支援者の声
役職等はインタビュー当時のものです
個人・団体からの寄付
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母なるものに対する純粋な気持ちを大切にしたい
学習院大学政経学部経済学科卒業(昭和31(1956)年)
セコム株式会社 取締役最高顧問飯田 亮
飯田亮様は令和5年1月7日、ご逝去なされました。 心よりご冥福をお祈り申し上げます。
母なるものに対する純粋な気持ちを大切にしたい
学習院大学政経学部経済学科卒業(昭和31(1956)年)
セコム株式会社 取締役最高顧問飯田 亮
学習院の国際化は、波多野前院長がいち早く提唱されてきたとおり、教育改革における重要課題のひとつです。そもそも学習院は国際化にふさわしい学校といえます。その成り立ちや歴史、教育方針、今後の進むべき方向性などからしても、日本のどの学校よりも、諸外国に説明しやすく理解されやすい、広く海外にアピールできる特長と優位性が備わっているものと私は考えます。
国際化を推進するには、語学力は当然として、人間をつくる、すなわち人として基礎的な考え方を仕込んでいくような教育が必要です。そうした素養はディスカッションで培われます。講義を聴いてノートを取るだけの授業形態は見直すべきでしょう。国際化という教育改革にあっては、学校を運営する側も汗をかかなければいけないし、卒業生をはじめとする学習院を愛する皆さんの持続的な支援もまた欠かせません。
私が創設したアメリカンフットボール部は、平成25(2013)年に創部60周年を迎え、その節目を前にした平成24(2012)年、一部昇格を果たしました。このことは、スポーツ推薦枠のない学習院が、激しい団体競技において、品格あるおおらかさと同時に、タフであることも示せた点で大きな意味があると思っています。創部当時、部員が二人しかいないときもあり、何度やめようと思ったか知れません。部を創ってよかった、やめずに続けてよかった。後の事業においても続けることの価値を教えてくれたのが部活でした。そしてよくぞ半世紀以上もつないでくれたと感慨もひとしおです。学習院での思い出は尽きません。今でも門をくぐると、なんとなく胸がジーンと熱くなります。わが母校を、学生時代の友を敬愛する。学習院が好きだという理屈を超えた気持ちの結束こそ、連綿と続く校風なのではないでしょうか。その絆は寄付という無償の行為によって、さらに深まります。
- 本記事は、平成24(2012)年2月に行われたインタビューを掲載しています。
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何がなんでも、やらなければいけない。グローバル化の未来を、超えていくために。
学習院高等科卒業(昭和42(1967)年)
日本郵政株式会社 取締役兼代表執行役社長長門 正貢
何がなんでも、やらなければいけない。グローバル化の未来を、超えていくために。
学習院高等科卒業(昭和42(1967)年)
日本郵政株式会社 取締役兼代表執行役社長長門 正貢
経済を実地に勉強したいと考えて銀行に入行。 昭和47(1972)年当時、すでに国際化の時代と声高に叫ばれ、銀行の留学制度の試験に気迫で通り、アメリカへ。以降、私の海外勤務歴が始まりました。グローバル化の重要性はさらに加速度を増しています。海外とのエクスポージャー(exposure)なしにこれからの日本の将来はないでしょう。 当然、国際社会科学部の新設は大賛成。ここで学ぶ人材にまず言いたいことは「言葉を磨け」です。手段として英語ができないとスタートラインにも立てません。ネイティブにはどうしたって勝てないですから訛りがあってもいい。達意の英語を雄弁に駆使できるまで徹底的に身につけて欲しいと思います。
そのためにも、この新学部の教育成果が完遂できるよう、我々卒業生をはじめ、学習院を愛する同志が惜しみない支援を忘れてはなりません。こと寄付に関しては、留学先だった大学院からは依頼が毎学期ごとにやってきます。寄付文化がまるで違うと言われてしまえばそれまでですが、もうひとつの母校である一橋大学も募金には熱心です。緑豊かな目白キャンパスで学び鍛えられ、錚々たる生涯の友と出会い、享受した様々な恩恵を思い返すたびに、後輩たちを応援したいという強い気持ちがあらためて湧きあがってきます。学習院の卒業生たちが次々と世界の舞台に出て行き大いに活躍してくれることを、心から願わずにはいられません。
- 本記事は、平成27(2015)年2月に行われたインタビューを掲載しています。
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国境を越えて遠く離れても、学習院を愛する気持ちはずっと変わりません。
学習院大学経済学部経済学科卒業(昭和47(1972)年)
学習院桜友会海外支部・ロンドン桜友会会長中島 重喜
国境を越えて遠く離れても、学習院を愛する気持ちはずっと変わりません。
学習院大学経済学部経済学科卒業(昭和47(1972)年)
学習院桜友会海外支部・ロンドン桜友会会長中島 重喜
「ー人でも多く、世界に通用する人材を育てる。 後輩のために、私にも何かできることがあれば。」
マイペースな私は、暗記する勉強に馴染めず、学生時代はゼミも取らぬまま、成績はオール可を狙った省エネ低空飛行作戦を実行。それでも英語は基礎からきちんと学んでいましたので、成績は優でした。他にも優と良がいくつかあった気がします(笑)。英語研究部の小屋みたいな部室がくつろぎの場で、放課後、よくギターを弾いていましたね。西門や正門、そして豊かな目自の緑が懐かしく、時を経てキャンパスに立つと胸にグッと迫るものがあります。平成28(2016)年には新学部が開設されるそうですが、学習院がますます充実し、優秀な学生が日本と世界のために多く輩出されることを期待します。とくに英語圏、アングロサクソンの社会で活躍するうえで知らなければいけない文化や規範、さらには英会話ではない「ビジネスで通用する英語」を教えてほしいですね。そのためにお役に立てることがあれば、支援やアドバイスなど、できる限りの協力を惜しみません。
「今、こうして海外で仕事が続けられるのは、学習院卒業というパスポートがあったおかげ。」
香港への転勤からスタートし、さまざまな出会いと経験を積み重ね、38年間、海外で仕事を続けられた。そもそものきっかけは、学習院大学経済学部卒業という一枚の証書(資格)があってのこと。その意味では学習院に大変感謝しています。在学中は裕福でなく、学校への寄付も叶わず、申し訳ないなあ、いずれ返さなければ…とずっと思っていました。学習院サポーターズ倶楽部に入会し、寄付もさせていただきました。また、卒業生が母校に寄付を行っている欧米の習慣に倣い、私もいずれお迎えが来た時に、少しですが資産の一部を学習院へ寄付するよう、遺言も作ってあります。
ロンドン桜友会には15年前に入会し、帰国する先任者の指名を受け、10年前から会長を務めています。年一回の会合で参加者と楽しい時聞を共に過ごしますが、皆さん、慎み深く、あえて口には出さないものの、学習院への変わらぬ愛情や想いがひしひしと伝わり、いつもうれしく思っています。
- 本記事は、平成26(2014)年11月に行われたインタビューを掲載しています。
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奨学金の恩恵を受けた学生のひとりとして、今後は、私がお返ししなければいけない。
学習院大学大学院自然科学研究科化学専攻(昭和56(1981)年修士課程修了)
岩田 英二
奨学金の恩恵を受けた学生のひとりとして、今後は、私がお返ししなければいけない。
学習院大学大学院自然科学研究科化学専攻(昭和56(1981)年修士課程修了)
岩田 英二
大学に進学したら、自立しようと決めていました。自分で働いた分と奨学金で授業料も生活費も賄って…。だから、4年生になるまでほとんど遊んだことがありません。住込みでの牛乳配達に始まり、夜間の血液検査のアルバイト、家庭教師などもやりました。入学してすぐに知り合った学友に影響され、 一日一冊、本を読むようになって、大学と図書館とアルバイトを巡るような学生生活でしたけれど、 それなりに充実していましたね。楽しい経験もいろいろありました。
私の寄付など取るに足りない話なので、取材は辞退させていただくはずでしたが、お断りしきれず、お恥ずかしい限りです(笑)。学習院でもそうでしたが、これまでいろいろな出会いがあり、いい刺激をたくさんもらってきました。
進学したい、頑張りたい、 そういう若者がいるなら、何かしら貢献したい、少しでも思返ししたい、というささやかな気持ちです。たいしたことはできませんが、世の中には応援している人たちがいるとわかってもらえるだけでも彼らのやる気が出ると思います。私自身も奨学金があったからこそ、今の自分があります。それがなかったら人生が変わっていたでしょう。この春に定年退職を迎えましたが、やれるうちにやっておこうとの想いで、毎年定期的に届く募金案内を見て支援を続けてきました。
- 本記事は、平成26(2014)年12月に行われたインタビューを掲載しています。
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我愛目白学習院
学習院⼤学法学部教授
中居 良文
我愛目白学習院
学習院⼤学法学部教授
中居 良文
晴れた朝は正門を通るのがよろしい。向かいの小学校からは遊ぶ子供の声が聞こえる。駅前で昼食用のパンなど仕込めば、信号待ちも余裕だ。正門からの林間の小道はいつも閑静でなんとも気持ちが良い。木々の手入れは完壁で、派手な門や、威圧的な建物がないのもうれしい。北京や上海から帰ってくると心からno place like home!と叫びたくなる。
こんな理想的な環境をただで使わせてもらってよろしいものか?我が家の財政部長の見解は明確である。曰く、「お世話になった人には御礼をすべし」聞けば、利に聡い私立大学のなかには役職に応じた寄付を半ば義務化しているところもあるという。確かに大学からは実にタイミング良く、立派な寄付依頼の封書が届く。
しかし、ルネサンス期の哲学者が喝破したごとく、人は良いことをし続けるにはあまりにも忘れっぽいのである。今回、物忘れでは人後に落ちない小生はサポーターズ倶楽部に入ることにした。これで小生は家庭での財政部長からの非難のまなざし、大学からの無言の圧力から当分の間自由である。自由はタダではないが、素晴らしい。
- 本記事は、平成27(2015)年2月に行われたインタビューを掲載しています。
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活気ある学習院となるよう奮起しています。
桜友会経済学部同窓会
活気ある学習院となるよう奮起しています。
桜友会経済学部同窓会
学習院の卒業生が全国に10万人以上を数える中、サポーターズ倶楽部の会員はまだ1%程度と聞いています。経済学部同窓会としては率先して入会し、各団体・個人にも広く加入を促す機運を高め、母校支援を呼びかけたい想いがありました。経済学部同窓会名誉会長でもある内藤政武学習院長の発案が今に受け継がれ、平成25(2013)年度の総会にて入会が承認されました。
我々の合言葉は「団結と絆」。若手を中心とした「平成会」の取り組みも活発です。その勢いのもと、学部・職域・地域といった各桜友会支部を通じて学習院の活性化につながる活動を、模索し続けています。
- 本記事は、平成27(2015)年2月に行われたインタビューを掲載しています。
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学習院でほんとに良かった、家族全員の想いです。
⼤学⽗⺟保証⼈
宮本 香・一美
学習院でほんとに良かった、家族全員の想いです。
⼤学⽗⺟保証⼈
宮本 香・一美
長男が学習院大学に入学し、とても活き活きと通学しています。おっとりした性格の本人に校風が合っているようでうれしい限りです。入学前と入学後に私もキャンパスを訪ねてみましたが、都心の一等地にあれだけの自然があることに驚き、また、長男との会話から、教授陣の素晴らしさ、教授と学生の距離の近さにとても感心しました。(香様談)
父母保証人会で先生方の温かい対応に感激し、なにかせずにはおれない気持ちになりました。息子たちの教育環境をよりよくと思うのはすべての母親の想いですが、まとまった金額を1回でとなると考えてしまう、というのが正直なところです。サポーターズ倶楽部を知り、「これならできる!」と嬉しくなりました。半年に1回、家族4人の外食を我慢したつもりで、感謝の気持ちを支援に代えております。(一美様談)
- 本記事は、平成27(2015)年2月に行われたインタビューを掲載しています。
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国際社会科学部開設は素晴らしい試み。
世界には機会があふれているから。学習院大学大学院人文科学研究科心理学専攻修了(平成9(1997)年)
小山(矢島) 恵理子
国際社会科学部開設は素晴らしい試み。世界には機会があふれているから。
学習院大学大学院人文科学研究科心理学専攻修了(平成9(1997)年)
小山(矢島) 恵理子
学習院在学中から、「一生働きたい」、「責任ある仕事をしたい」、「心理学を生かしたい」と考え、国家公務員をめざしました。現在は外務省国際連合日本政府代表部(在ニューヨーク)にて働いています。今の私の心身の骨格を作ってくれたのは学習院です。特に初等科では話し合いや発表の授業が多く、自分の意見を人前で話すことを徹底的に鍛えられました。仕事での講演やスピーチ、世界各国の外交官とのタフな議論・交渉にも物怖じせず臨めるのはそのおかげです。
海外から日本を見ると、「日本の学生はなぜもっと積極的に世界に飛び出さないのだろう、機会はいくらでもあるのに」と常に感じます。英語は単なる手段ではなく、世界に羽ばたくための魔法のツールです。外国語を学ぶこととは、その言葉につながる文化や背景、考え方、つまり国際的センスを習得することです。新学部の開設は、学習院から世界に羽ばたく数多くの人材の輩出につながるはず、と期待しています。
寄付文化が根付いている欧米社会に暮らしてみて、自分が学生だったときの恵まれた教育環境は卒業生などからの寄付に支えられていたと気づきました。学習院の卒業生であることは私の誇り、喜んでできる恩返しをしたいと思います。学習院の卒業生としてのプライドを持ち、世界中で活躍する方が増えるよう、心からのエールをお送りします。
- 本記事は、平成26(2014)年2月に行われたインタビューを掲載しています。
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勉学に励みたいと願う後輩たちに、「頑張ってね」と、エールを送りたくて。
学習院大学文学部イギリス文学科卒業(昭和46(1971)年)
福島市在住 ご卒業生
勉学に励みたいと願う後輩たちに、「頑張ってね」と、エールを送りたくて。
学習院大学文学部イギリス文学科卒業(昭和46(1971)年)
福島市在住 ご卒業生
夫の仕事の関係で、福島県内を転々と異動しましたが、17年前に福島市内に定住を決め、家を建てました。すぐ近くに福島大学があり、楽しそうな学生さんたちを毎日眺めては元気をもらい、自分が学生だった頃をよく思い出します。二年間在籍した馬術部の方々、同じ学科の友や先生方はどうなさっていらっしゃるかしらと想いを馳せ、学習院での日々をいつも懐かしんでおりました。
そんな折、年金をいただける年齢となり、その一部を母校への恩返しになればと寄付を始めました。年金は個人名義の口座に入るものですから、ずっと専業主婦だった私にとって、自分で使い道を選べるのがうれしく、喜んで応援しています。
景気が長く低迷する中、経済的な事情によって、進学や勉学の機会を失っている若い方が増えていると聞き、またそれは学習院でも例外ではないとも知り、無理のない微々たる金額ですが、塵も積もれば…という気持ちでお手伝いしています。
東日本大震災に遭い、涙が止まらない大変な時期もありました。でも、泣いてばかりもいられません。前向きになるためにも、震災とは切り離して、学習院への寄付を継続してきました。平凡な主婦のささやかな事例ですが、全国には同じような想いを抱く卒業生は少なくないと思います。
- 本記事は、平成25(2013)年12月に行われたインタビューを掲載しています。
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世界でも活躍できる逸材を学習院の課外活動から輩出したい。
学習院大学法学部法学科卒業(昭和54(1979)年)
学習院父母会会長小堀 正晴
世界でも活躍できる逸材を学習院の課外活動から輩出したい。
学習院大学法学部法学科卒業(昭和54(1979)年)
学習院父母会会長小堀 正晴
課外活動は、スポーツ・文化、団体・個人を問わず、授業では得られない多くの収穫を与えてくれます。厳しさ、苦しさ、挫折など全部含めて受け入れ、楽しみながら継続しつつ、謙虚に、より高みをめざし、ひとつの生きがいとすることそのものにも価値があると思います。また、縦と横の人間関係を通じて得た、さまざまな体験は、教室での勉学以上に余りあるものが身につき、その関係は生涯にわたって続く財産となります。
私は初等科から大学まで剣道部に在籍し、卒業後も毎年恒例の寒稽古に参加しています。平成26(2014)年には、47回目の皆勤となりましたが、それは良き先輩や仲間がいて自分を奮い立たせてくれたからに他なりません。
そうした意義ある課外活動に対して、学習院父母会では、施設や設備・備品などの助成をはじめ、優秀な成績を残した団体・個人への褒賞など、物心両面での惜しみない支援を行なっています。
自身が所属した部に直接的な支援を差し伸べる卒業生が多いことは当然ですが、その一方で、全国に、そして世界に学習院の名を知らしめる逸材を輩出すべく、学習院の課外活動全体に広くあまねくご支援をいただくことが重要かと存じます。もっともっと応援すれば、そんな人材も必ず育つ環境が学習院にはあると私は信じています。
- 本記事は、平成26(2014)年2月に行われたインタビューを掲載しています。
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心癒され、元気をもらった目白の自然を後輩たちにいつまでも残したい。
学習院大学文学部国文学科卒業(昭和63(1988)年)
学習院女子大学客員教授池坊 由紀
心癒され、元気をもらった目白の自然を後輩たちにいつまでも残したい。
学習院大学文学部国文学科卒業(昭和63(1988)年)
学習院女子大学客員教授池坊 由紀
フランス文学科に入学し、二年目から国文学科へ転科しましたので、取らなければいけない専門単位が多く、また、課外活動やアルバイト、お花の稽古などもしておりましたから、在学中はとにかく忙しい毎日でした。そんな私を癒し、力強いエネルギーをくれたのが目白キャンパスの豊かな自然です。
とくに図書館周辺が美しく、紅葉の時季には銀杏の道が金色の絨毯になり、まるで時が止まったようでした。四季折々にさまざまな草木を心穏やかに楽しく愛でられる環境は、まさに学習院ならではの伝統とおおらかさを際立たせていると感じます。
物言わぬ植物ですが、その命ある自然が人に与える影響や恩恵は計り知れません。私自身がいただいた感動やインスピレーション、励ましや気づきをぜひそのまま次の世代に伝えられるように目白の自然を残したいという想いで、心ばかりですが、緑化関連事業を応援しております。
今時はどこの学校も立派な校舎になっていますが、都心の一等地にこれほどの自然を有している学校は、そうありません。長い人生の多感な一時期に、この自然環境の中で、素晴らしい人と出会い、同じ時間と空間を共有できるのはとても幸福なことです。私にとってもここが原点です。卒業後の歳月を経る度に想いをさらに強くしています。
- 本記事は、平成25(2013)年11月に行われたインタビューを掲載しています。
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身構えず気軽に。学習院の伝統をリレーでつなぎたい。
学習院大学法学部法学科卒業(昭和49(1974)年)
学習院⼤学法学部特別客員教授岩田 公雄
身構えず気軽に。学習院の伝統をリレーでつなぎたい。
学習院大学法学部法学科卒業(昭和49(1974)年)
学習院⼤学法学部特別客員教授岩田 公雄
在学中、私は大学と日本育英会の2つの奨学金の給付を受けていました。そのことを最近になって講演で話したり、近著に書いたりしたら、同級生や先輩などにひどく驚かれました。そうとは気づかなかった、わからなかったし、知って意外だよと(笑)。
家が経済的に困窮していたわけではなく、なるべく親に迷惑や負担をかけずに自活したい。裕福でなくても社会で堂々と自立して生きていきたいという想いがあってのことでした。それは警察官で北海道各地の署長も務めた父の教えでもありました。仕送りは最小限にとどめ、奨学金とアルバイトの収入があったおかげで、学生生活を明るく楽しく前向きに送ることができました。孤立したり卑屈になったりすることなく、部活、勉強、アルバイトと何事にも一生懸命に取り組んだ4年間だったような気がします。
大学入学当時は、ちょうど東大紛争や日米安保反対などがあった激動の時代。経済的な理由で進学できない者、地方から上京した苦学生、挫折し中退する者、学生運動に走るものなどがたくさんいました。一番優秀だった私の長兄も弟二人を進学させるために自ら大学進学を断念しています。
そうした事情を乗り越えられる制度として今も昔も奨学金があり、本当に必要な若者に広く給付され、志をもって勉強し社会に出て役立つ人間になってくれたらと願わずにいられません。
自己を振り返ると、それで大変助かったし、励みにもなったし、いい人たちに出会えて、とても感謝しています。多少の余裕ができた年齢となった今は率先して貢献したいと思っています。学習院の素晴らしい環境や伝統を次の世代にバトンタッチしていくのは卒業生の務めです。厳しい経済情勢の今だからこそ惜しみなく応援しようではありませんか。
- 本記事は、平成25(2013)年3月に行われたインタビューを掲載しています。
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優秀者を褒め称え、課外活動全体が活発になるように。
学習院高等科卒業(昭和62(1987)年)
岩倉 孝雄
優秀者を褒め称え、課外活動全体が活発になるように。
学習院高等科卒業(昭和62(1987)年)
岩倉 孝雄
初等科から高等科まで学習院に学び、大学は開業医を継ぐべく東京医科大学に進学。剣道は祖父の言いつけで初等科から始め、大学卒業まで続けました。練習がとにかくイヤで、中等科に入ったらやめよう、高等科に入ったらやめよう、大学に入ったらやめようとずっと思いながら、なぜか今もこうして楽しそうに竹刀を握っています(笑)。
剣道部の課外活動は、私にとって青春そのものであり、人としての基礎を作るうえで大切なことを学び、さまざまな肝要を身に着けた積み重ねの日々だったように思います。とくに剣道を通じて得た先輩、同級生、後輩との絆はかけがえのない生涯の財産となっています。剣道はイヤで仕方なかったけど、でも剣道部はすごく好き、ずっと長く続けられた理由はそこに尽きますね(笑)。
剣道に限らず、当然、多くの課外活動においては、勝つために皆、練習に励むわけですが、私個人は、勝敗だけに価値を求める過剰な勝利至上主義は学習院にふさわしくない気がしています。課外活動全般から得るさまざまな経験や教訓、礼儀、思いやりの心、人とのつながりによって、その後の人生を豊かに実り多くすることこそ、課外活動の大事な役割だと信じているからです。
学習院にあっては、体育系文化系を問わず、課外活動における成績優秀者を積極的に褒賞し、のびのびと育成するために、この課外活動助成基金がフルに活用されることを望みます。その継続の中から、世界でも活躍できる逸材を一人でも多く輩出できれば、それが何よりもおおらかで温和な学習院らしい成果だと思います。
- 本記事は、平成25(2013)年1月に行われたインタビューを掲載しています。
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今こうしていられるのは、学習院のおかげですから。
学習院大学経済学部経済学科卒業(昭和46(1971)年)
大杉 幸正
今こうしていられるのは、学習院のおかげですから。
学習院大学経済学部経済学科卒業(昭和46(1971)年)
大杉 幸正
石川県在住の私が、6つの指定項目からあえて緑化事業を選んで寄付しているのは「あの杜を永遠に」という愛着の想いからです。上京した際はなるべく時間を作って母校に足を運んでいます。全部が懐かしいし、目白の杜にいるだけで心身が癒されます。いつ立ち寄ってもいいように、自然豊かな杜の大きさにはわずかな金額ですが、母校への入場料のつもりで寄付しています。先輩として無料というわけにはいかんでしょう(笑)。
平成24(2012)年の秋は2回寄りました。目白駅前のホテルに泊まり、早朝に正門から入って学内を散歩したときのこと。馬場のほうへ行くと、馬術部が練習していました。しばらく見学していたら、女子部員が温かいコーヒーをそっと出してくれました。あれには感激しましたね。私は弁論部でしたが、馬術部に借りができてしまいました(笑)。
平成19(2007)年に還暦を迎え、自分の人生を振り返り、これまで母校に何も貢献できていないと思い、同級生で大親友の井坂(正富さん・京滋桜友会)を誘って、学習院サポーターズ倶楽部に入会しました。当時は10年コースがあり、70歳で満額に達したら銘板に記名されるから、共に元気で頑張った祝杯を目白であげようと約束しました。
また、平成23(2011)年の卒業40周年記念同窓会に出席の折には、井坂と二人で初めて、輔仁会館のさくらラウンジを訪れ、血洗いの池を眺めながら、令和3(2021)年の50周年には何かできる範囲で学校に恩返ししようと誓い合いました。
思えば浪人中、高田馬場の下宿の窓から目白の杜にピラ校(ピラミッド校舎)の先端が見え、あの学校に入ろうと一念発起したことが、今ある私の出発点だった気がしてなりません。
- 本記事は、平成25(2013)年2月に行われたインタビューを掲載しています。
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父の遺産の一部を母校へ。寡黙だった父もきっと、喜んでくれていると思う。
学習院高等科卒業(昭和51(1976)年)
飯田 英信
父の遺産の一部を母校へ。寡黙だった父もきっと、喜んでくれていると思う。
学習院高等科卒業(昭和51(1976)年)
飯田 英信
父の勧めにしたがい、学習院中等科に入学。高等科まで学びました。耳鼻咽喉科の自宅開業医だった父の背中を見て育ちましたから、中等科の頃には、なんとなく同じ医師をめざすべく自覚が芽生え、大学は日大医学部に進みました。 学習院在学中は、高校受験がなかったこともあって、中等科ではバスケットボールの部活に専念し、高等科では大学受験に備えながらも、ロック系のバンド活動でベースに熱中する、のびのびとした楽しくおおらかな6年間を過ごしました。
平成23(2011)年に父が他界し、思ってもいないほどの遺産を受け継ぎました。手続きはすべて税理士さんにお任せしたのですが、相続税分を寄付するという選択もあることを詳しくアドバイスいただき、それならと迷うことなく、学習院と日大医学部、国境なき医師団へ寄付することを決めました。
今、私があるのは2つの母校のおかげです。学習院にあっては、人間形成にとって重要で多感な時期に勉強一辺倒ではない充実した日々を過ごし、良き恩師と友人に恵まれ、思い出も多く、学習院に学んだことを感謝しています。卒業生ではない父が、なぜ、私に学習院を勧めたのか今はわかる気もして、ごく自然な想いで寄付したことを草葉の陰で褒めてくれていると思います。
- 本記事は、平成25(2013)年2月に行われたインタビューを掲載しています。
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今あるのは学習院のおかげ。毎年、それを確認するために。
学習院大学文学部国文科卒業(昭和62(1987)年)
新橋 太
今あるのは学習院のおかげ。毎年、それを確認するために。
学習院大学文学部国文科卒業(昭和62(1987)年)
新橋 太
平成14(2002)年から毎年、使途を奨学金に指定し、匿名で寄付を続けてきました。だから、このような取り上げ方をされるのは本意ではありません。しかし、少しでも多くの方に参加いただけたらとの想いも手伝って、協力しようと考えました。
教職に就き、20年以上、勤められているのは、やはり、学習院でお世話になったおかげです。大学での教育なしに今の自分はないと思っています。今こうしていられる、今年も健康で教壇に立てている、それを自己確認するために寄付を続けています。名前を出すほどの額でもなく、また、最終的には自分の気持ちの押し付けでもあるから、匿名にしてきました。働いて得た中から幾ばくかを自分なりに寄付したい。そうできる自分であり続けたい。微力ながらも、それで教育が受けられる機会の後押しができればとの単純な想いです。
社会人として仕事をきちんとする、家庭をしっかり守る、社会に貢献する、地域に貢献する、自分の時間をもつ、それらをすべてバランスよく整えてこそ、一人前の社会人だという、ある先生の言葉が、在学中からずっと頭の片隅にあったことも、私を動かした大きな要因のひとつかもしれません。
私自身も奨学金を受け、働きながら、学習院での大学生活を送りましたが、定時制高校で生徒たちと向き合っていると、自分は恵まれていた、甘かったと痛切に感じます。定時制の教員は生徒からいろんなことを教えられます。生徒から学んで成長し、収入も得ています。本人の責任ではなく、経済的事情で教育の継続が難しい状況にある若者に、なるべく還元できたらという切なる願いにも似た気持ちです。
思えば、私の寄付に対する意識は、すでに学習院在学中に種が蒔かれていて、社会で芽吹いたのではないでしょうか。
- 本記事は、平成24(2012)年1月に行われたインタビューを掲載しています。
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学習院の自然を、いつまでも残していただきたくて。
学習院大学文学部史学科卒業(昭和54(1979)年)
菅原 彰子
学習院の自然を、いつまでも残していただきたくて。
学習院大学文学部史学科卒業(昭和54(1979)年)
菅原 彰子
私共夫婦は史学科の同級生です。史学科は学生の仲が良く、また先輩・後輩との縦のつながりもあり、先生方を中心に親しくお付き合いいただき、そのご縁は今も続いています。
グループで学内を散策したり、目白周辺でお酒を酌み交わしたり、毎年恒例の鎌倉の先生のお宅での新年会やバーベキュー、家族ぐるみのスキーと思い出は尽きません。学習院の恵まれた環境のなかで4年間学び、その後も学習院の思い出とつながり、学習院で学んだことに感謝していました。
ところが、平成12(2000)年1月、夫が急性膵炎で他界。入院して翌朝の急逝でした。生前から葬儀もお墓も戒名もいらないと言っておりましたので、遺志に従いましたが、それでも何か夫の供養と二人の記念になるようなことをしたいとずっと考えておりました。そんな折、ふと母校を思い出し、一周忌を機に、学習院の美しい自然をいつまでも残してほしいとの想いを、造園緑化のための寄付に託しました。
北海道で生まれ育った夫は渓流釣りや山歩きが好きで自然を愛していましたから、夫の強い思念が私にそうさせたのかもしれません。ほぼ毎年、命日に手続きをし、七回忌には少し増額しながら、早いもので、平成24(2012)年に十三回忌を迎えました。
春は桜、夏は百日紅、秋は紅葉がとてもきれいで…。図書館辺りのユリノキや目白通り沿いの街路樹、ネームプレートが付いた愛らしい花々、山茶花や椿の花などなど、どれも手入れが行き届き、血洗いの池も公園のようになり、キャンパス全体がいつもきちんと整備されています。都心の広大な敷地の中にこれだけ豊かな緑が残っているのは大変貴重なことです。それは私たちだけでなく、在学生、卒業生ともに全員の共通した学習院への想いではないでしょうか。
通勤の途中、学習院の緑の杜を眺めることは、私にとってはつかの間の安らぎのひとときです。
- 本記事は、平成24(2012)年2月に行われたインタビューを掲載しています。
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次の世代を想う気持ちはかわりません。
学習院⼤学国際社会科学部教授
⼊江 恵
世界に寄付文化の違いはあっても、次の世代を想う気持ちは変わりません。
学習院⼤学国際社会科学部教授
入江 恵
国際社会科学部は、経済活動の観点から、世界で広く活躍できる人材を育成するために開設される、本学にとっては52年ぶりとなる新しい学部です。
大きく分けて、
①問題発見・解決力を育成するカリキュラム
②社会科学の専門教育と英語教育の融合
③海外研修が卒業要件
という3つの特徴があります。他大学の国際系学部が文化やコミュニケーションにフォーカスしている中、本学の国際社会科学部は社会科学の基礎を英語で学べる唯一の学部となります。 また、教授陣のほぼ全員が海外の大学で学んだか研究や教鞭をとった経験があるのも大きな特徴でしょう。
国際的に活躍できる人材を育成するためには、どうしても多くの予算を必要とします。学生本人や父母保証人に過重な負担がかかり、経済的事情の「狭き門」となっては意味がありません。教育改革推進資金をはじめとする皆さまからの募金をぜひ有効に活用させていただきたく、さらなるご支援を切にお願い申し上げます。皆さまが愛してやまない学習院を受け継いでいくのは、これからの学習院で学ぶ生徒と学生たちです。次の世代を担う学習院の若い人材に最高の学びの場と機会を提供できるようどうかご協力ください。
プロフィール
入江 恵(いりえ けい)
平成2(1990)年、ウェスタンオンタリオ大学(カナダ)社会科学部卒業。テンプル大学ジャパン大学院教育学研究科(米国) 修士号取得、平成16(2004)年、桜美林大学基盤教育院外国語デパートメント(旧外国語教育センター) 講師を務め、テンプル大学ジャパン大学院教育学研究科(米国) 博士号取得の後、東海大学外国語教育センター准教授、テンプル大学ジャパン大学院教育学研究科教授を経て、平成26(2014)年学習院大学国際社会科学部開設準備室に教授として着任。TESOLの英語教授法を専門とし、英語のカリキュラム設計とプログラム運営に携わるとともに英語の授業を担当。海外研修制度の構築や協定校の開拓などにも関わり、海外研修の事前・事後研修の授業も受け持つ。
- 本記事は、平成28(2016)年3月に行われたインタビューを掲載しています。
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緑豊かなキャンパスを守りたい。
樹木医/街路樹診断士
臼井 敦史
緑豊かなキャンパスを守りたい。
かけがえのない桜を守り続けたい。樹木医/街路樹診断士
臼井 敦史
緑溢れる自然豊かな学習院では、しっかりとした緑化整備を行なっているものの、さまざまな樹木の老朽化が認められ、現在、樹木医である臼井敦史さんをはじめとする専門家に、桜を中心としたキャンパスの樹木を診断していただいています。
診断によりますと、樹齢50年以上の桜の木に腐朽や空洞が多く見受けられ、花は咲き続けるものの、梅雨や台風、雪のシーズンには枝折れや倒木の危険があり、安全対策が求められるとのことでした。
なかでも、戸山キャンパスでは正門から続く桜並木が、目白キャンパスでは西門守衛所のそばにある大きな桜の木が深刻な状態です。これは学習院に限ったことではなく、戦前戦後に植えられた桜が、老齢木となったことや、都市化の影響を受け生育環境に制限を受けることなどから、全国各地で同様の問題が発生しているそうです。
桜は日本人にとって特別な存在であり、学習院にあっては校章にもなっているかけがえのない象徴です。安易に伐採して景観を損なうことはできません。
学習院としては、総合的なキャンパスプランに基づいた保全管理計画のもと、緑化整備に取組んでいます。100年先を見据え、長い時間と手間をかけながら緑豊かなキャンパスの景観を守り、愛する学習院の桜を後世に受け継いでいくために、皆さまのご理解とご支援を切にお願い申し上げます。
桜を中心とした校内の樹木の状態を診断させていただいています。
臼井 敦史樹木医/街路樹診断士
千葉大学園芸学部緑地・環境学科卒業後、建設コンサルタント・都市緑化技術の開発・環境計量証明と分析・造園を主な業務とする企業に入社。公道や公園など公共の自然景観を中心に、樹木や土壌の調査・診断、改善計画の提案を行うプロフェッショナルとして活動。
- 本記事は、平成27(2015)年3月に行われたインタビューを掲載しています。
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教育学科が新しく誕生しました。
学習院大学理学部数学科卒業(昭和61(1986)年)
学習院⼤学文学部教授長沼 豊
学習院大学文学部心理学科卒業(平成9(1997)年)
佐藤 詩麻
2050年を見据えて、教育学科が新しく誕生しました。
学習院大学理学部数学科卒業(昭和61(1986)年)
学習院⼤学文学部教授長沼 豊
学習院大学文学部心理学科卒業(平成9(1997)年)
佐藤 詩麻
- 長沼
- 平成25(2013)年4月に学習院大学文学部に小学校の教員を養成する教育学科が新設されました。
私の30年越しの夢がついに実現しました。 - 佐藤
- 中高の資格は在学中に取得し、小学校の免許は社会に出てから通信教育で取りました。
もっと早くあれば・・・という想いですね(笑)。 - 長沼
- 1200名を数える桜育会(学習院出身の教員の集い)には小学校教員も80名ほどいます。
- 佐藤
- 私もそうですが、彼らは卒業後にどこかでそれなりに苦労して資格を取得したはずです。
- 長沼
- 第一期生の定員50名に対し、志願者数は826名でした。
期待の大きさに驚きました。 - 佐藤
- 学習院生で小学校の先生になりたいというニーズは絶対にあるとずっと思っていました。
- 長沼
- 学生が先生になり、出会った子どもたちも大人になって社会に出る時期、それは2050年頃です。その時にはもうベテランで、校長や教育界の中核を担っているかもしれない。教えた子どもたちも社会で活躍中でしょう。そのためには何が必要かという未来志向で教育していきます。37年後で私はもういないだろうけど(笑)。
- 佐藤
- この新しく恵まれた施設や設備の中で子どもたちとふれあう体験をたくさんしてほしいですね。人が好きで、子どものことをよく知っていることが現場ではとても大事だと感じています。
- 長沼
- これから先、ますます自然環境と接する教育が重要になります。目白の杜を使って、そんな自然体験を学生に徹底的に学んでほしいですね。学校敷地の一部を畑にして、農業体験のできる場にできればと思っています。寄付を含む予算をそれらにも大事に使わせていただきます。
- 佐藤
- 4年後には学習院の教育学科一期生の先生が小学校に配属されますね。楽しみです。
- 長沼
- 学生には学習院の良さが滲み出ている教員になってほしいなあ。人間に寄り添う思いやり、おおらかさ、奉仕の心を自然に表せる学習院らしい人柄をもった先生を育てたいと思います。
- 佐藤
- 目白も戸山もキャンパスには豊かな自然があって大好きでした。 学習院が好きという気持ちをいつまでも忘れずに私もこれから応援し続けます。
プロフィール
長沼 豊 (ながぬま ゆたか)
学習院大学文学部教育学科教授
昭和61(1986)年、学習院大学理学部卒業。
学習院中等科教諭を経て学習院大学教職課程助教授に。その後、准教授、教授、教育学科開設準備委員を経て現職。大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了、博士(人間科学)。桜育会幹事兼事務局長、日本特別活動学会副会長などを務める。佐藤 詩麻 (さとう しま)
平成9(1997)年、学習院大学文学部心理学科卒業。
女子高等科から大学まで学習院に学ぶ。大学在学中は教職課程を受講、ダンスサークルなどで活躍。卒業後、法律事務所に勤務しながら、小学校教員免許を取得。小学校の先生として、二児の母として、仕事と子育てを両立させている。- 本記事は、平成25(2013)年2月に行われたインタビューを掲載しています。
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桜友会全国支部・各団体をお訪ねして
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関西桜友会
関西桜友会をお訪ねして
関西桜友会は、2府4県(大阪・京都・兵庫・奈良・和歌山・滋賀)の近畿一帯をカバーする地域桜友会として創設され、諸先輩方の尽力によってひとつにまとまった活動を40年以上引き継いでいます。平成22(2010)年に京滋桜友会が独立しましたが、今も変わらぬ交流を続け、さらに親交を深めています。
16時30分から始まった平成27年度の評議委員会・総会では、活動報告、決算報告の後、評議員の推薦とともに、会長・名誉会長の推薦が行われ、会長に北河原さん、名誉会長に三枝さんが選任されました。続いて、新春講話として、春日大社宮司の花山院弘匡様に「春日大社第六十次式年造替」の貴重なお話しをご披露いただきました。
18時30分からは平成28年度の新年会が催され、伊勢神宮大宮司の鷹司様ご夫妻、春日大社宮司の花山院様ご夫妻をご来賓としてお迎えし、定保帝国ホテル社長、内藤学習院院長、東園桜友会会長、岩浅学習院常務理事が列席される中、総勢110名が参加する華やかな大宴会となりました。
- 本記事は、平成28(2016)年1月に行われた評議員会・総会の模様を掲載しています。
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長野桜友会
長野桜友会をお訪ねして
会には、群馬桜友会と湘南桜友会、信州武蔵会(武蔵大OB会)の方々が来賓としてご出席。群馬桜友会とは全国支部長会議で親交を深め、合同懇親会も開催。湘南桜友会は、名誉会長が長野出身のご縁から。信州武蔵会とは四大学のお付き合いを通じて。毎年、それぞれの交流が長く続いています。
総会の2部として、岩田公雄さん(読売テレビ報道局・特別解説員/学習院大学特別客員教授/学習院大学法学部卒業)による講演会が行われました。演題は「世界の報道の最前線に身をおいて」。ジャーナリストとして経験されたリアルな体験談に会場は熱気に包まれました。
- 本記事は、平成26(2014)年11月に行われた総会・交流会の模様を掲載しています。
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群馬桜友会
群馬桜友会をお訪ねして
第18回太田市大学Jazz Festivalにおいて、2日目のトップを飾って演奏した学習院大学SKY SOUNDS JAZZ ORCHESTRAの雄志。会場に詰めかけた卒業生から温かい拍手と声援が送られた。
演奏終了後、学生と応援に参加した群馬桜友会の有志で記念撮影。
- 本記事は、平成25(2013)年12月に行われた第18回太田市大学Jazz Festivalの模様を掲載しています。
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大分桜友会
大分桜友会をお訪ねして
遠く離れているからこそ想いを寄せて。
学習院サポーターズ倶楽部に支部をひとつにまとめて団体加入世話役
平成22(2010)年の桜友会全国支部長会の資料を見て、学習院サポーターズ倶楽部の会員になっている支部があることを知りました。団体で加入できるのなら、大分桜友会も入会しようと次年度の総会で諮り、異議なく全会の賛同を得て、平成23(2011)年2月に申し込みました。会 長
運営資金の繰り返し分から一部を寄付金に充てています。個人での寄付が難しくても、大分桜友会に会費を納入している有志の総意として、母校への熱き想いを発信しています。これからもできる限り長く継続したいと思います。副会長
個人でも学習院サポーターズ倶楽部に入会しています。まとまった大きな金額は無理ですが、テニス部OB会の年会費と同程度なら、私にもできると思いました。自動振替なので一度手続きしてしまえば1回ごとに振り込む手間がかかりません。事務局
遠く離れていても、学習院で学んでよかったという想いは皆同じく、今もいい思い出とともに強く持ち続けています。先輩、同期、後輩、生涯つながっていく人間関係があり、キャンパスの中に自分がいつでも帰れる場所があるのはうれしいことです。TOPICS
平成25(2013)年2月に開催された第62回別府大分毎日マラソン大会では、大分桜友会が結束。
学習院桜友会の幟を振って学習院出身の川内優輝君を熱血応援。結果、大会新・自己新の記録で男子優勝を果たし、参加者全員で万歳三唱したそうです。
- 本記事は、平成25(2013)年3月に行われたインタビューを掲載しています。
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現物寄付の紹介
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科学技術の振興と健全な生活環境への貢献をめざして。今、そして未来のために。自社の技術や人材を活用した支援を。
アジレント・テクノロジー株式会社
コーポレート・リレーション部関 英樹 さん
科学技術の振興と健全な生活環境への貢献をめざして。今、そして未来のために。自社の技術や人材を活用した支援を。
アジレント・テクノロジー株式会社
コーポレート・リレーション部関 英樹 さん
アジレント・テクノロジーは、電子計測機器、ライフサイエンス・化学分析機器の開発・製造・販売・サポートを世界100カ国以上で展開する世界のプレミア・メジャメント・カンパニーであり、それら事業分野のテクノロジーとマーケットのリーダーでもあります。
その日本法人である私どもは、平成23(2011)年4月、放射性同位元素の分析研究の第一人者である、学習院大学の村松康行教授(故人)に、放射性物質を含む元素分析装置「Agilent 7700x ICP-MS」の寄贈を申し入れました。この装置は、安定同位体のヨウ素やセシウム、ストロンチウムだけでなく、半減期が長いヨウ素129などを極微量濃度まで正確かつ迅速に測定でき、原発事故により放出された、それら核種の分布や挙動を調査するうえで、当社の製品と技術が有効活用いただけるものと確信し、除染・復興への想いを託した次第です。
震災前から、村松教授には同装置の旧モデルをご利用いただいており、また、並行して、放射性ヨウ素を測定するための分析手法をさらに改良すべく、先生からアドバイスをいただきつつ、当社が開発を進めていたという経緯がありました。事故後、村松先生が、福島県農林水産部から放射性物質の農産物に対する影響に関するアドバイザーに委嘱され、その支援の一環として早速に寄贈を判断いたしました。
また、一方では、アジレント・テクノロジー財団が、震災後24時間以内に10万ドルの寄付を決定。同時に世界中の従業員からの21万ドルの義援金に対し、会社が同額を上乗せし、総額52万ドルの寄付を被災地に対して行っています。このような災害復興支援のほか、当社は技術に立脚したグローバル企業として、科学技術の振興と健全な生活環境への貢献にフォーカスした、さまざまなプログラムを用意し、つねに積極的な社会貢献活動をワールドワイドで取り組んでおります。
- 本記事は、平成24(2012)年6月に行われたインタビューを掲載しています。
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役職等はインタビュー当時のものです。