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政策手段としての価格の射程範囲:電力料金のケース
南部 鶴彦
1.はじめに
経済政策を論ずる時に,財の「特殊性」を最初に掲げることは,普通は避けるべきである。しかし電気料金政策を論じようとする時には,電力という財の特殊性にまず言及しない訳にはゆかない。というのは電力もまた一般的な市場取引財と大同小異であるとみなし,特殊性を無視ないし軽視して議論を進める場合には,なぜ以下で述べるような特殊な属性に対する有効な政策が明示されなければならないかという議論が欠落してしまうか,リップサービス程度になってしまうからである。
資源配分の問題を論じるときに,所得分配の視点あるいは配分の結果の「良し悪し」を効率性と共に考慮せねばならないとされる場合がある。この論点はJ. ロールズによって提起されて久しいが,最近の文献ではJ. ロールズ(2001)及びA. セン(1999)1)によって次の2つの異なる観点から提示されている。
ロールズは人々が市場経済システムで不幸な状態に陥ることがないための条件の1つとしてソシアル・プライマリー・グッズ(social primary goods:これを基本財と以下では呼ぶことにする)が平等に市民に均霑されていることを挙げた。その詳細の分類学は,Brighouse and Rodegrs(2010)2)に詳しい。ここで基本財とは,根源的な自由の概念から始まり移動と選択の自由あるいは所得・富などを含んでいる。すなわち人々が日常生活において自由を実現するために必要不可欠な諸要素の集合である。
一方,A. センはケイパビリティ(capabilities)という別の概念によって社会的公正性の条件を論じた。ケイパビリティはセン(1999)によれば「個人の目的を推進するために,基本財を個人の能力(ability)に変換する(conversion)する事を左右するような個人個人の特性」であり,「人々にとって重要なのは現実に様々な機能を実現することが可能であること,あるいは人々が達成できるような現実の生活」である。例えば歩くこと,食べること,読むことなどは人生の目的を達成するのに不可欠な機能である。基本財が存在してもこのような機能は必ずし 【314 頁】 も人々に現実に備わっているとは限らない。即ち自由放任にしておくのではケイパビリティの欠如が生じる。
このようなコンテクストにおいて,市場で購入できる一般の財はこの範疇には入ってこない。通常の商品は人々のオプションによって購入されるか否かが決まり,A という人にとって必要でもB という人にとっては無関係という性格がある。恐らく何が必需かということになると人々の間に意見の一致を見ることは難しいであろう。
しかしながら電力という商品は必需品というあいまいなカテゴリーの一つに入るものではない。電力は国民があらゆる活動を行う上でのもっとも基本的な手段である。電力が利用できないということは,人々があらゆる社会的活動から排除されることを意味する。
ケイパビリティにおける学習すること,コミュニケートすること,医療サービスを受けることなどの機能を実現するのに不可欠な手段が,電力という商品である。
したがって電力が市場システムを通じて供給されるとき,基本財としてそれが経済的に利用可能である(affordable)ことが電力供給の効率性を論ずる上での大前提となる。言い換えれば,電力が必要とされている時に,価格が高騰して買えないという人々のグループがあるということ,即ち社会的な排除が起こり,価格の機能のみでこれを解決できない時には,そのようなプライシングは効率的か否かというだけでなく,分配の公正という観点から吟味しなければならない。後にリアルタイム・プライシングを論じるときにこの観点に立ち戻ろう。
2.電力需要の特性
電力の財(サービス)としての特殊性は消費のプロセスにも存在する。今,人々の効用u は消費される財の量と時間とに依存するとしよう。財の数量をx,消費する時点をt とすると効用関数は次のように書ける。
したがって限界効用は
通常の商品の場合,人々の効用に影響するのはx であり,t は殊更タイミングが必要な商品についてのみであろう。なぜなら普通の消費では,消費のタイミングを若干ずらすことは可能である。それが不可能なのは名人芸をその場で見るというようなケースに限られるし,そのようなケースは正にオプションであって,ここでのコンテクストとは無関係である。電力以外の財の場合には,商品は通常貯蔵可能であるから,時間の限界効用の重要性は無視できる。
ところが電気の場合,その物理的特性から電気の供給を受ける時,同時にそれを消費しなければ電気は消滅してしまう。したがって電気の効用が成り立つには,は必ず正でなければならない。すなわちx の供給を受ける事と消費する事とのタイミングが一致しないと意味がな
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いのは,電気のみである3)。
以上で示されるのは,電気はt という時点で消費できなければ意味をなさないということである。そして時点t での価格が高くてこれを購入できないあるいはそのインセンティヴが失われるとしたら,基本財やケイパビリティの議論に戻って「公正さ」を論ずる必要がある。
3.価格のシグナリング機能
資源配分の視点から,電力が効率的に供給されるためには,価格がシグナル機能を果たさねばならないという点には恐らく異論は存在しないであろう。しかし電力は消費と生産が一致せねばならないという物理的な現象に依存しているために,通常の価格メカニズムにすべてを任せることが経済政策として適切か否かを吟味する必要性がある。
電力に限らずすべての商品には季節的な変動がある。これをピークとオフ・ピークと呼ぶと,ピーク時には需要が殺到し,供給力の限界に直面することがある。しかし,商品が貯蔵可能であるときには,ピーク時に価格が高騰すれば一部の消費者は購入時点をずらして需給のインバランスは処理できる。高騰したその時点でどうしても買わなくてはならないということはないからである。一方どうしてもほしいという人は,その時の価格で購入して限界効用に見合う価格を支払う。しかしそのグループは消費を延期した人々に何ら経済的な負担をかけることはない。これは取引市場にすべての人が殺到する訳ではなく,一部の人は市場から撤退するからで,撤退した人々はあとでもしかすると購入するというオプションがあるからである。
しかし,企業・個人を問わずすべての消費主体がピーク時に共通の設備から供給される電力を購入する必要がある時には,どのようなことが起こるだろうか。もしピーク時の電力価格が高いので,これを避けてオフ・ピーク時に買うということで,電力へのニードが満たされ,人々のwelfare は減少しないというのであれば,普通の商品と同じメカニズムが働く。
しかし電力についてはピーク時という現象は他の商品と異なる特徴がある。電力は嗜好品ではないので,ピークは流行のような現象に支配される訳ではなくて,すべての国民にとって無差別な気温の急激な上昇や下落に支配される。ピーク時の需要がこの時平時の何倍にも達する場合には以下で述べるような状況が発生する。
4.電力プールの価格形成
最近日本の発送電垂直統合型電力システムに対して,発送電の分離の必要性とリアル・タイムの料金形成の優位性について主張がしばしばなされている4)。本稿ではこのような主張に対して効率性と所得分配という観点から検討を行う。
まず電力価格の形成が送電と発電の分離された電力供給者と需要家のすべてが参加するオー 【316 頁】 クション・システムで運営されているという単純なモデルを考えよう。これは一般に電力プールと呼ばれているシステムで,実際には北欧のノルド・プールがこれに近い。現実のノルド・プールでは需要の集計が時間的に各段階に分かれ,複雑である5)が,単純化のために卸も小売事業者も参加するリアル・タイム清算市場のみしか存在しないとして,価格の資源配分機能すなわちピーク時の需要メカニズムを考える。
さてここではピーク時の需要の水準に対して,供給が限界に達しないケースと限界に達するケースとに分けて分析する。
ケース1
電力の供給は逼迫するが供給限界には達しないときの限界費用曲線MC とピーク時需要D1D1及びオフ・ピーク需要D0D0が図1で示される。
需給はD0D0及びD1D1とMC との交点で均衡しオフ・ピーク時には価格はP0,そしてピーク時には価格はP1である。この価格は消費者の支払い意欲(DiDi)と電力の機会費用MC が一致する点だから効率的であることは保障されている。そしてピーク時t の需給を一致させる価格だからリアル・タイムの価格である。消費者の一部は所得の制約があって高騰したこの価格では支払い困難になるであろう。しかし消費者はピーク時の需要形成メカニズムに自ら参加しているので,この価格はシステム上拒否することはできない。したがって一部の利用者は電力利用を断念する。具体的には利用者はスマートメーターを使い,瞬時に利用を中断できると仮定する。
所得水準が低くて電力利用をやむなく放棄する人々が多いほどXcX1′だけ需要は下方にシフトし価格は低下するが,平時よりも高い電気料金が成立する,すなわち需要曲線d1d1に対応する価格P1′である。平時の需要曲線D0D0の均衡価格はP0であるが,そこまで価格が低下することはありえない。一部の利用者が脱落するのみだからである。ピークは夏季や冬季の気温変化によって起るので,その時本来必要となる電気の使用が一部の人々には強制的に縮小させられていることに等しい。言い換えれば電力システムからの排除(exclusion)あるいは強制された節約(forced saving)が起こる。
このような状況は効率的ではあるが,果たして先述した基本財やケイパビリティの観点から 見るとどうかは後に分析する。
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ケース2
ピーク時の需要の水準によっては,電力の供給能力の限界を超える事態が起こる。(図2)
電力会社の供給能力がXc のとき需要曲DiDi がDcDc よりも右上のエリアではもはやMC 曲線上で供給することはできない。このときには,電力の供給量はXc で一定であり,限界費用は垂直となる。
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ピーク時需要をD2D2とすると垂直なMC との交点はP2となる。
このケースについてP2の持つ経済的な含意を考えなければならない。P2は消費者の支払い意欲ではあるが,P2はもっとも高い価格をビッドした入札者の限界効用によって決まっている。そして垂直なMC はもはや限界費用を示すものではない。すなわち支払い意欲と限界費用の一致はない。これは単に供給量が一定のXc の時の入札結果を示すだけである。この状況は次のように考えられる。供給が一定である美術品(1個しかない)のオークションを取り上げよう。このオークションがどのようなルールで行われようと,入札でこの美術品を入手するのは最高価格(オークション方式次第では次点の価格)をビッドした当人一人である。その他の人々はこれを入手できないが,同時に支払いをする必要もない。入札によって価格がつり上げられても,落札者以外は当然支払いを免れている。ところが電力のリアル・タイム市場では,P2はこの電力需要形成に参加したすべての人々の支払うべき価格となる。最後の高値でビッドした当人にとってはそれだけの価格を支払ってもこの電力を利用して利潤を最大化できるはずだから,P2は当人にとっての限界費用である。しかしその他の市場参加者もこの価格を支払わなければならないという結果となっている。電力需要をプールしている取引所システムでは入札結果を受け入れざるを得ないのは当然だが,もっとも高い価格をつける入札者の限界効用とは社会的にも意味があるだろうか。例えば入札する人々の生産の限界効率が比較可能で,もっとも限界効率の高い入札者が必ずもっとも高い価格をつけるというなら,この価格はその落札者限りでは効率的である。しかしこのようなことは何ら保障されているわけではない。このケースの帰結は高価格P2を支払えない人々が例えばXcX2′だけ脱落し,需要はd2d2になる。しかし供給限界Xc で生産されているので価格はP2のままである。需要がDcDc 以下になってはじめてケース1となって価格は下落する。
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5.効率と公正
ケース1ではリアル・タイム・プライシングによればピーク需要をカットすることによって需要曲線を下方にシフトさせ,ピーク時料金を低下させることができる。そして需給は価格と限界費用の一致によって均衡するので資源配分は効率的である。しかしこの結果は一部の電力利用者を市場から排除することでもたらされるものである。ではこのような料金制度は社会的に見て「公正」と言えるのであろうか。
前述したように電力は基本財であり,人々のケイパビリティを奪ってはならないという公準を立てると,リアル・タイム料金はこの条件を満たしていない。すなわち電力という基本財については,効率と公正という政策目標が2つあるのに対して,政策手段は1つしかないという状況にある。したがって価格が一石二鳥の手段でない限りは,この目標を達成することはできない。さらに言い換えれば電力については複数の目標を同時に満たすようなファースト・ベストを価格によって実現することはできず,セカンド・ベストを模索する必要がある。もちろん何がセカンド・ベストについては色々な立場から政策論を戦わすことが社会的に要請される。
次に具体的にピーク・カットによって需要から排除される可能性の高い利用者はどのようなグループになりそうかと考えてみよう。ピーク時の需要増加の原因となるものの一つは,エアコンが気温の異常な上昇や下落によって平時よりもはるかに多く利用されることである。この時エアコンの利用は「ぜいたく品」と見て,それは価格次第で節約すればよいという考え方もある。しかし現実的に考えてみると,エアコンが何台もあってぜいたくに使っている階層と,せいぜい1台か2台しかなくて電気料金が高騰すればそれをすべて切らねばならないという階層とは全く別の配慮が必要である。このケースではリアル・タイム料金は低所得者層および老人世帯の脱落あるいは社会的排除をもたらすことになる6)。特に前述したように電力の限界効用は時間の効用に依存することを想起すれば事態は深刻である。もっと電力を必要とするときにこれらのグループは電力を放棄せざるをえないのだから。
以上とは別のシナリオも検討せねばならない。もしリアル・タイム料金を採用せず,かつ料金を低く維持し続けるという政策を取れば,ピーク時には膨大な超過需要を発生させ,需要が供給限界を超えれば停電という事態がもたらされる可能性がある,この時は社会全体が巨大な損失を蒙ることは言うまでもない。それでは停電を回避するためにリアル・タイム料金を採用すればよいということになるだろうか。価格しか政策手段がないという立場をとれば,前述の社会的排除を伴う不公正な結果を生み出す。このように議論を「堂々巡り」させる訳にはいかない。
効率性と同時に「公正さ」つまり社会的排除を起こさないという2つの政策目標を達成するには2つの手段が必要であり,我々は価格以外の手段を用意せねばならない。その手段は複数ありうるが,例えばディマンドサイド・マネジメント(DSM)はその1つである。この場合には比較的ピーク時を避ける事が容易なユーザーから需要をカットするという方法が選べる。 【320 頁】 これは昔から存在する手法であるが,有効な手段である。さらに今回の東日本大震災のようなケースでは,ラスト・リゾートとして計画的な輪番停電もありうる。本稿ではどの手段が良いかを論ずるものではないが,価格以外のもっとも社会的な含意の成り立ちやすい政策を比較検討せねばならないと主張する。
6.リアル・タイム市場のジレンマ
ここであくまで価格という手段しか考えない時,利用を制限されるグループを救済するということがどのような結果を生むか考えてみよう。
一部の消費者についてはリアル・タイム価格でなく,低価格で電気がaffordable にするという政策がありうる。電力消費量が少ないグループ,例えば月間支払額が3000円以下というような人々についてはピーク料金を適用しないとしたら,電力プール市場はどうなるだろうか。次の図−4でD0D0は総需要曲線,d0d は一部の低利用者の需要曲線である。
オフ・ピークでD0D0とMC の交点で価格P0が決まれば,この時の低利用者の需要量はx0となる。次にピーク時にはd0d は上方へシフトし,d0′d′となるとしよう。この需要曲線に対してオフ・ピークの価格P0が与えられると,新しい需要量はx0′へ増大する。この増大分を原点から測ってΔx としよう。
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低利用者への配慮からΔx の大きさだけが優先的に供給されるとすれば,その分だけ総供給量が減少し,MC 曲線はMC′へΔx 分左へシフトする7)。
今,ピーク時の需要はDcDc よりもはるかに大きい時には,Δx 分だけ総需要が減ったとすると,需要曲線はD2D2からD2′D2′へシフトする。しかし垂直の限界費用MC′との交点は,やはりP2とならなければならない。
同時に電力会社はP0という料金を維持することで発生する赤字分をP2によって補瞋せねばならない。すなわち,ピーク時の発電コストをC とすると次式が成り立つ必要がある。
したがって
すなわち
は低利用者のピーク時供給量に占める比率である。赤字分はP0−P2だからこの比率が高いほど赤字は大となる。
したがって価格によるピーク・カットを政策手段としながら,一部利用者の救済を行うというときは,という比率を上式が成り立つように決める必要がある。言い換えれば価格と同時に分配の観点から数量調整が必要なのである8)。
この結果より少ない電力利用者によってP2という料金が負担されなければならない。すなわち低利用者への配慮を両立させるのにリアルタイム料金P2を使うとすれば,ピーク時料金を支払わされる残余の利用者の負担は増大せざるを得ない。しかしP2は限界費用との一致ではなく,ラストビッダーの入札価格にすぎない。効率性の保証のないP2による負担の強制には社会的合意が得られるか疑問である。
7.結語
現実にはピーク・カットの手段として相対取引や季時別料金という制度が存在している。しかし本稿では議論を明確にするためにリアル・タイム料金で電力の需給を例外なく均衡させるというケースを扱っている。これはノルド・プールにおいてさえ現実に利用されているシステムではない。しかしリアル・タイム料金によるピークカットという政策提言を吟味する目的ではこのような仮想的市場を考える事が必要である。ここで強調しておくべきは,オプションがある一般の財やサービスについてはこのような分析は不要だということである。しかし電力料金については価格のみでの供給システムを構築するとなると内圧的な矛盾が露呈することとここで明らかにした。その上この制度を実現するためには,市場参加者に対して追加的に多くのことが要求される。例えば毎日パンクチュアルな電力量の届出を強制する必要があるが,この 【322 頁】 ような市場制度が参加者の含意を得られるか否か,あるいは市場調整当局にそのような強大な権限を与えるべきか,またそれが望ましいのかなどについても触れていない。より現実的な政策論を展開するためには市場に参加するプレーヤーの行動に関する具体的な分析を追加する必要がある。
参考文献
Atkinson, Anthony B., “The Restoration of Welfare Economics” American Economic Review, Papers and Proceeding May, 2011
Brighouse, Harry and Ingrid, Robeyns., Measuring Justice: Primary Goods and Capabilities (Cambridge University Press, 2010)
Nambu, Tsuruhiko and Takaaki, Ohnishi, “The Dynamics and Distribution of the Area Price of the Nord Pool”Journal of Economic Interaction and Coordination, 5(2)(2010)
Rawls, John., A Theory of Justice( Harvard University Press, 1971)
Rawls, John., Justice as Fairness: A Restatement( ed. by Erin Kelly, Harvard University Press, 2011)
Sen, Amartya K., Commodities and Capabilities( Elsevier Science, 1985)
Sen, Amartya K., Development as Freedom( Oxford University Press, 1999)