◉…風景画の虚と実

 一つの山を主題としたという点で、北斎の「冨嶽三十六景」は、セザンヌの「サント・ヴィクトワール山」連作のお手本となったことでも知られている。また、エッフェル塔を扱ったリビエールの「エッフェル塔三十六景」は、もとより直接的なその翻案であった。

 ヨーロッパ近代のアーティストを刺戟したように、そして永田氏が指摘するように、北斎は特定の対象を自己の個性的な造形世界の内に取り込み、様々に変容させて楽しむことを好んだ。富士山や滝のほかにも、諸国の海や川を扱った「千絵(ちえ)の海(うみ)」や、橋を中心として風景を作った「諸国名橋奇覧(しよこくめいきようきらん)」などのシリーズ物を送り出しているのである。

 視覚の奇をてらい、非日常的な光景を幻出する北斎の風景画に対して、晩年になってからではあるが広重は、自分のそれと比較しながら次のように評論している。北斎の絵本『富嶽百景』を受けて版行した『富士見百図』という絵本の序文で、亡くなる前の年、安政四年(一八五七)に記されたものである(刊行は没後の同六年のことなので一部には序文を広重の自作と信じない向きもある)。


葛飾の卍翁、先に富嶽百景と題して一本を顕す。こは翁が例の筆才にて、草木鳥獣器材のたぐひ、或(あるい)は人物都鄙の風俗、筆力を尽し、絵組のおもしろきを専らとし、不二は其あしらひにいたるもの多し。此図は、夫(それ)と異にして、予がまのあたりに眺望せしを其儘(まま)にうつし置(おき)たる草稿を清書せしのみ。小冊の中もせばければ、極密には写しがたく、略せし処(ところ)も亦(また)多けれど、図取は全く写真の風景にして、遠足障(さわり)なき人たち、一時の興に備ふるのみ。筆の拙きはゆるし給へ。


 要するに、絵組のおもしろさ、構成の奇妙を狙って、主題とする対象を勝手に取り合わせの材料とする北斎の造形法とは違って、自分の絵は現場で写生したスケッチに忠実な、富士を対象とする「全く写真の風景」だというのである。

 山でも滝でも、あたかも猫が獲物の鼠をいたぶるようにもてあそんでやまない北斎に対して、広重は写真、すなわち真を写しとる姿勢を守ろうというのが、額面通りの広重の本音であっただろう。たとえ実際の作画に当たっては、すでに多くの指摘がなされてきたように、先行の図を種本(たねほん)として参考にすることがあったとしても、「真を写す」という東洋伝統の絵画論には忠実であろうとしたに相違ないのである。「写真」とは、現実の外面や表層の姿をそれらしく写すことだけで達成するものでなく、それがかくあるべき真実の相を確実にとらえることだからである。

 広重はやがて「(保永堂版)東海道五拾三次之内」(天保四・五年〔一八三三・三四〕刊)という一大ヒット作を生み、江戸の名所絵のみならず、「近江八景之内」や「京都名所之内」(ともに天保五年頃の刊行)など諸国の名所絵なども続けて世に問うていく。それらはいずれもさかんな喝采を受けて、遂には先輩の北斎を風景版画の分野から駆逐してしまうまでになる。

 ところで、理に勝った理科系の北斎風景画と、情にすぐれた文科系の広重名所絵と、あなたははたしてどちらがお好きでしょうか。世の中の人の好みは、今も昔も北斎派と広重派とに分れるようである。


◉…ドライな花とウェットな鳥

 北斎と広重はまた、花鳥版画でも姸を競ったものである。そしてこの分野においても二人の性格は明瞭に表われていて、同じ尺度でその良し悪しを計ることはできない。北斎の花鳥画はつねに造形の緊張感において充実しており、広重のそれは詩情の表現に一段と優っているのである。

 たとえば、北斎の横大判の花鳥シリーズ全十枚の内から「芥子」を選んで鑑賞してみよう(挿図15)。淡い藍色の背地に赤い芥子の花が数輪、風にたわんだ茎の上に付いている、ただそれだけの図柄である。同じ北斎の風景画の傑作、「冨嶽三十六景・神奈川沖浪裏」の大波のうねりを思い起こさせるような、劇的な構成であり、その動勢の強さ、たくましさは感動的でさえある。しかしながら、芥子の花といえば開花後すぐに散る一日花であり、「散り際は風もたのまずけしの花」(其角)と俳句にも詠まれるようにはかない花という印象が強い。しかしながらここでは、そうしたこの花に託したい人々の気持をむしろさかなでするかのように、激しい風にあらがい立ち向かう毅然とした図像をとらされている。その凜として雄々しい姿は、あたかも画家北斎の自画像に擬せられているようにすら見えるのである。

 一方、広重花鳥画の好例としては、第二次世界大戦後まもなく記念切手(昭和二十四年十一月の郵便週間記念)となって一般によく知られている「月に雁」(中短冊判、三七・四×一三・〇センチメートル、カラー図版93)があげられる。

 縦長の画面を、右上から左下へ向かって対角線状に、三羽の雁が飛んでいる。その背後には丸い大きな月が半分だけ切り取られて右上に浮かび上がり、下方には月光に照らされて白い雲と青く涼しげな秋の空とが表される。そして左上の余白に「こむ(ん)な夜が又も有(あろ)うか月に雁」の句が記されている。

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挿図15