学習院法学部

ゼミリポート Seminar Report

現代東アジア各国の政治、通商、外交などの研究を通じて、広い見識と深い分析能力を身につける。磯崎典世 教授【東アジア政治演習】
  • ゼミ内容
  • 東アジアの動向を、日本国内の政治・外交と関連づけながら検討。現在の東アジア各国の政治状況および課題の整理、さらにその原因と解決の糸口を探るべく、社会科学的アプローチによる考察を深めています。
 

自分でテーマを設定し、綿密な報告を行う

 磯崎ゼミでは例年、前期に東アジア政治の課題を考察するのに必要な文献を講読し、後期はグループごとの調査報告を元にしたディスカッションを行っています。この日はちょうど、今年度初めてとなるグループ報告が行われていました。
テーマは「東アジア共同体構想について」。
民主党のマニフェストに盛り込まれていたことから、2009年後半になり再び注目を集めるようになった、東アジア共同体構想。報告では、新聞記事や論文などを分析した上での現状が発表されます。
まず、この構想について、日本・韓国・中国それぞれに違う思惑があると導き出しました。
日本の鳩山政権が考える東アジア共同体とは、「通商・金融・エネルギー・環境・災害援助・感染症対策等の分野において、アジア・太平洋地域の域内協力体制の確立を目指している」かなり積極的なもの。
  対して中国は「経済面での統合は賛成だが、それ以外では慎重姿勢であり、特に日本が共同体で主導権を取ることへの警戒感を持っている。また政治や安全保障を含めての統合は視野になく、現在中国と関係が深まりつつあるASEANを基にした共同体を志向している」こと。
そして韓国は「経済危機の渦中に置かれており、あまり積極的に共同体構想に関わろうとしていない」とのこと。
次に、国家共同体の成功例としてEUが挙げられました。政治的な妥協と紆余曲折を経ながらも、国境のない経済領域を完成し、経済統合において大きな成果をあげたことが発表されました。
 発表終了後、すぐに「中国とASEANとの関わりの深さについて具体的に教えてほしい」と他チームから質問が挙がりました。すると発表者チームメンバーが、「冷戦時代、ASEANは、反共国家で構成され、中国を警戒していました。むしろ日本との結びつきのほうが強かったのです。
ところが最近中国が経済的に発展したこと、またASEAN自身が反共という性格を脱して拡大してきたことで、急速に中国との関わりが深まったのです」と説明。さらに磯崎教授が「そういった背景の中、これまで日本は、共同体にオーストラリアやインドなどを引き込み、中国を牽制できる体制にしようとしてきたのですが、鳩山首相はむしろ、日中韓を軸にしようと考えているようです。」とフォロー。
 これまでにない視点も示されました。
 これらの情報を基に、東アジア共同体について「必要か否か」「日本が考える構想のゴール」「加わる国の範囲」という論点が導き出されました。
加えて教授からは「何のために統合するのか、また統合のために解決しなければいけない問題についても考えてほしい」との提案。ここで10分間ほど時間が取られ、グループごとに、示された論点について意見がまとめられることになりました。

議論を深めることで、新しい認識に気づく

 ゼミ再開後、各グループから活発な発言がなされましたが、主に“共同体は不必要・不可能”という意見が目立ちました。
「EUと比べても意義が低い」
「東アジアにもかかわらずオーストラリア・ニュージーランドが入ることへの疑問」
「東アジア各国の経済格差」
「歴史的経緯などの複雑な問題」
「アジア各国の安い製品の中、日本の高い製品が売れなくなる」
「東アジア共通の市場通貨を作るとなると、アメリカの牽制が考えられる」
「東アジア各国は海で隔てられており統一の意識を持つのが難しい」などの意見が挙がりました。
 ここで「デメリットばかりですが、ではなぜ今共同体構想が出てくるのでしょう?」とこの日の司会者が指摘。
そこから、共同体構想のメリットについても考えられていきます。「リーマンショックのような経済危機のことを考えると、成長の可能性に富んだアジア各国との経済的な連携は不可欠なのではないでしょうか」という意見が発表者グループから出ました。
 最後に「軍事力の増強などで脅威が増している中国への対応という安全保障の側面もあります。経済統合などによって共通の利益が生まれれば、相互依存が進み、信頼が醸成される可能性もあります。単なる理想で言っているわけではなく、現実的な計算やプロセスの重視という側面があることも頭に入れておいてください」と磯崎教授からもコメント。
 この日のゼミはここで終了となりましたが、次回は今回の意見も踏まえて、さらなる考察を皆で加えていくとのこと。
終業のチャイムが鳴った後も、学生同士、そして教授を交えて自由なディスカッションがしばし続いていました。