そのような〈私性〉を発現させる風流への志向は、男性貴族だけのものではなかった。女房達は、儀式や遊宴に臨み、装束や持ち物の美に心を傾け「えもいはず挑み尽くした」のであった。襲の装束の色目、織りや繡りの文様や飾りの取り合わせの趣向、扇の絵。たとえば禎子内親王の裳着に供奉した乳母は、「唐衣、裳の腰など、山を立て、水を流し、置口をし、螺鈿、蒔絵をし、筋をやり、玉を入れ、すべてえもいはぬ事どもをした」衣装を身につけたという(『栄華物語』巻十九御裳ぎ)。

 みやびを追求し、〈私〉の固有性を託する風流の精神は、過差(贅沢さ)と奇巧(奇抜さ)を軸に、豪華さや精妙さ、珍奇さを競う王朝の飾り世界を現出させたのである。

風流精神と宗教的熱情の合一

 日本三景のひとつ、安芸宮島の厳島神社は、平清盛が一族の繁栄を願って奉納した平家納経、安徳天皇御調度と伝える古神宝類、美しい彩絵檜扇など、王朝の精華が伝来したことでも有名である。なかでも平家納経は、富者清盛が主導する平家一門の大記念事業であったと推定され、その規模の雄大さといい、美々しさ、華麗さといい、まさに贅を尽くした王朝の過差の好例といえるだろう。願文をふくめ全三十三巻のこの豪華な装飾経は、その結構、細部、あらゆる面にさまざまな趣向が凝らされ、院政期の作善(さぜん)のありさまをしのばせている。

 表紙絵や見返し絵は、じつに多様であって、装厳具や種子、蓮池など仏教に関する象徴的な図様(法師品や安楽行品、人記品等)があるいっぽうで、経典の内容を具体的に絵画化するもの(竜女成仏を描く提婆品や旅人危難を描く普門品等)、宮廷貴族の信仰生活をあたかも物語絵の一齣のように描くもの(序品や勧持品等)など、図様の性格は変化に富み、また描写の形式も経典絵風、やまと絵風と幅広く、料紙の工芸的加飾の技法も多彩である。

 平家納経は、まさしく王朝の技法と表現の結集、その爛熟した果実であり、美術史上、様式的にもまた制作背景といった面においても重要な作品であるが、ここではとりわけ次の3点に注目しておきたい。第一は、飽和点に達しているかのように過剰な金録加飾である。おそらくそこには、当代一の富者となり権力の中枢にいた平清盛とその一族の美意識、すなわち家の風(ふう)がおおいに関わっているにちがいない。第二には、厳王品表紙や序品・薬王品・法師功徳品見返しなど、表紙や見返しまた本紙の表裏に、葦手をつかった歌絵表現が見られることである。歌絵とは一種の判じ絵であるが、そのような知的遊戯、奇の趣向に富んでいることは注目すべき点である。第三には、これが法華経二八品を一品ずつ一巻につくる一品経であって、それぞれの巻の趣向がより集い競い合う構造、すなわち競合の美を示していることである。(法華経二十八巻に、開・結の無量義経、観普賢経、そして阿弥陀経、般若心経、清盛の題文という全三十三巻の構成は、おそらく観音菩薩の三十三身になぞらえたものであろう。なお、現在の般若心経は当時奉納のものではなく、仁安二年[1167]に新たに奉納されたものである)

 とくに第三点について、いま思い起こされるのは、『栄華物語』巻十六もとのしづくに記された皇太后妍子の女房達による治安元年[1021]の結縁経のいとなみである。三十人の女房達が一人一巻ずつ製作を担当(=結縁)したこの一品経は、紺紙金泥経あり、経文の内容を描きだす表紙や見返しをつけた経ありと、それぞれ趣向をこらした仕上がりであった。玉の軸や七宝の発装・題簽をつけるという、この豪華な装飾経は、「経とは見え給はで、さるべきものの集などを書きたるやうに見えて」と評されている。

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