ゴッホの「種播く人」に関して美術史研究が付け加えた、もう一つの重要な視点は、それがミレーの《種播く人》と、形の上でも意味の上でも密接な関係を持っているということであった。

 ゴッホが「種播く人」を描いた作品は、「付表1-A」に示すように、初期のエッテン時代からサン=レミ時代まで、油彩画、素描を合わせて48点が確認されるが、その多くは、当時から大変有名であったミレーの油彩画《種播く人》(1850年、図4)を手本としたものである。その最初の作例である1881年の素描(F830/JH1、図7)やサン=レミ時代の油彩画(F689/JH1836、F690/JH1837、図8)のように、ミレーの作品のエッチング複製(図5)を模写したもののほか、ハーグ時代の素描(F1035/JH374、図9)やサン=レミ時代の素描(F1603/JH1936、図10)のように、直接、間接に、ミレーの《種播く人》を下敷きとした作品は25点以上にものぼる(註15)。この章で主に問題としてきたアルルでの2点の《種播く人》(図12)もまた、そのポーズにおいて、明らかにミレーの種播く人を下敷きとしたものなのである。

 ゴッホは信仰心に満ちた「農民画家」としてのミレーを深く敬愛しており、その他にも彼の絵をもとにした作品を数多く残している。そのようなゴッホとミレーの関係については既に多くの研究が発表されているが(註16)、それらの先行研究の成果を踏まえ、ミレーの作品の中でもゴッホがとりわけ《種播く人》に強く惹かれた理由を考えるならば、まず第一に、それが明らかな宗教性を帯びていたから、そして第二には、それがミレーの個人的な環境と、そしてさらにはミレー自身の姿と重ね合わせられていたから ----------- より正確に言うならば、そのようなものとして当時解釈され、語られていたから ----------- 、と言うことが出来よう。

 今日に至るまでミレーについての最も重要な情報を与えてくれると同時に、ミレーの人と芸術についての解釈に最も大きな影響を及ぼしているのは、アルフレド・サンシエが1881年に著した『ミレーの生涯と作品』(註17)である。もともとミレーに大きな興味を抱いていたゴッホは、早くも1882年の初めにこの本を手にしているが、その中でサンシエは《種播く人》について次のように書いている。

刈り入れをする人たちのポーズにじっくり取り組みながらも、ミレーは、長い間気にかけていた別の人物像をついに浮かび上がらせるに至った。
農民たちが、種まきの作業をいかに厳かに取り行うかは周知の通りである。畑を耕したり、肥料をやったり、耙(ならしぐわ)で土をならしたりする作業は、それほど気をつかわなくてもできるし、少なくとも英雄的な情熱は不要である。しかし、白い種袋を托され、種まきを引き受けた時には、種を一杯に入れた袋のはしを左腕に巻きつけ、新しい年の期待を胸にふくらませ、いわば一種の聖職にたずさわるのである。彼はもはや一言も発せず、しつかりと前を見て畝と畝の距離を測りながら、儀典歌のリズムに合わせるように規則的な動作で種をまく。大地に落ちた種は、すぐに耙で土をかけられ、おおわれる。
種をまく男の身ぶりと、抑揚のついたその歩みは、本当に堂々たるものがある。その動作は、真実、大きな意味を持っており、種をまく人はその責任の重さを実感している。優れたまき手ならば、種袋から取る種の量と腕の振りとが同じくらいに重要であることを承知していよう。種と母なる大地の産み出す力とを等しく尊く思うであろう。そして彼自身もまた、生命を産む種の一部となる。
私がかつて実際に見た種をまく人たちは、まず手に握った麦を十字形に空に向かって投げつけ、それから耕した畑に足を踏み入れていた。そして畑に入る時、彼らは小声でなにやら意味のわからない言葉をつぶやいた。まるで僧のようであった。(註18

 1850年のバルビゾンでのミレーと同様、1888年のアルルで、まさに一連の収穫の風景に取り組みながら、長い間気にかけていた別の人物像、すなわち「種播く人」をついに浮かび上がらせるに至ったゴッホが、その種播く人に、サンシエの語るとおりのミレーの種播く人の姿を、その形態と意味双方の原型としてイメージしていたことは、想像に難くない。サンシエが、種播く人の姿にミレー自身を重ね合わせて、「たとえ《種まく人》がバルビゾンとビエラ平原で考案され、制作されたとしても、それは[ミレーの故郷である]ノルマンディーへの熱い想いと記憶が常に入り交じったものだったのである」(註19)と記した箇所もまた、南仏にありながら絶えず故郷オランダを胸に思い抱いていたゴッホの姿を髣髴とさせるのである。

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註15:
ミレーの油彩画《種播く人》には、2つのヴァージョンがある(ボストン美術館および山梨県立美術館)。ゴッホが直接の手本としたのは、ミレーの原画に基づいてPaul-Edmé LeRat が制作したエッチングである。ゴッホがエッテン時代以前にもミレーの作品の模写を繰り返していたことは手紙の中の発言から明らかであるが(たとえば書簡135)、それら初期の素描は現存していない。

註16:
近年の代表的なもの二つだけ挙げておく――Louis van Tilborgh(ed.), Van Gogh & Millet, exhib.cat., Van Gogh Museum, Amsterdam, 1988; Louis van Tilborgh(et al), Van Gogh & Millet, exhib.cat., Musée d'Orsay, Paris, 1998。

註17:
Alfred Sensier, La vie et l'œuvre de J.-F. Millet, Paris, 1881. 邦訳:井出洋一郎他訳『ミレーの生涯』、講談社、1998。

註18:
Sensier 前掲書(註17)、p.88。邦訳、p.108 より引用。

註19:
註18に同じ。

付表1
「種播く人」「刈り取る人」作品一覧
図4
ジャン=フランソワ・ミレー
《種播く人》 1850年
図7《種播く人(ミレーによる)》
(F830/JH1) 1881年4-5月
図8《種播く人》
(F690/JH1837) 1889年11月
図9《種播く人》
(F1035/JH374)1883年7月
図10《種播く人》
(F1603/JH1936) 1890年3-4月