日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


2010/8/1(日)

オープンキャンパス。

暑かったけれど、なかなかの人の出でうれしいかぎり。 毎度のことながらイベント好きの体質が出て、がんばってしまう。でも楽しい。

けっこう今風の男子高校生二人が、研究室を見学しながら、いいノリを見せていたのが楽しかった。 「おお、これマジで贅沢だよなあ」、「こんな装置、使わせてもらえたら、ぜってー、テンションあがるよなあ!」と二人で盛り上がり、見学の後半では「でもさ、入ったとして、四年でどの研究室行くかめっちゃ迷いそうだよなあ」「ああ、どこも面白そうだし」。

うちの大学の宣伝に出てもらおうかな?


2010/8/5(木)

ぼくが、しばらく前の日記(2009/11/16)とか、こっちのページで、Google Wave という素晴らしい web 上の共同作業のためのシステムについて触れていたのを覚えていらっしゃる方もいるかも知れない。

その後、とくに日記で Wave についての記事を書かなかった気がするが、別に見放したわけではない。 むしろ、ぼくにとっては、どんどん不可欠な道具の一つ、日常的なお仕事の自然な一部分になってきていたので、わざわざ書いていなかったのである。 基本的に、レフェリーから戻って改訂中の論文についての議論、(ずっと)書きかけの論文草稿についての議論、(ず〜〜〜っと)書きかけの本についての議論などなど、その時その時で、アクティブに進行している仕事に関してどんどん Wave を使っていた。 合間にチャット的に雑談が入ることもあるけれど、基本、お仕事である。 慣れれば慣れるほど、メールに比べて如何に優位かがはっきりして来て、もう、メールには後戻りできないなあと思っていた。 さらに、ぼくの若い友人たちは、研究のための予備的な議論やネタの収拾にも Wave をばんばんと活用し、外国の人ともいっしょにわいわいとやっている。新しい時代がちょっとずつ来ている感。

さらに、ここ三日間くらいは、「夏休み目前であわただしいんだけど、楽しいからいいんだ」シリーズのイベントの第二弾くらいの、とある雑誌のために鼎談(三人でやる座談会のことね)の原稿をまとめる仕事をしていた。 出版社の人がテープ起こしをしたワードの原稿を、まず、ぼくがかなり再構成し書き直し、その草稿を Wave 上にアップした。 これを鼎談に参加した三人が見られるようにして、三人で同時に好き勝手に編集するのだ。

これは便利だよ! 三人の掛け合いで進んでいくわけだから、お互いに関連をとり他の人の書き直しをリアルタイムで見ながら修正していきたい。 場合によっては他人の発言も修正したい。 また、直接なおすのではなく、「ここら辺は、こうしましょう」的な「舞台裏」での話し合いもしたい。 もう、Wave はこのために作られたシステムじゃないかと思うくらい便利。 ぼく以外のお二人は今回が Wave 初体験だったけれど、あまりの便利さに感動して、すいすいと使っていた。 たぶん、これを使うと使わないとでは、編集の時間が十倍くらい違ったと思う。それほどすごい威力。


という風に進むと、久々の Wave 宣伝記事になっていくようだが、違うのじゃよ。

なんと、今日、Google が Wave の開発を中止するというニュースが流れたのだ(本家のブログ)。

But despite these wins, and numerous loyal fans, Wave has not seen the user adoption we would have liked.
とのことである。 うまく行っているしファンも多いけど、期待したほどには受けいれられていないという判断らしい。 現行のサービスは年内は維持するけれど、それ以降は消えてしまうようだ。

ううむ。loyal fan の一人としては、本当に悲しい。というか、困った。愕然とする。

とにかく、やりかけの仕事で Wave を使っているし、これからもどんどん使うつもりだったのに。 学科内の連絡もいずれは Wave に移行するよう、ちょっとずつ教室メンバーにユーザーを増やそうと思ってたのに。

いや、違うなあ。もっと寂しい感じ。軽い目眩を伴った軽症の絶望感。

そう。せっかく未来に半歩くらい足を踏み込んでその感触を味わったのに、けっきょく、もとの時代に無理矢理引き戻されるような、あの感触。SF 読者なら子供の頃から何度も何度も味わっているあの懐かしい感触か。

それと、幻滅感。見損なったなあという感じ。

誰を?

ネットが普及した先進国に住んでいる人類をだな。見損なったぞ、おまいら。

なんでこんなにすごい物がでてきてるのにみんなもっと使わないんだ? みんなで未来に行こうよ。

いや、別に Twitter やるなって言うわけじゃないよ。Tumbler してください、FaceBook もどんどんやってよ(←よく知らないけど)。

でも、ネットを使って仕事もしようよ!
そして、どうやったらもっと能率的に仕事ができるか考えようよ!

「現行のバージョンではセキュリティと安定性が・・」とか「既存の事務システムはワードとエクセルが主流で、とくにコンピューターに強くない事務系の人は・・」とか、それは、わかるよ。 でも、そういうことを言って現状の仕事のスタイルを固めてしまうことがどんなに大きな損失か考えて欲しい。 たまりにたまったメールを発掘してスケジュールを調整したり、アホみたいに無駄なフォーマットをされたワードやエクセルの書類を罫線や枠や改行に注意してビクビクと編集し、複数の人が編集した文書を苦労して一つにまとめ、でもいつどこでどうなったのか、最終版のはずの書類に最新のコメントが全然反映されていなかったりとかいう「よくあるトラブル」でどれだけの人たちが日々の時間とエネルギーを浪費していることか。 人知ではどうすることもできない大自然の厳しさと闘っているのなら、まあ、仕方ないよ。 でも、これは人の作ったコンピューターのシステム。 コンピューターなんて、普及してごくごく日も浅いのに、なんで、こんなにもさっさと体制が固まってしまうの? しかも、かなり最悪の解に固定しつつある。

こんなんじゃ、だめだよ。 無駄の多い既存のシステムにふりまわされて浪費している時間を、もっと大事なことに使わなくては。 せっかく計算機を使った文化が誕生しつつあるんだから、みんなで真剣に、もっともっと使いやすく、人を幸せにするような方向を考えなくては。 (もちろん、一企業である Google の提供する無料サービスに頼るのはどうかという意見はあると思う。 あるいは、Wave が最終的な正解だなどと主張するつもりもない。 でも、ともかくぼくと多くの loyal fans の仲間たちは、そこに確実に「未来」を見たんだ。)


でも、まあ、ぼくは楽観的な人間なので、Wave は何らかの形で戻ってきて、本気で仕事をする人たちのあいだでは主流になると信じることにしよう。

こんな素晴らしいものを開発し、無償で公開し、ぼくらに未来をみせてくれた Wave 開発者のみなさんに心からお礼を言いたい。 (英語で書かないと読めないかな?)


2010/8/11(水)

スーパー あずにゃん あずさ車中なう。

「東京物理サークル」の合宿に参加するため白馬に向かっている。 一昨年は講師だったけれど今年は一参加者だ。 アヴォガドロ定数を世界最高の精度で測った藤井さん(「統計力学 I」のアヴォガドロ定数についての脚注を参照)のお話しを聞くのだ。

しかし、ちょうどのタイミングで台風が接近しているぞ。どうなることやら。 実は前回、ぼくが「東京物理サークル」の合宿に参加したときも台風が来た。 「田崎が東京物理サークルの合宿に出ると台風が来る 100 パーセントの確率でおこる経験事実となってしまっているではないか。

けっこうゆれるので、これくらい。 要するに、車中から書いてみたかっただけ。いまさら珍しくもなんとないけど、ぼくにとっては珍しいのです。


(以下は 9 月になってからの書き足し)

東京物理サークルのメーリングリストで「合宿で『単位』についての講演を聴くのはどうか」という提案があったとき、ぼくは即座に藤井賢一さんを紹介した。 アヴォガドロ定数を世界最高精度で測り、質量の単位の基準を再定義する動きの最先端で研究している方が、同じ日本にいるのだから、かれの話を聞かないということはなかろうと思ったのだ。

結果は、予想を遙かにこえる大成功だった。

「質量を測る基準をどうやって作るか」といった話は、入り口の敷居は低いので、みんな色々な疑問をもつ。 「キログラム原器って、どれくらいの大きさ?」「どうやって保存しているの? 真空?」「さびないの?」「使うたびにすり減ったりしないの?」「盗まれないのかな?」などなど、すごい勢いで質問が出るわけだが、文字通り「現場」にいらっしゃる藤井さんからは、すべてについて完璧な答えがでてくる。 解説書を読んだのでは、こうはいかない。面白い。これだけでも、みんな大満足。

話が進んで、藤井さんの本業である、より現代的な質量標準の決定法になってくると、既存の物理学の知見を総動員した壮大な話になってくる。 ある程度の以上の知識のある者にとって、こういう話は猛烈に面白い。 それにしても、こういうことをしっかりやるためには、膨大な分野にわたる堅実で実際に即した知識が必要だと痛感する。 とくに、どういう量の測定はどれくらいの精度で可能なのかといった話は、理論的な知識をもっているだけでは、決してわからないのだ。

そうやって、現代の人類のもてる知識と技術を総動員して向かう次の目標は、「キログラム原器の廃止」だ。

今のところ、「1 キログラム」の定義は「パリのとある建物の地下に保管してある『キログラム原器』の重さに等しいこと」とされている。 これは堅実な方法のように思えるが、色々と問題がある。 そもそも、特定の原器に頼るのはかっこわるいし、原器そのものに狂いが生じたら(実際、狂いが生じているのは確実らしい!)それで単位の定義が変わることになってしまう。 それ以上に問題だとぼくが思うのは、この方式では、原器を保有している人たちが特権的な立場に立っているということだ。 これは何ら本質的な特権ではなく、たまたま、彼らのところで単位の制定についての先駆的な仕事をしたという(もちろん、讃えるべき)過去の歴史に依拠した特権に過ぎないのだから。

藤井さんたちの試みが実を結べば、「キログラム原器」は廃止され、「1キログラム」の定義として、より普遍的な定義が採用されることになる。 実は、同じ原器として有名な「メートル原器」のほうは既に 1960 年に廃止されている。 今では、長さの基準は(はじめは光の波長だったが)光が進む距離をもとに定められている。 そして、「キログラム原器」は、人類が未だに使っている最後の原器だという。 だから、これを廃止することができれば、人類は原器から完全に自由になり、すべての定量的な測定を、普遍的な定義に基づいて実行できるようになる。

この「原器からの解放」は人類の文化史の中できわめて重要な意義をもった出来事になる。 これによって、ついに、原器を保有する人たちでなくても、人類にとって望みうる最高の精度ですべての量を測定できるようになるのだ。 確かに、定義にもとづいて測定器を校正するためには、おそるべきハイテク技術が必要だ。 それは決して「誰にでもできる」ことではない。しかし、ここで重要なのは、しかるべき努力をして技術を磨き上げさえすれば、世界中のどこにいる誰であっても最高の精度を手に入れられるということだ。 今の段階では、どんなに技術を磨こうと、最後はフランスに行ってキログラム原器と自分の持って行った何らかの質量基準を比較しなくてはならないのだから、これは本質的な違いだ。 こうして、人類は、歴史的な偶然から生じた特権を一つ廃止し、機会の平等を手に入れることになる。 なんと素晴らしいことか!


今回のサークル合宿では、自由学園のベテランの物理の先生である鈴木さんに初めてお会いした。

偏光板を用いた実験についての彼のプレゼンテーションは素晴らしく、今回、ぼくが聞いた中では最高の発表だった。 特に、二枚の偏光板に挟んだセロテープが色を出す機構についての解説は目から鱗だった。

しかし、特筆すべきは、鈴木さんはぼくがかつて物理学科で教えた S さん(←匿名にしてもばれる?)のお父さんだったということだ。 なんと世間は狭いことか!

S さんはぼくのホームルームに所属していたし、教育実習も見に行ったし、色々な意味で印象に残っている教え子だった。 まだ卒業して何年かだけれど、それでも懐かしい。


サークルのメンバーの発表はいくつか聞いたが、それぞれに、有意義だった。 高校の教科書における量子力学のいい加減なイントロが話題になったが、これは、二学期から「量子力学1」を教えるぼくにとっては重要だ。

合宿の最重要イベントの一つはもちろん夜の懇親会。 どいういわけか、参加二回目のぼくたち夫婦が司会者に任命されているという無茶ぶり。 まあ、司会は天職と自称しているわけで、楽しみました。


2010/8/27(金)

すっかりごぶさたしてしまいました。

あれですね。

やっぱり Twitter で気楽にネットに発信していると、ついつい、ブログとか web 日記とかに書く気がしなくなって更新がめっきり減るっていう人は多いですよね。 まあ、それが時代の流れというものなのでしょう。ちょっと寂しいけど。




まあ、ぼくは Twitter やってないですが。


さて、読み返してみれば、前に書いたのはスーパー あ ず さ の車中から。 随分前ではないか。もう遠い昔である。 あの頃はクソ暑かったなあ・・・

ま、今もクソ暑いけど。

で、色々あったから順を追って整理して書いたりはもちろんせず、適当に、最近のことから書こう。


昨日から、
Summer School 数理物理 2010
ランダム・シュレーディンガー作用素
に出席している。

この夏の学校では何回か講義をさせてもらったこともあるけれど、今回は、もちろん一参加者として参加。

そして、ものすごく真面目に一生懸命に全力で聞いている。 前のほうに座って、書き間違いを指摘したりわからないことは確認したりしながら、百パーセント理解を目指して聞いているのだが、まあ、ものすごくためになる

自慢ではないが、アンダーソン局在の数学的な扱いはおろか、シュレディンガー作用素のまともな扱いについてだって、ぼくの知識はきわめて薄く、ほとんど耳学問レベルなのである。 今回、数学の人たちは、おそらく数学の大学院生あたりをターゲットにして講義を準備してくださっていると思うのだが、それくらいが、ぼくには調度よい気がする。 分かるところは証明も含めてかなりしっかりと分かったつもりで、すごくうれしい。 反面、測度論的な論法や命題が出てくるとぜんぜん分からないのだが、これはそもそも測度論の基礎がないからで、分からなくて当たり前なのである。 いつかきっちりとやるべきだと思うのだが、歳をとると、新しいことを学ぶのにかける時間と気力がなかなか取れないのだなあ。どうしても必要になれば絶対にやると思うのだが。

大槻さんのは物理サイドからのレビューなのだが、こっちも知らなかったことがどんどん出てくる。 しばらく前に、大槻さんをセミナーに呼んで当時の状況を話してもらったことがあったのだが、より長いお話をじっくりと聞くにはちょうどよいタイミングだったと思う。

しかし、まあ、暑い中を朝から電車に乗って駒場に出かけ、朝から晩まで必死で話を聞いていると、めっちゃ疲れる。

家に戻ると、なぜか、ギターを弾きつつでかい声で歌を歌ってバランスをとっている私であった。


Summer School の前の記憶は、ひたすら「イジング本」である。

一時的に東京を離れて涼しいところでひたすら作業していたし、クソ暑い東京に戻ってからもひたすら作業していた。

まだまだなのではあるが、相関不等式の証明の付録を完璧に消化して徹底的に書き直し改良できた。これは大きい。人類にとっては小さな一歩だが私にとっては大きな一歩であります。

これで、ともかく、本のすべての部分について、原とぼくが共に手を入れたという状況にこぎ着けた。 これは大きい。 次からは三回目の見直しになるわけで、かなり楽になるはず。 というか、楽だぞ。がんばるぞ。


その前のことは、また後で書こう。

書けるのかな?

(付記:けっきょく書けなかったので、上に付け足した。)


2010/8/28(土)

今朝も早起き。燃えるゴミを出してから、暑い中を電車に乗って駒場へ。ちゃんと遅刻せずに着いた。

そして、今日も真面目に聞き続ける。 相変わらず圧倒的に勉強になります。

明日は Raphael がやってくるので、残念ながらこの会は欠席。

完全出席はできなかったが、しかし得るところは大きかった。 (もちろん、自分の仕事には直結しないけど、それがいいのだ。)

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

hal.tasaki@gakushuin.ac.jp