日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


8/2/2007(木)

8 月になった。

でも、 8 月になっても「8 月らしい思いっきりのよさ」みたいなのに欠ける不安定な気候が続く。


忘れていた(忘れたことにしていた)大事な仕事として、駒場から「現代物理学」のレポートがどんと届いた。

自宅に持ち帰り、がんばって至急採点するわけだが、今日は、東工大に行って Pierluigi Contucci さんと議論する約束なので、ともかく出かける。


先日、山手線が止まって息子がなかなか帰ってこられなかったとき、妻が「昼間の山手線はしょっちゅう止まる。私が昼間乗ってもいつも止まる」という過激な主張をした。 さすがに昼間だから気を抜いてわざと止まるということもないだろうし、それは、たまに止まった時の記憶が鮮烈であるがために後から思い出したとき頻繁に止まるように感じるだけではないか --- というような理屈っぽいコメントをした理屈っぽい私であった。

しかし、許してください、妻は正しかった。

今日も山手線が止まった。めっちゃ止まった。もろに昼間である。


「池袋駅での信号機の不調」のため、新宿・渋谷方面に向かう山手線だけが一時的に止まっているという。 反対方向は普通に動いているし、大したことはなさそう。 時間にも余裕があったし、「何かあっときは無理に動かずに待つのが賢明」という哲学をもっている(というか、路線とかを理解していないので、代替手段とかがよくわからないのでもある)ので、ホームで論文などを読みながら時間をつぶす。

しかし、三十分以上たっても全く動かず、ついに「復旧には、まだしばらく時間がかかる」とのアナウンスが。 そう宣言されてしまった子供の前で哲学はもはや有効ではない。 「湘南新宿線か埼京線に乗れ」というアナウンスに従って、逆方向の山の手線に乗り池袋に行った。 池袋では長蛇の人の列ができていて、準パニック状態の空気。 先ほどの指示に従って、湘南新宿や埼京線のホームに行ってみたのだが、な、な、なんと、これらの線も今や動いていない。 話がちがうやないけ金返せ、と訴える相手もいないわけで、仕方なく、再び山手線のホームに引き返し、逆回りの山手線に乗って、目黒に向かった。

というわけで、けっきょく、ずっと iPod を聞きながら山手線をほぼ一周。 期せずして「アヴリルと行く東京プチツアー」を体験してしまって、東工大につくまで、二時間以上かかってしまったのであった。


さて、Pierluigi という名前は、「ピエル」という名前と「ルイージ」という名前を組み合わせたもので、特にアクセントはおかず、「ピエルルイージ」と発音すればいいらしい。 「ルイージはこの国では有名な名前だよね。ゲームが・・」と言いかけると、「うん」と、ちょっとイヤそうにしていた。 マリオシリーズにおけるルイージの微妙な位置づけを知った上での反応だと思われるので、深入りはしない。

議論の内容は、スピングラスにおける相関不等式という、激烈に趣味的な世界だが、少なくともぼくらには有意義で楽しかった。 (名前を知らない)イタリアの若い人、大学院生の M さん、そして途中からは西森さんや、(もう一人のイタリアからのビジターである)Cristian Giardina さんなども加わり、なかなか盛り上がった。 ぼくが考えてきたことを一通り説明した後は、色々とアイディアを出し合ってその場で計算や証明を書き、少し風景が見えてきた感じである。

Cristian とは前回に来たときも色々と話したのだが、昨日の佐々さんの日記を読んで、彼が非平衡系でも仕事をしていることを知った。 というわけで、彼とは非平衡関連の議論も手短に。


8/5/2007(日)

暑い日。

いかにもプールが混みそうだが、ここでプールに行かないと運動不足が深刻になるので、思い切って午後からプールへ(それにしても、一つの文に三回も「プール」という言葉が出てくるのは困ったもんだねえ)

確かに人は多いが、決して泳げないほどではない。 いつものように、軽く準備運動をして水に入るのではあるが、それにしても、

   水 温 多価杉っ!!

なんか、ちっとも冷たくなくて、ぬるい感じである。

案の定、クロールで25 メートル泳いだだけで、体が熱くなってくる。 100 メートルも泳ぐと、もう、のぼせた感じ。

普段、泳ぎはじめで調子が出ないことはあるのだが、今日はそうではなく、頭がのぼせて気分が悪くなってくる。 冷たすぎるのは辛いが、しかし、多少は涼しく感じるのがプールだろうが。

主催者側発表では、「気温 32 度、水温 31 度」とのことだが、これは、何かの間違いでしょう。 つい何かの拍子で間違って水温を上げすぎて、人が多いし気温が高いし日照が強くて、ちっとも冷めていないというのが真実だと思う。

とちゅう、何度も水からあがって体を冷ましながら、なんとか 1000 メートル泳いだが、後々までのぼせた感じが残った。

のぼせて朦朧とした頭に、思わず、

   プールやるってレベルじゃねぇぞ! オイ!

というフレーズが浮かぶ夏の日であった(伝説の「物売るっていうレベルじゃねぇぞ」についてはこちらを参照。)
8/11/2007(土)

ある意味、絶望的に忙しいのだが、今日は妻に誘われて上野の文化会館にピアノのリサイタルを聴きに行った。

リサイタルを開いた金子一朗さんは、驚くなかれ、数学科の出身で、今も現役の高校の数学の先生なのだ。 四十代半ばだからまさに働き盛りの中堅であり、聞くところでは、生徒たちに敬愛され恐れられる名教師だという。

高校でフルに教える傍ら、空き時間を利用してピアノを練習し、四十代になってから、コンクールで入賞、優勝し、本格的な演奏活動を始めるようになったらしい。 そういう意味で話題性もあり、テレビで取り上げられているのを見たことがある。 学校帰りのバスの中でも楽譜を取り出して研究している姿が放送されていた。


文化会館についてみると、小ホールの入り口には、開場前から人が並んで列を作っていた。

明らかに、高校の教え子や知人や親戚といった「身内」ばかりの人員構成という雰囲気ではない。 特に、音楽を本格的にやっているとおぼしき若い人たちの姿が目につく(楽器を持っていたり、空き時間に楽譜を読んでいたりするので、わかるわけです)。 本格的な音楽ファンのあいだでも注目されているということなのだろう。

すでに、

    高校の先生が趣味でやってるってレベルじゃねぇぞ! (いい意味で)

という空気が激しく漂っている。
金子一朗ピアノリサイタル

ドビュッシー ピアノ作品全曲チクルス第1回

  ベルガマスク組曲
  スケッチブックより
  マスク(仮面)
  喜びの島

  12 の練習曲 第 1 巻
  12 の練習曲 第 2 巻


ぼくは昔からドビュッシーが大好きで、それこそ高校生の頃はお小遣いを少しずつためてレコードを買ったりしていた。 大学で第二外国語にフランス語を取ったのもドビュッシーが好きというだけの理由だったような気がする(忘れた)。

だから、さすがにベルガマスク組曲とかは、かなり色々な人の演奏を聴いているし、ま、今回は、なんとなく余裕で聴き始めた。 「こういう風に弾くのか」とか「これで高校の先生とは、なんたるテクニック」とか、そんなことを思いながら、聴いていた。

が、「スケッチブックより」「マスク」という、ぼくの聴いたことのなかった曲になると、「好きなアーティストの新曲を聴く喜び」的な要素ももあって、相当のめり込み始めた。 とくに、「マスク」は異様にかっこいい曲で、かつ、迫力あふれる演奏だったので、ここら辺から、ぼくは金子さんのドビュッシー世界に完全に飲み込まれてしまったみたいだ。 「喜びの島」に至っては、もう、最初から最後まで完全に没頭して聴いて、すさまじいテクニックと緊迫感と迫力に(←語彙貧困だね、こう書くと、アホみたい)、完璧にぶちのめされた。 正直なところ、演奏の善し悪しが本当に分かるほどの耳は持っていないのだけど、ともかく圧倒的な迫力に翻弄されてしまったのだ。 最後に拍手しながら目にうっすらと涙まで浮かんでしまっていたのには、自分でも驚いた。

後半の「12 の練習曲」の二巻は、誰しもが予想するとおり「これを練習曲と呼ぶのは、いじめだろう」的な曲たちであった。 ある意味で、「ドビュッシーっぽい音作り」オンパレード的なところがあって、ファンとしては大いに楽しめた。 金子さんは、もう完璧に世界に入り込んでいる感じ。


アンコールは、「燃える炭火に照らされた夕べ」という、ドビュッシーの最晩年の曲。 割と最近になって楽譜が発見されたばかりの曲らしい。

昔、やはり晩年に作曲された弦楽四重奏曲のレコードが家にあったが、(晩年のドビュッシーは病気に苦しんでいたらしく)重苦しい静かな曲だった。 この「燃える炭火に照らされた夕べ」も、静かに始まり、途中ドッビュシーらしい美しいフレーズが少し顔を出すのだが、なんというか、全体としては静かで寂しげな曲だった。


あとで知ったのだが、「金子一朗 / ドビュッシー探究」というページがあり、金子さんによるドビュッシーの曲の解説と演奏がある。 アンコール曲の「燃える炭火に照らされた夕べ」の音源もあるみたいだ。
というわけで、「高校の数学の先生のリサイタル」というつもりで何となく聴きに行ったのが、予想外に、心の底から没頭して音楽を楽しむことができた。 忙しい中、ちょと無理をして出かけた甲斐があった。

リサイタルも中盤くらいになると、何というか、それぞれの曲の最後の音を弾き終えた瞬間、彼が、ものすごくうれしそうにしているのが、はっきりと伝わってくる。 それは、もう、普通その辺にあるような「うれしさ」とは桁違いの「うれしさ」である。 確かに、ここまで弾ければ本当に素晴らしい喜びをかんじるのだろうなあと思う。

これは、本当に、

    高校の先生が趣味でやってるってレベルじゃねぇぞ!!!

というのは、もう言ったか。
8/21/2007(火)

Summer School 数理物理 2007 「Bose-Einstein condensation を巡る数理と物理」が無事に終了。

前にも書いたように、ぼくは、

  1. Bose-Einstein 凝縮入門
  2. 格子上の XY 模型、hard core Bose gas における長距離秩序、自発的対称性の破れ、低エネルギー励起状態
  3. 相互作用するボース多体系の基底状態についての厳密な結果
の三つを話した。

すべて、今回のために準備する必要があり、なかなか大変。 にもかかわらず、直前になるまで Komatsu-Nakagawa representation の絡みで色々と遊んでいたために、けっきょく、一回目の準備しかできていないまま初日を迎えた。 後は、一日のスケジュールが終わったあと、家に帰ってから、その先の講義の準備をする以外に道はない。 他の人の講義はツッコミをいれながら必死で聴き、終わったら大あわてで家に帰り、ひたすら深夜まで準備をして、次の日はまた朝早くから駒場へ、という生活。 「合宿より辛い」というのが、本音であった(いや、自業自得なのですが)。

しかし、がんばった甲斐あって、(一回目の講義は凡庸で食い足りなかったかも知れないが)二回目、三回目の講義は、イメージしていた通りの、中身のあるものになったと思っている。 二回目の講義は、(かなり、おもちゃモデルではあるが、平均場ではない、本格的な系で)多粒子系での凝縮とスピン系での秩序を明確に対比させながら、もっとも混乱しやすい部分を整理するものだったし、三回目の講義は、ボース系の基底状態についての Lieb らの一連の仕事のエッセンスをかなり的確に伝えるものだったと自画自賛。 三回目の講義では、Dyson による極めて賢く驚くべき(しかし、未だ不十分な)不等式の心を伝えることが最も大事だと判断し、それをかなりのレベルまで実現できたと思う。 一、二回目と違い、三回目の内容については、この講義を引き受けるまで全く不勉強であり、今回、必死で学んだのであった。 しかも、この講義のイメージが固まったのがしゃべる二日前の深夜であり、黒板で話せるバージョンの証明を作ったりしていたのが前日の深夜だったというのは、なんというか、よく何とかなったなあというか、全然いばれないというか、ええと、ご家庭では絶対に真似をしないでください。


今回は、BEC に関して物理のサイドでバリバリに研究している上田さんに、最新の実験の話も含めて講義してもらい、一方、小嶋さんにはBEC を枕に多体量子系や場の量子論など(実は、もっと広い範疇のものもあったのだが)について極めて抽象的な数理サイドからの話をしてもらおうという企画だった。 で、ぼくは、まあ両者の中間に立って、できれば間をつなぐような役目を果たそうということを目論んでいたわけだ。

終わってみると、この三者の布陣も(小嶋さんが想像以上に抽象的だったことを除けば)概ね成功だったと思う。 今回は、三人が、お互いの話を聴いたことをフィードバックして、話の内容やノーテーションを調整したりもした。 こういう相互作用というのは、この手のイベントでは、きわめて珍しいことだと思う。 やってる方としても(何せ、朝の小嶋さんの講義を聴いた後、昼休みに、自分の午後の講義の内容を大幅にアレンジし直したりするわけで)スリルがあって大変だったが、楽しかった。

ともかく、ぼく個人としては、Lieb らの仕事を無理矢理にでも学ぶ機会が得られたばかりでなく、お二人の講演を聴いて色々と学ぶところ、考えるところがあった(また、参加されていた松井さんから、二回目の講義に関連して、ぼくが悩んでいたことについて明快な答えを教えてもらったのも大きな収穫)。 また、終わった後に、何人かの若い人と接触し、Summer School の企画やぼくの講義から、意図していた通りの強い刺激を受けてくれたことがわかり、心からうれしかった。 ただでも忙しい夏に、この講義を引き受けたことを後悔した時もあったが、結局は、極めて有益な会になり、参加して本当によかったと思っている。    と、面白くも何ともない優等生的な結びではあるが、夏休みの日記だから、それでいいのである。

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

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