現在の位置: 学習院大学 > 大学図書館 > 学習院資料 > 貴重書コレクション > 学習院大学図書館蔵 伊能図中図について
ボタンを押すだけ!WEBからの貸出更新>>MYGLIMの紹介  

貴重書コレクション

 貴重書コレクション

学習院大学図書館蔵 伊能図中図について

 学習院大学図書館蔵 伊能図中図について

斎藤 仁(学習院名誉教授)

1. はじめに

  学習院大学図書館に保管されている伊能図〈中図〉は、昭和46(1971)年、保柳睦美氏が「特殊中図」として紹介されたものである。 学習院伊能図は8舗あり、昭和44年4月、元学習院女子部教授堀米次氏の寄贈によるものである。 同氏は、これを昭和20年8月、終戦による陸地測量部の解散に際し、焼却寸前のものを友人、山北半次郎氏から貰い受け入手されたとのことである。 学習院では早速、装丁を改め、裏打ちし軸装し、桐の外箱を新調し保存の完全をはかってきた。

2. 学習院伊能図中図の内容

  幕府上程の時期
項番 地名 縦 × 横(cm)
文化元(1804)年 蝦夷地(東南部) 119 × 198
陸奥・出羽(北部) 107 × 184
陸奥・出羽(南部)・越後・佐渡 100 × 184
下野・上野・常陸・下総・武蔵
相模・伊豆
113 × 178
能登・越中・信濃・加賀・越前
若狭・尾張・駿河・参河・遠江
123 × 181
文化4(1807)年 参河・尾張・伊勢・近江・伊賀
大和・紀伊・若狭・和泉・山城
摂津・丹後・播磨・但馬
120 × 170
因幡・伯耆・出雲・石見・備前
備後・備中・安芸・周防・長門
125 × 154
文化6(1809)年 阿波・讃岐・土佐・伊予 99 × 150

  以上の8舗で九州の部を欠いている。
  九州測量は第七次文化八(1811)年・第八次 文化十二(1815)年で 学習院図はその前で原図の制作時期は四国測量後のものと考えられる。

3. 学習院伊能図の特徴

  文化元年の沿海地図中図で現在知られているものは、他に伊能記念館、国立史料館、徳島大学付属図書館にしかないだけに貴重なものである。学習院中図は江戸時代後期の写本として考えるとしても、針穴は見つからない(裏打ち装丁し直しのため分からなくなったかは疑問である)。普通は沿海地図の構成は、蝦夷、奥州、中部・関東であるが、学習院中図は奥州を南北に2分して4舗構成になっている。余白には里程標が示され、全体をそのまま2分してある。蝦夷地の部(一)欄外には高橋景保の識語が載せてある。
  文化元年の中部の部(五)と文化四年の畿内の部(六)との接合記号のコンパスローズが内陸部におかれ、尾張〈名古屋〉付近から知多・渥美半島が重複して描かれている。とくに浜名湖の描写の詳細に差がはっきり出ている。文化四年近畿の部(六)は平野部にピンク系の彩色が用いられ、美しさが出ている。
  学習院図の最大の特徴としてあげられるのが、中図でありながら大図(大絵図)の記載内容が記されていることである。側線に沿う町村名はもちろんのこと、幕府名・大名領・知行所・社寺領など実にこまかな細字で記入されている。東大総合研究博物館の大和地方の部分を比較してみると分かる。この見事な細字(保柳氏は、専門家の意見によるとこの書法は江戸後期のものと推定)で、技術的にも時間的にもこんな細かな記入事項を模写するのは、よほど例外的な必要性があり、諸条件が揃ってできることであろう。例えば、全国の所領を総覧してみたいため、大図では大きすぎるものを編集してみた大きな文字の国名、細密なはずの方位線、コンパスローズなどに粗雑な描き方の箇所があるのも目的が違っていたからだろうか。
  近畿の部(六)の端には、沿海地図の凡例、伊能勘解由謹図の識そのままに写した別紙が貼り付けてあり、末尾には安政五年六月、熊谷市兵衛写とある。地図模写年代はもう少し古いと考えられるが、余白と便利さのため貼り付けたのであろう。
  中国の部(七)は、九州測量以前のため中国地方の内陸部は空白であり、ややさびしい図となっている。瀬戸内海側の島嶼の間隙をぬって境界を設けたので、図の(八)との接合記号のコンパスローズが貧弱ではあるが描かれている。

4. 明治以降

  学習院中図8舗には全て「陸軍文庫」の蔵書印があり、一部に消そうとした跡が残っているものもある。 陸軍文庫へどのような経路で入ったか分からないが、陸地測量部にあったのは確かである。先述したように、堀教授が陸地測量部の解散とともに友人(同郷)から譲り受けたことになっている。
  関東の部(三)には、鉛筆で精密ではないが方眼線が記されていて、いちばん使用したのであろうかすれた汚れが目立っている。他にも中国の部(七)の一部と四国の部(八)は、伊予北部の松山・今治・石鎚山にかけて、かなり細かな方眼が集中的に記されている。これも決して精密ではないが、明治以降の模写の方法で、この伊能中図より模写しようと試みた証拠である。
  当時の動きとしては、陸地測量部で三角測量を開始したのが明治16(1983)年であり、それまで当面の必要に応ずるには伊能図に頼るほかはないと考え、明治5年に伊能家から大・中・小図の副本その他の資料を借り出している(当時の工部省測量司の名で借用証書が提出されている)。そして内容の不足部分は天保図などで補い、模写をはじめている。明治11~12年に伊能中図と同一縮尺の軍管図、第1~6軍管区ごとに編修している。しかしこれはもともと陸軍の応急使用のためのものであり、一般社会の利用に供するものではなかったので、明治17年から軍管図よりさらに精密な輯製20万分の1地図一色刷の作製にかかっている。一方、海軍水路部でも伊能図を内務省地理局から借り出し模写し、その精密な海岸線に基づいて、海図の作製をはじめている。本図も写図の候補であったかもしれない。

5. おわりに

  以上のような伊能図の利用と貸借関係はよく分からないが、学習院中図が戦前の陸地測量部にあったことはおそらく、どこかの大名家にあったものが、明治年間に貸し出され、そのまま返却されずに置かれ、終戦直後の混乱により焼却されようとしたものであろう。
  甲南大学の久武哲也教授が平成7(1995)年12月、イタリア地理学協会所蔵の日本地図コレクションを調査された際、伊能図を発見され、その構成が学習院中図に似ていることから、本特集関係者の渡辺一郎、清水靖夫両氏とともに来院調査された。その結果、図幅構成はピッタリ同じであった。写真照合では、地名が、位置はそのままで、国名、郡名まで全てカナに置き換えられていた。学習院中図と原図を同じくする伊能図のカナ書き版がイタリアにあったということで興味深い。

文 献

・ 保柳 睦美. 伊能忠敬の科学的業績. 古今書院(1974)
・ 斎藤 仁. 伊能図について: 学習院所蔵伊能中図. 地理の友. 東京都私立地理教育研究会(1974)
・ 斎藤 仁. 大日本沿海実測図(伊能図)について. 学習院女子部論叢(1993)
・ 斎藤 仁. 「伊能図のたどった運命」. 歴史読本(1994)
・ 斎藤 仁. 私は学習院大学図書館に眠っている「伊能忠敬図」です. 学習院広報(1994)
・ 斎藤 仁. 謎を秘めた学習院伊能忠敬測量の日本図: イタリアで発見された図. 学習院広報(1997)
・ 渡辺 一郎. 学習院大学図書館所蔵伊能中図について.月刊古地図研究, vol.301(1997)
・ 斎藤 仁, 渡辺 一郎. 忠敬と伊能図. 東京都江戸東京博物館図録. アワ・プランニング出版(1998)
・ 斎藤 仁・正井 泰夫. 「地図の達人」(学習用ソフトウェア). 三菱総合研究所(1998)
・ 斎藤 仁. 大日本沿海実測図(伊能図)について(2). 学習院女子部論叢(1999)


このページのトップに戻る