京都大学経済学部 卒業 |
京都大学 経済学博士 取得 |
財政学、租税論
(1) | 「課税ベース論と包括的所得税」『学習院大学経済論集』 第19巻第2号 (1983年1月) |
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(2) | 「超過負担の理論と部分均衡・一般均衡分析」『学習院大学経済論集』 第24巻第1号 (1987年6月) |
(3) | 「経済取引における貨幣の役割について」『学習院大学経済論集』 第24巻第4号 (1988年3月) |
(4) | 「政府財政の財源調達問題について」『経済研究』(一橋大学経済研究所) 第36巻第2号 (1985年4月) |
(5) | “Distributional Effects of Linear Income Tax Schedules”, The Review of Economic Studies, Vol.41, No.3 (July, 1974) |
(6) | “Terms of Trade and Full Capacity Growth in a Resource―Importing Economy ”,(共著)Journal of International Economics, Vol. 8, No. 1 (February, 1978) |
(7) | “A Note on International Trade with a Minimum Wage and an Endogenous Labor Supply Economy”,(共著)International Economic Review, Vol.33, No.1 (February, 1992) |
(8) | 「年功賃金とヒックスの平均期間」『経済論叢』(京都大学) 第155巻第1号 (1995年1月) |
(9) | 「課税の主体的均衡分析と部分均衡分析」『学習院大学経済論集』 第26巻第1号 (1989年6月) |
(10) | 『財政の経済理論―貨幣経済における財政理論―』(第一法規出版)(1992年) |
(11) | 「企業と課税」『学習院大学経済論集』 第36巻第2号(1999年8月) |
(12) | 『財政の経済理論―貨幣経済における財政理論―増補・改訂版』(成蹊堂)(2002年) |
(13) | 「財とサービスの非自発的(政府)及び自発的(私的)供給―外部性の新しい定義と政府の市場均衡への介入―」『学習院大学経済論集』 第41巻第2号(2004年7月) |
(14) | 『財政の経済理論―貨幣経済における財政理論―増補改訂2007年版』(成蹊堂)(2007年) |
日本財政学会会員
日本経済学会会員
金融学会会員
〔学生諸君へ〕
出来る限り、はば広い範囲にわたって、自らの頭を使って(他人の頭ではなく)十分に勉強されることを希望いたします。
ここでは、経済と経済学について少し述べておく。言うまでもなく、経済とは、経済学の研究対象であり、経済学とは研究活動である。経済は、個人及び組織体の多数の経済主体から構成されている。組織体には、企業、家計、政府等が含まれている。個人を例にとっても、経済主体は異質であり、経済学ではすべての主体は同じ考えを持っている、あるいは、持つべきだとは前提としないで、それぞれが異なった目的を持って、独自に行動しているが経済全体としては何らかの調和が実現していると想定している。逆に言えば、すべての経済主体がまったく同質であるならば、個人は孤立して生きればよいのであり、個人とは区別された意味での社会は存在し得ないのであり、社会科学の一分野としての経済学は存立が困難となる。
大学とは、少なくとも学問としての経済学を学ぶ所である。経済学程度は、常識に少し何かを付け加えれば理解出来ると考えがちだが、学問としての経済学は、国際的な水準ではかなり高級なものになって来ている。なぜならば、学問を構成する部品のそれぞれがしっかりしており、しかもそれらを組み立てた全体の動きが部品からは想像できない場合も多々あるからである。学問とは既に完成されたものではなく、日々発展している。積み重ねが効くというのがその特徴であるから、基礎から順番に理解を進めることが大事である。経済学の分野は細分化されつつあるが、考え方の基本は共通であることがしばしば見られる。
経済学の外部から見た印象と、学問としての経済学の専門的内容とは違うということを、経済学を勉強してゆけば理解することになるであろう。他の学問と比べて現象への接近感はもっとも近いが、あるいはそれだからこそ却って、学問的に現象を見ることはかなり難しいと言えよう。
経済学は、外部から想像する以上に論理的な学問になって来ており、その経済学を学ぶ以前にしておくべきことは、基礎的な学問能力を十分に身につけておくことである。高校までの教育内容では不十分だ(この傾向は、かなりの長期にわたって続いて来た。)と考えられるので、カリキュラムにとらわれることなく幅広い学問分野を勉強しておくことが必要です。何よりも思考の柔軟性が求められるので、いかなる時でも硬直的な見方から脱することの出来る能力を身に付けておくことが重要です。学問は国際化して来ているので、外国語、特に英語能力は必須のものになっている。現在の経済学はその見方の発想法として、自然科学と共通する部分があるため、理科系の学問も勉強しておくことは、大変望ましい。数学や哲学の思考訓練に、時間を割くことは、得られた能力が経済学だけでなく他の学問分野にも応用出来るため、非常に望ましいと言えます。経済学を学べるということは、現生人類の最良の思想の最先端を学ぶことでもあるのです。
以上具体的な学問内容については触れずに終始したが、経済学部の授業を通して、学問としての経済学の具体的内容は語られることになります。
財政学とは何か
本来、財政学=public finance における finance という言葉は資金調達=財源調達を意味するが、財政学という言葉における財政とは、私企業あるいは組織体における finance ではなく、より正確には公共財政(public finance)を表現しており、公共部門あるいは政府部門の資金調達すなわち収入側を意味している。しかし今日における財政学の内容は、財政をより広く解釈し政府収入だけを取り扱うのではなく、政府支出を含むより広い公共部門の経済学(economics of the public sector)あるいは政府部門の経済学になってしまっている。
つまり、財政学の研究対象は財政現象であり、言いかえれば公共部門あるいは政府部門の経済活動であると考えられる。そこでまず最初に、いったいなぜ公共・政府部門の経済活動が必要ならしめられるかを考えよう。この質問に答えることは同時に財政部門の機能あるいは目的を明らかにすることを意味する。
(中略)
民間の経済活動をささえる原理は、あくまでも交換原則である。すなわち財源調達(finance)は、利益を得る人から徴収することになっている。それに対し、財政をささえる原理は移転である。租税の賦課は交換原則から独立して決められ、政府から多くの便益を得る経済主体が、必ずしも多くの租税を支払っていないのである。特定の便益と引き換えに各経済主体が租税を支払うわけではないので、財政活動の財源調達においては、交換原則以外の別の原則がなければ必然的に恣意的な所得再分配が行われることになる。従って、このようにしてまかなわれる政府の経済活動は、出来る限り小さくあるべきであって例外的に必要な分野に限られるべきであり、いままでに説明して来た、政府の役割が、これらの分野に対応するのである。
逸見良隆著 『財政の経済理論―貨幣経済における財政理論―増補・改訂2007年版』(2007年・成蹊堂)序章より