通勤や通学の電車の中で、物を食べたり飲んだりする若者が増えてきたと、多くの大人が嘆いているこの頃である。なぜに眉をひそめるかといえば、飲食する姿というものは、おしなべて美しくなく、おかしくも物悲しいものだからである。親しい人だけには見てもらっても良いが、できることならそれも口元までをじっと見つめられたくはない、そう思うのが少なくとも古いしつけを受けてきた大人たちの感じ方なのである。

 電車の中といえば、人前で抱き合ったり、キスをしたりする若い男女に目のやり場が無くてこまる経験も多くなった。ほほえましいというような例はごく稀で、やはり人目に触れさせるようなものではないのが普通だ。

 幸いにいまだ車中で性交の現場に出くわしたことは無いが、できることならそのようなものを目撃しないでこの世を去りたいものである。セックスは、ホモ(同性)であれ、ヘテロ(異性)であれ、人の目に触れて美しいというようなものではないだろう。じかに目撃したならば、それはきっと物悲しく、おかしいものに違いない。鏡に映るおのれの姿の醜さにたらりたらりと油を垂れるという蝦蟇(がま)のように、冷静な視線で自分自身の姿を見ることもおぞましかろうと思われる(性の好みは異なるので喜び亢奮する人がいても良いが……)。

 その悲しく、おかしい姿も、絵という仮象に遠ざけて、想像の翼を広げたファンタジーとして観賞すれば、楽しく笑える余裕が生まれる。独りで、あるいは仲の良い二人で、そして時には大勢で、ほほえんだり哄笑したりするのが、本来の目的にかなっているのである。

 かつての封建の世にあっては、男も女も道徳の抑圧は重く、普段の表向きの生活は不自由なものであった。男はまじめに家業にいそしみ、家の者には厳格な風を装わなければならなかった。女性は一夫にのみ仕え、貞淑の様を守って好色がましい振舞などはもってのほかであった。しかしながら、そのように硬直した社会であったからこそ、息抜きの裏の時間や場所が必要だったのである。

 男には遊里があり、女には歌舞伎や戯作(げさく)の娯楽があった。それらの、仮に設けられた浮世という別世界や、虚構の劇や小説の世界において、現実の人生の憂さや辛さを解消させていたのである。春画もまた、その一助として、男女のいずれもに愛好されたのである。

 春画の機能として確かに、厄除けや性教育の教材、タイモン・スクリーチ氏のいう〝片手で読む絵〟(講談社選書メチエ『春画』)として自慰の助けとなることもあっただろう。しかしながらもっと広い了解としては、現代にあふれている性的な楽しみを提供するメディアと同じように、他愛もなく遊び興じるものだったはずである。「笑い」の語が性そのものを意味したことは承知しつつも、字義を広げて「笑える絵」とも解釈されてくる。

 春画は、上層の人はもとより庶民の手にも届けられた、笑いを催す性愛描写の慰み絵であり、とりわけ江戸時代の社会が質高い作品を数多く生み出すことのできた、余裕の産物であったと考えている。


四…浮世絵はいかに表現されたか

版画制作のシステム

◉…錦絵の出来るまで

 浮世絵の歴史は、歌麿や写楽、北斎や広重など、下絵を描いた絵師の名によって語られるのが常だが、木版画制作の実際は、彫師や摺師の技術に頼るところが大きかった。彼ら彫刻刀や馬連(ばれん)と呼ばれる摺り道具をあやつる技術者の名前は、錦絵技法の開発期や爛熟期の短期間にのみ画面に記されることがあったが、多くの場合は縁の下の力持ちという役割に甘んじて、功を誇る機会を得なかった。

 しかしながら、歌麿の美人画の柔らかな肌を輪郭する優美な線や着物のひだをたたみ込む衣文(えもん)線の切れ味の鋭い線を彫り分けた彫師の技(わざ)や、広重の風景画の微妙な濃淡をぼかし摺る摺師の名人芸がなかったなら、浮世絵版画の魅力はよほど減殺(げんさい)されてしまうに違いない。錦絵の美しさは、絵師による下絵の提供と色分けの指示で終わるのではなく、仕上げの良し悪しは協力する彫師や摺師の腕次第だったのである。

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