黒龍江省の中南部、松花江の東河畔に位置する哈爾濱は、19世紀末までは4、5軒の民家が点在する沼地であった。しかし、1898年春、帝政ロシアが清朝と旅順大連租借条約を結び、哈爾濱から大連に至る南満州支線の敷設権を獲得したことで、哈爾濱は帝政ロシアによる満洲支配の拠点として急速に発展する。
 1905年、日露戦争で勝利した日本は大連 ― 新京〔長春〕、安東〔丹東〕― 奉天〔瀋陽〕の鉄道を獲得し、1906年にこれらの鉄道を経営する南満洲鉄道株式会社が設立された。だが、哈爾濱はロシア(あるいはソ連)の満洲支配の拠点であったことから、新京以北の鉄道経営権は日露戦争後も日本の手には渡らなかった。
 満洲国は1932年からソ連との交渉を開始し、1935年3月に東支鉄道の買収に成功した。東支鉄道は国線の北満鉄道として、満洲国内の他の鉄道と同様に満鉄が経営することになった。同年9月には、特急列車「あじあ号」の運転区間が哈爾濱まで延長され、日本人の進出も加速した。

 異国情緒あふれる哈爾濱が、日本人にとって憧れの街であったことが、「歓楽の都市ハルピンに遊ぶ(抒情絵葉書)」などの絵はがきの文言から伝わってくる。
 哈爾濱は、満洲鉄道の最北であり、ロシア人が作った街である北側に松江花(スンガリー)が流れ、中国人の商業都市である四家子(東傅家甸)と傅家甸(道外)、倉庫や工場のあった八区、国際商業都市であった埠頭区、スラム街であった新安埠、鉄道会社の施設・社宅・官庁・各国領事館があった新市街(南崗)、1920年代以降に作られた閑静な郊外住宅地である馬家溝、ロシア最初の入植地であった香坊といった地区に分かれていた。

松花江(スンガリー)
全9枚

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哈爾浜全景

傅家甸
全9枚

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埠頭区

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秋林(チューリン)デパート

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哈爾賓新市街

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モストワヤ街

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聖ソフィア大聖堂

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キタイスカヤ街

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東清鉄道庁

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新市街中央寺院

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ノウオゴロトナヤ街

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哈爾浜停車場

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松浦洋行

忠霊塔・志士之碑
全9枚

歓楽の都市ハルピンに遊ぶ(抒情絵葉書)


哈爾浜
志士紀念絵葉書

Харбин
北満都 ハルピンの風光を集めて

市街を彩る明朗色
ハルピン景観

シリーズ
北満の風景

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その他

              
              

学習院大学国際センター(元国際研究教育機構)「古写真からアジアを見る」