今年2001年は「日本におけるイタリア」年だという。イタリアを紹介する多くの催しが行われる予定だが、美術の分野で傑出した伝統を誇るこの国が、特に美術展の開催に力を入れているのは当然であろう。去る3月20日に東京、上野の国立西洋美術館で始まった「イタリア・ルネサンス――宮廷と都市の文化」展は、記念行事として企画された幾つかの美術展の最初を飾るにふさわしく、質量ともに圧倒的な内容で見る者を魅了する。会場を埋める全178点の絵画・彫刻・工芸の中には、かつてピエロ・デラ・フランチェスカに帰せられたこともある(本展ではルチャーノ・ラウラーナまたはフラ・カルネヴァーレ作と推定)《理想都市の景観》、ラファエロの《ラ・ヴェラータ(ヴェールの女)》、ミケランジェロによる胸像彫刻《ブルートゥス》、そしてティツィアーノの《フローラ》や《ピエトロ・アレティーノの肖像》など、美術書にしばしば登場するおなじみの名作も少なくない。一方、さほど知られていない作品も総じて質が高く、西洋文化の「黄金時代」の栄光を十分に体現している。絵画や彫刻と並んで、装飾写本、タペストリー、陶器、貴石を用いた工芸品などが数多く出品されていることも、イタリア・ルネサンス文化の豊かさをより的確に伝えるものである。この展覧会を訪れる者は、イタリア・ルネサンスに関するかぎり世界有数の美術館にいると考えてよい。ただし、それは7月8日の閉会までの3カ月半しか存在しない「束の間の美術館」である。
 美術展覧会というものは今日きわめて自然に生活の中に溶け込んでおり、実際に行くかどうかは別として、誰しもその存在を当然のこととして怪しまない。しかし、ものごとにはすべて歴史がある。当初、現在理解されているような意味での美術展は存在しなかった(美術館についても同じことが言える)。ある時期にその萌芽が見られ、やがてさまざまな変遷を経て、今日の美術展の形式が定着する。もちろん、定着し、制度化されたからといって、美術展というものが今後もこのまま続く保証はないし、もしかすると続くべきではないかもしれない。
 イギリスの美術史家フランシス・ハスケルの『束の間の美術館――昔の巨匠の絵画と美術展の発達』(Francis Haskell, The Ephemeral Museum: Old Master Paintings and the Rise of the Art Exhibition, Yale University Press, New Haven and London, 2000)は、まさにこの歴史を論じた書物であるが、本書を過去の記述に終わらせていないのは、現在の美術展のあり方――著名作品の国際的な規模での貸し借りを前提として開かれ、世界中から多くの観衆を集める大型美術展(いわゆる「ブロックバスター」)が中心――への著者の深い危惧が随所に(特に巻頭と巻末に)記されていることだ。それは遺言としての意味をもつことになった。著者は刊行に先立って、2000年1月に他界している。序文を寄せた友人の美術史家ニコラス・ペニーによれば、ハスケルが美術展の歴史についての連続講演を書物として刊行する意思を固めたのは、病を得て余命が幾許もないことを知った1999年末だったという。
 フランシス・ハスケルの72年の生涯(1928年生)は、現代でも決して短いとはいえない。彼は1995年の退職まで長らくオックスフォード大学の美術史学教授を務め、1963年の著書『パトロンと画家』以来、幾つかの画期的な研究成果を世に問うている。彼が20世紀後半の欧米の美術史学界の重鎮の一人であったことは疑いもない。しかし、我が国ではその名を知る者は美術史の専門家に限られるだろうし、著書はいずれも未訳である。これは非常に残念なことといわねばならない。というのは、ハスケルの研究は、文化史ないし社会史全般の中で美術を捉えようとしたところにその特色があり、狭い意味での美術史の領域を越えた広範な学問分野の研究者をも大いに刺激するはずのものだからである。遅きに失した感もあるが、本稿で遺著『束の間の美術館』を中心にハスケル教授の仕事を紹介することにしたい。

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