,長期雇用,ゆっくりした昇進・昇格,濃密なコミュニティの形成といった日本企業の構造的制度的要因を背景に,上記の3つの視点は,相補的な関係をもち,相互強化的なスパイラル─一蓮托生の関係として見ることもできる。

 

5−1.成功のパラドクス─“ 成功は,失敗の母! ”
─なぜ成功した企業は,挫折するのか─

 

 一時期,企業の寿命30年説が話題になったことがある。成功した企業にとって,なぜ持続的な発展が困難なのか─このパラドックスについて考えてみることにする。一般的にそうした困難の理由として,以下の4つの要因を挙げることができる。
 第1は,社内にある既存の成功パラダイム・組織慣行(組織イナーシャ)の存在である。一般に今までの考え方,やり方で営々と続けていくことを望む傾向が大であり,変えることは面倒であり,辛く大変!今までの考え方,やり方に変更を迫るようなプラン,改革,変革には,早々簡単にはなびかないし乗れないというものである。
 第2は,既存の成功ビジネスの中で築かれてきた既得権益のネットワーク(作るしくみから売るしくみまで)の存在であり,それら権益の保持は,現状維持に対する強い誘因を生み出すことになる。新しいチャレンジは,そうした営々と築かれてきた既得権益の構造を破壊してしまう可能性がある。例えば有名なケースとしては,キリンのラガービールのシェアダウンの 93頁】 ケースがある。1980年代から1990年代にかけてキリンはラガービールで60%以上のシェアを取り我が世の春を謳歌した。酒類販売法の規制下(当時は,ディスカウンター,コンビニ等の業態では酒類販売はできなかった,また距離規制等の存在。)にあって,キリンは工場,販社,問屋,小売店のバリューチェーンについて鉄壁の流通チャネルを構築し,その勝利は永遠に続くかに思われたが,後にアサヒのスーパードライにその座を奪われることになる。アサヒの商品力もさることながら,キリンは,1990年代後半に始まった酒類販売の規制緩和─コンビニ等の幅広い業態で酒類の販売が認められるようになった─に対応できなかったことも敗因の一つと言われている。既存の全国の酒類小売店が規制緩和の中で,新しい業態に自らの既得権益を激しく侵され,変革への抵抗勢力になったのである。
 第3は,前述したことにも関連するが,新製品を投入したために,返って現在売れている売れ筋製品の売れ行きに大きなブレーキがかかってしまうことが,予想される場合である。 一般にそれは,“ カニバリゼーションの罠” と呼ばれている。その好例が,ソニーの“i-pod 市場”への出遅れである。出遅れた原因の一つは,当時のソニーにとっては,i-pod 製品の普及によって,自社のこれまでの売れ筋のCD, MD およびそれらの再生機器等が,市場から駆逐されることを恐れたため,と言われている。
 第4は,まあまあ,うまくいっている既存ビジネスの中にいると,新しい事業―チャレンジは,当然のことではあるが,不確かであり,頼りなげであり,心もとなく見えるものである。一般に安定的な事業からみると,新しい事業のリスクは,想定以上に大きく見えがちで,そんなものにリソースは割けない。とりわけ大企業にあっては,新規事業への投資に対しても,しっかりした説明責任とロジック―合理性―が要求される。しかし新しいチャレンジは,非合理生の塊でありアート的な側面を強く有し,リジェクトされる可能性が大となる。(山口[2017])結果的に,今―既存事業が優先され未来が後回しに,明日への種まきが困難になるという次第である。
 以上4点,指摘したが,持続的な成長をめざす企業にあっては,@既存の考え方,組織慣行との決別する勇気を持ち,A既得権益を壊す勇気と行動力を持ち,Bカニバリゼーションを恐れることなくタイミングをはかってチャレンジを行い,C新規事業は,既存部門から切り離しリスクを隔離した上で,本社直轄とするか外出しを行う─等が,肝要といえる。いずれにしても経営のあり方,組織のあり方が問われることになる。以下,それらについて述べていくことにする。

 

5−2.経営の課題

 

 経営(者)の役割は,時代と社会の現況と行く末を見据え,会社全体を俯瞰し,部分と全体,今と未来の視点から,事業ポートフォリオの自己点検を行い,必要とあらば大胆な見直しを行い,リスクに挑み変革を試み,その責任を甘受していくことである。そうした積極的な経営行動をしっかりモニタリングし,必要があれば是正勧告・軌道修正を進言し,最終的には経営者として不適格となれば解任を行うというのが,本来のガバナンスの役割である。そうした視点から見ると我が国の企業経営には,ざっくり言って,3つの課題―@経営者(トップ)をめぐる課題,A経営チーム(システム)をめぐる課題,Bガバナンスをめぐる課題―があるように思われる。以下それらの3つの課題に簡潔に述べることにする。
@  現在の我が国の経営者と呼ばれる人々(とりわけCEO,COO,会長,社長と呼ばれる94頁】人々)が,上記の資質とスタンス並びに見識を持った人々であると信じたい。一部の創業経営者を除いて,日本では経営者の地位が,長期雇用を前提にプロパーのサラリーパーソンの最終的な上がりのポスト,到達点としての位置づけになっているのではないか。そもそも役員(わが国では,常務執行役員になると辞表の提出を求められるケースが増えている。)になると雇用契約から委任契約に変わることの意味が理解されているのか。その地位に就くことが自己目的化し,トップとなり人事権を掌中にすることで自らの安泰と地位の継続を主眼に経営が行われるとしたら,社員は言うに及ばず,すべてのステイクホールダーにとって不幸なことである。良き部門経営者がよき経営者になるとは限らないし,また同様に上の覚えめでたき人がよき経営者になるとは限らない。 併せて長期雇用と減点主義的な人事制度を背景に,ミドル層の人々がトップ層の人々の顔色を窺い,失点しないことだけを気にかけ,勝負にでない,“ 引き分け” に持ち込むタイプ―リスクを避けイエスマンの集合たる―の人々が経営層に昇格,昇進するとしたら,これまた事態は深刻である。併せて経営経験が未熟なままで経営者になるケースも散見される。
A  今の時代に限らず,多様性に富んだ複雑な大組織を束ね,牽引していく機能を経営者一人で担っていくということはあり得ない。トップを支え,アドバイスを行い,補佐し,時にはガバナンスの機能をも担う「経営のサポート・支援の仕組みと人材」が不可欠である。一般に経営チーム(山口周[2017]は,それを経営システムと表現するが) と呼ばれる。具体的には,CFO(最高財務責任者),CTO(最高技術責任者),戦略部門長,チーフデザイナー等(時には外部のアドバイザー)からなる少数の経営チームである。ただしCFOが,戦略のわからない財務・経理屋では困るし,卓越したチーフデザイナーの存在の有無は,企業の死命を決する。(ファッション業界,自動車等を見よ―これらについては山口周[2017]を参照されたい。)またそうしたチームがイエスマンの集団になっていないか―真に有能な人材が配置されているか。併せて少数精鋭の卓越人材から成るチームであったとしてもそのチームワークはしっかり機能しているか。いづれにしてもそうした経営チームの保持と充実も大きな経営課題である。
B  前述のように修羅場体験を含め,豊富な経験を積み経営者としてのセンスと力量―高潔にして構想力,判断・決断力を有し,人心を掌握し組織力を高め,やり抜く力があるか等―がある人が,経営には必須である。しかしどんな優秀な人でも,神ではない―そこで「ガバナンス」が必須の要件となる ということになる。現実に目を転ずるならば,経営者の不正は論外として,強大な権力者と化した経営者の暴走も問題だが,逆に経営不在とは言わないまでも,やらなさすぎ―現状維持型も問題である。しかもそうした経営者を監視しチェックする仕組みたるガバナンスの体制が機能不全に陥っているとしたら問題は深刻である。
 昨今にあっては,広範に経営改革が叫ばれているが,その背景には上述の3つの構造的な課題があるように思われる。

 

5−3.組織の課題―大企業病の深刻化

 

 企業が誕生し成長する中で,長期に存続し,規模が増大する中で,効率化をめざし秩序化が進行することになる。いわゆる組織化─水平の分業(部門化),垂直の分業(階層化),公式化 95頁】 (規則の導入等)─を通じた管理の展開である。表5−1をご覧いただきたい。ここに記されている5つの論点─@ルール,マニュアルの重視,A階層型で上意下達,Bタテ割り部門主義,Cスピードより手順を踏んで慎重に,D利益主義─組織のパファーマンスの測定尺度として重要である─は,いづれも官僚制組織を支える基本的な柱であり,それらは一つ一つは,重要な機能─例えば効率化,品質,納期遵守,安全等─を担っているが,一方で表5−1にまとめられているような逆機能(病理─マイナスの副作用)も有している。それらの病理は,一般に大企業病と呼ばれるものである。同表に,それぞれの5つの病理とその克服へのヒントについて簡潔にまとめたので,参照されたい。

 

 

96 頁】

 

5−4.小括─そこから見えてくる厳しい現実

 

 以上3つの視点から,日本企業の課題を見てきた。もちろん日本が歴史の中ではぐくんできた,1)分かち合いとチーム力(共同体)の強さ,他者に対する配慮─知とヒトのネットワーク構築力,2)卓越したコミュニケーション力と粘り強さ(じわじわ状況を変えていく力),3)歴史を見ると,重大な危機に瀕した時に,また想定外の事態に陥った時に構想力ある傑出人材が台頭し,その構想のもとで,みんなで一丸となって状況に対峙していく組織力と実行力がある─等といった強みを有することも事実である。しかし一方で,その副作用にも目を向ける必要がある。例えば,共同責任は無責任,事なかれ主義,リスク回避,平常時にあっては,卓越した個人の突出を許さない,また経営(トップ)のグリップが効かず,特異な集団と個人の暴走を許してしまう─等といった問題の存在も忘れてはなるまい。3つの視点から見えてきた現実は,本論文の冒頭に述べた大きな環境変化の中で,そのダイナミズムと現在の企業体制との間にミスマッチが生じ,大組織に頻発する大企業病に加え,上記の副作用が顕在化してきたと見ることができるのではないか。図5−2にその構図をまとめておいたので参照されたい。

 

 

6.企業観・経営・組織観の多様化とパラダイム・チェンジ

 

 では受け皿たる企業観・組織観はどう変わるべきなのかについて,@企業観のパラダイム・チェンジ,そうした変化に対応するA経営改革,B組織観の多様化と組織のダイナミズムについて述べていくことにする。そして最後に付論の形で,そうした改革の受け皿となる会社制度の原型たる『株式会社のあり方とその限界』について簡潔にふれる。

 

6−1.企業観の変化─パラダイム・チェンジ

 

 ここでは上場企業,大企業を念頭に,企業経営のパラダイムとその変革,今後の方向について見ていくことにする。その全体像についてざっくりとした整理をすると以下の通りである。 97頁】 (その全体像については,図6−1企業観のパラダイム・チェンジの構図を参照されたい。)

 

1.フェーズT─高度成長期までの企業戦略と組織・人事システム

 

 高度成長期までを振り返るに,我が国の企業成長を特徴づける戦略としては,以下の3つが,その中核をなしていたように思われる。
@欧米のお手本に追いつき追い越せ─目標は明確であり,繊維,化学,電化製品,そして自動車,まさにモノづくり日本の本領が発揮された時代である。
A単線的・継続的な量的拡大が志向された─我が国経済発展を背景に,国民の生活水準が向上し,大都市圏が形成される中で,国内に巨大な市場が形成され,海外市場を視野に入れた量的拡大戦略が展開された。
B事業のポートフォリオの組み換えも,ゆっくりしたテンポで,かつ一部修正・微調整型の組み換えが,その中心であった。(青木[2017],宮川[2018])

 それに対応する我が国企業の経営・組織・人事システムは,以下のような5つの特徴を有し,上記の企業成長の戦略と整合的であったように思われる。
@従業員の長期的コミットメント(長期雇用)
A年功序列⇒ 年次管理の徹底
B上意下達のコミュニケーション
C縦割り組織を前提にした,内に閉じた濃密なコミュニティづくり
D事業部主体の群雄割拠型経営,経営の透明度は低い
 この5つはセットであり,@)働く人々のモラールの維持と,段階を踏み腰を据えた技能向上,成長の源泉となり,A)仲間意識が醸成された。これらは,社内の人材育成と内部労働市場がしっかり機能していたことを意味する。B)上下(タテ)のコミュニケーション(上位下達)をコアに,C)群雄割拠の各事業部門が支える形で,または,その上にトップ組織が乗る形でトップマネジメントが形成された。負債によるファイナンス中心の経営の時代にあっては,経営のガバナンスは,債権者たる銀行ガバナンスが中心であったが,自己資本比率の向上と併せて企業間の株式の持ち合いの進行とも相まって,経営は不透明さを増し,必ずしもガバナンス機能が十分に機能していたとは言い難い。

 

2. フェーズU─長い混迷期(第2の敗戦!−1990年代から2010年代,リーマンショック,東日本大震災を経る)から新局面へ−企業戦略の見直しと組織人事体制のあり方をめぐって

 

 前述したように,未来はBUCA 時代であり,これからの戦略をどう考えるか。日本経済の成熟と低迷,本格的な少子高齢化時代の到来にあって,国内市場は飽和し,本格的なグローバル化に経営の舵が切られ,サービス経済化,IT 革命が進行する中で,戦略の基軸が以下のような形に変容しつつある。
@多様性(創発型,試行錯誤型)
A不連続な変化と革新
B迅速でラディカルなポートフォリオの組み換え
Cスピード感の重視

98頁】

D M&A の活用,社内外のビジネスのエコシステムづくり,社内外のネットワークの柔軟な組み換え時代に(企業内の新陳代謝に加え,もっと大胆な市場の活用(価格メカニズムが有効に作用する)─産業における参入と退出の自由度をあげ,産業構造の転換等が必須となろう。(これらの諸点については,宮川[2018]第4章を参照されたい。)  では,それでは,そうした戦略─事業スタイルにふさわしいこれからの経営・組織・人事とはどんなものであろうか。そのポイントを列挙すると,以下のとおりである。 @人材については,長期・短期のコミットメントの組み合わせ(制約社員【ダイバーシティ】,無制約社員,非正(規)社員等)をめざす。併せて外部労働市場のより一層の活性化と活用 A年功ではない適材適所による人材活用─とりわけ,若手の抜擢と活用(逆転人事もあり!)
Bより徹底した分権化を通じた自由闊達なコミュニケーションの仕組みと風土づくり
C外に開かれた,ゆるやかなコミュニティづくり(社内・外にまたがるネットワーク,エコシステムの生成がポイントに)
D経営のグリップの強化─経営の本質は,事業が多岐にわたり自律分散の時代にあってそれをしっかり束ねていく経営のグリップの力(松田[2015])であり,併せて継続・継承を図りつつも,次代の変革の芽を見出し,リスクをとり,それを大きな革新につなげ,成長の軌道に乗せていく経営のグリップの強化はますます重要となる。
E併せてアクティビストの圧力以上に,ESG―E(環境)S(社会市民)G(ガバナンス)を重視した経営に軸足を移していかなければならない。

 

 そうした着地点から見ると,第1フェーズで機能した経営・組織・人事システムと,第2フェーズの新しい戦略・事業スタイルとの間に大きなミスマッチが生じているのではないか,また機能不全を起こし,制度疲労に直面しているのではないか。過去20数年の経営システム・組織・人事制度変革の試行錯誤と混乱,そしてそれらの見直しへの取り組みと迷走は,まさにその象徴だと思われる。その具体的な不適合,ミスマッチの現実と病理を,以下5つにまとめておく。

 

3.不適合,ミスマッチの5つの兆候と現実

 

@時代のニーズに対応すべく,いち早く年功型を脱し実力主義となった40代以上の世代(ただし昇進のスピードはあまり変わらない)が良質な仕事とよいポジションを取り,加えて,支配命令型,上意下達のリーダーシップの結果,今までなら我慢していた,将来を嘱望されている若い世代が,次から次に退社してしまう現実が顕在化している(voice or exit!)。いま問われるべきは,20代から30代の世代のキャリア形成の見直しと待遇の抜本的見直しである。 A雇用システムの多様化が進む中で,一体感の欠如,職場の寒冷化が進行し,現場における上意下達の意思決定システムの限界,パワーマネジメント(統制型マネジメント)の限界が露呈し,参加型(ケア型)リーダーシップ,ナナメ・ヨコも含めた自由闊達なコミュニケーションの世界の再生に対する強い希求が生じている。これらの諸点については,改めて最後に触れることにする。(守島[2010]を参照されたい。) B事業ポートフォリオのラディカルチェンジに対して,社内調整のみでの対応(配置転換, 99頁】 人材の再教育等)は,高くつく以上に,極めて困難な時代に突入している。 C強固なタテ割り部門別体制が機能不全に陥り,社内・外にまたがるプロジェクトを通じて─部門・企業の境界を越えて─様々なエコ・システムが作られ,フレキシブルな組織とチームづくりが重要になってきている。 D前述したガバナンスの機能不全
以上の5点である。ではこうした厳しい現実にどう向き合えばよいのであろうか。最後にそうした課題解決に向けた『経営』『組織』の今後のあり方について見ていくことにする。なお人事(キャリア形成,ダイバーシティ─女性,高齢者等を含む)システムの現状と見直し,昨今の働き方改革については,今野[2012, 2014, 2017],守島[2010, 2015],脇坂[2018]等の優れたガイドラインの書物・論文があり,そちらを参照されたい。

100 頁】

 

6−2.経営改革─経営者とそのガバナンス

 

以下,@経営者(経営チームも含む)の視点とAそのガバナンス改革について述べる。 @経営者(経営チームも含む)について
 前にもふれたように,真の経営人材の不足は深刻である。トップ層に,徹底的に考え抜く力―知的強靭さと行動力の衰退はないか!社内外に存する既得権益を壊し,変わり続ける胆力と行動力―持続的な変革力―のある変革志向の真の経営リーダーがいるか,またしっかりした経営チームを有しているか―トップの機能不全はないかー経営陣は,リスクテイカーであり,ハイリスクに対してハイリターンで報いる視点の重要であるが,一方で企業のミッション,理念,経営哲学,アートの視点(山口周[2017]),経営人としての矜持をもち,わが身を律し,人望と人徳を兼ね備える必要がある。(我が国にあって資本主義の父と言われる渋沢栄一が,ことあるごとに引き合いに出される由縁もそこにある。) 併せて法を含めた制度の不備,組織上の不備,仕組みで対応困難な状況に対して,対応できる最も有効な手立ては,卓越した経営人材―有能な経営者と優れた経営チーム―を配することである。(これらの諸点については,橘川他[2014]を参照されたい。) そのためには,例えば,力ある若手の世代に,海外子会社等で経営経験をさせる,あえて厳しい環境に放り込むといった仕組みを大胆に導入する―それは,経営者になるためのテストであり,修練の場でもある―必要がある。経営者は,支配者・権力者ではなく,“ 経営の役割・機能の担い手” !であるという視点の重要であり,断じてサラリーパーソンの上りのポストではない。
Aガバナンス改革について
 では,だれが経営のチェックをするのかー株主,監査法人,取締役会,独立の外部役員,労働組合,役員OB 等,その他のステイクホールダ―(顧客,金融機関,東証,行政等)がその役割を担うことになる。前述のように,これまで十分にガバナンスが機能してきたとは言い難い。2015年に合理的で公正な企業統治をめざすガバナンス・コード,機関投資家等の行動規範たるスチュワードシップ・コード等が導入され,その見直しも含め現在も改革が続いている(これらの諸点については,松田[2018]がよきガイドラインを提供している。)。2018年度の東証のコード改正(併せて金融庁の「投資家と企業の対話ガイドライン」の公表も含め)を受けて,今後の方向としては,以下の4つが重要となろう。
@) ROE,資本コストを意識し,事業ポートフォリオの見直しを行い,経営革新を進め,取締役会の一層の充実をめざす。 A)独立の社外取締役数3分の1体制(ダイバーシティも含め)をめざす動き。 B) 現社長(&現会長)が,後継者を指名する―といった現行の人事決定のメカニズム(様々な弊害の温床―トップのワンマン体制等の弊害)に変更を迫る制度改革の展開―指名委員会等設置会社(内部に加え外部視点の導入)への移行,併せて報酬制度の設計,サクセションプランの策定,トップの解任ルールの明示化へ。 C) かなり解消が進んだが,より一層の政策株式の持ち合いの解消をめざす。  さて我が国の経営改革,とりわけガバナンス改革を見ていると2つの点が気になる。  第1は,そもそもガバンスコードの中に「ROE の向上も含め儲かる経営をめざせ!」というガイドラインがあるが,経営者からすれば,本来ならばそんなことは余計なお世話であり,経営の自己責任の範疇であろう。東証を含め政策当局が,変革に後ろ向きで継続 101頁】 と前例踏襲に陥りがちな我が国の企業経営に対してウォーニングを発しなければならない状況にあるとしたら,やはり事態は深刻である。
 第2は,昨今のガバナンス改革を見ていると役員会をはじめとして会議体の戦略的活用と活性化,並びに社外役員の増加と役員のダイバーシティの促進等が声高に叫ばれているが,問題の本質は,そもそも経営にふさわしいトップ(と併せて経営チーム)をしっかり据えているかということである。しっかりしたトップ体制があって,はじめてガバナンスが効力を発することを忘れてはならない。今回のカバナンスルールの一部改正で,トップの選任と解任のルールの明示化と仕組みづくりが改めて提唱されていることは,重要である。現在は,現任者・実力トップOB が後継者を指名するのが一般的であるが,前にもふれたように,それはトップの人事権の濫用と専制主義につながり,ボードメンバー・執行役員が,リスクをとらないイエスマンの集団になる温床となる。一つの代替案は,人事(諮問)委員会(社外役員をコアとする選考委員会の設置)方式であるが,しかし,数年間の腰掛的な社外メンバーに,そもそも選任の能力があるのか,またその選任の責任をとれるのか問題である。当該企業の状況に精通した内外の目利き達が,サクセッションプランのもとに,経営人材のプールを作り,時間をかけてふるいにかけ選任する仕組みの構築が肝要である。まさにオムロンはそうした試みを実施しており,注目に値する。(なお,オムロンの取り組みについては,商事法務 [2015]No.2055,2056,2057に紹介されている。) 併せて経営者の解任ルールについても同様の仕組みの導入が必須となろう。日本企業は,そうした問題に形式的に対応するのではなく,実質的な問題解決―本気でこの問題に取り組む必要があるように思われる。

 

6−3.組織変革─組織観の多様化と組織のダイナミズム

 

 最後に上記のような企業観の変化に対してどのような組織のあり方がふさわしいのかについて,以下3つの視点─@既存の階層型組織の変革,A新しい組織観─ネットワーク型組織の活用,Bそのミックス型【@とAの並存型】での対応─から見ていくことにする。 @既存の階層型組織の変革について
 一般的に階層型組織の組織デザインを考える際に,分権化─集権化の視点と競争と共生の視点の組み合わせで見ることは効果的である。(これらについては内野[2015])を見よ。併せて図6−2を参照されたい。)横軸に分権化─集権化を,縦軸に競争と共生・協調をとる。第2象限は,分権化と競争原理をコアとした考え方であり,近代社会の分析で有名なテンニースの言葉を借りればゲゼルシャフト型(利害型)であり,この約20年にわたる試行錯誤の期間は,まさに分権化(権限の委譲)と競争原理の導入に軸足を置いた組織改革─だったように思われる。そうした動きが事業部主導の群雄割拠型をより一層推進したことは事実であるが,真の意味において権限の委譲を通じて,自由闊達な意味空間が組織に形成されたかは,はなはだ疑問である。一方の対抗軸は,第4象限の集権化・統合(経営のグリップ)と共生・協力の原理(長期見通し・構想・物語の側面と仲間づくりの側面も含む─信頼関係の醸成)をコアとした考え方であり,テンニースの言葉を借りればゲマインシャフト型(共同体型)(ただし,テンニースは近代社会をゲマインシャフト型からゲゼルシャフト型への転換とみなしたが,どんなに時代が進もうと人間と社会はその両方 102頁】 のコアに足場を置くことで自らの存続と維持を図ってきたという視点は大切である。こうした見解については,西部[2000]を参照されたい。)であり,前節でも指摘したように,自律分散化・分権化に対して集権化・統合は,まさに経営のグリップの強化に関わるものであり,改めて経営改革・組織変革の大切なエンジンとして位置づけていくべきである。企業に高パフォーマンスをもたらすためには,徹底した分権化に加え,しっかりしたモニタリングと統制─集権的な視点が重要であることは,いくつかの実証研究─コンテンジェンシー理論に基づく実証研究,宮島[2017]・青木[2017]等─からも明らかである。第2象限─斜め左上(北西)向きベクトルの強化と第4象限─斜め右下(南東)向きベクトルの強化の同時的な達成が肝要であり,今の日本企業の現況は,いずれのベクトルの力も中途半端であり,例えて言うならば,ゆるんだゴムを,双方が引っ張り合うーピンと張ったゴム!に変える必要がある。

A新しい組織観─ネットワーク型組織の活用
 前述のごとく,ニーズの多様性,問題の複雑性の増大(単一部門での対応が困難な問題,複数の部門にまたがる問題の急増と常態化)に加え,A環境変化のスピードアップに対する有力な処方箋の1つは,これまで述べた「階層型組織の分業の徹底と分権化・フラット化と集権化・統合」の組み合わせである。しかしその処方箋のみで,タテ割り階層型組織の構造的弊害を克服することは可能であろうか?現実に目を転ずると,境界にまたがる問題のたらいまわし,押し付け合いは,日常茶飯事であり,逆にその領域が有望となれば,その領域をめぐって部門間で激突を繰り返し,関係する所管部門間で激しい消耗戦になる可能性もある。そこで登場したのが階層型組織とはある意味で対極をなすネットワーク型組織である。企業観のパラダイムシフトでもふれたように,これからは企業の創造性,リスクテイク,スピード感が問われる時代にあって,タテではなくヨコの連携(階層のない 103頁】 フラットな組織を志向)を重視し,また部門の壁,企業の枠を超えて,外を巻き込んだ柔軟でしなやかなエコシステムの組織観であり(斉藤[2011]),その典型がアジャイル(スクラム)型と呼ばれる組織である。以下にその組織について簡潔に触れておこう。
【アジャイル(スクラム)型組織】
 タテの階層構造をコアとする従来の専門分業型組織とは,対極をなす考え方であり,その特徴は以下の通りである。(それは,「ホラクラシー」とも呼ばれる。「ホラクラシー」自体は,米国のスタートアップ企業で開発された。長く組織変革のコンサルタントを務めたフレデリック・ラルーは,アジャイル型も含め,それらを総称してティール(進化型)組織と呼ぶ。詳細は,ラルー[2018]を参照されたい。)
[1]創って作って売る─部分(チーム)が全体と同じ構造(フラクタルな構造)を有する
[2]顧客を含めたボーダーレスのチームづくり
[3]上意下達ではなく,自主的双方向の自由闊達なコミュニケーション
[4]緩やかな連結のセルフマネジメント(自主型経営)─内も外もルーズ・カップリング
[5]サーバント型のリーダーシップスタイル(参加型のリーダーシップ)
[6]変容と進化を続ける組織(後に述べる自己創出系の視点)
 この組織は,比較的規模の小さな組織に向いているとされ,創造性を重視し変わり続けることを常とする,自由度の高い組織であり,リーダーも統制型ではなく参加型で,メンバーも自らの能力と主体的な意思をもって参加する必要がある。多様で変化の激しい時代にあって創造性を志向する企業,並びにそうしたプロジェクトを推進するのに適した組織ということができる。
B階層型組織とネットワーク型組織の並置型,共存型について
 こうした視点に立って改めて既存の組織を眺めてみると,階層型(官僚制)組織は,反復と定型的な世界を作ることに大いに寄与してきたことになる。定型的業務,繰り返し・反復がベースとなる世界では,まさに安定的で予測可能な意味空間が決定的に重要である。では企業観のパラダイムシフトの時代にあって,官僚制はその使命を終え,その終焉を迎えるのであろうか。答えは,否であろう!どんなにAI とロボテックスが普及したとしても定型的な業務,人手─人々の労働─が必要な世界は必ず残る。サービス業は言うまでもなく,質量のある世界(その典型はモノづくり,交通インフラ等)にとって,均質の品質,安全・安心を継続的に生み出し続けるためには,やはり官僚型組織(階層をコアとする組織)は依然として力を発揮するのではないか。ネットワーク型の組織観では,ルーチンが効率よくまわるとは思えないし,そこに参加するメンバーからすると,未来に対する混沌と不安定な社会的関係をエンジョイできる特別な人(自分の才能,技能,特性に自信を持ち,社会的な摩擦・ストレスに強いないしは動じないタイプの人々であり,もちろんクリエイティブな領域には不可欠なタイプの人材である。)でない限り,大いなる不安とディスカレッジをもたらすのではないか。普通の人々にとって自由なき規律も,規律なき自由も居心地のいいものではないのではないか。非凡に生きるのも大変だが,平々凡々たる日常をしっかり見据え,規則正しく生き抜くことは,これはこれでなかなかに至難の業であり,そのための社会的工夫として階層型組織(例えばその典型として官僚制がある。)が存するとみることもできる。イノベーションにしても,突然真空の中に生まれるわけではない,何らかの組織化された知の蓄積と組織の側でリスクをとってくれる状況の 104頁】 中で生まれてきたし,これからも生まれていくのではないか。(これらの諸点については,沼上[2014]が参考になる。)
 そう考えると,階層型組織に加え,内外の部門にまたがるネットワーク型組織(アジャイル型,部門内外,企業内外にまたがるプロジェクトチーム,フォーラム,等)を併置させ,現組織との融合を図る処方箋が考えられる。そうした視点に立つと,ハーバード大学ビジネススクールの企業変革の大家コッター教授の『組織を動かす2つのOS(2つのエンジン)仮説』は,より現実的な選択肢ということになる。図6−3をご覧いただきたい。コッター教授曰く「従来型の階層組織と業務プロセスは,組織にとって言わば『オペレーティングシステム』(OS)である。大抵の企業では,これによって事業運営上のニーズがうまく満たされている。ただしこの仕組みは融通性に欠けるため,変化の速い今日の市場には,適応できない。機動性と適応性の高い企業は,休みなく戦略を立案・実行するため,ネットワーク類似のしなやかな組織を土台とした第2のOS を導入する。」(出典は,図6−4に同じ)─2つの組織の融合,巧みな組み合わせを構想するものである。そしてその組み合わせの多様性を考えるためのフレームワークが,図6−4である。定常部門に必要な安定的な意味空間の維持生成から,非定常部門にあっては,多様性を許容し,そこではむしろ新しい意味空間の生成,意味空間の変容が重要となる。左側にルーチンをコアとする定常的な部門(その典型は工場,生産部門,間接部門のルーチン業務等),右側に非定常的な部門(その典型は経営層,企画部門,R&D 部門,IT 部門等)が位置しており,右にいくにつれて多様性と変化を許容する非定常性の比重が大となる。ただし定常部門にあっても,『日々是革新』であり,たえず現在の意味空間を見直し,新しい意味空間の生成に取り組む必要があることは言をまたない。そこでは,まさに前述のコッターの2つのエンジンモデルが重要となる。2つのOS(エンジン)をどのように組み合わせていくかが問われることになる。またアンバンドル化した今日の企業においては,左右のバランス型ではなく,左右のどちらかに寄った組織形態の企業も存在する。今はまさに組織の多様化の時代である。

105 頁】

D結びにかえて─「組織」と「戦略・事業シナリオ」のダイナミズムについて
 最後に,「組織」と「戦略・事業シナリオ」のダイナミズムについて2つの視点から素描し,結びにかえたい。図6−5を参照されたい。第1の視点は,ダイナミック・ケイパビリティの理論(Teece[1997])に登場する組織と戦略の共進化の仮説であり,「組織(仕組み,文化も含め)の変容」と「戦略・ビジネスモデル・変革のシナリオの変容」が,双方を巻き込みながら,試行錯誤を経つつシークェンシャルにスパイラルアップしていく─進化プロセスとして見る視点である。第2の視点は,オートポエシス(自己創出系)の視点,またその有力な後継者たるルーマン理論(これらについては,ルーマン[1995],佐藤[2008],野中他[2018]を参照されたい。)に基づくものである。ルーマンは,“ 関係性”─主体(人間でも時間でもよい)自身ではなく,主体間の関係のあり方とその関係の変容が,主体に意味と文脈を与えていくという視点─を重視した。そうした見方を起点にすると,「組織は,コミュニケーション(行為)の連結と時間的な累積─を通じて“ 意味”が生成され,更新(アップデート)されていく過程である」と見なすことができる。そこでは,“ 場における関係性”【他者とのコミュニケーション─従来の組織の定義のコアであった】を通じた意味の更新だけではなく,“ 時間における関係性”【現在─過去─未来】を通じた意味の更新─例えば,未来【戦略】をどう展望するかによって「現在も過去」もその意味が更新されていく─の両方の視点とその交錯がコアとなる。そうした立場に立つと,前述の「多様性と変革を志向する時代にあって,魅力的なビジョンを掲げ,ヨコ型でフラットな関係をコアに“ 内外に様々な関係,ネットワークを構築していく” 組織の展開」は,まさに“ 新しい意味を創出し,意味の多様性を増幅する過程” として見ることもできる。
 場の広がりと時間の広がりの中で意味が─場と時間の交錯を通じて物語が─生成され,アップデートされていくという視点に立てば,組織と戦略を分ける理由はなくなり,組織と戦略の間の境界は意味を失い,その関係(例えば,組織は戦略に従うとか,戦略は組織に従うといった関係)を問うこと自体が無意味となる。

106 頁】

107 頁】

 

付論:株式会社論再考─メリットとその限界そして新しい萌芽

 

 最後に付論の形で,そうした企業─組織変革の典型的な受け皿たる株式会社について,簡潔に触れることにする。
 “ 株式会社制度” は,人類が見出し,構築した様々な社会的な仕組みの中で,歴史上,もっとも傑出した制度の1つだと言われている。株式会社制度は,とりわけ近代以降,初めはヨーロッパを中心に,その後は広く世界に普及し,近・現代の経済と社会の発展に大きく寄与し,文字通り資本主義の要―エンジンとなっている。ではそのエンジンたる株式会社制度とは,いかなる仕組みなのであろうか。
 株式会社とは?と問われると,よく耳にする一般的な答えは,株式による資金調達が可能な制度であるというものである。しかしこの定義は,その全容の半分も語っていないように思われる。あっさり言ってしまえば,株式会社制度の本質は,まずもって魅力的な事業構想と事業意欲を有する有能な人材を吸引する仕組みだということにつきるのではないか。その理由は簡単明瞭である。事業主たる経営者は株主から返す必要のない資金を提供され,それを自らのビジネスに振り向けることができる―たとえ事業に失敗したとしても返済の義務は一切なく株主がそのリスクをシェアしてくれる―だとしたら,手をあげる人々がたくさん出てくるという,建付けになっているということである。
 加えて話はうまくできていて,出資する株主側も,会社の所有者にもかかわらず,会社に対して無限責任を負うわけではなく,有限責任(出資分についてのみのリスクを負う)でよいというわけなので,これもまたたくさん手をあげる人が出てくるということになる。言うまでもなく,事業をうまくいかせるためには,@よき事業構想・アイデアを有し,その実現をめざす人(々),A良き働き手たる人材を確保し,B必要なおカネを継続的に引き寄せ,調達できなければならない。そのいずれが欠けてもビジネスは成り立たない。いわば,卓越したアイデアとヒトとカネを継続的に調達できるもっとも効率の良い仕組みこそ,まさに株式会社制度であり,株式会社制度は,“ ビジネスに必須のリソースを,継続的に調達・確保する上で,実によく考えられた巧妙なリスクヘッジ(回避)ないしは,リスクシェアの仕組み” に他ならない。

 

1.あらためて株式会社とは?

 

 では株式会社制度とは,いかなるものであろうか。以下,前述の議論の繰り返しを承知で,株式会社を支える2つの理論的なコア─@法人とAリスクシェアの仕組みたる“ 法人としての株式会社”─について述べていく。(神田[2015],岸田[2006])

@法人
 一般に株式会社は,会社法上,「営利を目的とする社団法人」と定義される。とりわけここで重要なのは,法人という考え方である。ここに言う法人とは,会社に対して制限付きではあるが,ヒト(自然人)と同じ権利能力を与えるものであり,会社自らが契約の主体,責任(リスクテイク)主体となりうるということを意味する。会社名義で,様々な契約をしたり,財産を所有したり,借金することもでき,また訴訟することも可能である。さて法人は,以下の2つの意味で大いなる長所を有するといわれる。
108頁】

@)法人は,企業としての持続性を担保する
 ゴーイング・コンサーンとしての体裁を整えているということであり,法人ではない個人企業の場合は,一代限りであり,企業としての持続性に問題がある。法人は,ヒトの寿命を超えて存続が可能であり,またたとえ人が入れ替わっても,会社として存続していくことができる。継続的に事業を続けられることは,ビジネスの必須の要件である。
A)法人は,内外のリスク軽減・リスクヘッジの役割を担う
 法人は,企業の内外の不確実性・変化・激変に法人として対処することで,ビジネスに参加する人々のリスクを和らげ,その一部を吸収することを通じて,企業に関係するメンバーに降りかかる様々なリスクのシェルター(避難所)になる。改めて以下に“ 法人たる株式会社” に備わっているリスクシェアの仕組みを簡潔に述べることにする。

Aリスクシェアの仕組みたる“ 法人としての株式会社”
 様々なリソースを提供する参加者すべてにとって“ 法人たる株式会社” は,実に巧妙にできたリスクシェアの仕組みである。一部繰り返しになるが,事業家(経営者)は,上手くいかなければ退任に追い込まれるリスクはあるものの,株主からの資金調達によって,返済不要のリスクマネーを使うことができ,一方で会社の所有権を有する株主は,残余利益しか手にはいらないリスクはあるものの有限責任を負うのみであり,従業員は法人との雇用契約によって守られ,債権者は法人の資産を担保とすることが可能である等々。すべての参加者が,ハイリスクにならないように,また大きなリスクが特定の参加者・利害関係者に集中しないような仕掛け─実に巧妙な社会的工夫─が株式会社に内蔵されている。しかしそれは,見ようによっては,株主(そして債権者)も,経営者(そして従業員)も,過度のリスクなしにハイリターン(強欲)を追及できる,極めてゆるい仕組みだということになる。そしてその“ ゆるさ” こそ,ビジネスの遂行には必須の要件であるように思われる。なぜならビジネスは,本来リスクの塊であり,ハイリスク(例えば,会社に関わる人々が無限責任を負う等)・ハイリターン型では,多分だれもビジネスに参加しないことが予想されるからである。そのリスクをみんなでシェアできる工夫をし,ゆるい仕組みにすることで,みんなが相乗りできるようにした人類の知恵に驚嘆するばかりである。

 

2.株式会社の構造的問題点とその限界と新しい方向

 

 上記のメリットは,前述からの理論的帰結として,壮大なモラルハザード,利益至上主義,冒険主義,無責任体制の温床となる,またそうした最悪の状況に転化する可能性が大であるということを意味する。 @例えば利益至上主義がまかり通ると,儲かるためにはなんでもやる,目的のためには手段を選ばず!で,時として顧客を欺き,労働者を搾取し,環境破壊を進めてしまう可能性がある。 A歴史の教えるところ,リスクが限定されている状況におかれたフリーハンドの人間(株主・経営者・従業員はその典型である。)は,未来に対して楽観的となり,極めて冒険主義的な行動をとりがち(コールオプションの買いに似ている。)であり,大胆なリスクテイカーとなる可能性がある。これは,株式会社という仕組みそのものが,資本主義の宿命的な病である経済のバブル化の温床の契機となることを意味する。(これらの諸点につい 109頁】

ては,岩井[2003, 2005],冨山[2010]を参照されたい。)例えば,リーマン・ショック時の元凶の一つたる金融機関の貪欲なまでの利益追求行動は,その典型と言える。 B法人化ならびに所有と経営の分離に伴って,株主(または,様々なステイクホルダー)と経営者との間での利害の対立,経営者と従業員の利害の対立が顕在化し,いわゆるエージェンシー問題が頻発する可能性も大きくなる。エージェンシーコストを下げるために様々なインセンティブ(ストックオプション等)の導入が図られたが,それがまた新たなモラルハザード(エンロン事件等―コブラ効果「英国の植民地であった当時のインドで実際に生じたトラブルであり,経済的インセンティブの効果は過大に過ぎ,返って状況を悪化させてしまうケース!」)を生むことになった。インセンティブだけでは問題は解決しないどころか,かえって問題を深刻化させてしまうこともありうる。問題はそう簡単ではない。そこでは,契約関係を超えてフィデシャリ─(委任関係)の視点が重要となる(内野[2015])。まずもって,経営者としての職業倫理観が問われ,その遵守が必須となる。併せて企業・経営者の暴走を防ぐために,またモラルハザードを防ぐために,様々な法的な工夫も施されている。具体的には,「民法,刑法,会社法(例えば,会社役員の善管注意義務等),金商法,独禁法,労基法,環境法等の法律による縛り」である。 Cビジネスにとってのボトルネックないし希少なリソースが,かつてはおカネ(しかも巨額な資金,例えば,モノづくり系─装置型産業,社会インフラ系はその典型)であり,資金調達にとって株式会社はうってつけであり,有効に機能してきた。しかし,IT 革命,インターネット社会の社会にあっては,ビジネスモデルによっては,そもそも元手があまりかからず,外のプラットフォームを低コストで利用でき,大きなビジネスができる状況にあり,そこでは希少性は,おカネではなく,魅力的なアイデアであり,それを生み出す卓越した人材である。もう一つは,金主(株主)に儲けろと言われて,その言いなりになるのは辛い,まっぴらごめんだ!という若い世代の登場である。おカネ儲けより,世の中に役立つこと,世の中の理不尽をなくすこと─といった理念のもとに人々が集まり,そしてそのプロジェクトが終わったら,もうその仕組み(そうした状況では,必ずしも株式会社の形態をとる必要はない。)を解散ないし清算する─といった考え方の登場である。そこでは会社の寿命は,ヒトの人生より短くて当然ということになる。企業存続の自己目的化は,歴史的に長く続くファミリー企業ならいざ知らず,その存続のためのコストは,大きくなってきているのではないか─プロジェクトごとの離散集合もありではないかという視点である。社会の多様性,ニーズの広がりと株式会社制度との間に様々な形でミスマッチが生じてきているのではないか。もちろん株式会社がその主役の座を降りることは無いにしても,非営利化への動き(岩井[2003]),会社の短命化(プロジェクト終結─清算型)がゆるやかな広がりを見せていることは,前述の新しい組織観にフィットするものであり,ビジネス・事業化を進めるにあたって必ずしも株式会社制度にこだわらない多様な考え方の広がりと見ることもでき,注目に値する。

 

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