1 村上泰亮[1984]『新中間大衆の時代』(中央公論社)。
2 中小企業政策一般については,有田辰男[1990]『戦後日本の中小企業政策』(日本評論社)。
3 橋本寿朗[1990]「第5章 産業合理化の推進と新産業の育成 第7節 繊維工業の安定化政策」『通商産業政策史 6』(通商産業調査会)p644-646。
4 ただし,設備確認打ち切り自体が,新紡,新々紡の「駆け込み」増設を導いたとされる。
5 宮田満[1990]「第4章 国際経済社会への復帰と輸出振興 第4節 外貨割当制度の運用とその産業政策的意義」『通商産業政策史 6』p182。
6 宮田満[1989]「第3章 国際収支安定化対策と不況対策 第2節 不況対策」『通商産業政策史 5』p508-509。
9 労働省編[1959]『資料・労働運動史 昭和33年』(労務行政研究所)p600-602。
10 労働省編[1961]『資料・労働運動史 昭和34年』(労務行政研究所)p628-629。
11 戦後日本の外貨および資金割り当て政策研究会[1995]「戦後日本の外貨および資金割り当て政策に関する調査研究」報告書(産業研究所)。
12 ほかの資料でも,繊維について「過剰競争による安値輸出の激化,品質の低下,相手輸入商社の買控えといった一連の悪循環をくりかえしている」(p13),「一般的にいって繊維品の量的輸出増加を期待することは困難視されておりむしろ,現在の輸出市場の安定的確保と輸出の質的向上をはかることに輸出振興の主眼をおく必要がある」(p41)などの記述がある〜通商産業省繊維局繊維輸出課[1958]『繊維品輸出の現状と問題点』。
13 中小企業安定法は,1953年8月1日に公布・試行された。その後,政府のアウトサイダー命令に関する規定(第29条)の実効力を強化するため,1954年,1955年と続けて改正がなされた。植田浩史[1991]「第6章第1節 中小企業の安定化と組織化」『通商産業政策史 7』。
14 繊維年鑑刊行会『昭和31年版 繊維年鑑』p103-107。
15 繊維年鑑刊行会『昭和32年版 繊維年鑑』p101-107。
16 繊維年鑑刊行会『昭和33年版 繊維年鑑』p83。また,1956年6月には,繊維工業設備臨時措置法が成立し,繊維過剰設備の処理が図られる。この時,同法の成立を見込んで,大量の「駆け込み」増設が行われた。
17 最終的に綿紡績勧告操短への合意を形成するために,綿織物生産に対する29条命令発令に通産省が消極的であった可能性も否定できない。
18 輸出振興政策は,直接に輸出産業に関わる政策だけでなく,広義には経済外交・港湾などのインフラ整備・円借款供与なども含む。戦後の輸出振興政策については,白石孝[1983]『戦後通商政策史』(税務経理協会)など。本稿では輸出振興政策のうち直接に輸出業者・輸出品メーカーに関わる政策を取り上げる。
19 寺村泰[1990]「第4章第6節 輸出振興と輸出秩序の確立」『通商産業政策史6』p286。
20 石井晋[1995] 「高度経済成長前夜の輸出振興政策—鉄鋼業を中心として」『社会経済史学』第61巻3号,「重点的産業振興と市場経済—戦後復興期の海運と造船」『社会経済史学』第63巻1号。
21 通商産業省[1954年10月]『新輸出計画と輸出会議』。
22 日本輸出陶磁器史編纂委員会[1967]『日本輸出陶磁器史』(名古屋陶磁器会館)p112。
23 通商産業省通商局[1962年11月5日]「昭和37年度上期輸出会議以降とられた輸出振興策」。
24 中小企業金融公庫総務部「特定中小企業輸出振興融資制度の取扱手続,運用等について」『中小企業金融公庫月報』[1962年6月]。
26 「特定中小企業輸出振興融資制度の一部改正」『中小企業金融公庫月報』[1962年12月]。
28 通商産業省軽工業局日用品課編[1960]『雑貨ガイドブック 1960年版』(通商産業研究社)p24-27など。
29 古谷睦(ジェトロ調査課)「過当競争と買叩きの問題点」『通商産業研究』[1958年5月]。
30 『通商産業省年報』[1961年度]p87,臼井明[1993]「第8章第4節 基本法制定後の中小企業政策」『通商産業政策史11』など。輸出入取引法は,1952年に輸出取引法という名称で制定された。これは,輸出業者間の調整のための組合設立,数量協定・価格協定などの締結を認める法律である(一定の範囲内で独占禁止法適用除外)。のちに幾度か改正され,生産業者を含めた協定,また調整が困難である場合の政府によるアウトサイダー規制命令の発動ができるものとされた。前掲,寺村泰[1990]。このほかの対策として,輸出貿易管理令による規制もある。
31 通商産業省繊維雑貨局雑貨第1課・第2課編[1968]『雑貨ガイドブック』(富士弘報社)p35。
32 通商産業省軽工業局化学品雑貨輸出課監修・雑貨輸出研究会編[1964]『日本の雑貨輸出』p92-97。
34 前掲,通商産業省繊維雑貨局雑貨第1課・第2課編[1968]p443。
36 『燕市史 資料編U(近現代編)』[1989]p429-439。
37 「こんな努力(組合による生産調整を指す—筆者)をするよりは,むしろ自由競争で推し進めたらと思うことすらある。しかし,しかしである。自由競争の過程において,当然に優勝劣敗の法則が働くとすれば,そこに生ずる犠牲を,どこでどうして吸収するかという問題になると,問題が中小企業であるために,事態はきわめて深刻なものになる。結局はどこかに吸収しうるという確信は,日本経済のどこをつついてみてもいまのところ出てこない」〜前掲,通商産業省軽工業局日用品課編[1960]p26。
38 同上書p22-24。第2章で検討したように,このような認識は戦前以来のものである。
39 「製品の売行については十分見込みがある場合でも業者は型資金を牛耳られているばかりに不利な条件で価格契約に応じている事も多い」〜東京都経済局[1956]「金属玩具製造業の実態分析」。その他,中小企業庁・地方調査機関全国協議会共編[1957]『輸出中小工業の実態調査』(東洋経済新報社),通商産業省軽工業局雑貨第二課[1964年9月]「金属製おもちゃの製造業実態調査報告書(中小企業近代化促進法)」等。
40 安値輸出に関して,「この面を少しでも改善するために,輸出管理面においてチェックプライス制を採用したり,輸出取引法による協定を締結したりしているが,日本の輸出の体制上どうもあまり効果があるとは思えない」〜前掲,通商産業省軽工業局日用品課編[1960]p23。
41 通商産業省軽工業局化学品雑貨輸出課監修・雑貨輸出研究会編『日本の雑貨輸出』[1964]p18。
42 古田徳昌(中小企業庁指導部指導課課長補佐)「特定中小企業輸出振興融資制度のもつ政策的意義について」『中小企業金融公庫月報』[1962年6月]。
43 中小企業金融公庫総務部「特定中小企業輸出振興融資制度の取扱手続,運用等について」『中小企業金融公庫月報』[1962年6月]。
44 実際に貸付対象となった業種は,金属洋食器・造花・織物・メリヤス・縫製品・染色整理(1962年6月),陶磁器・人造真珠・金属玩具(1963年4月),喫煙具・作業工具・洋傘骨(1966年4月)である。『中小企業金融公庫二十年史』[1974]p179,389。
45 組織化政策の効果として,独占力形成による価格上昇,共同販売等によるコストの低下,濫売防止による品質保証→需要増大,といった効果が指摘されることがあり,価格上昇だけが組織化の成功を意味するわけではない。Andrew R. Dick [1992] “The Competitive Consequences of Japan’s Export
Cartel Associations” Journal of The Japanese and International Economies Vol.6, p275-298.
46 単価の高い電動玩具の金属製玩具輸出合計に占める割合が1965年の46%から1970年の61%へと上昇している(東京輸出玩具工業共同組合調べ),など。
47 これに次いで「技術・デザインの高級化」「経営合理化」が挙げられている〜「輸出雑貨工業の現状と問題点」『中小企業金融公庫月報』[1965年7月]。
48 東京商工会議所「転換期にある輸出中小企業—特恵関税問題に関連して—」[1969年2月]。
49 佐藤正美(国民経済協会)「玩具製造業」国民金融公庫調査部『調査月報』[1972年6月]。
50 「座談会 特定中小企業輸出振興融資制度の利用効果」『中小企業金融公庫月報』[1964年2月]。
52 新潟県商工労働部中小工業課[1967年3月]「燕金属洋食器産地診断報告書」p69。この調査では83企業の長期借入金合計3億8690万円のうち44%にあたる1億6844万円を中小企業金融公庫からの借入が占めている。
53 輸出数量は,1960年の1740万ダースから,1970年の5392万ダースへ増加した。通商産業大臣官房調査統計部編「日用品統計年報」「雑貨統計年報(日用品・陶磁器等編)」。
54 新潟県燕産地構造改善研究会「燕産地実態調査報告書—産地構造改善への道—」(1968年7月)p102-103。
55 前掲,日本輸出陶磁器史編纂委員会[1967],三井弘三[1980]『昭和陶業史余聞』(中部経済新聞社)を参照。
56 通商産業大臣官房調査統計部編「窯業統計年報」「雑貨統計年報(日用品・陶磁器等編)」。