北斎の「冨嶽三十六景」は、「藍摺一枚、一枚に一景づつ追々出板、此絵は富士の形ちのその所によりて異なる事を示す」(版元西村永寿堂の広告文)連作で、好評による追加十図を合わせた四十六図を翌々年までに刊行している。「藍摺」とは、舶来の化学染料ベルリン・ブルー、通称ベロ藍を多用した新鮮な色摺りで、洋風の遠近法を活用した風景表現の斬新さとともに、異国趣味を刺戟するその試みは大いに成功した。これ以後、風景画のみならず幕末の浮世絵版画にはベロ藍の使用が不可欠のものとなるのである。欧米列強の軍事力と文化・文明とが日本を圧倒してくる不安と、それとは裏腹の憬れとが、共にこの自然界にはない化学染料の藍の色(実は錬金術の副産物であった)に託されていたと思えるほどでさえある。ともあれ、当時の人々は、ベロ藍の鮮烈な青に、欧米そのものを感じていたことは間違いない。北斎はそうした、流行色が人々に特別の感情を喚起させずにおかないあなどりがたい力を信じ、意識的に活用した、日本で最初の人であったかも知れない。

 洋風の風景表現という新しい魅力を開発することに貢献した北斎に対して、広重は、江戸の町の美しさ、慕わしさを詠嘆的といって良いほどにしみじみと描いて、大衆の関心を誘うことに成功を収めたものであった。そこには行楽を楽しむ江戸人の姿がしばしば登場させられ、そうでなければ、このように見たい、眺めたいという人々の願いを代わってかなえる視線が実に効果的に働いているのである。


◉…理科系の北斎と文科系の広重

 富士山という信仰の対象でもあった霊山を主役として、東は常陸国(ひたちのくに)の牛堀(茨城県潮来市牛堀)から西は尾張国の不二見原(愛知県名古屋市中区富士見町)まで、さらには北の甲州側や南の駿河(するが)方面からと、諸方から眺め見た北斎の風景画は、当時の人々の大方の意表をついて斬新であった。役者絵方面での写楽の登場に匹敵する衝撃を与えたことであろう。その人気は、版が磨滅して富士山の輪郭線が欠けてしまい、〝赤富士〟の異名をもつ「凱風快晴」(カラー図版67)を、全面ベロ藍で摺って〝青富士〟とごまかさざるを得なかったほどですらあった。今でも、その赤富士や〝大波(グレート・ウエーブ)〟こと「神奈川沖浪裏」の図は、世界中の人々から愛され、おそらく日本の絵の中でもっとも良く知られた作品と言って過言ではないだろう。

 最近ある座談会でご一緒したとき、北斎研究家の永田生慈氏は、次のように興味深い発言をされ、啓発された。


これは私の説ですが、北斎の「冨嶽三十六景」や「諸国滝廻り」は、本当に風景版画として出したかは疑問だと思う。なぜかと言うと、富士山なら富士山が見る場所や季節や気象条件でどう変わるか。「滝廻り」だと、落下する水がその条件によってどう変わるか。同じものを幾つも追求する。つまり北斎の興味はそういうところにいっているんですね。(略)明らかにそれ以前の名所絵と、北斎がその後目指したものは違うと思う。
(「座談会──北斎・広重と東海道」『有鄰』四〇〇号所収)

 これに合の手を打った司会の篠崎孝子氏は「理科系の頭脳だったんですかね」と評されたが、そのひそみにならうなら、広重は「文科系の感性」で名所絵の伝統をひく風景画に傾いていたといえようか。

 名所絵といえば、古く平安の昔から日本の絵画の重要な一ジャンルとして愛好されてきた。そこで描かれる諸国の名所(めいしよ)とは、単に風光の明媚が賞されただけではなく、和歌に詠まれることの多い名所(などころ)、すなわち歌枕が絵画化されたものであった。

 武家に出身した広重が、古典に魅かれがちな心性をおのずから備えていたことはすでに触れたが、彼が江戸や諸国の名所を描こうとしたとき、名所絵の伝統とともに四季絵という、やはり大和絵の古き良きもう一つの流れにも乗ろうとした。春夏秋冬の季節に応じて移りかわる日本の自然のこまやかな様相を、なつかしい詩情をこめて重ね焼きしたのである。

 たとえば、広重風景画の記念的な初作「(一幽斎がき)東都名所」においても、江戸の町に見出せる四季の表情が、その土地ごとの馴染み深い景物になぞらえて描きとめられているのである。その画題を列挙するだけで、広重の名所風景画の特質がおのずから浮かび上がってくる。


 洲崎(すさき)雪之初日

 新吉原朝桜之図

 御殿山之夕桜

 隅田川葉桜之景

 芝浦汐干之図

 真崎(まつさき)暮春之景

 佃島初郭公(つくだじまはつほととぎす)

 忍ヶ岡(しのぶがおか)蓮池之図

 両国之宵月(挿図14

 高輪(たかなわ)の明月


 新吉原遊廓の大門(おおもん)付近の朝景色を除けば、あとの九図はすべて海や川、池に臨んだ水辺のアメニティ・スポットに取材しており、季節や朝夕の変化による江戸の町の快い自然景を情趣たっぷりに味わわせてくれるのである。まさに文科系の風景画であるが、ここでも洋風の遠近法が駆使されており、日や月の光の効果にも敏感に反応して、新時代の造形感覚を大胆に主張していることも忘れられない。

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挿図14