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アサヒグループホールディングスと海外における企業買収─ペルマニス社買収を中心として─

 

金田 直之

 

1.海外での企業買収とその背景

 

日本企業は少子高齢化や人口減少により国内市場が成熟化し,成長の機会を求めて海外での事業展開に活路を見出している企業も多いといわれている。本稿では市場が成熟しているとされる食品業界の中で,海外進出が比較的遅かったとされているアサヒグループホールディングスの事例を取り上げて,海外進出の背景や企業買収の仕方,その後の経営・オペレーションにおける改善などに焦点をあてて分析を試みる。また,特にそれまでの企業経営の歴史・実績との関連でM&Aの特質を探ってみたい。
 我が国の製造業は国内需要の減少や海外企業との競争激化などで次のような視点が必要だと日本総合研究所(2014)は指摘している。企業全体ではなく,製造業に焦点をあてた分析であるが,参考になると思われるので紹介しておきたい。
 その一つは,企業全体の規模は大きくとも個々の事業の規模は大きくなく,世界企業と競争していくだけの規模が必要になるという視点である。世界で戦うための「ボリューム」の確保には,縮小する国内マーケットを補うだけの新たな成長市場を獲得するということも暗黙のうちに含意されていうように思われる。もうひとつは,個々の企業が付加価値をどこに見出すかという視点である。日本の製造業の場合,生産には強くとも,開発,調達,生産,供給を通したバリューチェーンの点では弱く,稼ぐ力が不足している点である。自社で不足する機能の強化や市場の変化に対応した事業の再構築により,稼ぐことのできる「バリューチェーン」を構築することが重要だとしている。本稿では,この二つに留意しながら,アサヒグループホールディングスの企業買収がどのようなメリットを達成しているかを検証したい。
 海外だけでなく,国内についても企業買収が行われるようになったのは,制度改革によって促されている側面も大きい。即ち,90年代後半の金融危機やデフレ的な経済状況に伴い事業再構築の必要性が日本企業で高まる中,政策的な見地から制度改革が行われた。日本総合研究所(2014)が指摘する事業再編に関わる制度改革は,1)持株会社の解禁,2)簡易合併手続きの承認,3)株式交換・株式移転制度,4)会社分割制度であり,これらの制度改革により,一般に日本企業の事業再編が促進されたと考えることができる。本稿においては,こうした改革に関する事業の組織内の位置付けにも注意を払いながら分析をすすめていきたい。

 

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2. 1990年代からのアサヒグループホールディングスの歩みと事業買収の背景

 

アサヒグループホールディングスは,2014年度の統合報告書によればビール類シェアが50%を超えており,ビール類以外も含めた売上高は1兆7,855億円である。アサヒグループホールディングスの海外事業展開を見るにあたって,アサヒビール時代からの事業の歩みを俯瞰することでその背景を概観することとしたい1)
 富田(2004)によれば,アサヒグループホールディングス(以下,当時の社名に関わらずアサヒと呼ぶ)の前身アサヒビールは1980年代に存亡の危機の立ちながら,ビール首位を奪還することができたとしている。1986年に住友銀行から社長に就任した樋口廣太郎は当初アサヒを立て直すためでなく清算するために来たとしているが,「コクキレビール」やスーパードライのヒットによりビールの国内シェアを10%から24%に上げ,アサヒの中興の祖と呼んでいる。一方,エクイティファイナンスで得た資金により,3600億円の設備投資を行うほか,海外リゾート地への投資などを行った。
 樋口の次の社長の瀬戸雄三の時代には,バブル崩壊により有価証券投資や有利子負債の大きさが問題となった。80年代後半から90年代のバブルの時代に財テクとして多くの企業が手掛けた特金・ファントラの評価損の問題である。
 有価証券報告書から数字を拾うと,営業外費用の有価証券売却損が96年度に211億2600万円,97年度に57億9900万円,98年度に53億7300万円となっており,子会社整理損失が96年度に3億3500万円,97年度に219億8700万円,98年度に8億5000万円,99年度に339億6800万円となっている。さらに,アサヒビールファイナンスに対する債権放棄が子会社支援損失として98年度に20億円,99年度に423億を計上している。98年度にはまた特定金銭信託解約損131億4000万円が計上されている。2000年度の連結財務諸表では有価証券売却損が411億2700万円,子会社整理損失が4億5200万円となっている。また,この時期有利子負債の削減に努めた。(富田[2004])
 スーパードライのヒットによるビール類でのシェア拡大は21世紀初頭まで続くことになるが,ビール類の売上自体は1994年をピークに減少傾向が続いており,財務リストラの終了と共に,中長期の経営計画を示す段階に来ていたと考えられる。この第一次グループ中期経営計画では,コーポレート・ガバナンスの改革や財務体質の改善に取り組み,「食と健康」を事業領域として,グループ全体の成長を目指した事業構造の再構築を志向していた。
 2002年には,協和発酵工業と旭化成から焼酎や低アルコール飲料事業を譲渡され,酒類事業の事業構造改革を一歩進めることになった。
 2004年から2006年までの第二次中期経営計画では,資産効率の向上と成長分野に経営資源を投入することにより収益性をめざすことを一つの柱としている。スーパードライを中心としたビール類のシェア拡大も2003年頃にはその伸びがとまったことも,その背景にはあると考えられる。具体的には「総合酒類事業の成長性と効率性の向上を早期に図り,グループ全体の競争力の源泉として,飲料事業,食品・薬品事業,海外事業への戦略的な投資に振り向ける」とし, 143 頁】 事業構造の変革を志向していた。
 第2次中期計画の時期には,ホームセンター事業やグループの保有不動産開発の子会社を解散するなど,事業の再構築について具体的な行動をとっていた様子がうかがえる。同時に,2002年ごろより自社株買いも年60億〜100億円程度の規模で行っており,株主還元にも力をいれてきた。
 事業構造の変革としては,2002年には,伊藤忠商事と共に中国最大手の食品事業会社・康師傳控股有限公司と中国における清涼飲料事業の合弁会社を設立した。康師傳控股有限公司の清涼飲料事業を分離・独立させた上で新会社を設立し,アサヒと伊藤忠商事が共同出資する持株会社が新会社の株式の50%を所有する形で発足した。伊藤忠商事との共同出資であり,また中国現地の大手企業との合弁という点から海外において慎重な新規事業の展開を行っていることが窺える。中国における事業は1997年から事業展開しているビール事業に次ぐものとなった。
 2005年にはチルド飲料メーカー「(株)エルビー・埼玉」,飲料メーカー「(株)エルビー・名古屋」の株式をカネボウより譲り受け,飲料事業への投資を行った。
 食品・薬品事業については,酒類,飲料に次ぐ第3の柱にすることを目標にしており,ベビーフード国内最大手の和光堂株式会社の株式を取得し,ベビーフードなどの育児・ファミリー事業と業務用の食品などを製造・販売する業務用向け事業に進出することになった。株式の取得は公開買付けを通じたもので,和光堂とアサヒフードアンドヘルスケア株式会社がグループの食品・薬品事業の中核企業という位置づけとなった。また,2007年には和光堂を完全子会社化している。
 2007年には第3次中期経営計画を策定し,強化するエリアや企業価値向上のための考え方をより明確にした「グループ長期ビジョン」を新たに定めた。
 同じく2007年にはカゴメとの業務・資本提携し,野菜入りアルコール飲料などの共同商品開発・販売,海外事業における協力を行っていくこととした。資本提携はカゴメがアサヒビールに対して第三者割当増資を行うことで実施され,カゴメの発行済み株式数の10.05%を保有することになった。
 このように,1999年度に財務リストラを終了したアサヒは,事業における選択と集中を実施し,成長性のある分野において企業買収や提携を進めてきた。主力商品であるビール類が国内で成熟商品になってきた状況で,飲料や食品・薬品への事業展開は重要な経営戦略であったといえよう。
 次に,もう一つの柱である国際事業について,中国以外の事業展開を中心に概観することにする。

 

3.オセアニアでの企業買収と事業展開

 

アサヒにとって,オセアニアへの進出は1990年代初めにも試みがあった。樋口社長の時代にオーストラリアのビール会社フォスターズへ840億円の出資を行った。この出資に伴う負債の金利分はフォスターズからの配当で支払う予定であったが,経営内容が思わしくなく,実行できなかったという。97年には20%弱保有していたフォスターズ社の株式の大半を売却した。(富田[2004],ウォールストリートジャーナル[2011])
 この豪州の買収失敗は財務リストラと共にバブルの時代の負の遺産としてアサヒの経営陣に 144 頁】 も記憶されたであろうことは想像に難くない。中国における事業展開に関しても,合弁や共同出資での進出であり,慎重な姿勢が窺える点は既に述べた。
 アサヒはオセアニア地域の事業について,2009年3月キャドバリーグループのシュウェップス・オーストラリアを買収した。アジアおよびオセアニア地域の事業基盤を獲得し,海外事業の基盤強化とグループシナジーの実現によりグループの成長加速を実現するとしている。キャドバリーグループの所有する事業は飲料事業と菓子事業があり,飲料事業を分離した上で,アサヒに持株を譲渡している。具体的には1)炭酸飲料の強化を中心に豪州飲料市場の成長率を上回る成長を目指す,2)アサヒグループのノウハウを活用したSCMの効率化,販売戦略の再構築を挙げている。(2009年第2四半期決算期資料) ちなみに,シュウェップス・オーストラリアは「シュウェップス」や「ペプシ」を製造・販売している。(日豪プレス[2014])
 ここで,シナジーの源泉としてあげられているSCMの効率化の例について,国内のアサヒグループの事例から概要をみてみたい。
 月刊ロジスティックスビジネス(2004)は,グループのアサヒ飲料の事例を取り上げ,どのようにSCMの構築に取り組んだかを紹介している。
 アサヒ飲料のサプライチェーン・マネジメント(SCM)の構築は,2001年の組織改革から始まった。SCM本部を発足の上,同本部の中にSCM部を新設して,需要予測から資材の調達,生産・在庫計画立案など商品供給に関する機能をすべてこの部門に統合した。それまでは,需要予測や諸計画の立案は営業部,購買部,生産部,物流部などに分散しており,営業部の生産計画に思惑が入ったり,市場変動による計画の変更に対応するために購買部が原料や資材を多めに発注するなどの弊害があり,製品や原材料の在庫が過剰に発生し,廃棄ロスなどの無駄も生じていた。
 清涼飲料業界は商品ライフサイクルが短期化する一方,小売店頭での販売価格は低迷が続く状況であった。市場の動きを的確にとらえて過剰在庫を避け,無駄のない生産物流体制の確立が課題であった。組織改革によって,需要予測はSCM本部の下,需給グループが商品の需要予測から,在庫計画,製造計画,さらに全国の在庫拠点への補充計画の立案を担当し,単一の需要予測値に基づいて調達・生産・物流が行われるようになった。また,需給グループに一元化された業務を処理するためのシステムを構築し,2002年の秋に「需要予測システム」を導入,小売チェーンの販促計画サイクルに合わせて,週次で3か月先までの需要予測を行う体制を整えた。同時に,コンピュータの算出数字に実販データや天候などの情報を加えて需要予測値を作成することとした。
 飲料メーカーは,自社工場のほか協力工場に生産を委託している割合が多く,アサヒ飲料はSCMの構築時点で,自社工場の生産比率は5割を切っていた。自社生産比率を高め,アサヒ飲料では全国を6つのブロックに分けて管理していたが,自社生産比率を高めることで製造原価を下げ,供給のトータルコストを低減していく考え方をSCM改革の基本とした。自社生産の比率を上げることがブロック外の供給が増え,輸送費が上がるものの,自社工場の稼働率向上による製造原価の低減の効果のほうが大きいと考えた。また,同時にブロック外の輸送手段に鉄道や船を使用するモーダルシフトも実施した。自社生産比率は2002年度の48%から2003年度の59%に上昇した。
 需要予測システムに加えて,供給計画システム・補充システムも完成し,SCMが本格稼働し,製品の廃棄損は10分の1に,原材料の廃棄損も2分の1になった。在庫についても,製品在庫 145 頁】 は2割減り,原材料も半減したということである。
 以上がアサヒ飲料におけるSCM構築の概要である。廃棄損・在庫の減少で財務的な効果も得られたことが推測される。その後,SCMシステムをサプライヤーや協力工場にも拡大していくとしていた。国内外での企業買収においても同様のSCMシステムの確立によるシナジーの実現が達成できているものと考えられる。実際に,2008年の英文アニュアルリポートにはシュウェップス・オーストラリアの買収について,調達の統合や研究開発のほか,SCMの合理化によるシナジーについて言及があり,こうした国内の事業におけるSCMの構築の経験を海外事業における企業買収のシナジー実現につなげていると考えることができよう。
 シュウェップス・オーストラリアの買収のあとには,2011年に豪州第3位のP&N Beverages社の果汁・炭酸飲料事業,およびプレミアム飲料水に特化したニュージーランドのCharlie’s社,2012年には豪州の水専業メーカーマウンテンH2O社を買収するなどオセアニアの飲料事業の基盤強化・拡大を図っている。

 

4.マレーシアにおける企業買収と事業展開

 

オセアニアの次の事業展開としては,東南アジアが選ばれている。世界的な飲料・酒類メーカーと競争していくため,主戦場である北米や欧州の市場を避け,国際環境で競争力を強化していく路線をとっている模様である2)
 東南アジアの前に事業展開している豪州での企業買収は同国で二度目であり,1)前回の経験からなじみのある市場であること,2)シュウェップスという確立したブランドがあり,販売ネットワークも持った企業であったことがあげられる。
 東南アジアにおける展開では,2002年にタイ・ブンロートグループとスーパードライの現地生産およびタイ・アセアン諸国での販売について提携契約を結んでいる。2012年にはPT INDOFOOD CBP SUKSES MAKMUR TBK(インドフード社)とインドネシアにおける清涼飲料の製造・販売を行う合弁会社を設立している。ここでは2011年のマレーシアの企業買収とその後の経営についてまとめてみたい。
 2011年11月にマレーシアの清涼飲料市場で販売数量第2位を占めるEtika Bverages Sdn. Bhd. (旧Permanis Sdn. Bhd.,以下エチカビバレッジズ社)を親会社のC. I. Holdings Bhd. から買収している。マレーシアは人口2,800万人でそれほど市場の規模は大きくないが,インフラが整っており,一人当たりGDPがASEAN諸国で3位の国であることなどが考慮されたようである。
 エチカビバレッジズ社は豪州におけるシュウェップス・オーストラリア同様,ペプシ社のボトラーとして確立した商品と販売網を持つ企業であり,販売網などを一から作り上げるより,経験の少ない海外市場においてはリスクが小さく着実な事業展開の仕方であるといえよう。
 販売網としては,個人商店などのTraditional tradeを中心としたマレーシアの国内市場が中心の企業である。
 また,マレーシアは多民族国家であるが,イスラム教徒が多いマレー人が人口の6割を占め 146 頁】 る国でもあり,イスラムの戒律に従って口にしてよい「ハラル」の食べ物・飲み物については厳格な規定がある。このルールはイスラムの国でも,その厳格さに違いがあり,マレーシアはサウジアラビアに次ぐ厳しさと言われている。従って,マレーシアのハラルの認証が得られた飲食物は他のイスラム諸国に輸出することが可能であり,その点にマレーシアで飲料・食品事業を行うメリットの一つが存在する。
 エチカビバレッジズ社にはアサヒから二人の日本人役員が派遣されており,それぞれ事業サポート担当と財務担当の役割を担っている。ちなみにオセアニアにはAsahi Holdings Australiaという地域統括会社があり,そこには9名の日本人駐在者が勤務している。エチカビバレッジズ社の買収後も経営方針の継続や事業のノウハウの問題から,旧経営陣は特に入れ替えなどは行っていない。
 買収後の事業については,マーケティングや技術の機能強化を行ったり,生産面では,アサヒの技術や知見を導入や改善活動により製造効率の向上などを実行している。アサヒからの支援チームが出張ベースで,エチカビバレッジズ社に派遣されることもあった。
 研究開発に関しては日本側が進んでいる。アサヒ飲料のワンダはエチカビバレッジズ社での販売商品の一つになっているが,研究開発のチームがアサヒに1週間ほど派遣されてノウハウを学ぶことも行われた。マーケティングについては,日本から出張ベースで出かけ現地のスタッフとやり取りを行った。生産系の技術についても日本のレベルが高いため,具体的事例をもってエチカビバレッジズ側に提案することも行われた。グローバルな調達に関しては,オセアニアとマレーシアに関して東京で会議をして効率の向上がはかられたりしている。
 エチカビバレッジズ社からのマネジメント・レポートは月1回提出されるが,アサヒグループホールディングスの国際部門とは経営上の課題や進捗状況を毎週ベースで共有するようにしている。現地の取締役会は四半期に1回であるが,親会社とのコミュニケーションを密にするようにしている。エチカビバレッジズ社は元々マレーシアの親会社の傘下にいたものの,ペプシのボトラーでマレーシアを担当している会社であり,経営の進め方は特に違和感などはなく,飲料事業で共通する部分も多かった。品質に関する考え方,顧客志向などでは企業文化の上で隔たりは小さかったといえる。
 エチカビバレッジズ社ではKey Performance Indicator(KPI)は買収前より使用されており,買収後の経営においても活用している。買収後はKPIのうち,どの指標を重視するかが変わったということである。年次計画なども買収後に調整していく形であり,1年を通して実施してみるとアサヒ独自のスケジュール感がわかり,スムーズに実施できるようになる。特にアサヒグループとしてのプロセスでKPIが未達成の時にどういうアクションが必要か,経験と共に理解ができるようになる。
 マレーシア人のキャリア観は,30代・40代と50代以上で異なる。50代以上の従業員は会社への忠誠心が強く,日本的な終身雇用に近いような考え方の人も多いが,30代・40代の従業員は転職が多く,平均して年間20%の社員が入れ替わる。優秀な社員の定着が課題である。ストックオプションなどの直接的なインセンティブはないものの,日本での研修,社内でのポジション・給与といった点で成長機会を与えるよう配慮をしている。専門職については親会社での短期研修の機会も設けるようにしている。
 また,賞与の支給額は業績に連動している。KPIとして売上とEBITを使用しており,エチカビバレッジズ本社では全マネジャーの前で発表するようにしている。金銭的なインセンティ 147 頁】 ブだけではなく,福利厚生も重要であり,完全週休二日,カジュアルフライデイ(金曜日にカジュアルな服装で勤務できる),フレックスタイム制,アニュアルディナーなどを実施している。日本的な制度であるが,運動会や永年勤続表彰なども従業員には評判がよく,モチベーションの維持に貢献している。
 エチカビバレッジズ社については,ペプシのボトラーとしてはエリア別の契約になっており,その商品については他国への輸出はできない(但し,2016年11月より開始するシンガポールでのペプシのボトラー事業については,マレーシアで製造した商品を輸出)。しかし,WONDAなどの商品は2015年1月からブルネイへの輸出が始まっている。アサヒグループホールディングスは2014年6月にEnvictus International Holdings LimitedEtika International Holdings Limited 社 (現旧Envictus International Holdings LimitedEtika International Holdings Limited)の乳製品関連事業を買収しており,マレーシア以外にもベトナムやインドネシアにおいてコンデンスミルクの製造・販売拠点を持っている。マレーシアの経済状況は日本で言えば大阪万博の頃に相当し,現在までの日本での製品ノウハウや研究開発を応用することが可能である。
 また,組織上はシンガポールに持株会社があるが,地域統括機能はなく,本社から直轄で管理を行っている。買収した会社のマネジメントはグループ親会社の国際部門で行っているが,スーパードライの輸出ビジネスはアサヒビール株式会社国際部が担当しており,海外業務にも部門ごとの役割分担がある。

 

5.おわりに

 

アサヒグループホールディングス(アサヒビール)は,80年代の後半スーパードライのヒットによってビールでのシェアを伸ばすと同時に,90年代にはバブルの負の遺産の解消に取り組んだ。その後,国内ビール市場の成熟と共に国内外の市場での企業買収などによる事業展開を行うようになった。かつての海外事業の買収失敗から,海外の事業展開は慎重に進めている。その特徴は以下のようにまとめることができる。
 1)海外の事業展開では合弁を行ったり,確立した商品・販売網をもつ企業を買収している。2)SCMや調達の効率化,日本の研究開発や生産技術の応用などで着実にシナジーが出せる体制をとっている。3)買収した企業の経営陣は大幅な入れ替えをすることなく,コミュニケーションの向上や経営上の支援を行っている。
 大型買収にみられるような華やかさはないものの,企業価値の向上にむけて着実な経営を行っているといえよう。

 

 

参考文献

アサヒグループ.2014.『FACTBOOK 2014』

 

ウォールストリートジャーナル日本版.2011年8月19日.「アサヒがフォスターズを買収しない理由」 電子版

 

月刊ロジスティックス・ビジネス.2014年10月「 ケース・スタディ アサヒ飲料」

 

富田輝博.2004.「我が国ビール産業の競争政策と競争戦略」情報研究31号 文教大学情報学部

 

日豪プレス.2014年12月16日.「進出日本企業インタビュー 特別篇 アサヒビール」

 

日本総合研究所.2014.『平成25年度製造基盤技術実態等調査 我が国ものづくり産業における事業再 148 頁】 編のあり方に関する調査』日本総合研究所

 

藤沢英夫.2009.「ビール醸造設備発展の系統化調査」国立科学博物館 技術の系統化調査報告 第14集