* 学習院大学経済学部川嶋辰彦教授研究室リサーチ・アシスタント。
1) GONGOVA(「学習院海外協力研修プログラム Gakushuin Overseas Non-Governmental Organization
Volunteer Activity Programme」の略称)は,学習院大学学生センター(旧学生部)主管課外活動教育の一環として位置づけられる「草の根的国際協力NGOヴォランティア活動プログラム」であり,1996年に基本構想が立案され,翌1997年から2010年まで継続的に毎年実施された(2010学年度が最終回)。同プログラムの主な狙いは,(1)参加青年達の自己啓発・自己実現・意識改革の促進,並びに(2)協力対象地域に於ける生活環境基盤の改善及び熱帯林の再生・保全・利活用の支援にある。なお,GONGOVAの詳細については,例えば学習院大学東洋文化研究所(1997),学習院大学GONGOVAプログラム・ユニット(1998-2009),Kawashima
and Samata(2002)及び川嶋(2009)を参照されたい。
2) 第一筆者(富田)は,2006年2月から2010年9月までの間に,タイ北西部山村を11度に亙り訪問した。滞在期間は延べ250日を越え、その間同地で第二筆者と共に,ヴォランティア活動GONGOVAや種々のフィールド調査に携わってきた。より具体的に言えば,第一筆者がタイ北西部カレン族居住山村に滞在した時期及び期間は,次の通りである。(1)2006年2〜3月の4週間,(2)2007年2〜3月の4週間,(3)2008年2〜3月の4週間,(4)2008年8〜9月の3週間,(5)2008年12月〜2009年1月の2週間,(6)2009年2〜3月の3週間,(7)2009年4〜5月の1週間,(8)2009年7〜8月の3週間,(9)2009年12月〜2010年1月の3週間,(10)2010年2〜3月の4週間,及び(11)2010年7〜9月の10週間。実際,GONGOVA関連のヴォランティア活動を介し,筆者2人がカレン族の人々との間で培った人間関係は,現地フィールド調査の実施に対し裨益する所大であった。
3) 第二筆者(川嶋)は,GONGOVAプロジェクト責任者として,1996年以来2010年9月迄の間にタイへの訪問は42回,同国滞在期間は延べ810日余りを数える。
4) タイ北西部地域に居住しているキリスト教徒カレン族の間では,バプテスト派キリスト教徒が最大勢力である(2008年12月22日,第一筆者がTKBC(Thailand Karen Baptist Convention)総主事サニー・ダンポンピー師 Rev. Sunny Danpongpeeへのインタヴューに基づく情報)。TKBCの詳細は,第3章を参照されたい。
5) 本節は,飯島(1971)及び速見(2009b)に負う所が大きい。
6) これらのグループの他に,ごく少数のパオ族 Pao(トンスー族 Taungthuとも呼ばれる)のグループがある。
7) スゴー・カレン族及びポー・カレン族の自称は夫々,パカニョー Pga Kanyaw及びプローン Phlongである。スゴー・カレン族とポー・カレン族との人口比率については,飯島(1971)は7対3,ルイス及びルイス Lewis
and Lewis(1984)は4対1としている。
8) カヤー族 Kayaw或いはカレンニー族 Karenniとも呼ばれる。赤カレン族の下位言語集団については,第4-1節を参照されたい。
9) ミャンマーからの移動時期については諸説がある。ルイス及びルイス Lewis and Lewis(1984)や内田(1988)は18世紀,飯島(1971)は1850年とする。これに対して速水(2009b)は,「タイ族〔Dai〕に先んじ北部から西部に分布したとされる」と指摘する。
10) 速見(2009b)による。石井(2007)や,チェンマイにある山岳民族博物館 Tribal Museum(n.d.)は,438,131人とする。
12) 日本バプテスト海外伝道協会の大里英二宣教師(2010年6月13日,日本バプテスト柏教会に於ける講演)による情報。
14) クリスマス休暇の礼拝はホエチャンタイ村で,大晦日及び元日の礼拝はホエファン村で,夫々開催された。
15) 1881年に,スラ・メオ・クロ Thra Maw Klo,チャーイ・ミャ Chaey Mya,ソー・ケイ Saw Kay,及びムアン・セイMaung Thaeyにより創設された(2008年12月22日,第一筆者がTKBC総主事サニー・ダンポンピー師と面談した際に得られた情報),キリスト教プロテスタント組織。
16) 日本バプテスト海外伝道協会の大里英二宣教師(2010年6月13日,日本バプテスト柏教会に於ける講演)による情報。大里宣教師によると,1992年時点では凡そ9千人及び凡そ90教会を数える。なお,バプテスト派キリスト教徒カレン族の人口は,過去18年で3倍に増加した。
17) 早朝礼拝(6時頃),午前礼拝(10時頃),正午礼拝,午後礼拝(15時頃),及び夕方礼拝(18時頃)。
18) ごく稀ではあるが,タイ語の歌詞や英語の歌詞による賛美歌も歌われる。
19) 内田(1988)は,「音楽面からみたときカレン族は,タイに居住する少数民族のうち最も音楽的な民族といえる。彼らの生活は音楽と密接な結びつきをもっている」とする(229頁)。
20) 速水(2009)によると,TKBCは「民族意識形成」のために,「音楽を愛し,和を重んじ,世知には長けていないが,誠実で,純潔を守り,道徳的な人々,という『カレン・キリスト教像』」を強調した(69頁)。
21) 即ち,合唱によって招来される共在性。永原(1993)は,合唱の成立とは「共にいる」関係の成立であると論じる(214頁)。なお,彼の論考は合唱一般に関する議論であり,特にカレン族の賛美歌合唱について述べている訳ではない。
22) ホエケオラン村 Huay Kaew Lang,ホエチャンレック村 Huay Chang Lek,ホエプケ村 Huay
Puket (Long Neck village),ホエスートーク村 Huay Su Tok,ホエサンカ村 Huay Sang Ka,及びバプ村 Bapu。以上の6ケ村のバプテスト派キリスト教徒は,全てTKBCに所属する。
23) バプ村は,メーホンソンとチェンマイとを結ぶ国道108号線沿いにあり,メーホンソン市街地中心部から車で凡そ30分のところに位置する,平地カレン族の村である。同村は2つの集落に分かれ,一方は全戸がTKBCに所属する白カレン族集落で,もう一方は仏教徒である北タイ人(タイ語で「町の人 Khon Muang」と言う。チェンマイを中心とするタイ北西部広域に居住し,タイ語の方言を話す)の集落である(以後「バプ村」は,バプ村内の白カレン族集落を指す)。バプ村白カレン族集落の世帯数は凡そ50戸,人口は250人程を数え,村長はメーホンソン市内の公立学校の職員を務める。村の建物はその半数が,壁はモルタル仕上げ床は
タイル張りの非高床式家屋であり,ホエケオボン村やその近隣山村と比較すると,バプ村は経済的に裕福であることが窺える。
24) クンユアン郡 Khun Yuam内に位置する。ホエファン村の詳細については,脚注30を参照されたい。
26)ホエケオボン村,ホエチャンタイ村 Huay Chang Dai,ホエヒー村 Huay Hee,及びホエファン村 Huay
Fang。
これら4ケ村は全てTKBCに所属する。
27) ホエチャンタイ村は,ホエケオボン村から山道沿いに南へ6km,車で30分の所にある。世帯数は凡そ30戸,人口は凡そ120人。村人は白カレン族で,全戸がTKBCに所属する。10世帯が自動車を保有している。ホエケオボンの村人の中には,ホエチャンタイの村人と親戚関係にある人々が少なくない。ホエチャンタイ村の高床式家屋の建築様式や村周辺の風景は,ホエケオボン村のものと殆んど変わらない。村落で標高の最も高い地点に教会が建ち,その隣に木材の支柱にトタン屋根を被せた集会場がある。
28) 現地の子ども達に最も人気のあるカレン賛美歌の1曲である《yukure》を採譜し,その編曲を,本稿の付録に掲載した。第一筆者の採譜・編曲によるこの賛美歌(男声合唱編曲版)は,2009年の12月25日に,京王プラザホテルに於ける「クリスマス・ロビー・コンサート」で,学習院OB男声合唱団により演奏された。
29) ホエケオボン村,ホエチャンタイ村,及びホエファン村。
30) 白カレン族が居住するホエファン村へは,メーホンソン市街地の中心部から,主要幹線国道108号をクンユアン方面に車で40分進み土道へ入る。そこからハンドル操作に注意しながら登り坂を辿ること40分で,白カレン族のホエカー Huay
Kah村に至り,更に40分(即ち合計2時間)でホエファン村に到達する。同村の世帯数は37戸,人口は209人,全戸がTKBCに所属する。1970年に創設された同村では現在,同一人物が20年以上村長を務めている。ホエファン村の教会や小学校の建物は,ホエケオボン村のものよりも大きく造りも手が込んでいる。村の入り口付近に,川幅の広い個所は50m近いメースリン川が流れる。村人が川縁の大型柑橘類の実をもぎ,それを手でほぐして川に投げ入れる。すると,この餌を奪い合う魚たちが勢いよく飛び跳ねる。教会は集落の標高が最も高い所に建てられており,牧師は村長の叔父にあたる。教会から少し下ったところに牧師館があり,その隣家が村長宅である。村長宅は総チーク材による大型の2階建てで,押し開き式の窓が家屋の四方に夫々取りつけられている。ホエファン村を過ぎて山道を更に西へ辿ると,ミャンマーからの難民を収容するメースリン難民キャンプ(正確には,カレンニー・レフジー・キャンプ2。この難民キャンプについては,本稿第4章で詳しく触れる)がある。
31) 第一筆者は,大晦日及び元日の礼拝に於いて,鍵盤楽器による伴奏を担当した。
32) 2009年4月,GONGOVAに対する協力を惜しまなかったヨハン牧師(カレン語名,チョーオー Cho-oh)は,オオミツバチの蜜を採取中に高木から墜落して死去された。享年40歳。
33) ここでは礼拝用の賛美歌とは異なる,黒人霊歌の一種を指す。
35) クリスマス休暇の礼拝は,大晦日及び元日の礼拝と殆んど同じ手順で進められたが,後者には難民キャンプ聖書学校合唱団によるキャロリングが加わっていることに,留意されたい。
36) TKBCは,チェンマイ,メーホンソン,及びチェンライ等,タイ北西部に10の教区を置いている。各教区年次総会とは別に,各教区からの代表者等が集うTKBC全体年次総会もまた,1,000人規模で毎年4月初頭に開催される。
37) 13ケ村の村名(タイ語)は次の通りである(タイ語による村名に続くカッコ内に,カレン語による村名を記す)。ノンカオ Nong Khao(ノパポ Nobapo)村,ノンキオ Nong Kio(ノパドポ
Nobadopo)村,バプ Bapu(グルドゥ Gurudo)村,ホエケオボン Huay
Kaew Bon(ルクポ Lukupo)村,ホエトゥディ Huay Tu Day(ギウパペ Gyupape)村,ホエトン Huay
Ton(ボチュキ Bochuki)村,ホエナムソン Huay Nam Son(ボトゥキ Boduki)村,ホエヒー Huay
Hee(グロキー Groki)村,ホエファン Huay Fang(ダホタ Dahota)村,ホエブロイ Huay Poo Leoy(ブレコボ Plekobo)村,ホエミー Huay
Mee(ダースクロ Dasugro)村,ホエワイ Huay Way(ダパレ Dapare)村,及びマッカムポー Ma Kam Po(セニャブコ
Senyapooko)村。
38) 2010年にホエブロイ村で開催されたメーホンソン教区年次総会への出席者は,前年にホエケオボン村で開催された教区年次総会に比べ少なかった。その理由の一つに,乾季であっても四輪駆動車を使用しないとホエブロイ村への到達が困難である道路条件が,挙げられる。
39) メースリン難民キャンプ Mae Surin(正式名称:カレンニー・レフジー・キャンプ1),ナイソン難民キャンプ Nai Soi(正式名称:カレンニー・レフジー・キャンプ2),及びメラノイ難民キャンプ
Mae La Noiである。
40) 賛美歌合唱披露の場ともなる集会場の設営作業に当たる作業は,賛美歌合唱活動が合唱者に覚えさせる調和感に近い感懐を,集会場設営作業に当たる村人達に齎すと考えてよかろう。
41) 第一筆者は,教区年次総会の全ての礼拝時に,鍵盤楽器による伴奏を担当した。
42) メーホンソン教区のバプテスト派キリスト教徒カレン族の多くが利用している,ラーレイ・ディー師 Thra Raleigh Dee編集による賛美歌集(1963)には,15小節の《カレン国歌》が楽譜つきで掲載されている。この賛美歌集は,ビルマ・カレン・バプテスト・コンヴェンション Burma Karen Baptist Convention(BKBC)に属するラーレイ師が,1963年に編集したものである。カレン族が《国歌》を斉唱するというと一般に連想されるのは,ミャンマーでカイン(旧カレン)州の自治独立を目指しているカレン民族同盟 Karen National Union(KNU)によるミャンマー政府に対する闘争史であろう。この文脈に於いて《国歌》を歌うタイのバプテスト派キリスト教徒カレン族は,KNUに同調して「カレン族国家」形成意欲を醸成している,と見られる場合もある。この問題に関するKNU,BKBC,及びTKBCの関係について,本稿では差し当たり関わることなしに留めておく。
43) 年次総会全体会議の主要な議題は,メーホンソン教区の翌年度予算と人事であった。
44) 前日(総会1日目に当る3月25日)に訪れたメーホンソン県庁幹部とは,別の要人。
45) 凡そ200年前から伝わるカレン賛美歌で,BKBCを介してTKBCに伝えられた。作曲者及び作詞者は不詳。
46) 本節で述べた総会の進行状況は,次の様に整理できる(以下で,特に2009年或いは2010年の記載がないものは,両年に共通する事柄)。(1)早朝6:00の礼拝,午前9:00の礼拝,午後1:00の礼拝,及び夜7:00以降の礼拝。1日目の夜から3日目の夜まで計9回。カレン族の牧師十数名が数名ずつ一組となり,各礼拝の説教を務める。旧約聖書の詩篇等が引用され,神への感謝及び賛美,或いはキリスト教徒的な生活の大切さ等が語られる。各礼拝につき5〜10曲の賛美歌が歌われる。(2)13ケ村による村旗表掲及び《カレン国歌》斉唱(1日目夜)。(3)メーホンソン県庁からの支援金贈呈式(2日目夜。2009年は60,000バーツ,2010年は66,000バーツ)。(4)浸礼式(2日目午後。2009年は人数不明,2010年は2名)。(5)メーホンソン教区へ過去1年に献金された総額の発表(2009年は90,000バーツ,2010年は120,000バーツ)。(6)人事及び会計に関する会議(2日目と3日目の午前)。(7)各村合唱団による賛美歌発表競技会(3日目夜の礼拝後)。(8)余興等発表会(3日目夜の礼拝後)。(9)各村青年部による球技大会(会期前日に初戦,3日目昼に決勝戦)。
47) 2008年12月22日,チェンマイに於けるTKBC本部での面談。
48) “Most of the songs relate to the words of God in the Bible
or mention about love, care, mercy, and redemption. Good news of Jesus.”(サニー師が上記面談の際に,第一筆者に手渡した自筆メモ)。
49) 福本(2007)は,戦前の日本のキリスト教界が教会勢力拡大を目的として洋楽を活用したと述べる。
50) この機能は,教徒の信仰心を不断に更新する役割りも果たす。
53) カレンニー・レフジー・キャンプ 2は全体がメースリン村と呼ばれ,それ故にこの難民キャンプは屡々メースリン難民キャンプと称される。同難民キャンプとホエケオボン村の間は,健脚で凡そ半日を要する。なおメースリン村には,主としてバプテスト派キリスト教徒赤カレン族が収容されている。
54) 本研究では難民に関わる諸問題には触れないが,「タイ及びミャンマーの国境を越える難民」の比較的最近の実情に関しては,例えば,難民関係機関MMN and AMCによる報告書(2005)を参照されたい。
55) 本章で以後用いる情報は,メースリン難民キャンプ聖書学校の上級評議会議長ソエコー師 Saw Eh Kaw,同校校長ソヤド師 Saw Ya Doe,及び同校評議会事務局長のソランベル師 Saw Lan Ber との面談(2009年7月25日及び12月22日)に負う所が大きい。各氏の年齢は,共に50歳代後半から60歳代前半と思われる。
56) 急坂のため,自動車による交通には四輪駆動車が必要である。
57) 検問所に詰めているカレン族兵士の一人から,穏やかな挨拶の声をかけられた。しかし,「GONGOVAの行動規範(codes of
behavior)に非禁煙・非飲酒が記されている」と,丁重に答えて辞退した。
58) 「メーホンソン難民キャンプ外の地域(主としてミャンマー)から勉学のために同難民キャンプに寄留し,寄宿舎(ドーミトリー)生活を続けている子どもが少なくない」との話を,第一筆者は折り折り耳にした。
仮りにこの話を勘案すると,1戸当たりの実質世帯人数は,平均10人という計算には必ずしもならず,寧ろこの数値より遥かに小さいと言える。
59) 人口50〜200人程の一般的なカレン族の山村を20〜30ケ村,特定の一地域に集約したような巨大集落が,第1〜第4の各区画を構成する。
60) メースリン難民キャンプを支援している主なNGO団体として,次の6組織がある(カッコ内は当該NGO団体の本部又は支部を有する国)。COERR(イギリス,オーストラリア,アメリカ,及びタイ),TBBC(イギリス),教育支援を主とするEducation
Health(イギリス),衛生支援を主とするHospital
Group(イギリス,タイ,及びカレン),栄養管理支援のHandicap(イギリス),及びJoy RS (イギリス)。イギリス系NGO団体等の援助が,難民キャンプに及ぼす政治的・宗教的影響に関しては,ここでは立ち入らない。
61) メースリン難民キャンプ聖書学校の校長は,「この難民キャンプに収容されている老人や学歴の無い者の中には,難民キャンプの外に出ることを望んでいない人もいる」と,話した。即ち難民キャンプには,「第三国定住」先となる難民受け入れ国への移住を希望する人々だけが,居住している訳ではない。
62) 各言語集団を表わす英文字の綴りは,メースリン難民キャンプ聖書学校校長による。
63) シャン族は一般に,赤カレン族とは別の民族として分類される。第一筆者がその点について尋ねるとメースリン難民キャンプ聖書学校校長は,「別の民族とも言われるが,赤カレン族の親戚仲間だよ」と答えた。従って,ここでは彼の発言の通りに敢えて記しておく。
64) メースリン難民キャンプの各所で,川遊び,バレーボールの試合,サッカーの試合,及び笑顔で語り合う人々の輪が見られた。難民キャンプの人的交流の様相は,経済活動と同じく,山地カレン族の一般的村落に比較して活発である。他方で勿論,知識の限られた筆者らが容易に看過している,他の大切な理由も在り得よう。
65) このうち1つの教室はコンピュータ・ルームで,旧式ではあるがパソコン2台が置かれていた。
66) カヤー州内の57ケ村。対象とする村人の数は,8,281名にのぼる。
67) 上級評議委員のうち半数は,メースリン難民キャンプ外に居住している。
69) BKBCの神学局には,神学研究課程(3年制),神学教員養成課程(4年制),神学学位取得課程(4年制),及び神学修士課程(2年制)が設けられている。音楽教育に関して見ると,神学研究課程では記譜法,音楽史,指揮法,及び作曲法が必修科目に指定されている。
70) メースリン難民キャンプ聖書学校の学生達は,「賛美歌合唱は楽しみでもあるが,同時に自分達の務めでもあるから練習が必要」と話した。
72) 佐藤(2002)は,森林資源保全及び利活用に優れたカレン族の特性を詳細に論じている。ピンゲーウ Pinkaew(2001)は,山岳民族としての地位向上活動に関する,カレン族の動向について述べている。カレン族の森林経営方法については,アナン Anan(2000)並びにフォルシス及びウォーカー Forsyth and Walker(2008)が詳しい。マルヤ Maruja(2006)は,ホエヒンラートナイ村の森林利用形態について報告しており,更にマルヤ Maruja(2005)は,カレン族を森林利用の歴史的視点から,タイ北西部地域における「先住民」として位置づけている。速水(2009c)は,カレン族の,所謂「先住民戦略」を紹介している。
73) タイ国内に本部・支部を置くNGOの中には,森林保全,幼児教育・初等教育,及び機織り技術などを夫々支援する団体が,少なくない。
74) 他の山村の若者は,近隣中小都市或いはチェンマイ等大都市へ,出稼ぎに出ていることが少なくない。これに対してホエヒンラートナイ村の若者の多くは,水稲耕作(近傍にある村民共同所有の水田に於ける農作),陸稲耕作(山面の焼畑耕地に於ける農作),家畜飼養,及び「勤勉であれば相応の収入が約束される賢い工夫を組み入れた」アグロフォレストリーに,村内及び近傍(水稲耕作の場合)で携わっている。村の年長者が,「(1)経済的にペイする形のアグロフォレストリーを主たる基盤の一つに据えた村内経済活動,並びに(2)伝統的な森林管理・保全の実践と哲学(即ち,「定住・循環型焼畑農耕と熱帯林コモンズ(tropical forest commons)」が齎らす恵みに関する,村人の伝統的な知恵と行動規範)を,両ら次世代に継承させようとする強い意志を持っており,年長者のこの様な姿勢及びそれに伴なって払われている努力も,若者を村に留らせる大切な役割を果たしていると言える。
75) メーホンソン県内に散在する精霊信仰を併せ持つ仏教徒白カレン族集落では,竪琴形のデナーの他に,縦笛クルイがカレン族伝統楽器として受け継がれている。しかし,チェンマイ県及びチェンライ県内の,精霊信仰を併せ持つ仏教徒白カレン集落の殆んどで,クルイは受け継がれていないと言われる。
78) 声を張り上げる唱法ではなく,語るように低く柔らかい声を出す唱法。
79) 曲のタイトルを日本語に訳すと,夫々,《竹よ伸びろ》,《子らへの教え》,及び《グロの木が揺れる》となる。一曲目は子ども達の健やかな成長を願う歌,二曲目は稲刈りに励みしっかりと米を備えよと勤勉の尊さを教える歌,三曲目は若い男が恋愛に悩む歌である。
80) 例えばその一つに,屡々歌われる《バミプルパディイ》(年長者が勤労の大切さを子ども達に教える歌)がある。伝承歌のレパートリーは,年長になるほど多い傾向にある。
81) 複数の男女による歌垣も,頻繁に聞かれる。歌垣に用いられる伝承歌の種類は,恋愛に関するものから,食べたいものや飲みたいお酒に関するものまで幅広い。種類の豊富さが物語るように,歌垣が行なわれる形式は,儀礼的な(即ち,充分に形式化された)ものではなく,歌いたい者が各自自由に歌い出し,それを受けたい者が歌い返す素朴なものである。その中には例えば,《バミレバミジャクレ》(定住・循環型焼畑農耕の意味と価値を子ども達に語り伝える歌)がある。
82) 中年以上の村人の中には,祭祀長らによるこの種の伝承歌の歌声をカセット・テープに録音して,暗唱を試みる人々もいる。これらの伝承歌には例えば,《ムチャドゥニバムグ》(祝い歌)がある。
83) 例えば,チッ・スウィチャー氏 Chi Shuwicharn。
84) 村の若者は伝承歌の習得に熱心であるが,若者達が実際に最も親しんでいる音楽に,タイ・ポップスとカレン・ポップスがある。若者は,昼の時間帯にテレビで放映されるタイ・ポップスのプロモーション・ビデオ番組を,楽しみにしている。カレン・ポップスは,若者の間に近年広まっているMP3プレイヤーを介して,親しまれている。若者の中には,カレン族歌手アーノルト・ウィトゥーン Arnord Witoonの曲を始めとする170曲にのぼるカレン・ポップスを,MP3プレイヤーの中に揃えている者もいる。カレン・ポップスは村の年配者にも人気があり,年配者はカセット・テープやラジオのカレン語放送局の番組でカレン・ポップスを楽しんでいる。これに比較すると,バプテスト派キリスト教徒山地カレン族は,カレン・ポップスへの関心度が低い。
85) グレイバーズ Gravers(2008)によれば,カレン族は自己社会保存戦略の中心を,定住・循環型焼畑農耕を積極的に正当化する姿勢に従前は置いていたが,1997年頃より,カレン族特有の伝統文化に重きを置くアプローチをも,同戦略の中に取り入れ始めた。