日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


2015/9/1(火)

前回の日記で「夏休み」に入ったことを宣言したわけだが、実に早いもので、そろそろ大学の業務に復帰する日が迫っている。

今年も「夏休みモード」で集中的に仕事をしたつもりなのだが、今ひとつ煮え切らない。 いろいろと手をつけたのだけれど、結局、量子統計力学の基礎の論文の大幅改定は完成していないし、量子多体系関連で論文を書きたい(最低でも)二つの仕事についても、頭の中で整理するところまでは進んだけれど論文書きには着手できなかった。やれやれ。


『熱力学』の英語版の仕事はそれなりに進んだかな。ま、わりと機械的な作業だし。

そして、その流れで言えば『熱力学』については大きな進展があった。 それについては、すでに本の補遺のページに、

『熱力学:現代的な視点』におけるカルノーの定理の証明の改良

としてまとめてあるのだけれど、せっかくなので、そのまとめの一部を引用しておこう(書く手間もかからないしね!)。
拙著『熱力学:現代的な視点』では、5-4 節で Carnot の定理(結果5.2, 75ページ)を「証明」しているが、そこでは「一つの系での発熱量ともう一つの系での吸熱量がバランスするときには、全系での操作を実質的に断熱操作とみなしてよい」という Carnot 以来の(かなり雑な)議論が使われている。 著者もこれを不満に思い、わざわざ付録 A を用意し、(かなり面倒な工夫をして)「発熱と吸熱のバランス」が各時刻で成立するような状況を構成している。 ただ、それでも「発熱と吸熱が(各時刻で)バランスした等温操作を断熱操作とみなしてよいか?」という根本的な問題には答えておらず、243 ページの脚注 2 では、「厳密にいうと、これを新たな要請として認める」という一種の敗北宣言をしている。

私自身、この Carnot の定理を巡る議論は『熱力学:現代的な視点』の中でも最も無骨で不完全な部分だと考えていた。おそらく、少なからぬ読者が同じ感想を持っていたに違いない。


『熱力学:現代的な視点』が発行されて十五年近く経った2014年の暮れ、田中琢真さんから上記の問題の解決方法を説明したメールを受け取った。 せっかくの重要なメールだったのだが、当時は熱力学にピントを合わせる余裕がなく、田中さんに「余裕ができたら必ず検討する」というお礼の返信をしただけだった。

2015 年の夏になってようやく田中さんのメールを熟読し、そこにエレガントな正解が解説されていることに衝撃を受けた。 単純で素直なアイディア --- といっても、まったく自明ではない! --- を用いることで、5-4節にあるような伝統的な証明がほぼそのまま厳密な証明になる。すばらしい。付録 A(これは技術的に込み入っているが何ら本質を捉えていない)は不要になった。

というわけで、田中さんのメールを落ち着いて検討するために、どうしても「夏休み」の余裕が必要だったというわけだ。 英語版の準備のために該当箇所を読み直していたというのも大きかったなあ(なんせ、さすがに忘れてるし)。

田中さんのメールに「正解」が書かれていることに気付き、それをまとめ直して「熱力学仲間」に送り(←ほぼ瞬間で「すばらしい!」という感動の返信が届いた)、読者用の解説を書き、さらに、日本語版、英語版、それぞれの「差し替え」を作る --- というのが、この夏休みの最も実りある仕事だったかもしれない。 ううむ。完全に田中さんのおかげで、ぼくは何も creative なことはしてないわけだけど・・


夏休みの成果が今ひとつだったのは、期間が短かったこともあるけれど、9 月 9 日から(わあ、もうすぐだ・・)阪大での集中講義

集中講義 『大自由度量子系の物理と数理』
9 月 9, 10, 11 日、大阪大学豊中キャンパス

が始まるということもある。 やっぱり、途中からは、この講義にピントを合わせてノートを準備する必要があったのだ。

この集中講義は、昨年の暮れに本郷でやって、百名近い参加者を集めて大好評だった(←主催者側発表)集中講義(たとえば、2014/12/11 の日記を参照)の「再放送」というか、「改良版」である。 本郷の講義の一回目が終わって、講義の構成について色々と反省して「次にやるなら・・」と思っていた、ちょうどその絶妙のタイミングで阪大の素粒子グループから集中講義のお誘いをいただき、つい、ふらふらと引き受けてしまったという経緯があるのだった。 しかし、それだけに、内容はかなりしっかりと練られているつもり。

おまけに、第一部の Koma-Tasaki に関連する部分は、本郷の講義の後、渡辺さんなんかと議論した結果、かなり新しい結果も得られて見通しがよくなったので、今回はそれも(さりげなく)取り入れて話すことができる。 あと、本郷の講義で、「こういう不等式ができるはずなので、最良の定数が入ったバージョンを証明せよ」という(無茶な)問題を出したのだけれど、結局、それはぼくが解いてしまった。今回はそれについても話します。

しかし、集中講義は(特に、ぼくのスタイルの集中講義は)体力も準備時間も異様に使うので、これが終わったら当分の間は引き受けないつもりでいる。 もしかしたら、(なんせ体力は落ちる一方だし)これが最後になるかもしれない。 なので、もし興味があって、出席可能な人は、今回の講義を覗いてみてください。


「夏休み」の総括(←ってほどでもない)が今日の主要テーマだったんだけど、もう一つ、どさくさにまぎれて書いておこうっと。

時間の流れは無情なもので、ぼくも、なんだかんだといって、四捨五入はおろか、五捨六入しても六十歳という、すごい年齢になってしまった。 で、学者が六十歳になると、なんか、記念の国際会議とかイベントをやることがあって、それはそれで素晴らしいことも多いのですが、ぼくが六十歳になったときには何もないです。別に六十歳のイベントの是非についてどうのこうの言うつもりもないし、「ぼくの場合はこれこれの理由でイベントをやらない」とかいった理由付けをするつもりもないです(ヘタに理由を付けたら、他の人のイベントにケチをつけることになるしね)。 ただ、もう、何もやらないですよということを論評抜きで、しかし断固として宣言しておくのであります(「お前なんかのイベントは誰も企画しないだろ」というご意見もあるだろうし、ぼくも、そうだろうなあとも思うのですが、まあ、色々あれなので、念のための宣言です。ていうか、これくらい事前に断言しておけば、誰もやろうということは考えないはずなので、不必要に悩ませて迷惑をかける心配もないだろうとも思っています)。以上です、すみません。


2015/9/13(日)

さて、ぼくにとっては、本当に大きなイベントだった

集中講義 『大自由度量子系の物理と数理』
9 月 9, 10, 11 日、大阪大学豊中キャンパス
本格的な量子多体系の講義。昨年の暮れの本郷での講義の改良版です。集中講義はこれで当分は引き受けないつもりなので、興味のある方は(可能なら)どうぞ。

が終わった(右下の写真はすべての講義が終わったのぼく。橋本さんにいただきました。ありがとうございます)

[My lecture]

参考のため、記録しておくと、三日間とも 1 時に始まり、

という感じだったので、トータルで 17 時間弱というところか。ひたすら板書してしゃべりまくった。 新品の白いチョークの(大きい)箱を二日間で完全に使い切って、三日目に新しい箱をあけた。

昨年の暮れの駒場での集中講義の経験からして、今のぼくの体力では、これだけの講義をこなすのは限界に近い(あるいは、限界を超えている可能性もある)と判断していたのだが、少なくとも、三日間のあいだはきわめて元気に話ができたし、頭もそれなりに回り続けていた。心から安堵している。


今回の集中講義でもお世辞抜きで素晴らしい聴き手を得た。 阪大の人たちだけでなく、京阪神から多くの人たちが集まってくださった(本当は、お名前を挙げて感謝したいところだが、終わらなくなるのでやめておく)。 みなさん、常軌を逸した長時間の講義を熱心に聴いてくださるだけでなく、様々な場面で本質的な質問を次々としてくれる。 6 時を過ぎても証明の詳細を説明し続けるぼくもどうかしているが、それに食いついてきて説明不足のところをどんどん質問してくる聴き手は素晴らしすぎる。

また、講義の進め方としても、三日間でイメージ通りの構成で 3 セットの講義を終えることができた。 つまり、web ページにあるように一日ごとに一つのテーマを「読み切り」的に(←もちろん相互関連はいろいろとあるけれど)話すという目論みが(過去には失敗したのだが、ついに)うまくいったのである。

三日を終えた直後の充実感はちょっと異常なレベルだった。講義後の打ち上げでありがたい賛辞を受けたときには本気で涙が出そうになってしまった。こんなことは本当にめずらしい。

集中講義を可能にしてくださったみなさん、そして、参加してくださったみなさんにあたらめて心から感謝いたします。


今回めざしたのは、単に何らかのテーマについての集中講義ではなく、ぼくという科学者が、若い世代に語り継ぎたい量子多体問題の重要なテーマを真剣に精選し、そのなかに死後にも残るだろう(あるいは、残したい)ぼく自身の仕事をも(ストーリーとして自然な範囲で)織り込みながら、徹底的に構成を練って作り上げる一連の講義だ。

実は、こういう方向性を狙って、最初に講義をしたのが 2006 年の駒場だった。 そして、このときの渾身の講義については、佐々さんから、

僕が今までうけてきた集中講義や僕がしてきた集中講義とはまったく違う次元にある
という、ほぼ最高級のお褒めをいただいた(「日々の研究」2006/12/18)。 ただ、結局それでも満足せず、もっと質を高めたかった。 なので、2008 年の立教での整理された「再放送」のあと、2014 年の本郷では完成形を目指して挑んだ。ただ、本郷では構成と内容の精選にどうしても不満が残ってしまったのだが、ついに、今回の阪大で完成形になったというわけである。

素直にうれしいわい。

もともと「集中講義は、このあと当分しない、あるいは、これが最後になるかもしれない」と言っていたのだが、これ以上の講義をもう一回できる自信は絶無なので、ほんとうにこれを最後にするかもしれない。 少なくとも、このテーマで、このスタイルの集中講義は本当に最後だ。思い残すことはない。 あとは、講義ではなく、多くの人に学んでもらえるようなしっかした本を書こう。


半年前に世を去ったぼくの父は、1964 年、ぼくが幼稚園に入園する時期に、阪大の基礎工学部に着任し、それから、1977 年に筑波大学に着任するまで、十三年間を大阪大学で過ごした。

ぼくの科学者としての人生にとって深い意味があり、また一つの区切りともなった今回の集中講義を、他ならぬ阪大で開講できたのは、なにか不思議な偶然なのかもしれない。 講義をすべて終えた翌日の土曜日に、阪大キャンパスを訪れ、父がいた基礎工学部の周辺などを歩きながら

「親父は死んだ。俺もいずれ死ぬ。」
という自明の事実をあらためて深い実感をもって感じていたように思う。
[akinokumo]

講義のあとに、「かっこいい物理学者を見た」というありがたい感想を若い研究者からいただいた。 なんとうれしいことか。 実をいうと、自分でも「この講義をしていたぼく」はかっこよかったと思っているのだ。 ぼく自身が自信を持っている仕事たちを徹底的に見直してもっとも見通しよく示すことができたから、そして、そういう「物理」を見る喜びを集中講義に集まった人たちに共有してもらえたと確信できたから。

でも、集中講義はおわった。

昔の業績に頼って「かっこいい物理学者」をやるのは、もう、おしまい。 今日からは再びかっこよくもなんともない無骨な日々の研究に戻る。

若い頃の俺には体力と頭の回転のスピードでは負けるかもしれないが、経験と、そして、覚悟では絶対に負けない。

(写真は 12 日に帰りの新幹線の窓からとった風景。もう秋の雲だね。)

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

hal.tasaki@gakushuin.ac.jp