【 解 題 】
「イゴノヨミナカワル」、そう、1543年(天文12年)鉄砲伝来の年である。ポルトガル人によって種子島に鉄砲が初めてもたらされ、またたく間に全国に広がった。そして、合戦は、個人戦から鉄砲隊を編成する量と量の戦いに変わった。また、多数の鉄砲を備えることの出来る大国の優勢、築城術の革新、城下町の変貌等々、以後の世はみな変わったのである。そして、砲術が武芸の中でも重要な地位を占め、多くの人がその研究を始めるようになり、みずから家々の流儀を興し競うようになった。

そのひとつに稲富流がある。創始者である丹後田辺の人、伊賀守直家(のちに祐直と改名、剃髪して一夢と号す。1551-1611)は、祖父直時から銃術を学び、丹後国天橋山智恩寺(今は「文殊の知恵」で有名)に籠もり、火薬の配合や、発射姿勢を創案・発明し、稲富流(一夢流)を興した。また、直家は射撃の名手でもあり、初めは一色氏、のちに細川忠興に仕え、朝鮮出兵にも伴われ、加藤清正とともに活躍した。その後、忠興に追われる身になった直家は、その技を惜しまれ、徳川家康に助けられた。そして、駿府城で家康に、ついで秀忠にも江戸城で、砲術を伝授し、のち尾張大納言義直に仕え、駿府にて没した(60歳)。
このように砲術家としての直家は、数多くの砲術書、秘伝書を残している。火薬・弾道・姿勢・狙点などを詳細に研究した砲術伝書は、現在からみても神髄を突いた完璧の書といえるものである。当館で所蔵する伝書は「一流一辺之書」慶長12年(1607年)11帖、「極意」慶長15年(1610年)9帖、「一大極意書物」同年、9帖の計29帖からなる折本(11×25cm、写本)。多少の虫喰いは否めないが、保存の状態は良く、松本清張が直家の生涯を描いた小説『火の縄』を執筆する際、この伝書を閲覧し、火縄銃の打ち方などを参考にした。また、数多い射撃姿勢図は、色彩豊かに、打ち方の要領を明確に示すために「ふんどし」ひとつの裸姿で描かれていて、まことに興味深い。