| 堀越 孝一 HORIKOSHI,
Koichi 教授・人文科学研究所長 |
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1933 東京に生まれる
1946 名古屋市立明倫中学(旧制)入学
1949 東京都立第九高等学校入学
1952 都立北園高等学校(第九高等学校改名)卒業
国立東京大学教養学部入学
1953 同上文学部西洋史学科進学
1956 同上卒業(文学士)
1960 同上大学院人文科学研究科修士課程西洋史専攻入学
1963 同上修士課程修了(文学修士)
同上博士課程進学
1966 同上博士課程単位取得満期退学
国立茨城大学講師(文理学部・同年6月に人文学部に改組)
1968 同上人文学部助教授
1971−1972 文部省派遣在外研究員(パリ)
1974 同上退職
私立学習院大学助教授(文学部史学科)
1975 同上教授
1991−1992 学習院大学国外研修員(パリ)
2001 学習院大学人文科学研究所長を兼任、現在に至る
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{準備中}
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ヨーロッパ中世史
歴史理論
フランス中世文学
ヨーロッパ中世美術史

1967 (訳書)ホイジンガ『中世の秋』中央公論社(「世界の名著」版。その後単行本、中公文庫上下2冊で普及したが、2001年に「中公クラシックス」版T、Uとして改定新版を刊行した)
1968 『信仰と闘いの時代』「世界の歴史5」集英社
1971 (訳書)ホイジンガ『朝の影のなかに』中央公論社(19751年、中公文庫)
1971 (訳書)C. ウィルスン『オランダ共和国』平凡社
1974 『中世ヨーロッパ』「世界の歴史5」社会思想社教養文庫(1968年、集英社版の改定本)
1975 『ジャンヌ・ダルク 百年戦争のうずの中に』清水書院
1976 『ヨーロッパ世界の成立』「世界の歴史8」講談社
1977 『聖女ジャンヌ・ダルク』「ヒロインの世紀5」千趣会
1979 (訳書)M. レポーレ『レンブラント』平凡社
1981 『回想のヨーロッパ中世』「人間の世界歴史6」三省堂
『画家たちの祝祭 十五世紀ネーデルラント』小沢書店
1982 『いま、中世の秋』小沢書店(1987年、中公文庫)
『遊ぶ文化 中世の持続』小沢書店
1983 (訳書)C. プラット『中世の世界』朝日新聞社
1984 『ジャンヌ・ダルクの百年戦争』清水書院(1975年版の改題・改装版)
1985 『日記のなかのパリ パンと葡萄酒の中世』「サントリー博物館文庫11」サントリー株式会社、発売元ティビーエス・ブリタニカ
1987 『騎士道の夢・死の日常 中世の秋を読む』人文書院
『青春のヨーロッパ中世』「歴史のなかの若者たち2」三省堂
1990 『中世の精神』小沢書店
(監訳)『西洋騎士道事典』原書房
1991 『軍旗はブラシュの花印』小沢書店
『ジャンヌ・ダルク』「朝日文庫」朝日新聞社(1975, 1984年の清水書院版の改定新版)
1995 『わがヴィヨン』小沢書店(「わがヴィヨン叢書1」)
1996 『ブルゴーニュ家 中世の秋の歴史』「現代新書」講談社
1997 『教養としての歴史学』「現代新書」講談社
『形見分けの歌 ヴィヨン遺言詩注釈T』(「わがヴィヨン叢書2」)
1998 (編著)『歴史を読む』東洋書林
1999 『遺言の歌(上巻) ヴィヨン遺言詩注釈U』小沢書店(「わがヴィヨン叢書3」)
2000 『遺言の歌(中巻) ヴィヨン遺言詩注釈V』小沢書店(「わがヴィヨン叢書4」)
2002 『遺言の歌(下巻) ヴィヨン遺言詩注釈W』小沢書店新社(「わがヴィヨン叢書5」)
看板は「歴史家」とだけ立てたいと思っているが、わが世に在る在りようは大学人としてのヨーロッパ中世史家で、つい先頃も『フランス史大系1』というシリーズもの(山川出版社)に、心ならずも「百年戦争時代」などという文章を書かされたり、(なぜ「心ならずも」などというかといえば、わたしは最近「百年戦争」という歴史概念はまやかしものではないかと思い始めているからだ)、講談社の「現代新書」シリーズで『ブルゴーニュ家』というのを出したり、(これもじつは「心ならずも」で、というのは「ブルゴーニュ家」の時代には「ブルゴーニュ家」なんていなかったからで、いたのは「ブルグーン家」だったのだから)、ここのところ特講のテーマを「中世の秋の時代史」にとったり、なにしろ「ヨーロッパ中世史の先生」のふうをよそおっている。
それがじつのところ「わが歴史学」は資料学書誌学の方向に展開していて、若いころ訳したホイジンガの『中世の秋』が「わが囚われ」となり、ホイジンガの「イミタティオ」で、ひとつの歴史空間をおおう資料群のレクチュールを狙う。それがまた資料は「絵と言葉」でできている。だから「絵のレクチュール」もまた「わがエクササイズ」であり、「十五世紀ネーデルラント画派」を記述した『画家たちの祝祭』(小沢書店)がわたしの得た貴重な獲物のひとつとなった。
ここ十年来の「わが壮大なレクチュール」、「ヴィヨン遺言詩注釈」の仕事は、この春、ようやく『遺言の歌(下巻) ヴィヨン遺言詩注釈W』を刊行して、全4巻、『わがヴィヨン』を入れて「わがヴィヨン叢書」全5巻が揃った。総ページ数2,500に及ぶ大著です。ところがそれがまだこれで終わりではない。まだまだお後が控えている。「総索引・書目一覧」の別巻がまだ未刊です。項目拾いは、いまようやく『遺言の歌』の下巻までたどり着いたところです。前途遼遠。それに「索引」だけでは売り物にならない。いいえ、それがその「索引」たるや、簡単ですけれどコメント入りというもので、おまけに「正誤表」まで兼ねている。まあ、「インデックス
- ボキャブラリー」と呼ばれるスタイルのものだが、さすがに「正誤表」まで組み込むというのはないでしょう。
ですから「索引」だけでも、眺めてけっこうおもしろいものができあがるはずなのだが、それでも「索引」は「索引」です。ですから「ヴィヨン論考」という一文を添えることにした。「わがヴィヨン」の全体像がそこに明らかとなる。わたしはそれをフランス語で書いて、フランス人の「ヴィヨン学者」に読読ませようと思っている。いいえ、もちろん別巻には日本語のバージョンを載せます。ご安心下さい。そんなわけで、まだまだ大変です。
出版は小沢書店だが、小沢書店は一昨年の秋に倒産した。この春、ようやく整理が終わって、新社を起こす準備が整った。『遺言の歌(下巻)』は、起死回生、難産の果てにようよう生まれたわたしの一番若い息子です。この子のお披露目をどうするか。頭の痛いところです。唐草模様の大風呂敷で担いで本屋さん巡りする時代でもないでしょう。小沢書店新社のホームページを立ち上げます。「ネット書店」で扱ってもらうよう、手配します。みなさん、どうぞコンピューター画面で、わたしの一番若い息子や、その兄たちをさがしてやってください。
ところでわたしはもう次の仕事に取りかかっていて、いま特講で紹介している『権兵衛の日記』こと、19世紀のフランス人が「アン・ジュールナル・ダン・ブルジョワ・ド・パリ」といみじくも呼んだ無名のパリの住人が書き残した覚書です。これをやはり原写本から起こして、注釈をつける。19世紀のフランス人がそういみじくも呼んだと書いたのは、訳せばこれは「パリのあるブルジョワの日記」ですが、その「ブルジョワ」が問題だ。19世紀のフランス人は自分たちはブルジョワだと思っていて、自分たちの御先祖様を歴史に捜そうとする。それはもう無邪気なものでして、こうして歴史がみんな近代を写し取る。
まあ、そのあたりの呼吸をめぐって、若いころ、この書き物を日本にはじめて紹介したフランス文学者の渡辺一夫先生と論争らしきものをしたことがあって、そのイキサツは、どうぞわたしの論文集『中世の精神』をご覧なさい。わたしがいうのは、わたしはもう全体の3分の1ぐらい、仕事は進めていて、先頃、ある出版社の知人に話をした。わたしはこの書き物の訳注の仕事は、その出版社こそが出版する理由があると思っているし、またその知人こそは、わが若き日の「ヘルマン・ディーデリク・ティエンク・ウィリンク」だった。いいえ、これはオランダはハーレムの書店主で、若き日のホイジンガの友人であり、書き手のホイジンガに対するに出版人だった。『中世の秋』の出版人です。どうぞそのあたりの事情については、『中世の秋』の改訂新版「中公クラシックス版」を出版するにあたって、わたしが書き下ろした解説文「『中世の秋』を書くホイジンガ」をお読みいただきたい。
別の例証をあげれば、18世紀のフランスで『百科全書』を出版するに際して共闘を組んだ書き手のドゥニ・ディドロに対するに出版人のアンドレ・ルブルトンだった。そのあたりの事情については、どうぞつい最近刊行された『学習院大学人文科学研究所報2001年度版』に、所長としてわたしが書いた巻頭の文章「学習院大学人文科学研究所の発足にあたって」をお読み下さい。じつは、半世紀前、わたしの学部卒業論文は「十八世紀フランスの百科全書の出版について」というのだった。もっぱらこのふたり、著述家と出版人の関係について考えた。『所報』の文章にも、ほんのすこし、このふたりの名前に触れています。
わたしがいうのは、わたしは『権兵衛の日記』の訳注の仕事を、その友人と共闘を組んでやりたかった。それが、じつはこの出版社も数年前に倒産していて、いまは新社を起こしているが、つぶれないですんだそのわけは、もちろんあなた方もご存じの筋で、いまはその黒幕の存在が「新社」の編集・営業方針を決めている。知人は、ぜひやりたい、仕事を続けていてくれと乗り気の顔を見せながら、いまにいたるまで、諾否いずれの返事もはっきりさせていない。わたしの考えは甘かった。さびしいことです。
わたしは、近ごろ、出版は18世紀に還ったと思っている。わたしは「アンドレ・ルブルトン」を、「ヘルマン・ディーデリク」を捜している。出版花盛りといわれる近ごろだというのに、出版人捜しとはなにごとか。どうもわたしの考える本の出版というのは、世間でいうそれとはかなりちがう性質のものらしいのだ。