院歌
学習院院歌
作詞:安倍能成 作曲:信時潔
一、
もゆる火の火中(ほなか)に死にて また生(あ)るる不死鳥のごと
破(や)れさびし廃墟の上に たちあがれ新学習院
二、
花は咲き花はうつらふ(ろう) 過ぎし世の光栄(はえ)ふみしめて
まなかひ(い)に世界をを(お)さめ 現実を生きてし抜かん
三、
なげかめや昔を今と 荒波よ狂はば狂へ
黒雲よゆくてはとざせ 我が胸は希望高鳴る
四、
二つなく享(う)けし我命(わぎのち) おのがじし育て鍛へ(え)て
もろともに世にぞ捧げん 常(とこ)照らせ真理と平和
学習院は明治10(1877)年の創立以来、院歌をもっていませんでした。学習院が私立学校として再出発を遂げた後の昭和26(1951)年ごろ、安倍能成院長のもとに多方面から院歌制定の要望が寄せられました。安倍院長は、学問を好み真理を熱愛し、謙虚にして反省に富み、進んで社会に奉仕し、困難に屈しない意力ある人物を養成したいとして自ら作詞しました。信時(のぶとき)潔(きよし)が作曲を行い、昭和26年5月に「学習院院歌」が発表されました。
学習院々歌の解 第十八代学習院長 初代学習院大学長 安倍能成(『こざくら』34号、昭和26年11月より)
私はこれまでに文章は大分書き、和歌も俳句も少しは作ったが、こんな院歌のようなものを作ったのは、生まれて初めてである。詞はまずいけれども、私はこの院歌を、日本国民全体にうたってもらいたいくらいの意気込みで、作ったのである。
一 西洋の神話に、フェニックスという鳥があって、五百年ごとに、もえる火の中で焼け死んで、又生きかえるという。不死鳥というのはその鳥のことで、世界は絶えず生き返り死に返り変ってゆくが、その中に死なぬ生命があるという意味である。「もゆる火の火中(ほなか)」という文句は、「古事記」という古い本にある弟橘姫の御歌から拝借した。戦争で学習院は焼け、敗戦後皇室の御保護を離れて私立学校になったが、その焼け跡の上に、先生と生徒と力を合せて、新しい学習院を作り上げてゆこう。
二 花は、咲くが又色があせて萎むものである。学習院もこの盛衰はのがれにくい。ただ長い歴史の間に養つて来た名誉ある学風と精神とを基にして、わるいことはどしどし改め、広く世界のことを眼の中に入れて、狭く独りよがりにならず、現実(世の中)の醜さや苦しさに負けないで生きぬいてゆこう。
三 日本も世界の三大強国だとか五大強国だとか威張った時があった。学習院も校舎も立派で豊かな時もあったが、昔はよかった、よかった、と嘆いて居てはいけない。荒浪が狂っても、黒雲がゆくさきを閉ざしても、みんなの胸に希望のラッパを高く鳴らして、屈せず進め。
四 人はみんな外の人にない命、即ち個性を天から与えられて居り、全く取り柄のない人間はない。頭がわるい、身体が弱いといって失望せずに、自分の個性を育て鍛えて、めいめい自分の力を養い、さてこの力をみんなして世の為、社会の為に捧げよう。まことと平和とを永久の光り導きと仰いで。