*) 学習院大学川嶋辰彦教授研究室リサーチ・アシスタント。2006年2月から2010年12月までの間に,合わせて350日間以上,タイ北西部山村に滞在し,第二筆者と共に現地でのヴォランティア活動やフィールド調査に携わってきた。
**) 学習院大学経済学部。GONGOVAプロジェクト責任者。GONGOVAの概要については,脚注7を参照されたい。
1) タイの行政システムに照らして厳密に言うと,この村はホエヒンラート村(又は第七番村)大字ホエヒンラートナイと呼ぶべきである。しかし実質的な便宜上本稿では,ホエヒンラートナイ村と呼ぶ。後述するホエヒンラートノック村,パユヤム村,及びホエサイカオ村も,行政システム上厳密に言えば「村」ではなく「大字」であるが,本稿では特別な場合を除き,これら3集落をも夫々「村」と呼ぶ。なお,ホエヒンラートナイはタイ語による呼称であり,白カレン族の人々は同村をメーラーキMeh Lah Ki と呼ぶ。
2) ここでは,途上国内途上地域underprivileged regions in developing countries で実施される,「現地支援・ヴォランティア教育」型の,草の根的国際協力活動プログラムを指す。
4) アグロ・フォレストリーは一般に,森林資源の持続的保全と活用に対して十全な配慮の払われている農業生産形態を指す。
5) ホエヒンラートナイ村の人口95人のうち,村の若者はムグノ8名,ポサクア9名の計17名を数える。なお,カレン語でムグノは「10歳代後半〜20歳代の未婚女性」を,ポサクアは「10歳代後半〜30歳代前半の未婚男性」を夫々意味する。
6) 富田・川嶋(2010)は,「村に残る若者の割合が多い」現象について,「他の山村の若者は,近隣の町や中小都市,或いはチェンマイやチェンライ等の大都市で出稼ぎをしていることが多い。これに対し,ホエヒンラートナイ村の若者の多くは,森林保全型農業の生産活動及び採取活動に村内で従事している。村の年長者に,伝統的森林保全意識を次世代に引き継がせようとする強い意向があり,その線にそった施策が実行に移されていることも,若者が村に留まる理由の一つと考えられる」と述べる。
7) GONGOVA は,「学習院海外協力研修プログラム Gakushuin Overseas Non-governmental Organization Volunteer Activity Programme」の略称である。草の根的国際協力NGO ヴォランティア活動プログラムの範疇に属するGONGOVA は,1996年に基本構想が立案され,翌1997年から2010年まで継続的に毎年実施された。同プログラムの主目的は,(1) 参加青年達の自己啓発・自己実現・意識改革の促進,並びに(2) 協力対象地域に於ける生活環境基盤の改善及び熱帯林自然環境の再生・保全である。GONGOVA は2010年8月に最終回のメイン・プログラムを終え,現在は,楽曲で言えばコーダ(終結部)に当たる段階,即ち「1996年以来今日まで積み重ねて来た活動実績をフォロー・アップする作業,及び事後調査等を執り行なう段階」に移行中である。なお,GONGOVA の詳細は,例えばKawashima and Samata(2002)及び川嶋(2009)を参照されたい。
8) 本節は,富田・川嶋(2010)の第1−2節と重なる部分が多い。
9) カレン族は,チベット・ビルマ語族の一派であり,その主要2グループは白カレン族と赤カレン族である。各グループは夫々下位集団を擁し,白カレン族にはスゴー・カレン族 Sgaw Karen 及びポー・カレン族 PwoKaren が属し,赤カレン族にはブレー族Breh 等が属する。白カレン族はミャンマーのカイン Kayin 州を中心に200〜300万人が居住する。他方,タイ北西部に定住するカレン族の大半は,ミャンマーから移動して来た人々の子孫であり,現在の人口は凡そ38万人強を数える。翻って,居住地の標高差に目を遣ると,タイに居住するカレン族は,平地カレン族と山地カレン族とに大別される。前者は一般に水稲耕作に従事し,タイ型農耕文化に順応している。後者は,熱帯林の中で定住・循環型焼畑耕作を現在も続けており,独自の民族文化を比較的色濃く残している。なおカレン族の宗教は,仏教及び精霊信仰が中心である。しかし,イギリス領インドの一州として旧ビルマが同植民地へ編入された時代に,カレン族の一部ではキリスト教への改宗が進んだ。
10) GONGOVA は,2008年からNGO ヴォランティア活動拠点の一つをホエヒンラートナイ村に置き,コミュニティ・ハウス及び簡易水道施設の整備,村落へのアクセス道路や熱帯林防火パトロール用林道の普請,換金性果実樹木の移植,同樹木の育苗用遮光施設の建設,東洋ミツバチ養蜂農業の導入,及び食用ガエルの養殖等を,同村で支援している。
11) 2010年9月時点で,女46人及び男49人。年齢階層の内訳は,乳幼児6名,小学生15名,中学生5名,実業学校生2名,10歳代後半〜20歳代の未婚女性8名,10歳代後半〜30歳代前半の未婚男性9名,60歳以上10名,及び,以上のカテゴリーを除いた働き盛りの年頃の大人が40名である(30歳代後半以上の男女は,中高年及び老人を意味する「サプガァ」と呼ばれる)。
12) Huay Hin Lahd Nok。1968年,現在地に集落を形成し,2010年9月現在の世帯数は25戸,人口は126人を数える。また、宗教面での特質を各戸が信仰する宗教別に見ると,キリスト教プロテスタントに帰依している世帯15戸,仏教に帰依し同時に精霊信仰の祭祀儀礼も継承している世帯9戸,及び仏教に帰依している世帯1戸である。なお,同村の土地利用形態等に関する詳細については,第3章を参照されたい。
13) Pa Yuyam。1982年,現在地に集落を形成し,2010年9月現在の世帯数は6戸,人口は33人を数える。また,宗教上の特質は,ホエヒンラートナイ村と同様である。なお,ホエヒンラートナイ,ホエヒンラートノック,及びパユヤムに居住する村人の多くは,互いに縁戚関係にある。また,同村の土地利用形態等に関する詳細については,第3章を参照されたい。
14) この行政地区の名称は,「ムー・チェットMoo7(即ち,第七番村)」である。ムー・チェットには,ホエヒンラートナイ村,ホエヒンラートノック村,及びパユヤム村の3ヶ村に加え,山岳少数民族赤ラフ族の居住山村ホエサイカオHuay Sai Kao が属する。同村は全世帯キリスト教プロテスタントに帰依しており,世帯数は29戸,人口は128人(女の人数が男の人数よりやや多い)を数える。主な生業は,キャベツ等の野菜栽培(第七番村の助役である同村の長老によると,一部は日本にも輸出されているとのことである)とタケノコ採取である。焼畑農耕は行なっておらず,森林環境は総じて豊かである。但しホエサイカオ村は,第七番村に属する他の上記3ヶ村との日常的な交流は比較的希薄なため,本稿の考察対象からは割愛する。なお,タイの地方行政システムは,タイ語で「チャンワットJangwad(県Prefecture)──アンプーAmphur(郡District)──タムボンTambon(区Sub-district)──ムーMoo(村Standard village)──バンBan(大字Small village)」の形で表わせる。これに倣うと,「バンホエヒンラートナイBan Huay Hin Lahd Nai」は厳密に言えば,「大字ホエヒンラートナイ」となる。しかし前述した様に本稿では,タイ語「バンBan」が,通常は一つの集落共同体「村Large and small villages」を意味することに鑑み,第七番村内の「大字バンホエヒンラートナイ」を「ホエヒンラートナイ村」と呼ぶ。
15) Maruja(2006)は,ホエヒンラートナイ村の住人に対して,一般に用いられている術語「先住民natives」とは異なる意味合いの術語「先住民indigenous people」を当てる。本稿では,この問題には立ち入らない。
16) 「焼畑農耕地(タイ語で,「ライムンウィアンRai Mun Wian」)を,原則として一年間以内の作物栽培に当てた後,地力回復のために一定期間作付けせずに休ませてから再び一年間以内使用する仕組み」は,屡々一般に休閑農耕システムと呼ばれる。
17) 陸稲を栽培する焼畑農耕地,水稲を栽培する水田,茶畑,及び竹林等を含む。より詳しくは,第3−1節を参照されたい。
18) この意識の発現を促す基本的知識は屡々「カレン・ナレッジKaren Knowledge」と呼ばれる。本稿では,「カレン・ナレッジ」を巡る議論に立ち入ることは割愛する。
19) ホエヒンラートナイ村,ホエヒンラートノック村,及びパユヤム村。
20) Ban Huay Hin Lahd Nai and Two Others( 2010)。本内部資料は,2009年4月〜2010年1月の間に,ホエヒンラートナイ,ホエヒンラートノック,及びパユヤムの3ヶ村が共同で,各村に居住する全世帯を対象に実施したアンケート調査の結果を,纏めたものである。本稿では,ホエヒンラートナイ村の第一指導者プリーチャ氏及び同村森林管理責任者チャイプラサート氏から特別な御配慮を載き,同資料からの引用を許可されたデータを活用した。GONGOVA の諸活動を介して,筆者らがカレン族の人々との間で培った人間関係は,現地調査の実施に対し裨益するところ大であった。
21) 面積を表わす単位。1ライは,0.16 ha(即ち1,600m2)を意味する。
22) 1ライの焼畑から収穫できる陸稲は,陸稲が栽培される土地の地味条件・日照条件等により異なり,1ライ当たり40〜50ピッ(容積を表わすタイ語の単位「ピッ」は,一斗缶1つ分に当たる凡そ18リットルを表わす)収穫できる焼畑農耕地もあれば,60〜70ピッ収穫可能な焼畑農耕地もある。なお,陸稲1ピッの重量は,12〜13 kg であり,タイ北西部の農家が農作物を入れるために通常使う,優に一抱えはある頑丈なビニール紐製網袋の容積は,3ピッである。
23) タイ北西部の山村に於ける水田は,平地の大規模な水田と異なり森林エリアに存在することから,利用形態上活用林に含められている。ところで,ホエヒンラートナイ村の村民は,この32ライの水田の他に,村外に水田33ライを有する。なお,1ライの水田から収穫できる水稲は土地の諸条件により異なり,年間の収穫量が80〜90ピッの水田もあれば,100〜150ピッの水田もある。なお,水稲1ピッ当たりの重量は10〜11 kgであり,陸稲は水稲に比して籾殻が薄いことも手伝って,水稲よりも重い。単位面積当りのコメの生産性について見ると,水田の方が焼畑農耕地に比して高い。しかしながら,同村の焼畑農耕地の一部では,自家消費用のナス,ウリ及びトウモロコシ等の栽培が,単作,間作,或いは混作の形でなされているので,単位面積当りのコメの生産性によってのみ,焼畑農耕地と水田の地代的価値を単純に比較する訳には行かない。ここでは,この点に関する詳細な検討は避ける。
24) 休閑農耕システムに於ける「農耕地の休閑年数+連続耕作年数(ホエヒンラートナイ村界隈では1年)」は,一般に休閑サイクルと呼ばれる。ホエヒンラートナイ村,ホエヒンラートノック村,及びパユヤム村では,休閑サイクルの長さは各村の村民総会で夫々決定される。
25) 休閑年数を長く設定すれば常によい,という訳では必ずしもない。何故なら,焼畑の利用から12〜13年の休閑期間を経ると,地力の回復には望ましいが,同期間中に当該地に成長する立ち木の樹幹が太くなり過ぎ,鉈で切り倒す作業が困難になるからである。なお,ホエヒンラートナイ村では,焼畑農耕地の立木伐採の際,チェーンソーは使用されない。
26) 焼畑農耕地全体の面積は,防火帯や農道を含む。また各利用区画として表示されている面積(ライ)は,小数点以下が切り捨てられているので,利用区画の合計値は焼畑耕地全体の面積に必ずしも等しくはない。
27) 2008年現在,ホエヒンラートノック村の土地面積6,703ライは,以下の範疇に分類される。(1) 自然林;5,648ライ。(2) 活用林;988ライ。(1) トウモロコシ栽培地;584ライ,(2) マンゴー,ラムヤイ及びロンガン等栽培地;132ライ,(3) 水田;148ライ,(4) 陸稲栽培用の焼畑農耕地;89ライ,(5) 牛・水牛放牧地;33ライ。(3) 集落・寺院;48ライ。(4) 小学校;2ライ。(5) 車道・林道;15ライ。焼畑農耕地について言えば,休閑サイクルは7〜9年であり,焼畑農耕地総面積89ライは,以下の9区画に区割りされている。(1) 2008年用区画;8ライ,(2) 2007年用区画;9ライ,(3) 2006年用区画;11ライ,(4) 2005年用区画;18ライ,(5) 2004年用区画;8ライ,(6) 2003年用区画;12ライ,(7) 2002年用区画;17ライ,(8)2001年用区画;6ライ,(9) 2000年用区画;4ライ。
28) 2008年現在,パユヤム村の土地総面積5,130ライは,以下のように分類される。(1) 自然林;4,323ライ。(2) 活用林;801ライ。(1) 陸稲栽培用の焼畑農耕地;545ライ,(2) 茶の栽培地;132ライ,(3) 水田;28ライ。(3) 集落・寺院;5ライ,及び(4) 車道・林道;10ライ。焼畑農耕地について言えば,休閑サイクルは7〜8年であり,焼畑農耕地総面積545ライは,2008年現在に於ける記録によると,以下の8区画に区割りされている。(1) 2008年用区画;93ライ,(2) 2007年用区画;106ライ,(3) 2006年用区画;77ライ,(4) 2005年用区画;62ライ,(5) 2004年用区画;52ライ,(6) 2003年用区画;42ライ,(7) 2002年用区画;98ライ,及び(8) 2001年用区画;11ライ。上記(8)区画の循環利用に関しては,若干の説明を要する。例えば,(8)の2001用年区画11ライは,休閑開始後8年目の土地が11ライあることを意味する。しかしこれは,2009年に再び利用される焼畑農耕地の面積が(8)の区画11ライに必ずしも等しい訳ではない。何故ならば,7年以上休閑させた区画は十分に利用可能であると現地では認識されており,例えば,2009年には,「(8)2001年用区画(休閑開始後8年目の土地)11ライに,(7)2002年用区画98ライ(休閑開始後7年目の土地)の一部に当たる40ライを加え,合計51ライを農耕地として利用する」という形の,合筆的土地利用が行なわれ得る。なお,この合筆的土地利用方式は,ホエヒンラートナイ村の焼畑農耕地には殆んど適用されていない。
30) ウィアンパパオ市近郊のホエマイデュア村Huay Mai Dua,及びメーチャンカオ村Mae Chang Kao。両村共に,白カレン族居住山村である。
32) なお,ホエヒンラートナイ村の村人が,休閑農耕システムが適用されている焼畑農耕地を村外に所有する例はない。ホエヒンラートナイ村の若者の1人は,「山地に居住するカレン族にとって,先祖代々利用してきた焼畑農耕地に対する愛着は,水田に対するものより大きい」と話した。この地域では,平地にある水田の所有権移動が比較的容易であると言われるが,そのことは,この発言によっても間接的に語られている様に思われる。しかしこの点に関して,ここでは立ち入らない。
33) 水田を除く活用林では,農薬や除草剤の類は一切使用されていないことに鑑みると,伝統的に焼畑農耕を生業としてきた白カレン族にとり,水田は例外視される対象になり得るのかもしれない。
34) THB はタイ・バーツThai Baht を表わす。1バーツは約3円。
35) 生産された陸稲及び水稲が全て市場に出荷されると仮定した場合,2008年に於ける総収入額は夫々THB131,460及びTHB 178,350となる。また,2009年及び2010年に於ける,タケノコの採取作業者全員による総収入額は,夫々THB 86,785及びTHB 126,742であり,2008年末〜2009年初及び2009年末〜2010年初に於ける,普通茶葉の収穫作業者全員による総収入額は,夫々THB 159,062及びTHB 204,541である。なお,2008年の総収入額が109,790バーツに及ぶ「小木の木の実マッコーサ」は,チェンライ市内の業者から受ける注文に随時応じる形で収穫し出荷するため,収益は年毎に顕著に変動する。それ故に村人は,マッコーサを茶葉やタケノコに匹敵する換金性作物としては認識していない。実のところ,全く注文のなかった2009年の出荷実績は0 kg であった。
36) 研修に使用されている主要施設は,GONGOVA 2009の参加学生及び同村の村人が共同で建設した,コミュニティ・ハウスである。同村には,年間凡そ100組に上る研修を目的とする来訪者があり,研修者数は1組数人から50人程度までと幅広い。研修料収入に関する正確な資料は村にないが,先進諸国やタイ国内大都市に居住するNGO 職員や研究者が支払う研修料の目安は,昼食付き日帰りでTHB 150,3食付き一泊でTHB 350である。食糧等を持ち込んで自炊するタイの学生やカレン族の人々からは,研修料を徴収しない。研修料は,同村森林管理責任者等によるレクチャー代,活用林内の案内料,及び昼食代(食材購入費・運搬費込み)を含んでTHB 150であるから,上述のNGO 職員や研究者にとり格安な値段と言えよう。研修料から経費を除いた純益は,村の共同基金に組み入れられる。同基金は例えば,週に一度の頻度で村外で開催される森林保全関係会議に,村人が参加する際の旅費等の一部に活用される。なお同村は,避暑や娯楽で訪れる人々の入村は,丁重に断ることにしている。
37) ホエヒンラートノック村に於ける2008年の,個別農産物の生産高並びに(i)生産高のうち自家消費量,(ii)生産高のうち販売量,及び(iii)販売量のキロ当たり売価は,次の通りである。(1) 陸稲;5,488 kg,(i)5,488 kg,(ii)0 kg,(iii)THB-/kg。(2) 水稲;64,908 kg,(i)60,458 kg,(ii)4,450 kg,(iii)THB10/kg。(3) トウモロコシ(ブケサ/カポン);126,550 kg,(i)0 kg,(ii)126,550kg,(iii)THB5/kg。(4) タケノコ;4,310 kg,(i)3290 kg,(ii)1,020 kg,(iii)THB3/kg。及び(5) 製茶;25 kg,(i)25 kg,(ii)0 kg,(iii)THB-/kg。その他の主な現金収入には,(6)スイギュウ・ウシ・ブタ・ニワトリ等の家畜販売収益;THB 140,500,及び(7) 近郊タイ人集落に於ける農業補助労働(稲刈りや脱穀などの手作業)等からの収益;THB 144,765がある。なお,農業補助労働に対する現地の日給相場はTHB 200〜220である。
38) トウモロコシ栽培用耕地に対してホエヒンラートノック村は,休閑農耕システムを適用しておらず,同一の耕地が毎年繰り返しトウモロコシ栽培に使用されている。ホエヒンラートナイ村では,「トウモロコシ栽培は土地を疲弊させる」という認識を村人が共有している模様である。
39) パユヤム村に於ける2008年の個別農産物の生産高並びに(i)生産高のうち自家消費量,(ii)生産高のうち販売量,及び(iii)販売量のキロ当たり売価は,次の通りである。(1) 陸稲;6,372 kg,(i)6,372 kg,(ii)0kg,(iii)THB-/kg。(2) 水稲;3,930 kg,(i)3,930 kg,(ii)0 kg,(iii)THB-/kg。(3) 製茶;391 kg,(i)71 kg,(ii)384 kg,(iii)THB 80。(4)マッコーサ;910 kg,(i)114 kg,(ii)796 kg,(iii)THB 20/kg。及び(5) タケノコ;11,717 kg,(i)600 kg,(ii)11,117 kg,(iii)THB3/kg。その他の主な現金収入には,(6) オオミツバチの蜂蜜販売収益;THB 25,477,(7) 竹網籠の販売収益;THB 8,040,及び(8) ウシ・ブタ・ニワトリ等の家畜販売収益;THB 4,610がある。
40) Atit(2009)には,同村に於ける焼畑農耕地での作業や,オオミツバチの蜜を採集する作業などを含めたホエヒンラートナイ村の1年の様子が,農業カレンダー風に纏められている。
41) 樹齢の行った大木が,村の部外者により違法に伐採されることが,しばしば生じる。1年を通して月に5〜6回の割合で,村の未婚男性「ポサクア」が猟銃を肩に担い交代で盗伐の夜間監視にあたる。
42) 本章は,ホエヒンラートナイの村人サンヴォーン・スィリ氏Sanguaon Siri 及び同氏のモー夫人が保管する「普通茶葉収穫・出荷記録帳簿」によるところが大きい。
43) 他の農作物との比較で見られる普通茶葉の年間収穫量(2008年度)については,第3−2節を参照されたい。
44) 自家消費用の新茶葉収穫量はこのデータには含まれていない。2010〜2007年の場合,茶摘み作業は毎年5月に実施された。
45) 詳細な実施期間及び合計作業日数に関するデータは存在しない。
46) 詳細な実施期間及び合計作業日数に関するデータは存在しない。
47) 詳細な実施期間及び合計作業日数に関するデータは存在しない。
48) 売価は毎年(時によっては日毎に)変動する。帳簿の誤記載も時にあるが,その場合には後日に個別に修正され,適切な調整金額が収穫作業者に支払われる。ただし,修正された記録は,残されていない。
49) 茶葉は比重が比較的小さいので,村の第一指導者プリーチャ氏が管理する村の共有車で市場へ運搬される。他方,タケノコの比重は比較的大きいので,村の共有車より載積能力の高い,第七番村の村長スウォン・プライワクン氏Thwong Praiwagol の所有車及び村長付き助役ソンクラン・レポー氏Songkhran Lekpho の所有車が使われる。
50) 例えば,村の共有車に前もってガソリンが十分に入っている場合には,ガソリンを新たに購入する必要はない。この際,運搬のために用意しておきながら不要になったガソリン代は,村の共同基金に納入される。
51) これら3種類の平均値の算出には,2009年12月6日から2010年1月3日迄の期間に対するデータを用いた。
52) 38日の全期間に亙る,ホエヒンラートナイ村の作業者全員による総収入額は,パユヤム村の作業者数の収穫量を勘案して推定しなくてはならない。村人の「普通茶葉収穫・出荷記録帳簿」担当者サンヴォーン氏の推定によると,ホエヒンラートナイ村に於ける2010年度の普通茶葉収穫作業に関しては,「(ii)収穫作業者全員による総収穫量は 34,510kg,(iii)作業者全員による総収入額はTHB 169,506」となる。
53) 2007年末〜2008年初の普通茶葉収穫量の合計は,凡そ30,000 kg,収穫作業者全員による期間内収入額合計は凡そTHB 135,000と,推定されている。
54) 茶の木は活用林内に充分に繁茂しているので,村人各自が管理する区画の範囲を越えた場所で茶葉を摘む時間的ゆとりのないのが現状である。
55) 普通茶葉(日本茶でいうところの,二番茶,三番茶,番茶を作るために用いられる茶葉)は,白カレン語で「ナム・ラ・プガァ」,タイ語で「バイ・チャー・ケ」という。普通茶葉は,葉の付いた枝の先端から60〜80cm までの部分を,手袋をはめた手で枝先へ向けてこそげ取る様にして収穫する。長さ30cm の一枝当たり,普通茶葉が100〜300枚採取できる。
56) 本章は,ホエヒンラートナイ村の住人ニウェ・スィリ氏Niwet Siri が保管するタケノコ関係帳簿によるところが大きい。資料はニウェ氏の許可を得て転記した。なおニウェ氏との主要インタヴューは彼の自宅に於いて2010年9月6日(月)に行なわれた。
57) この10竹種をカレン語の名称(括弧内はタイ語の名称)で示すと,次の通りである。ヴァ・クルッ(タイ・ホック),ヴァ・ミー・ボ(タイ・サン),ヴァ・ミー・ス(タイ・サン・ダム),ヴァ・クレー(タイ・ライ),ヴァ・ター(タイ・ホー),ヴァ・ブロー(タイ・カオラーン),ヴァ・クロー(タイ・ヒア),及びヴァ・ボ(タイ・モン)。なお,ヴァ・ブローの眞稈の空洞部分(即ち竹筒の内部)は,モチ米を炊く際に使われることがある。また,ヴァ・クローの眞稈は細かく裂いて,建材を繋ぐ竹韱に加工する。
58) カレン語(括弧内はタイ語)では,タケノコを掘り起こすことを,クー・ボ(ク・ノー),タケノコを掘り起こす専用棒はボー(シアム),タケノコを茹でることはクロー・ボ(トム・ノー)と言う。なお,タケノコが小さいときに,ガの幼虫「キーフェ(白カレン語)/ロッドゥアン(タイ語)/デェ(北タイ語)/ロムチュ(中国語)」が寄生することがある。タケノコが親竹に成長するにつれキーフェの体長は大きくなり,10月から翌年6月の期間に食用として好まれる。キーフェはタイ北部では重要な食材の一つであり,最近は1 kg がTHB 100で取引きされる。なお,キーフェの群れに寄生された眞稈は変色し,著しく痛む。
59) 採取したタケノコを20〜30分間茹でる主な理由は次の通りである。(1)出荷時の破損を防ぐ(生のままでは脆く欠け易いが,茹でることによって弾力性が増し,輸送中にタケノコがぶつかり合っても破損し難くなる)。(2)腐敗を防ぐ(日持ちを良くする)。茹でることにより保存期間をそうでない場合に較べて2〜3日延ばすことができる。(3)付着しているイモムシ類を死滅させる。(4)鮮度を保つ(特に,匂いの良い状態を長期間保持できる)。それ故に,茹でていないタケノコの売価は,低い。
60) 平均的な大きさは1.1 kg,特に大きいもので7.5 kg,及び特に小さいもので0.2 kg である。
61) 大きな匙状を呈する頑丈な掬い網(直径30cm)が,木製の柄の先端に取り付けられている。
62) 2010年度の採取作業期間中の休日とその理由は,次の通りである。(1) 8月2日(月):パヤップ大学等からの学生団体客来訪の準備日,(2) 8月3日(火):仏暦の休日,(3) 8月4日(水):GONGOVA 参加者来訪の準備日,(4) 8月10日(火):仏暦の休日,(5) 8月11日(水):GONGOVA 参加者及び同伴村民10人によるカンペンヒン村への東洋ミツバチ養蜂研修旅行日,(6) 8月12日(木):母の日(祝日),(7) 8月18日(水):仏暦の休日,(8) 8月19日(木):隣村ヒンラートノック村に於ける祖霊祭祀「キジュ」の日,(9) 8月20日(金):村内焼畑農耕地各所に於ける稲作祭祀日,(10) 8月21日(土):祖霊祭祀「キジュ」の準備日,(11) 8月22日(日):祖霊祭祀「キジュ」の日,及び(12) 8月25日(水):仏暦の休日。
63) 2009年の採取作業期間中の休日とその理由は,次の通りである。(1) 7月11日(土):ニウェ氏が焼畑農耕地で仕事(タケノコの湯湧し場が閉鎖),(2) 7月12日(日):(1)と同じ,(3) 7月15日(水):仏暦の休日,(4) 7月22日(水):仏暦の休日,(5) 7月30日(木):仏暦の休日,(6) 8月3日(月):祖霊祭祀「キジュ」の準備日,(7) 8月4日(火):祖霊祭祀「キジュ」の日,(8) 8月5日(水):理由不詳,(9)8月6日(木):仏暦の休日,(10) 8月7日(金):理由不詳,(11) 8月12日(水):母の日(祝日),及び(12) 8月14日(金):仏暦の休日。
64) 2008年の採取作業期間中の休日とその理由は,次の通りである。(1) 7月24日(木):理由不詳,(2) 7月25日(金):仏暦の休日,(3) 8月1日(金):仏暦の休日,(4) 8月9日(土):仏暦の休日,(5) 8月11日(月):理由不詳,(6) 8月12日(火):母の日(祝日),(7) 8月13日(水):ウィアンパパオのタケノコ加工業者が夏季休業日,(8) 8月14日(木):(7)と同じ,(9) 8月15日(金):(7)と同じ,(10) 8月16日(土):仏暦の休日,(11) 8月20日(水):理由不詳,(12) 8月22日(金):祖霊祭祀「キジュ」の準備日,(13) 8月23日(土):祖霊祭祀「キジュ」の日,及び(14) 8月24日(日):仏暦の休日。
65) 前章で述べた茶の木と同様に,タケノコの親竹であるヴァ・クルッも活用林内に充分に繁茂している。よって,村人が各自管理する区画外にまで出て行き,タケノコを採取する時間がないのが実情である。
66) タケの稈は,地上の眞稈と地下の稈柄(最下部)及び稈基(眞稈と稈柄の間の部分)に分けられる(竹内(1932,17−18頁)。村人がタケノコを採取する竹種はヴァ・クルッであり,その稈基は3層よりなり,各層は一対の大形な芽子を有する。
67) 竹ヴァ・ブローの眞稈を利用する代表的な料理「ブロー御飯(メ・ブロー/カオ・ラン)」(餅料理とも呼び得る一種の餅菓子)がある(括弧内は白カレン語/タイ語の順で表記)。ブロー御飯に使うヴァ・ブローは眞稈の直径が4〜5cm のものを選び,それを長さ80cm(2節分)に切断し,調理用の器として用いる。ここで,メ・ブローの調理手順を記すと次のとおりである。(1) モチ米を,大きな桶で5時間水に浸す(10時間浸すと,更に美味しい)。(2) ヴァ・ブローの眞桿を利用して,メ・ブローを調理する器に適する竹筒を作る。その際,竹を「2節分の長さ(含まれる節の数は3つ)」毎に切断し,一端の節を一つ残し他の2つの節は刳り貫く。このとき,節の刳り貫かれた端の部分を斜めに切り落としておくと,その後の調理に便利である。ヴァ・ブローは節の間隔が凡そ40cm なので,竹筒の長さは凡そ80cm になる。用意する竹筒の数は1家族で5〜6本であるが,多めに作る時は1家族で竹筒を10本以上用意することもある。(3) 火を起こし,焚火の周りに木或いは竹で高さ1m 弱の「囲い」を作る。この囲いの作成に要する時間は,慣れている者ならば5〜10分で足りる。(4) 水に浸しておいたモチ米を,竹筒の容器に9分目まで入れる。(5) ココナッツ・ミルク(マーポ・ティ/ガティ)を600ml,塩を大匙半杯,及び砂糖を300g 加える。(6) モチ米と調味料等が上記の様に積め込まれている竹筒を,焚火の周りの囲いに内側から斜めに立てかけ,直火に当てる。竹筒になるべく均等に火が当たるよう,調理者は竹筒を少しづつ連続的に回転させる。(7) 10〜15分直火に当てると,メ・ブローが出来上がる。村人は,「寒いときメ・ブローは美味しい」,「寒い季節になると,みんなで焚火を囲んでメ・ブローを食べる」と話す。日本の焼き芋と同様に,友人や家族と焚火を囲んで調理する趣きが,この料理の醍醐味と言えよう。ところでメ・ブローの調理には,幾つかの約束事が伴なう。例えば,(ア)調理を集落内では行なわないこと,及び(イ)調理に使ったヴァ・ブローを集落内に持ち込まないこと(メ・ブローの入った竹筒を集落内に持ち帰ることは許される)である。その理由は,調理に使用したヴァ・ブローを集落内へ持ち帰ると,子どもに祟りがあると昔から信じられていることにある。また村の老人は,「集落内でメ・ブローを調理したり,メ・ブローの調理に使った竹を集落内に持ち込むと,犬が喧嘩をし,村人は著しい不快感を覚える」と,語ってくれた。これと似た約束事の伴なう植物に,大型の団扇のような葉を持つ,ソテツに似た植物「ダチョ・ドゥ(タウ)」がある。この樹木の尖頭は,タケノコのように柔らかく食用に適する芽の部分がある。この部分を鶏肉や豚肉と一緒にスープにすると美味である。しかし,ダチョ・ドゥの葉や幹は,集落内に持ち帰ってはいけない。
68) 竹籤の作成に竹ヴァ・クローが利用される理由は,この竹を材料にすると,丈夫で柔らかくよく撓う竹籤ができることにある。「竹籤」について幾分敷衍して述べると,次の通りである。(1) 竹籤名:「チュガー(ドッ)」,(2) 使用工具:山刀「フェー(ミー)」(刃渡り凡そ30cm),(3)加工手順:(1) 竹ヴァ・クローを凡そ60cm の長さで輪切りにする(輪の厚みは凡そ5mm)。(2) 輪切りにした竹を凡そ10mm 間隔で縦に割く。(3) 幅10mm ×厚み5mm ×長さ60cm の細い竹棒の,外側緑色の表皮及び内側白色の裏皮を剥ぎ落とす。(4) 更に,それを5〜6枚に割くと,幅10mm ×厚み1mm 以下×長さ60cm の竹籤が仕上がる。
69) 竹種毎に主用途を記すと,次の通りである。(1) 竹ヴァ・クロー(タイ・ヒア)の主用途:生長1年目の眞稈を縦に割いて,竹籠等を編む竹籤として利用する。竹ヴァ・クローから作った竹籤で編んだ竹籠は頑丈で,カボチャ(ルケボ/ファットン)やウリ(ディ/デーン)等の重みに充分耐え得る。なお竹籠は,農作物や種子等を焼畑と集落の間で運搬する目的容器として,頻繁に使用される。(2) 竹ヴァ・ミー・ボ(タイ・サン)の主用途:生長2年以上の眞稈は,家屋建設用の床材及び壁材として利用される。生長5〜6年のものは,特に頑丈である。(3) 竹ヴァ・ミー・ス(タイ・サン・ダム)の主用途:生長2年以上の眞稈は,家屋用床材及び壁材として利用される。この竹も生長5〜6年のものは特に頑丈である。ヴァ・ミー・ボとヴァ・ミー・スは近縁種であり,前者は黄みがかり後者は黒みがかっている(「ボ」と「ス」はカレン語で,夫々「黄色」と「黒色」を意味する)。なおヴァ・ミー・ボにはそこそこの値がつくが,ヴァ・ミー・スは黒ずんでいるために売り物にはならない。
70) タケノコの料理(既に述べたメ・ブロー/カオ・ランは除く)に関しては,村人より次のレシピが得られた。(1) ホエヒンラートナイ村産のタケノコを使用した料理(料理名は「カレン語(タイ語)」で表記):(1) スープ料理「ボー・ボー(ゲー・ノーマイ)」。(2) 炒めもの料理「クエ・ボー(パット・ノーマイ)」。(3) 湯掻いたタケノコをトウガラシやナスと一緒に和え物にする料理「ムサトー・ルイ・オ・ボー(ギン・ナンブリック・ノーマイ)」。(4) トウガラシの効いたサラダ「ファーオ・ボー(ヤン・ノーマイ)」。(5) 酸味の効いた保存食であるタケノコの漬物「ボー・チー(ノーマイ・ソム)」。(6) 乾燥させた保存食である干しタケノコ「ボー・フェ(ノーマイ・ヘーン)」。(7) タケノコの蒸し料理「フー・ボ・ルイ・オ・ボー(ヌン・ノーマイ・ジン・ナンブリック)」。(8) 野菜とトウガラシで和えた,タケノコの粥料理「ポ・ポー・ボー・ドゥ・バ・グウ(ゲン・カオ・ブ・サイ・パット・ガッ・ヘーン)」。(9) 竹筒で沸かした湯で入れるお茶「ルア・ナム・ティー(ラム・チャー)」。なお,タケノコを用いた菓子類は,ホエヒンラートナイ村では作られていない。上記の(5)及び(6) は,タケノコの収穫期(7,8,及び9月)以外の時期に,炒め物やスープの具材として用いられる。(9) は,竹の馥郁たる香と甘い味がともに微かに漂う,趣深いお茶である。なお,脚注57に記されている10種類の竹のタケノコは全て食用に適しており,なかでも竹ヴァ・クレーのタケノコは,細目で食べ易い。(2) タケノコを使用した一般的なタイ料理(代表的なものは次の2つである):(1) スープ料理「ゲー・ノーマイ」。(2) 炒めもの「パット・ノーマイ」。
71) 例えば,村の若者からよく耳にする感想の一つに,「森林を切り開いて飼料用トウモロコシを栽培すれば,現金収入は確実に増加するだろうが,森林を禿山にしてしまうと暑くなり住み難くなるので,森林を切り開きたくはない」との発言がある。
72) 19世紀後半(1865年)に中国を訪れたH. シュリーマン(1865<邦訳 1998, P.50>)は,古北口の村へ万里の長城から下って来た際に出合った山岳人達を,「彼ら… はゆったりとゆとりのある生活をしているようだ」と記している。当時の古北口の村人達も,ひょっとすると現在のホエヒンラートナイ村の人々に似て,「足るを知る」生活姿勢を善しとしていたのかも知れない。