デューラーについての最も優れたモノグラフのひとつに数えられる『アルブレヒト・デューラの芸術』の中で、著者ヴェルフーリンは、その芸術の特徴に関して次のように述べている。

 「芸術家はみな、すでにもっている形態と色彩の感覚によって世界を見る。デューラーにとっては線が形態であり、彼はそのような形態の中に事物を表象するよう定められていた。彼は線描家であった、と言えるかもしれない。そうであるとしても、しかしそれは、絵筆を用いて描くよりも素描することの方が多かったという意味ではなく、彼の場合、全ての自然現象が線のドラマに置き換えられたということである。物の量塊性――彼はそれを、時として過剰なほどまざまざと感じる――も彼にとっては、激しくほとばしる線の流れとなる。たとえ動きが鎮まって、平らな部分に至るとしても、そのような情況を映し出すのは、やはり線的な要素――この場合は断続的で穏やかな――なのである。木や石であるとか、動物の毛であるとかいった素材を表す光の輝きも線的に捉えられる。それゆえ、《書斎の聖エロニムス》(図1)は、絵画作品としては描かれなかったのである。古びたむき出しの木材や、室内に差し込む魔法のような陽光は、彼にとっては、線描という手段によって最も完璧に特徴づけることができるように思われたのである」。

 西洋版画史上の最も偉大な巨匠のひとりとしてのデューラー、ペンあるいはビュランを手に線で描くデューラーと、画家としてのデューラー、色で描くデューラーを並べてみると、後者が前者の陰に隠れがちになることは否めない。デューラーの名はその在世中からヨーロッパに知れ渡っていたが、それはもっぱら彼の版画によってであった。ヴェネツィアの人々は、デューラーを、「版画はうまいが、絵画では色の使い方を知らない」と貶した。デューラーはその誹謗に対抗すべく、《薔薇冠の祝祭》(図2)においてヴェネツィア風の賦彩法を採り入れ、それは、彼自身が友人宛の手紙の中で誇らしげに語っているように、ヴェネツィア人たちからも賞賛を受けるに至った。しかし同時に、ベルリーニが、デューラーの描く髪の毛や動物の毛の細密な描写に感銘を受け、デューラーの用いる画筆に秘密があるに違いないと考えた、という逸話(デューラーの歳下の友人カメラーリウスが伝えている)は、絵画においても余人を驚かせたものが、その線的描写の精緻さであったことを教えてくれるのである。一方、ネーデルラントの人々の捉え方もまた同じであった。例えばエラスムスは、デューラーを古代ギリシアの巨匠アペレスと比較して、次のように述べている。「アペレスがこの芸術分野における第一人者であり、他のいかなる画家も彼に及ばないことは認めよう。……しかし彼は色を用いた。華麗なものではないにせよ、色の助けを借りた。けれどもデューラーには、モノクロームで、すなわち黒い線で、表現できないものがあったろうか。光、影、凹凸……。彼は描けないものさえ描いた。炎、光線、雷……感覚、感情……声といったものまで。彼はそれらのものを、適切な黒い線によって目前に示した。もしその上に絵具を置いたならば、作品は台無しになってしまうだろう」(『ギリシア、ラテン朗読法対話』)。ネーデルラントではまた、デューラーからその銅版画連作《受難伝》を贈り物として受け取ったネーデルラント摂政マルガレーテ女公が、同じくデューラーから献上された亡父マクシミリアン一世の肖像画を、気に入らぬからといって差し返すというようなことも起こった。当時の人々がまず何よりデューラーに求めたのは版画、精緻な線的表現であり、絵画作品ではなかった。そしてその状況は、程度の差こそあれ、一般には今日でも同じであるといえよう。例えば、西洋美術史の概説書として定評があり、邦訳もあるゴンブリッチの『美術の物語』を見ると、かなり長いデューラー関係の記述の中に、《黙示録》、《アダムとイヴ》等の版画作品や水彩画《芝草》の説明はあっても、その絵画作品の名はひとつとして見出せないのである。西洋美術史の歴史的な歩みの中で見たとき、デューラーの版画が新たな時代を導く偉大な源流となったのに比べ、彼の絵画はそれほど重要な意味をもち得なかったのであろうか。

 歴史的な位置づけはさておき、作品そのものを見ても、デューラーの版画作品と絵画作品の比較は、多くの場合、後者に不利なように思われる。ヴェルフーリンは、油彩画《ヒエロニムス・ホルツシューアーの肖像》(図3)における鬚の描写は銅版画《ザクセン選帝侯の肖像》(図4)のそれに劣るとしているが、そのような細部の描写のみならず、全体の構成、表現力においても、彼の絵画は版画に及ばないことが多い。

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図1《書斎の聖ヒエロニムス》
銅版画 1514年
図2《薔薇冠の祝祭》1506年
図3
《ヒエロニムス・ホルツシュアーの肖像》
1506年
図4《ザクセン選帝候、フリードリヒ賢公》
銅版画、1524年