朝鮮金石拓本

解説

学習院大学東洋文化研究所所蔵の朝鮮金石拓本には、昭和24年(1949)の開学以来、昭和50年(1975)まで学習院大学で教鞭を執った朝鮮史研究者で、当研究所の主事も務めた末松保和が重要な役割を担っている。

当研究所に拓本がもたらされた来歴を見てみると、東京本郷にあった江田文雅堂書店から昭和37年(1962)に購入したものと、昭和50年3月の末松の学習院大学退職にあたって、彼の個人的な収蔵物が移管されたものと、大きく二つに分けることができる。

末松は、戦時中の昭和13年(1938)に高句麗広開土王碑を実見しており、それが彼の朝鮮金石研究の原点となった。彼が本格的に広開土王碑研究に取り組むのは、退職前後の1970年代、日本軍の石灰塗布による碑文偽造説の高まりを受けてであるが、昭和41年(1966)には科学研究費「金石文を主とした朝鮮史の基礎的研究」の代表者となっていることからも、朝鮮史研究における金石資料の重要性を感じていたことが知られる。ゆえに、江田文雅堂からの拓本購入も、末松によって行われたものと考えられる。

(吉田)

(高麗軍威麟角寺普覚国師静照塔碑(二))