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バブル期に家計の金融資産選択行動は変化したか?

 

鈴木 亘

 

 

1.はじめに

80年代後半にわが国が経験した「バブル」と呼ばれる資産価格の高騰とその崩壊から20年余りの月日が経ち,このところ,バブルの生成と崩壊の原因についてまとめられた研究が多くみられるようになってきた(香西・白川・翁編(2001),村松・奥野編(2002a,b))。バブル生成に寄与した要因には,(1)金融機関行動の積極化,(2)長期に亘る金融緩和,(3)税制・規制要因による地価上昇の加速,(4)規律付けのメカニズムの弱さ,(5)日本経済の先行きに対する過度な自信・期待など,複合的な要因が重なり合ったとする見方が支配的であるが,まだまだそのメカニズムの解明が十分に行われているとは言いがたい1)バブル経済の生成と崩壊が日本経済に与えた影響の大きさを考えれば,このテーマについてまだまだ数多くの研究や調査がなされるべきであろう。

さて,本稿の分析対象である家計行動の面からは,この時期,一般投資家の株式や債券への投資が盛んに行われており,家計の資産選択行動の変化がバブルの生成もしくはその増幅に寄与したとする見方も強い。実際,図1をみると,預金や他の資産に比べて,株式や投資信託,債券などは急速に保有率(全資産に対する保有額の割合)を高めており,バブル生成・増幅に家計が少なからず寄与したことが想像される。

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しかしながら,下野(1998)が指摘するように,このようなバブル期の家計の株式や債券保有率の高まりが,家計の資産選択行動(効用,選好)自体が変わったためにおきたのか,Aそれとも,外部的な要因(収益率の増加,金利の低下,所得の増加など)に対する反応にすぎないのかという点は,峻別して考えなければならない。もし,後者の外部的要因の反映で説明が可能であるならば,家計部門は従属的な役割を果たしたにすぎず,バブルの生成や増幅の「原因」とは言いがたい。この場合,金融政策の運営上,家計部門の資産選択は内生変数にすぎないことから特段のウォッチの必要性は少ないことになる。それに対して,前者のように,資産選択行動自体が変化したということであれば,家計部門がバブル生成・増幅の原因として機能した外生要因ということであり,金融政策当局にとってもバブル防止のために重要視すべき対象となる。ここで,資産選択行動の変化とは,本稿では,選好や効用の変化以外に,収益率の期待形成のプロセス変化も含めて考えることにする。通常の金融資産選択関数では,本来,期待収益率に対する選好をモデル化することから,期待形成プロセスの変化はいわばモデルの外で決まっているものであり,期待形成プロセスが変化しても資産選択行動の変化とは言わない。しかしながら,バブル生成・増幅の原因かどうかという視点からは,期待形成プロセスの変化は原因として見るほうが適切である。また,実際に政策運営を行うに当たっても,期待形成プロセスの変化を関数や変数に組み込むことは難しいから,従来の資産選択行動の実証モデルで追跡できなくなる期待変化の要因は,バブルの生成や増幅とみることができるからである。

さて,これまでもそうした問題意識から,バブル期の家計の資産選択行動を分析した先行研究がいくつか存在するが,驚くべきことに,その全てが共通して「家計の金融資産選択行動は変化していない」という結論を得ている。まず,この問題を最初に分析した新谷・大日(1995)は,日本経済新聞社データバンク局による「金融行動調査」(NEEDS-RADAR)の個票データを1985年から1992年までプールして用いることにより,金融資産選択行動を分析しているが,バブル期にはむしろ安全資産選好が高まったという結論を導いている。また,同論文の加231頁】筆改訂版である大日(1997)では不動産の保有も含めた拡張が行われているが,不動産についてバブル期に資産選択行動が変わったとしているものの,金融資産への選択行動の変化は確認されていない。また,最も新しい研究である下野(1998)も,同様に1985年から1994年までのNEEDS-RADARの個票分析を行っており,バブル期に家計が危険資産選好を強くしたとは言えないという結論を得ている。

しかしながら,これらの諸研究に共通する問題して,データの期間が少なすぎるという問題がある。例えば,新谷・大日(1995),大日(1997)ではバブル期の定義を1998年と1989年としているが,広く定義すれば,1985から1992年の期間は全てバブル期と言え,バブル期とバブル期以外を比較していることにはならない。また,下野(1998)では1994年までデータ期間が拡張され,ある程度改善がなされているが,比較対照のバブル期以外のサンプルはやはり少ない感が否めない。そこで,本稿では金融広報中央委員会「家計の金融資産に関する世論調査」(旧貯蓄広報中央委員会「貯蓄と消費に関する世論調査」もしくは「貯蓄に関する世論調査」)の1983年から2003年までの21年間の個票データをプールすることにより,改善を図った分析を行うことにする。

以下,本稿の構成は次の通りである。2節では,データの解説を行う。3節では推定モデルを提示し,4節で推定結果を示す。5節は結語である。

 

2.データ

本稿で用いるデータは,金融広報中央委員会が毎年行っている「家計の金融資産に関する世論調査」の個票データである。この調査は,平成134月に金融広報中央委員会と名称が変わる以前の旧貯蓄広報中央委員会時代から,「貯蓄と消費に関する世論調査」あるいは「貯蓄に関する世論調査」という名称で,昭和28年以来連続して調査が行われている。本稿ではそのうち,個人属性の分類が統一性をもっている1983年から2003年までの21年間のデータをプールして用いることにする。

この「家計の金融資産に関する世論調査」(旧「貯蓄と消費に関する世論調査」「貯蓄に関する世論調査」)は,毎年,層化2段階無作為抽出法により全国から400の調査地点を選び,各調査地点から無作為に15の世帯員2名以上の世帯を選ぶことによって6000の調査世帯を標本抽出し行われている。抽出世帯へは調査員が調査票を持参して調査方法を説明した上で,数日後に再び訪問して調査票を点検・回収するという留置面接回収法を用いている。調査は毎年6月末から7月はじめにかけて行われている。このように,毎年サンプルの類似性が保たれるように厳密な調査設計を行っていることから,パネルデータではないものの時系列比較が可能なRepeated Cross-section Dataとみなすことができる。本稿では,分析に当たり,どの金融資産も全く所有していないサンプルを除くことにしたため,総サンプル数は67,433である。

さて,次節からの分析に用いる主な変数は表1の記述統計の通りである。分析の対象となるリスク資産保有率は,株価保有率,債券保有率の2つの変数を作っている。また,分析に用いるそれぞれの資産の収益率,収益率の分散は日経平均および利付国債(10年物)流通利回りの当該年の月次データから作成しており,それぞれ,CPI伸び率を引いて実質化している。また,やはり分析に用いる個人諸属性として,年齢階層,所得(実質),職業ダミー,地域ダミー,都市規模ダミー,持家の有無,世帯員数などを用いることができる。

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3.推定モデル

通常よく用いられるBrainard-Tobin1968)流の資産選択関数では,金融資産需要は,資産,所得,各資産の収益率,収益率の分散によって決まる。本稿の分析の基本的な戦略は,これらの変数を用いた資産選択関数を全期間で推計した上で,バブル期においてこれらの変数だけでは説明できない強いリスク選好が存在しているかどうかを年次ダミー変数でみるということである。

最近は,資産選択関数の推定に当たり,当該資産を保有するか否かという選択と資産量(資産保有割合)を分けて推定するHeckmansample selectionモデルによる推定が一般的であるため,本稿でもその方法を踏襲することにする(King and Leape1998),Poterba2002),橘木・谷川(1990))。

具体的には,次式を推定する。

(リスク資産保有率関数)

 

(リスク資産選択関数)

 

ここで,被説明変数はリスク資産の保有率であり,具体的には株式の保有率と債券の保有率の2種類である。R はリスク資産の実質収益率,V はその分散,D は安全資産の実質収益率(普通預金利率),X は所得額(実質),総金融資産保有額(実質),借り入れ額,持ち家の有無2のほか,個人属性として世帯人員数,年齢階級ダミー,職業ダミー,地域ダミー,都市規模ダミーが含まれている。最後に,変数T として,各年次のダミーを入れてその係数の大きさや統計的に有意かどうかを検討することにより,バブル期において通常の資産選択行動で説明できないリスク資産の保有率上昇が起きていたかを判定する。

 

4.推定結果

推定結果は,表2から表5の通りである。まず,株式の保有率関数の結果をみると,各変数はおおむね理論から予測された方向に有意となっている。すなわち,株価実質収益率,収益率の分散はそれぞれ正,負に有意であるし,金融資産,所得,借入れ,持家の有無といった変数も正に有意と成っている。

 

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そのほか,地域や都市規模,職業などの個人属性のいくつかが有意な変数をなっており,おおむね良好な推定であると評価できる。さて,ハイライトの年次ダミーをみると,1987年から1993年にかけて正に有意となっており,特にバブルのピークであった1989年,1990年はベンチマークの1983年に比較して,10%ポイント以上も保有率が高いことが示されている。これは,従来の先行研究とは異なる結果であり,バブル期に家計の金融資産行動が変化したことを示唆する結果である。一方,表3の株式保有選択関数の方は,理論的に予想される収益率指標は有意ではなく,また1989年,1992年ダミーが正で有意となっているが,保有率関数ほどバブル期全体に顕著な差異は生じていない。

次に,表4の債券保有率関数では,債券収益率,収益率分散,金融資産保有額,持家の有無が有意となっているが,収益率分散の係数が正に有意となっており,やや理論からの予想と異なる結果である。もっとも,表5の債券保有選択関数の結果は,債券収益率,債券収益率分散,普通預金金利,金融資産保有額,所得額,持家の有無が理論通りの符号となっており,債券収益率分散を除く全てで有意となっていることから,保有選択関数をあわせて考えるとおおむね良好な結果と評価できる。さて,ハイライトの年次ダミーの結果をみると,保有率関数ではバブル期の前半である1985から1987年が正に有意な結果となっており,保有選択関数では1986年から1989年までが正で有意,1990年は負に有意な結果となっており,総じてバブル期に行動が変化したことが伺える。資産行動の変化は既に保有している家計が保有率を高めたというよりは,むしろ,保有するか否かの選択をこの時期に高めたと結論できよう。したがって,債券需要の面でも先行研究とは異なり,バブル期の変化が示唆されることとなった。

 

5.考察

本稿は,80年代後半の資産価格高騰の原因として,家計の資産行動の変化に着目し,バブルの生成や増幅に家計行動が寄与したかどうかを分析した。80年代後半,家計は株式や債券などのリスク資産保有率を急速に高めているが,これがもし,収益率や所得の増加などの外部的な要因を反映しているのに過ぎないのであれば,家計行動はバブルを移す「鏡」にすぎず,原因とは判断できない。一方,この時期に選好や効用が変化して資産選択行動自体が変化したのであれば,家計行動がバブルに寄与した可能性がある。従来の研究では,バブル期の家計のリスク資産保有率の上昇は外部的要因の反映にすぎないという結論を得ていたが,推計期間が短いという問題があった。本稿は金融広報中央委員会「家計の金融資産に関する世論調査」(旧貯蓄広報中央委員会「貯蓄と消費に関する世論調査」もしくは「貯蓄に関する世論調査」)の1983年から2003年までの21年間の個票データをプールすることにより,改善を図った推計を行った結果,先行研究とは逆に,バブル期に資産選択行動自体が変化し,それ以前やそれ以後の行動からは予測できないほどリスク資産選好が高まったことを示唆する結果を得た。

 

参考文献

大日康史(1997)「疑似パネルデータを用いての家計の資産保有行動の分析」『経済学雑誌』983,pp.118-130

 

翁邦雄・白川方明・白塚重典(2000)「資産価格バブルと金融政策--1980年代後半の日本の経験とその教訓」『金融研究』194, pp.261-322

 

香西泰・伊藤修・有岡律子(2000)「バブル期の金融政策とその反省」『金融研究』19239頁】4,pp.217-260

 

香西泰・白川方明・翁邦雄編(2001)『バブルと金融政策日本の経験と教訓』日本経済新聞社

 

新谷元嗣・大日康史(1995)「バブル期における家計の資産保有行動」理論・計量経済学会報告論文

 

下野恵子(1998)「バブル崩壊以前と以降の金融資産選択行動」村本孜編著『日本人の金融資産選択』東洋経済新報社

 

下野恵子(2000)「相対的危険回避度の測定」『オイコノミカ』371,pp.1-14

 

橘木俊詔・谷川寧彦(1990)「家計の資産選択資産保有パターンの計量分析」『ファイナンス研究』

 

中川 忍,片桐 智子(1999)「日本の家計の金融資産選択行動 日本の家計はなぜリスク資産投資に消極的であるのか?」日本銀行調査月報11

 

村松岐夫・奥野正寛編(2002a)『平成バブルの研究 上』東洋経済新報社

 

村松岐夫・奥野正寛編(2002b)『平成バブルの研究 下』東洋経済新報社

 

Brainard,W.C. and J.Tobin (1968), “Pitfalls in Financial Model Building”, American Economic Review, Vol.13

 

King, M.A and J.I.Leape (1998), “Wealth and portfolio composition: theory and evidence”, Journal of Public Economics, Vol.69 No.2

 

Miyao, R (2002), “The Effects of Monetary Policy in Japan”, Journal of Money, Credit, and-Banking 34 (2), pp.376-92

 

Poterba,J. (2002), “Taxation, risk-taking and household portfolio behavior” A.J. Auerbach and M.Feldstein ed. Handbook of Public Economics Vol.3 Elsevier Science