(注1) 鈴木恒夫・小早川洋一・和田一夫「明治31年時における綿糸紡績会社の株主名簿の分析」(学習院大学『経済論集』第41巻第2号,2004年7月)。
(注2) ネットワークについては,小早川洋一,鈴木恒夫,和田一夫「明治期の会社および経営者の研究―『日本全国諸会社役員録』(明治31年版)の分析」(中部大学産業経済研究所『産業経済研究所紀要』第9号,1999年3月),および,鈴木恒夫,小早川洋一,和田一夫「明治期の会社および経営者の研究―『日本全国諸会社役員録』(明治40年版)の分析」(学習院大学『経済論集』第36巻第3号,1999年10月を参照されたい。
(注3) 山口和雄「明治三十一年前後 紡績会社の株主について」(『経営論集』第15巻第2号,昭和43年2月)。
(注4) 山口和雄編著『日本産業金融史研究 紡績金融篇』(東京大学出版会,1970年3月)。
また同書巻末に,村上(西村)はつ氏の作成になる「明治31年上期前後」「明治39年上期前後」「大正2年上期前後」の紡績会社株主表が掲載されている。
(注5) 一般に,『日本全国商工人名録』には,家業を持っている商人や事業家のみが記載されており,渋沢栄一や専門経営者は記載されていないと思われているが,そうではない。例えば,渋沢栄一が記載されているという事実は,意外と知られていない。因みに,渋沢栄一の住所は東京市深川区福住2であり,家業としては倉庫業が掲載されている。また,所得税は271円85銭(所得に換算すれば,およそ5,910円)であった。
(注6) 本稿で扱った紡績会社の株主数および株式数については,表1の備考欄を参照されたい。
(注7) 個人の資産を測定する方法には,所得税の他営業税を求めて,ここから所得と収益を合算するやり方もある。また,所得税と営業税の合計を算出して,税総額を資産に代位する方法もあろう。後者の方法は,宮本又郎,阿部武司「明治の資産家と会社制度」(宮本又郎,阿部武司編『日本経営史2 経営革新と工業化』岩波書店,1995年)で用いられている。一方,石井寛治「成立期日本帝国主義の一断面」(『歴史学研究』第383号,1972年4月)では,所得税から所得を算出し,これを下にして高額所得者を求めている。本稿は,石井寛治氏と同じ方法を採用した。但し,明治31年と明治40年では,所得税法に変化があったから,これを踏まえて所得を求めた。詳しくは,本稿末尾の補論を参照されたい。
(注8) 以下,所得税の変遷については,断らない限り『法令全書』による。
(注9) 鈴木恒夫・小早川洋一・和田一夫,前掲論文,pp.130-132。
(注10) 小笠原Y次郎については,『第3版 人事興信録』(人事興信所 明治44年)による。
(注11) 杉山和雄「明治30年代における鉄道会社の大株主と経営者」(『成蹊大学経済学部論集』第7巻2号,1977年3月)。
(注12) 山口和雄編著,前掲書,村上(西村)はつ稿,97-98ページ。
(注13) 同上,101ページ。
(注14) 山口和雄編著,前掲書,村上(西村)はつ稿,100ページ。なお,同時に西村氏は,「大正2年前後」紡績会社の株式仲買人についても同様な手続きを通じて,彼ら仲買人の紡績株所有高が増大したと指摘している。
(注15) 野田正穂,『日本証券市場成立史―明治期の鉄道と株式会社金融』(有斐閣,1980年4月),280ページ。
(注16) 同上,284ページ。
(注17) 『山一證券史』(同社 社史編纂室,昭和33年)130ページ。
(注18) 同上,133ページ。
(注19)森川英正『日本経営史』(日本経済新聞社,1981年)。
(注20) 森川英正「明治期綿紡会社における取締役層の変化」(大塚久雄,安藤良雄,松田智雄,関口尚編『日本資本主義の形成と発展』昭和43年,東京大学出版会),176-7ページ。
(注21) 紡績会社における専門経営者の進出と経営的意義については,岡崎哲二『戦前日本における専門経営者雇用の決定要因と効果:紡績会社を中心として』(東京大学大学院 ディスカッションペーパー,CIRJE-J-116,2004年7月)を参照されたい。
(注22) 以下は,『法令全書』による。
(注23) 前掲,石井論文参照。また,前稿で扱った明治31年では,この5段階の所得と所得税率を用いている。
(注24) 異なった家業であっても,一方の家業が金銭貸付業の場合には,同一人物の副業と見なし,同一人物と見なした,という判断については,例えば中西聡「20世紀前半における地方資産家の収益とその運用−石川県橋立村酒谷宗七家の事例を中心として−」(『経済科学』第50巻第4号,2003年3月)を参照されたい。