日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


2015/4/1(水)

さて、

今日は 4 月 1 日で、しかも今はまだ午前中である。
と宣言すれば、多少のことは許されるという話なので、1 日づけの日記を書くぞ。
4 月 1 日の日記を多少無理をしてでも書かねばと思うのは、この「日々の雑感的なもの」にとって、4 月 1 日がちょっと特別の日だからである。 二十年近く前に百八歳で大往生したぼくの曾祖母の誕生日なのだ。 この日には彼女の思い出について書くのが恒例になっている。

これまでに、2002, 2003, 2005, 2006, 2007, 2008 とかなりちゃんと書いている。 2009 は祖父が亡くなったので番外編。 このあたりでだんだんネタがなくなってくるわけだが、 2010 2012 もがんばってある程度は書き、二年前の 2013 も(幸い家族から新ネタを仕入れたので)なんとか書き、去年 2014 はもう無理だと思ったんだけどたまたま鳥居啓子さんとの予期せぬ展開があって、それでしのいだ。


今年は、単にネタがないというだけでなく、3/27 の日記でお伝えしたように父が世を去ったばかりでもある。ばあさんの話はやめて、なんとなく思うことを書こう。
たいへん幸福なことだと思うのだが、ぼくは身近な人の死というものを経験しないまま成長した。

生まれた時には両親とそれぞれの側の祖父母がみんな元気だった。 それより上の世代はさすがにほぼ死んでおり、曾祖母がだけが元気に生きてきた。 そして、この人たちは、ぼくが成長して大学に入っても、みんなずっと元気だったのだ。

母方の祖父が死んだのは、ぼくが大学三年のとき。物理学科に入って間もない頃だ。 これが初めて経験する肉親の死だった。 ぼくは既に色々なことを冷静に受け止めたりできるくらいの大人になっていた。

その後もなかなか人が死ぬことはなかったが、ぼくが結婚して子供も作ったあたりから、さすがに上の世代は順番に世を去って行く。 まず、曾祖母が 108 歳で亡くなり、それから、しばらくのあいだをおいて、残る祖父母もみな世を去って行った。 一時期は直系の五世代(曾祖母、祖父、父、ぼくと弟、ぼくらの四人の子供たち)が同時に生きていることを誇っていた田崎家も、三世代が同時に生きているだけの普通の一族になった。

そして、ついに先月には父が世を去ったのだった。


父の死をはじめ、いくつかのきっかけがあって、自分自身が健康に生きていて人生と仕事を心から楽しんでいるという事実の奇跡的なまでの貴重さをあらためて痛感している。 いったい、こんな幸運な状況がいつまで維持できるのか、やりたいと思っていることをどこまで達成できるのか、自分自身が関わったことをどれほど後に残せるのか、不安と恐ろしさを感じないと言えば嘘になるが、けっきょくのところは、できることを最大限やって、いま楽しめることを最大限に楽しんで生きていくしかないのである。 (凡庸な結びでお恥ずかしいけれど)まだまだ、がんばるぞ。

元気出るようにプールも行こう。


そして、夕方には二ヶ月ぶりのプールへ。

この前に泳ぎに来たときには、父の最期が遠くない事を知っていて、様々な思いを巡らせながら黙々と 1,000 メートルを泳いだのだった。 不思議な気持ちだ。

いつも通り、料金の 600 円を払おうとチケット販売機にプリペイドカードを入れるのだが、表示の様子がなにやら違っていて手が止まってしまう。600 円というところはなくて、大人は 400 円となっている。

戸惑うぼくを見て、受付の人が声をかけてくれた。

  受付の人「料金が変わって、400 円になったんです。今日からです。」

  ぼく「え? 400 円ですか!? エイプリルフールじゃないですよね?」

  受付の人「・・・・・・・」

新年度早々スルーされましたが、がんばって 1,000 メートル泳ぎました。

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

hal.tasaki@gakushuin.ac.jp