1827年の4月のある昼下がり、老人と若者が1枚の絵を眺めていた。老人に問われるままに、若者は描かれた情景について語り始める。「いちばん奥には、たいへん明るい空が見えます。陽が沈んだばかりのようです。同じく遥か彼方に村と町がひとつずつ、夕映えのなかで輝いています。画面のまん中に道があって、羊の群れが村へと急いでいます。右手には干草の山が並び、今しがた干草を満載した荷車があります。その脇では、馬具をつけたままの馬が草を喰み、そばの繁みの中でもあちこちで子馬をつれた母馬が草を食べています。このまま夜も外にいるのでしょう。さらに手前には大木がかたまって生えており、最前景左手には、家路をたどる農民たちがいます」

 すると老人は、画中の光の向きについてさらに問い掛ける。このソクラテス風の誘導により、若者は、前景の農民たちとその向こうの木立とが相反する側から照らされているという、自然にはあり得ない状況が起こっていることに気付く。そこで老人は、芸術の自律性を自然の必然性に優先させることにより、かえって現実の自然よりも自然らしく美しい自然を画中に現前させているところに、この絵の作者ルーベンスの偉大さを指摘するのである。老人に傾倒し、自然について、人間について、そして芸術について、彼が日々親しく語りかけてくれる言葉を忠実に書き留めるのを喜びとしていた若者、すなわちエッカーマンは、この対話の一部始終も記録に留めた。そこでわれわれは、晩年のゲーテのルーベンス評と、それに託して披瀝された彼自身の芸術観を知ることができるわけである。(エッカーマン『ゲーテとの対話』第3部、1827年4月18日)(註1

 文中の描写に一致するルーベンスの風景画は、18世紀以来フィレンツェのピッティ宮(現美術館)にある《野良帰り》(図1)である。しかし、ヴァイマルにいるゲーテとエッカーマンが眺めていたのは原画ではなく、その構図を写した版画(版刻者名は出てこないが、おそらく図2)であった。原画を直接モデルにした版画の通例として、エッカーマンが描写している構図は原画と左右逆になっている。版画化すれば、原画の色彩は線の密度の変化に置き換えられてしまうし、図柄の細部が変わっている可能性もないわけではない(図2の場合は、画面の幅がやや狭くなり、人物や干草の山が心持ちスマートになっている以外は、驚異的に忠実な再現である。ただしエッカーマンの描写は版画と完全に一致しているわけではない。たとえば前景右手の荷馬車は言及されていない)。しかし、ゲーテとエッカーマンはそうした複製版画の限界には頓着せず、ルーベンスその人の作品を目の前にしているかのように彼の芸術について論じている。

 写真による機械的な、それゆえ「正確」な複製に慣れてしまった私たちにとって、版画が原画の代わりを務めるというのは馴染みにくい状況だが、実際には、写真製版の技術が確立される19世紀末まで、他のメディアで実現された構想を伝達することは、版画の主要な役割の一つだったのである。実作者であれ愛好家であれ芸術に関わるすべての人が知っておくべき「名作」、という観念が成立したのは16世紀初頭と考えられるが、盛期ルネサンスの巨匠の作品や古代ローマ彫刻を写した版画が制作されるようになったのは、まさにその頃だった(版画自体はそれより早く、木版画が14世紀末、銅版画(註2)が15世紀初頭に出現している)。

 版画は単に鑑賞されただけではない、複製、オリジナル・デザインの別なく、修業の手本として活用された。ルーベンス自身、少年時代にホルバインの木版画集『死の舞踏』(3)を素描で摸写している(図4)。修業を終えた画家が他者の作品を発想源として利用する場合も、いながらにして豊富な情報を入手できるというわけで、版画は大いに重宝された。ルーベンスの初期作品《アダムとエヴァ》(図5)は、ラファエロの原案に基づくマルカントニオ・ライモンディの版画(図6)を踏まえている。また、ルーベンスの《キリスト降架》(1611~14年、アントヴェルペン、大聖堂)を写したフォルステルマンの版画(図7)は、レンブラントの同主題の作品(図8)の出発点になった。

  • 図5
    ルーベンス《アダムとエヴァ》、1598~1600年頃、板・油彩、180.3×158.8㎝、アントヴェルペン、ルーベンスハイス
  • 図6
    マルカントニオ・ライモンディ版刻(ラファエロ原案)《アダムとエヴァ》1512~14年頃、銅版画
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註1:
Johann Peter Eckermann, Gespräche mit Goethe in den letzten Jahren seines Lebens 1823-1832, Herausgegeben von Christoph Michel unter Mitwirkung von Hans Grüters, Frankfurt am Main, 1999, pp.602-3. 原書は1836年(第1部と第2部)、1848年(第3部)に刊行。


註2:
銅板にビュラン(彫刻刀)で図柄を刻むエングレーヴィング(彫刻銅版画)と、銅が酸で腐食する性質を利用して間接的に図柄を表すエッチング(腐食銅版画)があるが、本稿でいう「銅版画」は原則として前者をさす。

図1
ルーベンス《野良帰り》
1630年代後半、板・油彩、
121×194㎝、
フィレンツェ、ピッティ美術館
図2
スヘルテ・ア・ボルスヴェルト版刻《野良帰り》
1640年代、銅版画、44.3×63㎝
図3
ハンス・ホルバイン『死の舞踏』より、1538年、木版画
図4
ルーベンス『死の舞踏』の摸写素描、
1600年以前、ペンとインク、
10.4×7.6㎝、アムステルダム、個人蔵
図7
リュカス・フォルステルマン版刻
《キリスト降架》
1620年、銅版画、56.8×43㎝
図8
レンブラント《キリスト降架》
1633年、板・油彩、89.4×65.2㎝、
ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク