それに対して、1504年頃の《パウムガルトナー祭壇画》中央図(図7)や《三賢王の礼拝》(図8)においてデューラーは、別の方法、典型的にイタリア的な方法を用いて、画面を一つの空間としてまとめようとする。つまり、建築モティーフを基本的枠組みとし、線遠近法によって画面を統一しようとしたのである。しかしながら、その結果は、われわれの目から見て決して満足すべきものではない。いずれの作品においても、人物と人物、人物と環境は、必ずしもうまく結びついてはおらず、そこに空間的にまとまりのある情景が描き出されているとは言い難いのである。そのような結果を導いた原因としては、いろいろなことが指摘される。まず第一には、そもそもの枠組みを成す建築モティーフの遠近法があまりに急激な奥行きの深まりを示しているため――つまり、線遠近法の応用があまりに極端な人工的なものであるため――、かえってそこに自然な空間の広がりが感じられないということ。第二に、それと並行することであるが、最前面に押し出された人物たちの大きさに比べ、背後の人物たちがあまりに小さいので、両者の空間的位置関係を推測するのがかえって難しくなっているということ。第三に、建築モティーフ、人物やその衣装、草木等が――ネーデルラント絵画さながらに――ひとつひとつ詳細に描写されているため、全体としてよりも、部分部分として見る者の眼を惹きつけること。第四に、個々の対象が明確な輪郭線をもって互いに区別されており、ここでもまだ、色面としての独立性を保っていること。以上のように、イタリア的な空間統一の原理が導入されながら、一方ではその不適切な応用によって、他方では、それを弱めるネーデルラント的、ドイツ的要素の混在によって、その原理は、画面全体を一つの空間としてまとめ、支配する基本要素とはなってないのである。

 1509年の《ヘラ―祭壇画》中央図(図16)や1511年の《ランダウアー祭壇画》(図11)は、さらにもうひとつ別の試み、すなわち、人物たちの配置による空間の創出、その統一という試みを示している。しかし、ここでもその結果はデューラーが手本としたに違いないイタリアの作例ほどにはうまくいっておらず、画面は統一ある空間というよりも、むしろ色面のモザイクとなっているのである。先に見た《一万人のキリスト教徒の殉教》(図6)もまた、やや性格は異なるものの、多勢の人物の姿を手前から奥にゆくにしたがって次第に小さくすることにより、空間の奥行きを表そうとした作例のひとつであるが、それらの人物の姿も、見る者の目には、まず第一には、画面に散りばめられたばらばらの色面としか映らず、空間を感じさせるよりも、むしろ逆に、画面を平面的に見せる効果をもってしまうのである。

 これまで見てきたように、現実的な空間をもつ情景として絵画の画面をまとめるという、イタリア・ルネサンス的な近世絵画の課題への挑戦は、デューラーにおいては、ことごとく不十分な結果に終わったように思われる。彼がおそらく――間接的であるにせよ――ネーデルラント絵画から学んだと思われる、個々の対象物の綿密な描写、そしてそれ以上に、彼がゴシック絵画から受け継いだ、色面の組み合わせとしての画面処理法は、そのようなイタリア的課題の達成を常に阻止する形で働いたといえよう。

 そのことに関して、ここで触れておかなければならないのは、そのような絵画の分野での新しい課題の解決に、実はデューラーの版画が成功しているということである。その最も素晴らしい例として銅版画《書斎の聖ヒエロニムス》(図1)を見ると、そこでは、人体をも含めた個々の対象の形態が、線遠近法によって設定された空間の中に、何の不自然さもなくみごとに収められている。ここでデューラーが道具としているのは、彼がその力を知り尽くしていた「線」であり、その線が、一方で空間をつくり出すと同時に、一方で対象物に量感と材質感を与え、さらに場面にあふれる光をも表しているのである。線は画面をくまなく覆い、もはやここには、何の対象をも表わさない白い地は存在しない。「すべての自然現象が線のドラマに置き換えられ」、その線が画面全体を支配し、個々の部分を融合させることによって、ここには、現実的な情景としての絵画的統一性が獲得されているのである。デューラーにとって、画面の絵画的統一のためには線があればよいのであり、色彩は必ずしも必要ではなかった。否、むしろ色彩は無い方がよかったといえるであろう。その発言が本来どのような意味合いでなされたかは別として、「もしその上に絵具を置いたならば、作品は台無しになってしまうだろう」というエラスムスの発言や、「版画はうまいが、絵画では色の使い方を知らない」というヴェネツィア人たちの発言を、今、われわれは思い出す。デューラーの絵画は、まず何よりも、色を用いた絵画であるがゆえに、現実的な一つの情景としての画面統一という絵画的表現に失敗したのである。もちろん、そのことによってデューラーを批判するのは正当ではない。イタリアの画家たちとて、彼らの絵画的表現を一朝一夕に完成させたのではなく、ジョット以来の長い伝統が背景にあってこそ彼らにとってそれが可能だったことを考えれば、外からの刺激としてイタリア絵画の革新に直面したデューラーが、絵画表現におけるその本質を真に自分のものとすることができなかったのを、だれが非難できようか。いや、それどころか、ドイツ絵画の伝統を基盤としつつ、一方ではネーデルラント絵画の物の見方を、他方ではイタリア絵画の物の見方を取り入れ、それらを何とか融合させようとしたデューラーの努力は、他に類のないほど偉大であったといえよう。しかしそれにもかかわらず、われわれが、行為の偉大さをその結果の偉大さと混同してはならないことも、また確かなのである。

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図16
「ヘラ―祭壇画」
中央図《聖母の戴冠》1509年(模写)