性器を格別目立たせた像(イメージ)(主として図絵、ときには立体物)は、戦場における個人の除災や味方の戦勝のための呪術的効果が期待され、古今東西にわたって広く遍在している。日本ではそれが男女交合の秘画(勝絵(かちえ)とも呼ばれた)となって、武将の鎧櫃(よろいびつ)などに仕舞われ、出陣の供となる慣いがあったという。そうした効能やご利益(りやく)が実際に期待されたのは事実であろうが、かたわら、死と向き合う戦さの場で過剰な緊張を解く娯楽と慰安の種になったことも確かだろう。また、火災を除くまじないとして一家に一本の春画を備え置くべしとしたとも伝えるが、こうした民俗に陰陽交合の呪術性が期待されたことは疑い得ないと同時に、身近に置いて楽しむための巧妙な言い訳け(エクスキユーズ)として伝承され続けた、という現実もあったことだろう。

 春画の絵巻が、性の教科書代わりに機能させられることも確かにあったらしい。江戸時代にはそれが上下の各層に及んだもののようで、商家の母親が嫁ぎ行く娘にそれを手渡している様子を描いた錦絵もある。喜多川歌麿の寛政中期の作品で「鍵屋お仙と高島屋お久」(挿図3─57)それに「本柳屋(もとやなぎや)お藤と難波屋(なにわや)お北」(挿図16)の二図である。それらは、明和年間(一七六四〜七二)のミス江戸と評判の高かった町娘(お仙とお藤)が、約三十年後のミス江戸(お久とお北)に、母から娘に授けるように巻物を手渡しているところを描いている。これらの図が含意するところはなかなか複雑で、若干の説明を必要とするだろう。

 明和のお仙やお藤は、錦絵草創の頃に鈴木春信によって描かれ、評判に評判を呼んだ人気の町娘であった。その彼女らが年を経て母親の代となり、歌麿の版画によって寛政の二美人ともてはやされるお久とお北に巻物を手渡しているという図であるから、これらは、母から娘への春画の授与、そして一方では美人となるべき資質を伝える虎の巻の下賜、つまるところは春信から歌麿への浮世絵美人画正統の継承をこそ表象していると見られるのである。

 こうした屈折した表現手法が可能となるには、肉筆春画の絵巻物が婚礼用の調度品として用意されるべきとの、一般の了解がなければならなかった。春画は、人の一生の節目に出会うことの多い社会的な必需品でもあったのである。

 もとより、大人の娯楽品として性愛を直接題材とした春画が歓迎されたことはいうまでもない。木版画による複製が発達した江戸時代には、春画の版画連作や版本が大量に作られ、消費されたこと、周知の通りである。その歴史は浮世絵の歩みとほぼ重なって、寛文年間(一六六一〜七三)の頃から盛んとなった。菱川師宣、杉村治兵衛に始まり、奥村政信、鈴木春信、礒田湖龍斎、鳥居清長、喜多川歌麿、勝川春潮、葛飾北斎らの名手が、この分野での版画表現に多様な可能性を開いてくれた。清長の『袖の巻』や歌麿の『歌まくら』は、中でも男女の性愛の美しさ、楽しさを描き表したエロティック・アートの名作として、世界に冠たるものと推奨し得るものなのである。


◉…大人の笑い絵

 オランダの歴史学者ホイジンガ(Johan Huizinga 一八七二〜一九四五)が、人間をホモ・ルーデンス(ラテン語homo ludens)、すなわち「遊びをする人」と規定したことは、よく知られている。私たちは、ただ生きるためだけでなく、よりおいしく食べようと料理に工夫をこらし、子を生む目的だけでなく性の快楽にも貪欲であり得るのである。

 性に遊ぶ趣味や嗜好は人によって千差万別であること、口腹の欲望と同様である。甘く柔らかな薄味を好む人がいるかと思えば、塩辛く、香味の強いものでなければ満足しない人もいる。人に強要したり迷惑をかけるのでなければ、お好きなようにと、平静でいられるのは、食欲の場合に限られるようであって、とかく性欲の方面には自分の好みを押しつけがちなのはどうしてだろうか。快・不快の偏りが大きく分かれて、自分の理解が及ばない局面に対してはすぐに異常とか変態とか非難がましくなってしまう。私などは生来いい加減な性(たち)だから、残酷なことやきたならしいことにはすぐに目を覆ってしまう弱虫の癖に、「お好きならば存分にどうぞ」と、セックスに対しても極めて寛容なのである。いい加減で弱虫だからこそ、あってはならないようなことをファンタジーとしてせめて絵でだけでも見たいという卑しい欲望も、許してあげられるのである。

 さて、これまで、ほぼ春画という用語を使ってきたが、現在ではShungaと外国でも表記されるのが普通となった日本の性愛画については、古来様々な言葉が用いられてきた。古くは先に述べた「おそくづ(偃息図)」の絵や勝絵、さらには枕絵ないし枕草紙といい、秘戯画とか秘画、艶画、笑い絵、ワ印(じるし)などとも呼ばれた。版画については艶本(「えんぽん」ないし「えほん」)、会本(えほん)、春本(しゆんぽん)、笑い本の別称もある。

 これらの用語の内で、笑い絵や笑い本の隠語としてその頭文字をとったわ印というのが、事の本質を素直に取っていて好ましいと、私は思っている。

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挿図16