研究の現場から

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科学の力を借りて始皇帝陵の謎に迫る
1950年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。茨城大学教養学部助教授として勤めた後、1985年よりおよそ1年間、中国社会科学院歴史研究所外国人研究員として中国にて研究・調査。茨城大学教養部教授を経て、1996年より現職。
鶴間 和幸 文学部史学科教授 東洋古代史
2004年、上野の森美術館で開催された『大兵馬俑展』の際につくられた始皇帝陵の模型。実際には発掘されていない地下宮殿の様子が、当時の研究成果を反映して詳細に形づくられている。

中国を最初に統一したことで知られる秦の始皇帝。彼が眠る始皇帝陵は地中深くに閉じ込められ、2200年の間、その中を覗いた者はいない。この地下宮殿を知る手がかりは永らく、司馬遷の『史記』をはじめとする歴史書のみだった。陵墓の周辺から兵馬俑が発掘されたのは1974年のこと。さらにその翌年、湖北省で1155枚に上る秦代の竹簡が発見される。当時、鶴間和幸教授は中国史を学ぶ大学院生だった。

「大学に入学したのが1970年。当時の中国は文化大革命真っ最中で日本との国交もなかった時代。当時中国の情報はあまりなかったのですが、あの科挙をやっていた国にも関わらず大学入試を廃止するなど、驚くようなことをやっていると伝わってきた。当時のマスコミもそれを好意的に報道していました。それで、中国について学ぼうと思ったのがこの道に進むきっかけです」

400年続く漢代についての研究を進めていた鶴間教授が秦の時代へと研究対象をシフトしたのは35歳ごろ、中国社会科学院歴史研究所の研究員として現地で調査をしていたときのこと。「漢の遺跡はあらかた調査して満足したのですが、ついでに秦の遺跡も見てみたらのめりこんでしまった。たった15年間しかない秦の時代の実態が、竹簡などの発見によりどんどんわかってきているのだから、秦について本腰を入れて研究しようと思ったんです。今もなお新しい発見が続き、未知の世界が少しずつわかっていくという面白さが秦の研究にはあります」

展覧会の監修を通じて歴史学の成果を伝える

(上)学生時代、中国で求めた本。日本の5分の1の価格で買えて喜んだが、翌年に文庫サイズの手軽なものが刊行された。(下)様々な切り口で展示物の特徴を伝える。『大兵馬俑展』の図録では兵馬俑の顔だけを集めて比較するページをつくった。※開いている図録がどれか確証が持てないため、ご確認いただけると幸いです。

2000年『四大文明 中国』展、『辺境から中華へ“帝国秦への道”秦の始皇帝と兵馬俑展』、2004年『大兵馬俑展』、『よみがえる四川文明』展、2006年『始皇帝と彩色兵馬俑展 司馬遷『史記』の世界』。これらの古代中国、とくに秦の始皇帝や兵馬俑に関わる展覧会に鶴間和幸教授は監修として携わってきた。似通ったテーマの展覧会がこれだけ頻繁に開催されるのは、やはり中国文明のもつ謎が人をひきつけてやまないからだろう。

「2004年は二つの展覧会が同時期に開催されましたから、とくに大変でした。研究室総出で、『〜兵馬俑展』の担当を馬組、『〜四川文明展』は三星堆という名前の遺跡のものでしたので星組と名付け、必死で対応しました」。展覧会監修は、長期にわたるプロジェクトだ。開催期間の2年ほど前からリストづくりを行い、テーマに沿って借りる品々を選ぶ。主催する新聞社などの事業部や開催する美術館・博物館の学芸員、展示デザイナーなどと展示の切り口や見せ方を相談し、展覧会図録に一つひとつの品々の解説を添える。

この仕事のメリットは、現地博物館の倉庫などに入って貴重なモノ資料の現物を観られること、そしてモノを通して歴史学の成果を広く一般の人に観てもらえること。「中学生のときに教授が監修した展覧会を観たから」と研究室に入ってくる学生もいる。「あるときは『大兵馬俑展』を観たという小学生から『世界で一番残酷な君主を授業で話し合ったら、秦の始皇帝という結論になりました。先生はどう思いますか』という手紙をもらった。1週間かけて『暴虐な面もあるが、有能な君主でもあった』と答えました。そうやって子供たちが歴史に興味を持ってくれるのはとてもうれしい」。

天文学、化学、DNA研究。他分野の知恵が研究を進める

鶴間教授は現在、2013年に開催される展覧会の準備をしている。最近の研究テーマ「宇宙と地下からのメッセージ」の成果がここで披露される予定だ。「東海大学の情報技術センターの方々とともに宇宙から撮影した衛星画像を分析し、始皇帝陵の調査を行っています。地下の構造を調べていくと、秦の地下宮殿が宇宙の星の配置を写し取ったものだということが確認できる。そこで東京天文台の協力で2200年前の星空を再現し、その星々をどう投影したかも研究しています」。

史記に書かれた『水銀の川や海がある』という記載をもとに、理学部の村松康行教授の研究室を覗き、水銀の実物を見せてもらうこともする。「村松先生に聞くと、どうやら水銀が蒸発するのはごく一部だという。ということはまだ大量の水銀が地下に残っていることが予測されるわけです」。他にも小麦のDNAを研究している佐藤洋一郎教授(総合地球環境学研究所)とともに、遺跡から発掘された小麦が人工灌漑設備が必要なものか確認することで、灌漑設備の存在を証明したりも。天文や科学、化学の専門家たちとともに学際的に研究を進め、始皇帝陵の謎をひとつずつ解明しようとしている。

「理系の先生たちの力は、新たな研究には欠かせません。逆に相手に対して歴史学の専門家として提供できる知識もある。お互いに力を合わせることで、新しいものが見えてくるのです」。

大学だけでなく、一般企業の研究者との協力体制が生まれるのは、テレビ出演の多い鶴間教授ならではだ。日本テレビの番組で、NECの顔認識ソフト開発者とともに、600あまりの兵馬俑に同じ顔がないことを証明した。「その方を改めて訪ね、来年の展覧会では地方ごとの顔の特徴などを分析して展示できるようお願いをしました。こんなふうにしていろんな人の知恵を借りれば、2200年前のことがより一層浮き立ってくるんです」。