いわゆる「父の訓戒」

 ゲーテは小説『親和力』の中で、この作品に表された情景を次のように解釈している――

 「上品な騎士らしい一人の父親が、脚を組んで腰掛けている。その前に立っている娘を諭しているらしい。襞の豊かな白繻子の服を着た、美しい姿の娘は、ただその背中を見せているだけであるが、その様子は彼女が慎み深く聞いていることを示しているようである。しかし、訓戒が激しく辱めるようなものでないことは、父親の表情や身振りにうかがわれる。母親はといえば、彼女は、啜ろうとしていたワインのグラスを見詰めることによって、微かな当惑を隠そうとしているように見える」。

 「父の訓戒」――このテル・ボルフの作品(図1,2)は、長らくその題名のもとに親しまれてきた。けれども、今日私たちは、この作品を、「いわゆる〈父の訓戒〉」と呼ぶ。そう、この作品は、「父の訓戒」と言い慣わされてきただけであって、実際ここに表されているのは、ゲーテが解釈したような状況ではないのである。

優雅な室内

- オランダ風俗画の展開 -

 風俗画は日常生活の情景を主題とする。それだけに、そこには、時代の移り行き、社会の様相の変化が、歴史画や神話画の場合よりもずっとストレートに映し出される。また、さまざまな階層の人々(農民、市民、兵士、貴族、聖職者など)の、さまざまな生活の様相(労働、休息、食事、飲酒、享楽、遊戯、喧嘩、歓談、読書、奏楽など)の中から、どのような場面を取り上げるかという、主題の選択を見ても、そこには明らかに社会の変化に伴う趣味の移り行きがうかがわれるのである。

 幾世期にもわたる風俗画あるいは風俗的描写の歴史のなかで、17世紀半ばのオランダ風俗画は、転換点としての重要な位置を占めている。それまでの風俗描写が、貴族や市民から見た農民や兵士の粗野な生活の戯画的表現を主流としていたのに対し、いまや、市民が自らの眼で自らのゆとりある生活を眺める優雅な風俗画へと比重が移ってゆく。弱者や劣者に対する優越者としての満足の眼差しから、自分自身への満足の眼差しへの転換である。それは、前世紀からの対スペイン独立戦争と三十年戦争をへて、すでに17世紀前半に世界貿易と植民地経営の基盤を築きあげ、成熟した市民社会を確立したオランダ人の、自己への信頼と余裕を反映しているに違いない。ヨーロッパ諸国を巻き込んだ三十年戦争は1648年のミュンスターの和議で終結し、オランダの独立も完全に認知されたのであるが、オランダは以後、たくましい成長期から安定した円熟期へ入っていったのである。

- テル・ボルフとフェルメールの世界 -

 1617年生まれのテル・ボルフは、17世紀前半から活動していた画家である。初期には兵士たちの生活を主題とする風俗画を得意とし、また、《ミュンスターの和議》のような歴史記録画などを描いていた彼も、1650年頃から、市民階級の優雅な生活を描き出す室内画や肖像画へと、次第にその制作の重点を移してゆく。ちょうどその時期に登場したフェルメール(1632年生まれ)の世界とも共通する風俗画領域が確立される。ある美術史家はこう書いている――「世紀の半ばを過ぎると程なく、オランダの生活は、誰よりもフェルメールの美しい室内画に描かれたような、静かで平和で家庭的な雰囲気を特徴とするようになる」(図3,4)。

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図1テル・ボルフ《父の訓戒》
図1テル・ボルフ《父の訓戒》
1654/55年頃、70×60cm
(ベルリン国立美術館・絵画館)
図2テル・ボルフ《父の訓戒》 1654/55年頃(部分図)
図2テル・ボルフ《父の訓戒》
1654/55年頃(部分図)
図3テル・ボルフ《手紙》1660年頃
図3テル・ボルフ《手紙》1660年頃
テル・ボルフによる優雅な室内情景の代表作。手紙を読む、書くというのは、当時好まれた主題である。
図4フェルメール《手紙を読む婦人》1659年頃
図4
フェルメール《手紙を読む婦人》1659年頃