それに対して、アルルで描かれたもう1点の重要な《種播く人》(図2)(註11)は、11月末の制作という点では、農作業の実際から大きくかけ離れたものではない。しかし、

太陽としてのレモン色の巨大な円。黄緑の空に、薔薇色の雲。地面は紫色で、種播く人と樹はプルシャン・ブルー。30号のカンヴァスだ。(書簡558a:1888年11月25日頃)

と語られた、この《種播く人》が、「頭で描くこと」を強く勧めていたゴーギャンの圧倒的な影響の下に制作されたものであり、6月の《種播く人》以上に理念性の強い作品であることは疑いない。画面前面に大きく押し出された種播く人の頭にかかる「太陽としてのレモン色の巨大な円」を、高階は、明らかに「円光」であるとし、種播く人は「聖なる存在として表現されている」と結論づけている(註12)。ここでは、種播く人の姿は、図像的に見て、イエスその人に最も近付いているのである。

 そのように解釈される「種播く人」と意味的な対をなすものとして注目されるのは、続くサン=レミ時代に描かれた多くの「刈り取る人」、なかんずく、同一構想で3度繰り返された《刈り取る人》(F617/JH12753、F618/JH1773、F619/JH1792、図3)である。

 1889年6月から9月にかけて描かれたこの《刈り取る人》について、ゴッホは次のように説明している。

これは鎌で刈り取る人の習作。全体が真黄色で、ひどく厚塗りだが、モティーフは美しく単純だ。それで、僕は、この刈り取る人に ----------- 灼熱のただ中、仕事をやり遂げようと、悪魔のように闘っている、この朧げな人物の姿に ----------- 、死のイメージを見たのだ。人間は鎌で刈り取られる小麦のようなものだ、という意味でね。だから ----------- こう言ってよければ ----------- 、これは、前に試みた種播く人と正反対のものだ。(書簡604:1889年9月)

人間の生の始まりを表わす「種播き」、それに対して、死を意味する「刈り取り」。

小麦の生涯は、また僕達の生涯でもある。なぜなら、パンを食べて生きている僕達の身体自体、その大部分は小麦で出来ているのではないか。とにかく、僕達は、植物と同じく動くこともままならぬうちに ----------- 僕達の想像力がときにそれを望むほどには、ということだが ----------- 成長し、麦と同じように、熟したときには刈り取られる運命に従わねばならないのだ。(W13:1889年7月)

直接「刈り取り」に言及しているわけではないが、次の箇所も同様な意味合いで捉えることが出来るだろう。

僕は人間の辿る道は小麦のそれと同じだと思う。芽を出すために地面に播かれなくても、それがどうだというのだ。結局は、パンになるために臼で挽かれるのだ。(書簡607:1889年9月)

 ゴッホが、「種播き」の場合と同様、聖書の中で語られた「刈り取り」(たとえば、マルコ4)を背景に、「刈り取る人」の姿に人生の終り、「死」を見たのは確かであろう。アルルでの「種播く人」からサン=レミでの「刈り取る人」への重点の移動は、何度もの深刻な発作を経験したゴッホの生涯の移り行きとも関係を持つに違いなく、そのことは、一層、ゴッホの作品と人との密接な関係を物語るのである(註13)。

 そのような「刈り取り」は、永遠の生命、再生というゴッホの思想の流れの中では、決してネガティヴなものとは捉えられていない。そのことを、ジュディー・サンドは、次のように説明している。

ゴッホがアルルで感じた創造のエネルギーと未来への展望の象徴としての種播きのモティーフは、彼が病気と闘い、死を想うにつれて、作品の中では次第に、農耕における収穫のイメージにとって代られていった。種播く人と刈り取る人とを意図的に対にすることによってゴッホは、種播きと収穫の相互関係を意識していた。種播く人と麦束は、絶えることなく継続してゆく自然のサイクルを境界づける両極として、永遠に展開される神のプランの象徴として、彼にとっては、「永遠のもの」を表わすのであった(註14)。

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註11:
この《種播く人》には、もう1点、同時期に描かれた、寸法の小さな別ヴァージョン(F451/JH1629)が存在する。次に引用するゴッホ自身による色彩の説明は、部分的にはこの別ヴァージョンの方により良くあてはまる。

註12:
高階、前掲書(註6)、p.140。

註13:
「種播く人」と「刈り取る人」が表わされた作品の一覧、「付表1」を参照のこと。なお、圀府寺司は、1885年に「種播く人」の作例が全くなく、逆に「刈り取る人」の作例の集中していることを、同年3月の父の死と関連付けることができるのではないかとしている(Tsukasa Kodera, Vincent van Gogh: Christianity versus Nature, Amsterdam/ Philadelphia, 1990, p.137)。

註14:
Judy Sund, "The Sower and the Sheaf: Biblical Metaphor in the Art of Vincent van Gogh", in: The Art Bulletin, Dec.1988, vol.LXX, no.4, pp.6760-676。引用した部分は p.675。

図3《刈り取る人》
(F618/JH1773) 1889年9月