はじめに ----------- 本論の立場

 LPレコード・ジャケット、CDブックレット(註1)に関しては、近年、そのデザインに注目した書物がいくつか出版されている(註2)。それらはいずれも豊富なカラー図版によってLPジャケットやCDブックレットのデザインの素晴らしさを、私たちに改めて認識させてくれる。そこには、対象となる「作品」の選択があり、分類があり、そうして配列された個々の作品について、あるいは作品群について解説が加えられているが、それらの書物の性格は、絵画における「画集」に非常に近いものである。それらの書物において、ジャケットやブックレットのデザインは、美しく、うやうやしく図版として再現され、美術と同じ「作品」の地位へと高められる。

 それに較べて、本小論には、カラー図版がないどころか、モノクロ図版も7枚しか付されていない。そのことが明確に示しているように、本論は、代表作を示すという形でCDブックレットのデザインの「質」を問うものではない。言い換えるならば、CDブックレットを「アート」のレベルにおいて問題としようとするのではなく、それを、あえて、視覚的表現、視覚的伝達というレベルで捉えてみようとするのである。視覚的表現、視覚的伝達の一モデルとして、CDブックレットを取り扱ってみようというわけである。

 しかし、それにもかかわらず、筆者は、本論の帰属すべき学問領域は美術史学であると考えている。何故ならば、本論の方法論は伝統的な美術史学のそれだからである。

 レコード・ジャケットやCDブックレットのデザインを論じるということは、言うまでもなく、美術(「純粋」美術)に対する工芸あるいはデザイン(「応用」美術)の復権の議論の中に位置付けられる。けれども、工芸・デザインの復権の主張と言っても、一方に、工芸・デザインは美術と同等の高い評価を受けるべきであり、美術と同様に扱われるべきであるという考え方があり(註3)、他方には、美術には美術の、工芸には工芸の、デザインにはデザインの、独自の存在の仕方、独自の価値があるという考え方がある(註4)。また、現代の情報化、複製化文化の中で美術と工芸・デザインとの境界は喪失したという考えもある(註5)。第一の立場に立てば、たとえば、デザイナーという個性が、「芸術家」の個性同様、尊重されるべきものとなる。第二の立場に立てば、芸術家の個性とか芸術作品のオリジナリティーとかいったことをも含め、伝統的に「美術」を規定してきた概念を工芸やデザインにあてはめることが否定される。さらに、第三の立場からは、これまでの「美術」「工芸」といった枠組自体が問題となる。

 それに対して、本論の筆者は、そのどれか一つの立場を取ることをしない。筆者は、あえて、デザイン独自の特殊なアプローチではなく、従来、美術作品を扱ってきた伝統的な枠組の中でのアプローチを取るが、そのアプローチの狙う先には、当面、「芸術家」も「オリジナリティー」も存在しない。筆者が取るのは、美術作品を扱う際の伝統的な方法の中でも、最も単純で即物的なアプローチの仕方である。美術と工芸・デザインという複雑な問題を、最も単純で即物的な側面で切り取ってみる。すると、そこに、美術にも、工芸にも、デザインにも共通する、視覚的表現、視覚的伝達の基本構造が見えてくるのではないか。その基本構造の上に、美術の、あるいは工芸・デザインの独自の在り方を探るという方向が可能ではないだろうか ----------- 本論は、そういった問題へ向けての、一つの基礎作業である。

 そのように、本論は、音楽という目に見えない中身を視覚的に表現し、伝達しようとするCDブックレットの最も基本的な機能の確認、分析を通して、視覚的表現、視覚的伝達全般の基本的構造を考える際の糸口を探そうとする試みであるのだが、それはまた、そのための手段としての、伝統的な美術史の方法論の有効性、その展開と応用の可能性についての批判的再確認でもある。さらに、筆者は、分析の対象としたCDブックレットに、単なる「一モデル」としての関心のみを抱いているわけではない。筆者は、CDブックレットが意味として指し示しているものについて全く無関心であるのではない。目に見えない中身 ----------- すなわち「音楽」 ----------- についてCDブックレットが語る、その語り方を通して、音楽自体についても考えてみたいと思うのである。
 レコード・ジャケットではなく、CDブックレットを対象とした理由としては、CDブックレットの方が対象として扱いやすかった、ということが挙げられる。CDブックレットは、誕生して以来、十数年しか経っておらず、いまだ、そのデザインにおいて初期段階にある。すでに50年近くを経て、その展開を終えようとしているLPレコード・ジャケットが、その寸法にふさわしいデザインの可能性を多彩と繊細の極にまでもたらしたのに較べて、CDブックレットのデザイン、とりわけ本論が対象とするクラシック音楽のCDブックレットのデザインは、いまだ、単純で素朴なレヴェルに留まっていると言える。けれども、そのことは、対象の分析、研究にとっては、逆に有利に働くように思われる。私たちは対象を、まだそれが複雑に分化し、重層化してゆく以前の段階において、しかも、展開に一定の方向性を見出したり幾つかの種類に分類したりすることが可能なくらいにはサンプルの数が豊富になった段階において、分析し、解釈することができるのである。この単純な、初期段階のモデルから、複雑化した視覚的表現、視覚的伝達を解釈してゆくための手掛りが得られないか、というのが、筆者の当面の関心の在り所である。

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註1:
LPレコードが、「ジャケット」と呼ばれる12インチ四方の厚紙製パッケージに入れられており、そのジャケットの表面が主たるデザインの場であるのに対して、CD(コンパクト・ディスク)は、約12.5センチ×14センチの大きさの透明なプラスティック・ケースに入れられていて、その表面に差し込まれた「ブックレット」(解説のための小冊子)の表紙が、そのままケースの表紙になるようになっている。CDの場合、この12センチ四方のブックレットの表紙が、主たるデザインの場である。レコード時代の呼称を引き継いだ「CDジャケット」という言い方もしばしば見られるが、本論では、「CDブックレット」という呼称を用いる。プラスティック・ケースを更にボール紙製のパッケージが蔽っているようなケース(特にアメリカに多い)は、本論では除外する。

註2:
代表的なものをあげるならば、ピエ・ブックス編集部編、『世界のCDジャケット・コレクション』、ピエ・ブックス、1991年、沼辺信一著、『12インチのギャラリ ----------- LP時代を装ったレコード・ジャケットたち』(「デザインの現場」増刊)、 美術出版社、1992年、向田直幹編著、『ジャジカル・ムーズ・・アートワーク・オブ・エクセレント・ジャズ・レーベル』、美術出版社、1993年。

註3:
「LP盤のジャケットのデザインがれっきとした芸術であることはまちがいない。......その貴重な財産を正しく評価し、きちんと分類して保管し保護することが、今、これまでになく切実に求められている」(マネック・デーバー著、『ジャズ・アルバム・カバーズ』、グラフィック社、1994年、p.142)。

註4:
「芸術とデザインの最大の違いは、デザインが大量の複製を生み出すことを目的としている点にある。......デザインはオリジナルの限定性よりも複製性にその価値を置いている」(西岡文彦編著、『デザインの読み方』、別冊宝島EX、JIC出版局、1992年)。

註5:
「かつて確かだった自然・歴史・言語・芸術・人間の概念そのものが、情報化文明の中で瞹昧化し、消失してゆく時代的状況......。ここに来て、従来のデザインとアートの明確な境界も明らかに喪失し、視点の次元を高めて透視するトランス行為によって確認せざるを得なくなっている」(坂根巌夫「トランス・カルチャー時代への胎動 ----------- 溶解する境界」、勝井三雄、田中一光、向井周太郎監修、『現代デザイン事典』、平凡社、1994年、p.1)。