版画に役者絵という人気のある分野を確立させた功労者として、鳥居清信(きよのぶ)(一六六四〜一七二九)と鳥居清倍(きよます)(生没年不詳、清信とほぼ同時期に活躍)の二人がいる。彼らは、元禄から宝永・正徳(一六八八〜一七一六)にかけて、すなわち広い意味でいう元禄歌舞伎の、豪快かつ豊麗な雰囲気を、荒事を得意とする二代目市川団十郎や上方下りの女形役者沢村小伝次らの名優の、舞台上の姿絵を通して如実に伝えてくれている。いまだ素朴な彫刻刀の切れ味を宿らせて、墨摺絵や丹絵の縦大々判(約五五×三二センチメートル)の大画面に、一人か、せいぜい二人のからみで役者の全身像を描き出すそうした初期役者絵は、たくましく、あるいはつややかな色気を発散して、魅力的である。とくに団十郎らの荒事芝居の演技にふさわしい描法として、〝瓢箪足(ひようたんあし)・蚯蚓描(みみずがき)〟という独特の役者絵描法を開発、以後長く鳥居派のお家芸として伝える基礎を固めたことも特筆される。瓢箪足とは、筋肉の隆起を表すために手足に極端なくびれを入れる描き方であり、蚯蚓描とはダイナミックな動きのリズムをとらえるためのくねるような太い描線をさして言ったものである。いずれも、仁王像などの仏像や仏画の技法を参照して工夫した、力感と動勢を際立たせる描法であった。

 歌舞伎は野郎歌舞伎といって、野郎こと男のみによって上演される特殊な様態の演劇であったから、女性の役もすべて男性が演じるという不自然さを前提としていた。しかしながら清信や清倍ら初期の役者絵にあっては、いずれの女形役者も、その頃の理想的な美人像の類型に合わせて豊満な体躯を与えられ、しなやかで流麗な線描によって役柄の要求する艶姿をとらされており、男の臭いをどこにも感じさせない。

 荒事の役者も、和事(わごと)や女形の役者も、表され方は対照的であっても、類型化、様式化されていることは同様で、役者の名前が画中に記されるか、あるいは団十郎なら三升(みます)などの家紋が示されるかしなければ、誰を描いた役者絵か分からないようなしろものだったのである。

 実際の役者の容姿に似ているかどうかということが大事なのではなく、特定の芝居の特定の役柄にふさわしく描き出すことが、一般の芝居愛好家から強く期待されたのであった。浮世絵の役者絵が似顔を求めるようになり、様式美よりも肖似性を優先させるようになるには、なおかなりの時日が必要とされたのであった。


◉…役者似顔絵の誕生

 舞台上の役者には二重の人間像が現れているものである。一つは、役者が生まれつき備えもつ現実の身体と顔立ちであり、もう一つは役柄を演じている虚構の身のこなしと表情である。その実と虚との二重の図像が破綻なく重ね焼きされた時、もっとも質の高い役者絵が完成されることになる。

 鳥居派の初代と二代、清信と清倍によって始められた役者絵版画は、三代目を継いだ鳥居清満(きよみつ)(一七三五〜八五)によって類型化の極点に到達する。宝暦年間(一七五一〜六四)の頃には、細判という小さな画面サイズにとらえられた役者たちは、あたかも籠(かご)の中の鳥のように、可憐ながら生気の薄い存在になり下がってしまうのである。

 浮世絵版画が錦絵時代に入る明和年間(一七六四〜七二)に、役者絵は歴史的な節目を迎えることになる。折しも盛んとなってきた実証主義的な時代精神にも支えられ、役者の似顔を前面に押し出そうという試みが、役者絵専科の鳥居派をさしおいて、追求されることになる。その推進者は、勝川春章と一筆斎文調(ぶんちよう)(生没年不詳)の二人で、一枚絵に新鮮な役者似顔絵を発表するほか、共著となる色摺りの役者絵本『絵本舞台扇』(明和七年・一七七〇刊)に、写実的な役者画像という記念的な成果を集大成してみせたのであった。

 歌舞伎という演劇が本質的にもつ様式美を損なうことなく、役者個人の似顔をも調和よく備えた勝川春章の役者絵は、しだいに文調の影を薄くさせ、時代の好尚にも迎えられて人気を独占していくことになる。鳥居派四代目の鳥居清長は、門人筋から一門の代表者に推されて成った者だが、版画の世界では美人画を主力として活躍し、役者絵版画の制作は春章とその高弟春好、春英、そして後に北斎と改名する春朗らに委(ゆだ)ねて、ほぼ撤退してしまう(わずかに役者と共に地方(じかた)の太夫たちも登場させる「出語り図」に存在をアッピールしたに過ぎない)。しかしながら鳥居派は、歌舞伎の看板絵や番附絵など劇場関係の作画の仕事は独占したままに、遠く現在に至っている。鳥居派の当代は九代目で、鳥居清光氏が女流ながら健筆を振るって伝統を死守しているのである。

 春章死没直後の空白期、寛政六年(一七九四)に彗星のごとく登場し、役者絵の備えるべき二重の人間像に完璧ともいえる答を出し、一年足らずであっという間に退場したのが、鬼才東洲斎写楽であった。写楽はまことに空前絶後の役者絵作家と賞讃すべき存在に違いないが、ここはその芸術性が称えるのにふさわしい場ではあるまい。関心の向きは、拙著『写楽』(至文堂版『日本の美術』一三九号)ほか類書を参照されたい。ただ一言私の立場を明らかにさせておけば、写楽を他の同時代の画家、たとえば北斎などとの同一人物視する見方、考え方には同調することができない。「写楽は写楽」で、それ以外の何者でもないと確信している。

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