ゴッホの「種播く人」における色彩については、先に引用した箇所にも明らかなように、既にオーリエも重要なものとしての認識を持っていた。彼は、「色彩と線の輝くばかり、眼も眩むばかりのシンフォニー」について語り、しかも、それを、「表現のための手段」、「象徴化のための過程」にほかならないとしているのである。

 オーリエが「色彩のシンフォニー」と言うとき、彼がヴァーグナーの音楽をどれほど意識していたかは定かではないが(註9)、ゴッホ自身がヴァーグナーを「色彩の音楽家」とみなしていたことは、次のような発言から、確かである。

論理的な色彩画家であるモンティセリは、細かく枝分かれした色調の計算に長け、色調に均衡を与えることが出来たのだが、ドラクロワやリヒアルト・ヴァーグナーの場合と同じく、その仕事は彼の頭脳を酷使した。
(書簡507:1888年6月)

すべての色彩を高めてゆきながら、再び落ち着きと調和に達することができる。ヴァーグナーの音楽におけるのと同じようなことが起こるのだ。それは、大オーケストラで演奏されても、それだからといって、決して親密さを失わないのだ。
(書簡W3:1888年3月)

そのような発言のコンテクストの中においてみるならば、さらにゴッホが、

僕は絵の中で、音楽のように何か慰めになることを語りたい。僕は、あの何かしら永遠なるものをもって、男や女を描きたい。かつては光輪がその象徴であった、そして、今、僕達が、光の輝きそのものや色彩の震えによって表わそうとしている、あの永遠なるものをもって。
(書簡531:1888年9月)

と言うとき、そこには、ヴァーグナーの音楽をひとつの手本とした、「色彩の震え」によって「何かしら永遠なるもの」を語る絵画、というイメージが浮かび上がってくる。ゴッホの色彩についての最初の重要な研究であるクルト・バットの『ゴッホの色彩論』(註10)をはじめとし、研究者たちが追求してきたのは、そのようなゴッホの「色彩の象徴主義」であった。

 ゴッホの色彩の象徴主義については、より具体的に、「赤と緑によって人間の凄まじい情念を表現しようとした」(書簡533:1888年9月)という《夜のカフェ》(F463/JH1575)、「さまざまな色調の全体で、絶対的な休息を表現したかった」(書簡B22:1888年10月)という《寝室》(F482/JH1608など)、「額の思想を暗い背景の上の明るい色彩の輝きで表現すること。希望を星で表わすこと。人間の生の激しさを夕陽の輝きで表現すること」(書簡531:1888年9月)と語った《詩人:ウジェーヌ・ボックの肖像》(F462/JH1574)と《パティアンス・エスカリエの肖像》(F444/JH1563)の例などがよく知られているが、《種播く人》の色彩についても、ゴッホは次のように説明している。

昨日と今日、種播く人に取り組んで、完全に描き直した。空は黄色と緑、地面は紫色とオレンジ色だ。たしかに、こういう素晴らしいモティーフで、こういうふうに描かねばならない絵というものがあるのだ。いつか、他の画家にせよ、僕であるにせよ、誰かが、こういうタブローを仕上げることを期待している。[………]ミレーの「種播く人」は色彩に乏しい灰色だし、イスラエルスの絵も同様だ。さて、それでは、「種播く人」を色彩で描くこと、たとえば、(まさに黄と紫で描かれたドラクロワのアポロンの間の天井画のように)黄色と紫色の並列のコントラストで描くことが、可能かどうか? (書簡503:1888年6月28日)

これは6月の《種播く人》(図1)についての発言である。ここでゴッホは、同じ時期に描いていた収穫風景におけるような自然色(実際の対象に基づく色)から大きく離れ、黄と紫、青とオレンジという補色関係を強調している。「僕は現実の色を少しばかり無視した」(書簡B7:1888年6月)とも、彼は語っている。

 実際の自然から離れたのは、そのような色彩だけではない。そもそも、小麦の種播きは2~3月(春小麦)あるいは10~11月(秋小麦、冬小麦)に行なわれるのであり、この作品が描かれた6月は、ゴッホ自身がこのとき多くの作品に描き出しているように、収穫の最盛期であった。この《種播く人》は、実際に眼にした農民の姿の描写ではなく、ゴッホが抱いていた「種播く人」の理念を象徴的な色彩の助けを借りて表現した、概念の所産、ゴッホ自身の言葉で言えば、「構成した絵画 tableau composé」(書簡534:1888年9月)だったのである。

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註9:
彼は、モンティセリとゴーギャンについての評論の中でヴァーグナーの音楽にごく短く言及している――Aurier 前掲書(註3)、1995年版、p.116。象徴主義の詩人であり評論家であるオーリエが、当時評判になっていたブノワによるヴァーグナー論を読んでいなかったということは、ほとんど考えられない。

註10:
Kurt Badt, Die Farbenlehre Van Goghs, Köln, 1961