73頁】

 

包括利益と経済的所得の中心概念

 

勝尾 裕子

 

 

1.はじめに

 

本稿の目的は,包括利益と経済的所得との関連性に関するIASB 等の見解(Bullen and Crook[2005],Barth[2008]等)に対する先行研究における批判的見解の内容を整理し,未解決の論点を指摘することにある。上記の見解においては,資産負債アプローチのもとで測定される包括利益はHicks による経済的所得の概念と整合的であり,それゆえ理論的優位性を有する利益概念であると解されている。この見解は,勝尾[2018]で指摘した通り,少なくとも90年代後半から現在まで学界等において広く存在する見解であり,基準設定や利益の質に関する実証研究を含めた議論とも強い結びつきを有している。

しかし,この見解に対しては,Bromwich et al.[2010]やSaito and Fukui[2016]等により,その内容は誤りであるとの強い批判が寄せられている。それらの批判においては,IASB 等による上記の見解はHicks の所得概念の誤解に基づく誤った考え方であって,Hicks の所得の中心的概念に関する論点や事前の所得No.2に関する議論が抜け落ちている,という問題点が指摘されている。本稿では,先行研究における,そうした批判的見解の内容を検討し整理するとともに,経済的所得の中心概念に係る論点を主たる対象として,先行研究において議論が十分に尽くされていない論点を切り分ける。

 

2.IASB 等の見解における問題点

 

2-1 包括利益と事後の所得No.1

(1)測定

IASB 等によれば,資産負債アプローチのもとで選択される包括利益は,Hicks による経済的所得の概念をその理論的根拠としており,それゆえ純利益よりも理論的に優れた概念であるとされる(Bullen and Crook[2005]等)。この考え方は,単にIASB とFASB のスタッフの一見解であるわけではなく,少なくとも90年代後半から現在まで学界等において広く認識され,会計基準設定や利益の質の議論をめぐる一連の実証研究とも関連を有するものである(勝尾[2018])。このIASB 等による見解においては,次のような議論が展開されている。

IASB やFASB の概念フレームワークで採用されている資産負債アプローチのもとでは,利益は当該会計期間における企業の純資産の増加額として定義され,このような利益の定義は,経済学において広く認識されているHicks の所得に関する理論に基づくとされている。これは,74頁】企業の所得は,当該期間における富の変動額と消費額の合計により客観的に決定されうるという考え方である。収益費用アプローチのもとでの利益は主観的であって,収益や費用,利益を,資産と負債を参照せずに直接的に定義する試みは成功していないが,その一方でHicks の所得概念は,他の所得概念のような主観的なものではなく,ほぼ完全に客観的であるという優れた重要な性質を備えている,とされている(Bullen and Crook[2005],pp.7,18; Barth[2007],p.10; Barth[2008],pp.1167-1168等)1)

こうしたIASB 等による見解の内容は,次の2点に集約することができる。第一に,包括利益とHicks による事後の所得No.1は整合するという点である。資産負債アプローチのもとでの包括利益は,当該期間における企業の純資産の増加額として定義されるため,それは当該期間における富の変動として定義されるHicks の所得概念と整合的であるとされている。ここで取り上げられているHicks の所得概念は,期間中の事後的な富の変動ととらえられていることから,事後の所得No.1が想定されていると考えられる(Bromwich et al.[2010],pp.351-352)。つまり,IASB 等の見解においては,企業の純資産の増加額として定義される包括利益はHicksによる事後の所得No.1と整合的である,という主張が展開されている。

IASB 等による見解の内容として,第二に,Hicks の所得理論における事後の所得No.1は客観的であって,それと整合的な包括利益もまた客観性という性質を兼ね備えているという点が挙げられる。事後の所得No.1について,他の種類の所得概念のような主観的な概念ではなくほぼ完全に客観的な概念であるとされ,それと整合的な包括利益についても同様に,客観性という性質を有するという主張が展開されている。

このように,上記の見解は,第一に包括利益とHicks による事後の所得No.1は整合する,第二にHicks による事後の所得No.1は客観的でありそれと整合的な包括利益も客観的である,という2つの内容に集約される。この2点のいずれについても,Bromwich et al.[2010]等によって,批判的検討が加えられている。以下では,上記の見解に対する批判について,先行研究の内容を整理する。本節では第一の点を取り上げ,第二の点については次節で検討する。

第一の点,すなわち包括利益とHicks の事後の所得No.1は整合するという点については,Bromwich et al.[2010]は次のように述べている。すなわち,現実の世界は不完全・不完備市場であることから,Bullen and Crook[2005]のようにHicks の想定する資本価値を会計上の資産および負債の正味価額と解釈することは正当化されない。これまで多くの先行研究において,Hicks が想定する資本価値に関するモデルと整合的な資産および負債の価値に関する測定と概念がどれだけ乖離するものであるかについて議論されており,それにはたとえば剥奪価値や,現在出口価値,公正価値に関する議論が含まれる(Bromwich et al.[2010],p.353)。すなわち,現実の市場は不完全かつ不完備であるため,会計における資産および負債の測定値として,剥奪価値や現在価値,公正価値,簿価といった様々な種類が存在しうることから,Hicks の所得概念における資本価値は,会計上の資産および負債の正味価額とは一致しないと指摘されている。

このような資産の測定値の側面に着目した指摘は,Dichev[2008]においてもみられ,両者が整合性しない可能性について次のように述べられている2)。すなわち,資産負債アプローチ75頁】や公正価値会計の支持者は,重要な構成概念や論証の一つとして,Hicks の所得理論を頻繁に用いるが,Hicks の所得の定義においては,期首と期末の両方において富を適切に測定することが必要とされる。しかし,たとえば信頼できる市場価格が入手不可能であるために富の測定が困難であるような資産に公正価値会計を用いようとする場合には,そこで計算される富の変動分は,本来の意味におけるHicks の所得を表さず,所得概念の本来的な意義が歪められることになる(ibid., p.454)。ここでは,信頼性のある時価が存在しないために富の測定が困難であるような資産が存在する場合,すなわち時価の信頼性が担保されない場合についても公正価値会計を適用しようとするなら,資産負債アプローチのもとでの利益は,本来の意味におけるHicks の所得概念とは乖離すると述べられている。

測定の側面に着目した問題点は,Penman[2007]においても指摘されている。すなわち,富の変動分というHicks の経済的所得の概念は,純資産の公正価値の変動分を利益として測定する資産負債アプローチにおける利益と整合的であるとする見解においては,公正価値会計は,貸借対照表のすべての資産および負債を持分権者にとっての価値で認識することによって,資本価値と経営者の受託責任に関する情報を提供し,損益計算書においては期間中の価値の変動分を表す経済的所得を計上するとされるが,それは測定の問題が生じない場合に限る(ibid., pp.33,36)。ここでは,公正価値会計や資産負債アプローチはHicks の所得概念と整合するという考え方について,それが成立するには測定の問題が生じないという前提条件が必要であると指摘されている。

このように,Bromwich et al.[2010]やDichev[2008],Penman[2007]はいずれも,測定の側面に着目して,包括利益とHicks の事後の所得が整合しない可能性について指摘している。ただし,いずれも測定の側面に着目していることについては共通しているものの,その指摘する内容はそれぞれ異なっている。すなわち,Bromwich et al.[2010]は,会計上の資産および負債の測定値における多様性の存在を指摘しており,Dichev[2008]は,測定の信頼性が確保されない場合に着目し,またPenman[2017]は,測定の問題が生じない場合に限って経済的所得に照らした場合の公正価値会計の優位性が支持されるとしている3)

 

(2)自己創設のれん

前節で述べた通り,Bromwich et al.[2010]やDichev[2008]等においては,包括利益とHicks による事後の所得No.1の相違について,測定の側面における問題が主として取り上げられている。包括利益とHicks の事後の所得が一致しない理由は,測定の側面での問題が理由であるとされているのである4)。この議論においては,会計上の資産として認識されない無形資産の存在については明示的に取り上げられていない。しかし,経済的所得と会計利益の相違に76頁】ついては,Solomons[1961]が指摘するように,両者には「富」の内容に違いが重視され,両者の相違は,有形資産の現在価値と簿価の相違と,無形資産やのれんの認識範囲の相違によって説明される。ただし1960年代においては,包括利益という利益概念は明示的には存在していなかったため,そこで議論の対象とされている会計利益は当然ながら包括利益ではなく,むしろ現在でいう純利益に近いと考えられる(ibid., p.376)。それゆえ,Hicks の事後の所得No.1の概念と包括利益との相違について,Solomons[1961]に則って整理するならば,有形資産の現在価値と簿価の相違という点は,有形資産の測定値の多様性と置き換えてとらえることができ,事後の所得No.1と包括利益との相違は,無形資産やのれんの認識範囲の相違に起因する,ということになろう。

同様に,Hitz[2007]によっても両者の違いに対する指摘がみられる5)。すなわち,経済的所得は通常,期末において期首と同等の富が維持される場合に期中に消費できる額であるというHicks の所得の定義によってとらえられるが,これは当該期間における企業価値の変動であり,個人の富または潜在的消費額の直接的な測定値である。いかなる会計利益概念であってもクリーンサープラスという条件を満たしてさえいれば,全期間を通じてみれば利益の合計額はキャッシュフローの余剰額と等しくなる。したがって,企業の全期間をみれば,公正価値会計における利益と取得原価会計における利益・経済的所得はいずれも等しい。公正価値会計における利益は,取得原価会計における利益よりも,経済的所得とのタイムラグは少ないが,たとえ公正価値会計であっても,未認識の無形資産とのれんに起因する価値の変動分はキャッシュの取引が完了するまで認識されないため,公正価値会計における利益は,Hicks の所得とはシステマティックに異なっている。公正価値会計における利益は,取得原価会計における利益よりも経済的所得をより近似するが,システマティックな相違点が存在するために厳密な測定パースペクティブからは支持されない(Hitz[2007],pp.348-349)。

ここでは,公正価値会計における会計利益が経済的所得と異なる理由として,未認識の無形資産やのれんの存在が挙げられている。公正価値会計における自己創設のれんの認識としてキャッシュの取引が完了する時点ととらえてよいかは議論の余地が残るものの,いずれにせよ,公正価値会計における利益と経済的所得では,未認識の無形資産やのれんの認識のタイミングが異なることから,両者がシステマティックに異なる点が指摘されている。

ここまで,Hicks の事後の所得No.1と包括利益は整合するというIASB 等の主張に対して,両者は整合しているわけではないとする先行研究による批判の内容を検討した。そこでは,不完全・不完備市場という現実においては,Hicks の事後の所得No.1と包括利益は,次の2点において相違すると指摘されている。第一に,不完全・不完備市場においては会計上の純資産の測定値は様々なものが存在するうえ,測定値の信頼性に欠ける場合には適切な測定値が存在しないため,Hicks の所得概念における「富」の資本価値とは一致しない。第二に,不完全・不完備市場においては,Hicks の資本価値には自己創設のれん等の未認識の無形資産が含まれる一方,会計上の純資産には自己創設のれんは含まれず,両者における認識対象の範囲は一致しない。つまり,Hicks の所得概念における「富」の資本価値と会計における資産・負債とは,第一に測定値の相違が存在すること,第二に自己創設のれん等の未認識の無形資産の分だけ異77頁】なることから,Hicks の事後の所得No.1と包括利益は一致しないのである。

 

2-2 客観性

次に,IASB 等による見解における第2の論点である,Hicks による事後の所得No.1は客観的であり,それと整合的な包括利益もまた客観性という望ましい性質を兼ね備えている,という内容について検討する。IASB 等によれば,Hicks の事後の所得No.1は,他の種類の所得概念のような主観的な概念ではなく,ほぼ完全に客観的な性質を有する利益概念であって,事後の所得No.1を近似する包括利益も同様に,客観性という性質を有する利益概念であるとされている(Bullen and Crook[2005],pp.7,18)。

この主張に対し,Bromwich et al.[2010]は次のように述べて強く批判している。すなわち,Bullen and Crook[2005]は,「ひとつの優れた重要な特性を備え,… 事後(の所得)は,他の種類の所得概念のような主観的なものではなく,ほぼ完全に客観的である」というHicks の見解を取り上げているが(ibid., p.18),そこで引用された箇所においては決定的に重要な条件が除かれている。該当箇所のすべてを引用するなら,「財産からの所得にのみに関心を限定し,人々自身の所得稼得能力の変動による資本価値の増減(人的資本の増減)を考慮しなければ,事後の所得No.1は,他の種類の所得概念のような主観的なものではなく,ほぼ完全に客観的である」(Hicks[1946],pp.178-179)となる。斜体で強調された箇所が,Bullen and Crook[2005]におけるHicks[1946]の引用箇所から除かれている部分である。人的資本の増減を考慮しない場合という条件は,客観性を充たすために必要な決定的条件であるにもかかわらず,Bullen and Crook[2005]は,それを除いてHicks[1946]を引用している(Bromwich et al.[2010],p.352)。

このように,Bullen and Crook[2005]は,Hicks によって事後の所得No.1の所得概念が客観性という性質を有すると述べられていることを根拠として,その所得概念の客観性を主張している。これに対して,Bromwich et al.[2010]は,事後の所得No.1が客観的であると言えるためには,人的資本の増減を考慮しないという決定的な条件が必要であることを,Hicks 自身が指摘しており,その条件が成立しない限り,事後の所得No.1の客観性は担保されないと述べている。Bromwich et al.[2010]は,Bullen and Crook[2005]においては人的資本の増減についての条件を記した箇所が除かれてHicks[1946]が引用されている,として批判を展開している。

この人的資本について,Bromwich et al.[2010]では次のように論じられている。すなわち,企業は識別可能な純資産からリターンを得るだけではなく,識別不能な資産については,市場価格を容易に入手可能である場合とそうでない場合がある。Hicks が人的資本と呼ぶ要素は,通常は企業に存在しており,資産市場が競争均衡状態であったとしても,資産市場が不完備であれば,人的資本すなわち自己創設のれんの測定には主観的な予測が不可避である。そのため,たとえ事後であっても客観的な測定は可能ではない(ibid., p.364)。ここでは,自己創設のれんを考慮しないという一定の条件下においてのみ,事後の所得No.1は客観的であると言えるのであって,不完備市場においては,客観的な測定を行うことができない自己創設のれんが存在するため,事後の所得No.1は客観性という性質を備えているとは言えない,と指摘されている。つまり,Hicks の事後の所得No.1は客観的であるというIASB 等の主張は,一定の条件下でしか成立しないとするHicks の議論の一部を恣意的に取り出したものである,と批判され78頁】ている6)

上で述べた通り,Bullen and Crook[2005]等は,Hicks による事後の所得No.1は客観的であり,それと整合的な包括利益もまた客観性という望ましい性質を兼ね備えている,という主張を展開していた。しかし,Bromwich et al.[2010]によって明確に指摘された通り,Hicks による事後の所得No.1は一定の条件下においてのみ客観的であるにすぎず,これについてはHicks自らによって条件の詳細とともに述べられている。それゆえ,たとえHicks による事後の所得No.1と包括利益が整合的であったとしても7) ,Hicks による事後の所得No.1の客観性が担保されていないのであれば,包括利益についても客観性は担保されるはずはない。包括利益は客観性という性質を有する利益である,とIASB 等が主張する根拠は,Hicks による経済的所得は客観性という性質を有するという点にあったが,その根拠そのものがHicks 自身によってその一般性が否定されているのである。つまり,Hicks による事後の所得No.1の客観性は一定の条件下においてのみ成立する性質であることから,それを根拠として,包括利益の客観性を主張するIASB の見解は誤りであると言える。

本節ではここまで,Bullen and Crook[2005]に主としてみられるIASB 等による主張に対して,先行研究において展開されている批判の内容について整理し,その主張に含まれるそれぞれの問題点を整理した。IASB 等の主張は,第一に包括利益とHicks の事後の所得No.1は整合するという点,第二にHicks の事後の所得No.1は客観的でありそれと整合する包括利益も客観的である,という内容であった。そのいずれの点についても誤りであることが先行研究によって指摘されている。

先行研究による批判の内容は,第一の点については,不完全・不完備市場という現実においては,会計上の純資産とHicks の資本価値との間には,測定値の相違が存在すること,また識別不能な無形資産やのれんを含むか否かという点で相違することから,両者は一致せず,結果として包括利益とHicks の事後の所得No.1は一致しないというものであった。第二の点については,Hicks による事後の所得No.1が客観的であると言えるためには,Hicks 自身が指摘する通り,自己創設のれんの存在を考慮しないという強い条件が必要であり,不完全・不完備市場においてはそうした条件が保たれないために,Hicks の事後の所得No.1は客観性という性質を備えているとは言えない。それゆえ,IASB 等によればHicks による事後の所得No.1と整合的であるとされる包括利益についても,客観性という性質を有する利益概念であるとは言えないのである。

 

79頁】

3.所得No.1と所得No.2

 

3-1 所得No.2と恒常所得

(1)事後の所得No.1と事前の所得No.2

前節では,IASB 等による主張に対して,第一に包括利益はHicks の事後の所得No.1と整合する概念ではない,第二にHicks の事後の所得No.1における客観性という性質は通常の条件下では担保されない,という強い批判が存在することを示した。IASB 等による主張においては,包括利益の理論的優位性を主張するために,Hicks の事後の所得No.1に着目しているわけであるが,Bromwich et al.[2010]等によれば,包括利益の比較対象として,そもそもHicksの事後の所得No.1のみが取り上げられていること自体が不適切であると指摘されている。その指摘の内容は,大きく2つに分けることができる。第一に,所得No.1と所得No.2の区別に関するものであり,第二に,事前の所得と事後の所得の区別に関するものである。本節では,第一の内容について論点を整理し,第二の内容については次節で検討を加える。

Hicks の所得No.1と所得No.2について,まずBromwich et al.[2010]では次のように指摘されている。すなわち,Bullen and Crook[2005]は,資産または負債を参照せずに所得を直接的に定義するという「挑戦」に成功した人はいないとしているが,Hicks の所得概念においては,利率が変動する場合に所得No.1の機能が損なわれることから,翌期以降においても同額を消費できると期待される,今期に消費可能な最大額と定義される所得No.2が提唱されており,この点で,上記の「挑戦」を乗り越えることができたと考えることもできる。利用者にとっての経済的な意思決定にとってもっとも適切な所得概念は,利用者個人を取り巻く環境や条件によって異なり,資産負債アプローチによって会計利益をとらえようとする立場と,収益費用アプローチによって会計利益をとらえようとする立場における,それぞれの動機に関連づけることができる。前者は資本価値の変動分としてとらえられる所得No.1に近く,後者は一般的にはより平準化された利益が想定されるため,恒常所得としてとらえられる所得No.2に近い(Bromwich et al.[2010],pp.357-359)。

この点について,Horton et al.[2011]においても,Hicks の所得No.2は,Ohlson[2006]で示された利益概念や,AAA[2010]で述べられている恒常所得の概念と整合的であると指摘されている(Horton et al.[2011],p.504)。このように,Bromwich et al.[2010]やHorton et al.[2011]では,所得No.1と所得No.2を,それぞれ資産負債アプローチと収益費用アプローチ,包括利益と純利益に関連付けられるとしたうえで,所得No.2については恒常所得という性質を有するものであると述べられている。

そのうえで,Bromwich et al.[2010]では次のようにIASB 等の見解に対する批判を展開している。すなわち,2つの所得概念はいずれも利用者の選好に依拠するため,IASB 等の概念フレームワークにおいては,一方の所得概念のみを排除することはできず,所得No.1と所得No.2のいずれを選択するかは,財務諸表の利用目的に依存する(ibid., p.365)。事後の所得No.1を包括利益の比較対象として取り上げているIASB 等の見解は,Hicks の事後の所得No.1のみに着目しており,概念的にも実務的にも重要であるHicks の事前の所得No.2を無視している(ibid., p.360)。

このように,Bromwich et al.[2010]では,Hicks の2つの経済的所得概念を明示的に考察し,80頁】資産負債アプローチによってとらえられる会計利益は資本価値の変動分として表される所得No.1に親和的であり,収益費用アプローチによってとらえられる会計利益は,一般的にはより平準化された利益が想定されるため,恒常所得として表される所得No.2に親和的であると述べられている。そのうえで,財務諸表利用者の意思決定にとって有用な利益は,利用者個人が置かれている環境や各種条件によって異なっており,この2つの利益はそれぞれの状況に応じてどちらが必要とされる利益が選択されると記されている。つまり,IASB 等の見解は,包括利益と比較する経済的所得として事後の所得No.1のみを対象としている点で問題があり,概念的にも実務的にも重要である事前の所得No.2についても,事後の所得No.2と同様に検討対象とすべきであると指摘されている。

 

(2)事前の所得No.2の位置づけ

前節で述べた通り,IASB 等の見解に対するBromwich et al.[2010]の批判は,包括利益の比較対象としては事後の所得No.1だけでなく事前の所得No.2も考慮すべきである,というものであった。しかし,IASB 等が理論的根拠として参照しようとしているHicks の経済的所得に関する理論においては,Hicks 自身が指摘するようにその中心概念としての所得概念が存在する。そうであるなら,包括利益と比較すべき対象は,経済的所得の中心概念としての所得概念に近似する所得であろう。経済的所得の中心概念としての所得概念との近似度という観点に立って所得No.1とNo.2を比較するなら,両者は同列に位置づけられる概念ではない。

これについて,Hicks[1946]は次のように述べている。利子率の変化が予想されなければ,所得No.1とNo.2は一致するが,利子率が変化すると予想される場合には,これらは一致せず,その場合には,所得No.2は所得No.1よりも所得の中心概念に近似する概念である(ibid.,p.174)。すなわちHicks 自身は,利子率が変動する場合には,所得No.1よりも所得No.2が,経済的所得の中心概念に近似する所得概念である,と考えていることが明らかである。

この点について,福井[2011]等においては次のように述べられている。すなわち,期首と期末のストックの差額と定義される所得No.1は,利子率一定の場合には所得No.2と等しくなることから,ひとまず一次近似として用いられているのであり,両者の結果が異なる場合には,所得No.2がHicks に基づく所得概念とみなされるべきである。利子率が変動するという一般的仮定のもとでは,Hicks の所得の中心的概念を近似するのは所得No.2であると指摘されている(福井[2011],p.53;福井[2012],p.24;Saito and Fukui[2016],p.10)。さらに,割引率が一定という入門教科書的仮定を置いた場合のみ,所得No.1とNo.2は等しくなるにすぎず,資産負債アプローチが依拠する所得No.1は,所得の中心概念に近い所得No.2の「教育用代用品」にすぎない(福井[2015],p.26)と述べられている。

同様に,斎藤[2015]においても次のように指摘されている。すなわち,市場価値で純資産の変動を測った所得は,利子率が一定でない限り変動するという点で,経済的所得の中心概念と両立しない近似概念であり,裕福さのレベルの維持を考える場合には,資本の価値を利子としての所得に依存させる必要がある。利子率の変化に伴って変わるのは,所得ではなく資本のストックである。所得No.2は,将来にわたり当期と同じだけ消費できる最大額であり,これはHicks 自身が中心概念により近いとした近似概念である。所得No.1は,利子率一定の場合に限りこれに等しくなる(ibid., p.20)。

このように,利子率が一定の場合には,所得No.1は所得No.2に一致するため,Hicks の経済81頁】的所得の中心概念との近似度について,両者に差は生じない。その一方,利子率が変動する場合には,所得No.1と所得No.2は一致せず,この場合には,所得No.1よりも所得No.2の方が経済的所得の中心概念により近い所得である。利子率は変動するのが一般的仮定であることから,Hicks の経済的所得の中心概念を近似するのは所得No.2であって,所得No.1であるわけではない。

 

3-2 経済的所得の中心概念と恒常所得

(1)経済的所得の中心概念と所得No.1

前節で述べた通り,利子率が変動するという一般的仮定においては,Hicks の経済的所得の中心概念を近似するのは所得No.2である。Hicks の所得の中心概念に近い所得概念が,所得No.1ではなく所得No.2である理由は,所得No.2が恒常所得としての性質を有しているからである。所得No.2は恒常所得であるから,恒常所得としての性質を有するHicks の経済的所得の中心概念と整合するというわけである。所得No.2が恒常所得としての性質を有する所得概念であることについては,既に述べた通り,多くの先行研究において指摘されている。

一方で,Hicks の経済的所得の中心概念が恒常所得であるという認識は,これまで必ずしも当然のものとして定着していたわけではない。少なくとも,Hicks による経済的所得を富の変動分として定義しているIASB 等の主張においては,Hicks の所得の中心概念が恒常所得であることは十分には認識されていない。経済的所得を富の変動分として定義する考え方の根拠となった諸説については,勝尾[2018]で詳述したように,たとえばAAA[1997]やSEC[2003],Shipper and Vincent[2003]等が存在する8) 。それらの先行研究においては,Hicks の経済的所得の中心概念が恒常所得であることについては言及されておらず,経済的所得を期間の富の変動分として定義し,Hicks の所得No.1をもって経済的所得であるととらえる考え方が展開されてきた。

これについて,たとえばSolomons[1961]においては次のように述べられている。すなわち,富の維持として貨幣資本の維持を仮定した場合には,Hicks の所得は期間中に変動した富の変動分と定義され,ここで定義される経済的所得の概念と会計利益は,期首と期末の貸借対照表で示される会社の富に関連づけられる点で類似しているように思える。しかし,こうした経済的所得と会計利益の類似は形式的なものでしかなく,両者は,有形資産の現在価額と簿価の相違や無形資産の認識の有無といった点で相違する(ibid. p.376)。

このように,Solomons[1961]では経済的所得と会計利益の相違点に関する検討が展開されているが,そこで検討対象として挙げられている経済的所得は,富の変動分として定義されていることから,いわゆるHicks の所得No.1が想定されているようにもみえる。ただし,Solomons[1961]の分析において用いられている経済的所得の概念については,Solomons 自身によって,貨幣資本の維持という仮定を置くことが必要であることが明確に示されている。Solomons[1961]において,経済的所得について富の変動分として定義されているのは,あくまでも貨幣資本の維持を条件としていることに注意が必要であろう。それゆえ,そこでの分析においては,経済的所得は富の変動分と定義されているものの,あくまでも一定の条件下を前82頁】提としたものであって,IASB 等による主張のように,Hicks の所得概念を富の変動分として無条件に定義しようとするものではない。

 

(2)恒常所得の概念

前節で述べた通り,Hicks の所得の中心的概念が恒常所得であることについては,これまで明確に認識されていたとは言えず,IASB 等による主張のように,経済的所得を期間中の富の変動分として定義し,いわゆる所得No.1としてとらえる考え方が広まる一端ともなっていた。しかし,Hicks の経済的所得における中心概念が恒常所得の概念と整合的であることについては,Hicks 自身が明言している9)

Hicks は,経済的所得に関する中心概念について,次のように述べている。すなわち,所得概念に対する三つの近似概念のうちどれを用いるにせよ,所得の計算は,将来に得られるであろう収入の流列の現在価値と現時点で資本化した価値が等しくなるような,ある標準的な価値の流列を見つけることにある(Hicks[1946],p.184)。個人の所得は,将来収入の現在価値と同じ現在価値をもつ標準列の水準とみなすことができ,これと同様に,会社の所得も予想純収入の現在価値と同じ現在価値をもつ標準流列の水準としてとらえられる(ibid., p.196)。そうした事業から得られる所得は,Friedman によるいわゆる恒常所得としての性質を有するものであり,Lindahl による分析における恒常所得の概念と同等である(Hicks[1979],p.199)。

これと同様に,1986年に行われたKlamer によるHicks のインタビューにおいても,Hicks 自身は所得概念に強い関心を抱いてきたが,真の所得はFriedman の恒常所得のようなものであり,明示的にそれをとらえることは困難を極めると述べられている(Klamer[1989],pp.172-173)。Hicks は,真の所得概念とは恒常所得としての性質を有するものである,と明らかに指摘しているのである(福井[2011],p.52;福井[2012],p.20;Saito and Fukui[2016],p.9)。

これについて,斎藤[2015]は,Hicks の定義した経済的所得の中心概念(Hicks[1946],p.172)は,維持すべき資本の額を所与としたうえで期末の資本がそれを超える分を期間ごとにとらえたものではなく,期間ごとに期待される正味の受取り額ないし正味キャッシュフローを,それと現在価値の等しい定額の恒久的な標準流列に変換した概念であると述べている(斎藤[2015],pp.19-20)。福井[2012]等においても,Hicks の所得概念を理解するうえで決定的に重要な点は,そこで定義される所得の流列は,実際に将来期待される正味収入の流列ではなく,その流列と同じ現在価値をもたらす,経済学でいう恒常所得,すなわち将来持続可能な所得水準であると指摘されている(福井[2011],p.52;福井[2012],p.20;Saito and Fukui[2016],p.9)。

前節で述べたように,Hicks の経済的所得の中心概念が恒常所得としての性質を有するものであるという認識は,これまで必ずしも広く認識されているとは言えず,IASB 等の見解が展開される背景ともなっていた。しかし,Hicks 自身によって,所得とは将来収入の現在価値と同じ現在価値をもつ,標準流列の水準であると明確に述べられている。所得は,将来期待される収入の流列の現在価値と等しい現在価値をもたらすような,定額の恒久的な標準流列に変換したときに得られる,定額の恒久的な金額の水準として測定されるのである。この変換された83頁】標準流列の水準とは,いわゆる恒常所得の概念と整合的であり,Hicks の経済的所得の中心概念が恒常所得としての性質を有していることは明らかである。

 

3-3 フローとストック

(1)フローとしての所得とストックとしての資本

前節で述べた恒常所得の概念,すなわち標準流列の水準への変換によって所得の水準が測定されるという発想は,フローとストックの関係について,前者が後者を決定するととらえる考え方に根差すものである。資本によって各期の利益が決定されるのではなく,利益の流列が資本を決定するというのがHicks に限らず経済学における基本的発想であり,将来に得られるフローの流列に価値があるから,そのフローを生むと期待されるストックに価値があると考えられている(福井[2015],p.26)。こうした恒常所得としての経済的所得の概念は,Fisher による先駆的な業績がMyrdal やLindahl の見解とともにHicks やKaldor に受け継がれ,いくつかの種差を含みながらも,経済的所得と呼ばれる共通概念をつくり上げていった(斎藤[2007],p.3;斎藤[2013],p.87)。

Fisher の所得理論においては,所得は富すなわち資本の変動として定義されている(Fisher[1896],p.514)。ある時点に存在する富のストックが資本とされ,期間を通じて富から得られる便益のフローが所得とされて,所得は,それを生み出す資本のストックから得られる実際のサービスのフローと定義される(Fisher[1906],p.52;Fisher[1919],p.38)。資本価値という意味での資本は,将来の所得を単純に割り引いたもの,すなわち資本化したものである。財産あるいは富に対する権利の価値とは,所得の源泉としての価値であって,期待所得を割り引くことで測定することができる。財産に対する権利はすべて,目的に対する手段であるにすぎない。所得こそが経済学のアルファでありオメガである(Fisher[1930],pp.12,13;福井[2007],p.76;福井[2011],p.51)。

Nobes[2015]によれば,Fisher はストックとフローの概念を通して資本と所得を表裏の関係としてとらえており,現在の富は将来に予想されるサービスの現在価値と等しく,企業の業績は富のストックに対する利率すなわちフローである(Nobes[2015],p.426)10)。よく知られる資本と所得の相関図では,(1)所得は資本財からもたらされる将来のサービスとされ,(2)所得の額から所得の価値が導かれ,(3)所得の価値から資本価値が導かれることが示されている(Fisher[1930],p.15;辻山[1991],p.24)。つまり,資本価値とは将来の期待所得を割り引いた現在価値であり,価値論における因果関係はフローからストックなのである(福井[2011],p.46)。

このように,Fisher による所得の理論においては,資本の価値は所得をもたらす源泉としての価値であると理解されており,その資本価値は将来の所得の現在価値で表される。資本に関わる権利はいずれも,所得という最終目的のための手段にすぎないと考えられている。そこでは,所得は資本財からもたらされる将来のサービスであると位置づけられ,その所得の額から所得の価値が導かれて,資本価値はその所得の価値から導かれるという関係が想定されてい84頁】る。こうしたFisher の考え方は,フロー概念としての所得を直接的に定義しようとするものであり,ストックの変動分によってフローとしての所得を測定しようとするものではない。

こうしたFisher による所得の理論における考え方は,Lindahl によって引き継がれ(Lindahl[1933],p.399),ストックホルム学派における経済的所得概念の展開の端緒となった。Kaldor[1955]もまた,Fisher の所得理論を議論の出発点としている。そこでは,Fisher の概念から議論を始めるなら,所得は期間中の富のフローであるのに対し,資本はある時点において存在する富のストックであると述べられている(ibid., p.55)。資本はある時点における富のストックである一方で,所得は時点間の富のフローである,というFisher による基本的な考え方に立てば,Lindahl[1933]が示したように,所得は資本財の実際の純増額としてではなく,時間要素を考慮した連続した評価額であると考えることができる,と指摘されている(Kaldor[1955],p.58)。

こうしたFisher の所得理論は,Hayek による経済的所得の理論にも強い影響を与えている。Hayek[1935]においては,そこでの議論は,所得概念に関する一般的な議論,とりわけFisher による著作を手掛かりとしており,Fisher の考え方と整合する内容が多く含まれていると述べられている(Hayek[1935],p.245)。Hayek の所得理論は,Fisher による所得理論を発展させたものであると指摘しうる(Tobin[2005],p.213;福井[2012],p.18)

このHayek による所得理論は,Hicks の所得理論に引き継がれている。Hicks[1942]では,Value and Capital の第14章の内容は,Hayek の考え方に依拠していると記述されており(Hicks[1942],p.175),そこでの所得の定義は,Hayek による所得の定義の内容と一致している(ibid.,p.178)。これについてKaldor[1955]も,「Hayek-Hicks アプローチ」として,資本と所得の維持について将来所得の維持という観点から資本の維持を定義するという方策を示したHayek[1935]の考え方がHicks の所得概念に引き継がれていると指摘している(Kaldor[1955],pp.65-66;福井[2012],p.18)。

なお,Fisher やLindahl,Hicks の相違について,Kaldor[1955]は次のように述べている。すなわち,Fisher やLindahl といった論者が,所得について,所与のなんらかの元手から生み出される稼得分ととらえているのに対し,Hicks は,所得の概念と資本の概念の関係との連携を回避しようとしている点で特徴的である。Hicks のアプローチにおいては,資本は将来に予測される資本価値としてとらえられているにすぎず,所得はその将来予測の「標準流列の同等物」である。したがって,資本と所得は同じ事象を表現するうえでの2つの異なる方法として位置づけられるものであって,所得は将来予測の流列から直接的に定義される(Ibid., pp.64-65)。

このように,Hicks による所得の理論は,Fisher やLindahl,Hayek 等の所得理論から強い影響を受けていることが,先行研究によって指摘されている。Hicks の経済的所得の中心概念としての恒常所得を測るには,将来収入の流列と同じ現在価値を有する標準流列の水準への変換が必要であり,所得はその標準流列の水準によって測定される。こうした考え方においては,フローとストックの関係について,前者が後者を決定するととらえられており,これはFisher等から引き継がれた所得理論の内容が反映されたものである。Hicks による経済的所得の考え方においては,フローとしての所得がストックとしての資本を決定するという関係が想定されている。そこでは,ストックの変動分によってフローとしての所得を測定しようとするのではなく,フロー概念としての所得を直接的に定義しようとしている。

 

85頁】

(2)資産負債アプローチ

上でみたように,Hicks による経済的所得の考え方においては,フローとしての所得がストックとしての資本を決定するととらえられている。そうしたHicks の所得概念が,ストックからフローが決まるととらえる立場であるいわゆる資産負債アプローチと整合しないことは明らかである。先行研究においても,Hicks の所得理論が資産負債アプローチを支持するものではないことについては,Bromwich et al.[2010]等により次のように指摘されている。すなわち,Hicks の所得概念は,IFRS 等の概念フレームワークのジョイントプロジェクトに対するBullen and Crook[2005]の考え方において進められている資産負債アプローチを支持するものではなく(Bromwich et al.[2010],p.364),Hicks の議論は,IASB 等が中心的な役割を当てている貸借対照表アプローチに対して,概念上の基礎を与えないだけでなく,測定や業績報告,価値を生み出す源泉の識別といった難問を解決する手助けとなるわけでもない(ibid., p.365)。これと同様の指摘が,Basu and Waymire[2010](pp.137-138),Sutton et al.[2015](p.126)においてもみられる。

さらに,Hicks は資産負債アプローチを支持していないだけでなく,むしろ収益費用アプローチを積極的に支持していることが,Jameson[2005a][2005b]等によって指摘されている。Jameson[2005a][2005b]は,Bullen and Crook[2005]は,利益測定における資産負債アプローチの基礎を与えるものとしてHicks を誤って参照しているとしたうえで(Jameson[2005a],pp.331,332),Hicks は資産負債アプローチを明確に否定しており,現在および将来に期待されるリターンを反映する収益費用アプローチを支持していると述べている(Jameson[2005a],p.333;Jameson[2005b],p.336)。

ただし,Jameson[2005a]は,Hicks が資産負債アプローチを支持しないと考える論拠として,包括利益にはウィンドフォールが含まれるために意思決定に有用な所得が測定されないという点を挙げている(ibid., p.333)。Jameson[2005a]において取り上げられている問題点はウィンドフォールの有無であり,包括利益はウィンドフォールが含まれるためにHicks が望ましいとする所得概念が備える性質とは異なる,という議論が展開されている。こうしたJameson[2005a]の議論の内容は,Hicks の経済的所得の中心概念である恒常所得の考え方は,フローとストックのどちらを主としどちらが従ととらえているのか,というフローとストックとの関係性に関する議論からは乖離している。つまりJameson[2005a][2005b]は,Hicksは資産負債アプローチを支持しないことを指摘しているものの,その理由をウィンドフォールの有無に求めており,フローとストックの関係性の観点からその理由を説明しているわけではない。

これに対して,福井[2011]等においては,フローとストックの関係から,資産負債アプローチと収益費用アプローチのどちらの立場をHicks がとっているかという点について議論されている。そこでは次のように述べられている。すなわち,Hicks は公正価値論者が主張するような資産負債アプローチの「守護聖人」ではなく,その資本所得理論は「所得主・資本従」のフィッシャーと基本的に同じである(福井[2011],p.54)。資本が先か,所得(利益)が先かという二者択一に対して,Hicks は後者に立っているとみることができる(福井[2011],p.53;福井[2012],p.20;Saito and Fukui[2016],pp.6,7)。Hicks は,資産負債アプローチを正当化86頁】するために事後の所得 No.1を用いようとしているわけではない(Saito[2011],p.114)11)。企業がゴーイング・コンサーンであることを前提とした収益費用アプローチは,各期の予想も含めたキャッシュフローを期間配分によって均した純利益という,一種の恒常所得(利益)を測定しようとしており,経済学の「正統」に沿っているのは,むしろこちらのアプローチであるということができる(福井[2011],p.55)。

このように,Fisher の所得理論,すなわち資本と所得の関係について,所得というフローから資本というストックの価値が導かれるとみて,フローが主でありストックは従であるととらえる考え方は,Lindahl を始めとするストックホルム学派やHayek の議論に影響を与え,それがHicks に引き継がれている。Hicks の所得理論においては,恒常所得の概念を所得の中心概念とし,フローとしての所得がストックとしての資本を決定すると考えられている。そこでは,あくまでも所得というフローが主であって,資本というストックは従の関係として位置づけられている。毎期の一定の所得の流列,すなわち標準流列の水準を測定するという観点が第一義的にとらえられたうえで,それを可能ならしめる資本の額が第二義的にとらえられているのである。

つまり,Hicks の所得理論における所得の中心概念は,いわゆる恒常所得としての性質を有する概念であり,それに近似する所得概念は,維持すべき対象を毎期の所得としたうえで恒常所得として定義される所得No.2である。経済的所得の中心概念に近似する所得概念は,維持すべき対象を資本としたうえで,そのストックの変動として定義される所得No.1であるわけではない。Hicks の所得理論においては,所得と資本との関係について,フローとしての所得を主とし,ストックとしての資本を従ととらえられているのである。それゆえ,経済的所得の中心概念を恒常所得であると考え,フローとしての所得を直接的に測定しようとするHicks による経済的所得が,いわゆる資産負債アプローチではなく収益費用アプローチにより親和的であることは明らかであると言えよう。

 

4.ウィンドフォール

 

4-1 事後の所得No.1におけるウィンドフォール

前節では,IASB 等の主張における包括利益の理論的根拠として,Hicks の事後の所得No.1が議論の対象とされていることへの批判のうち,所得No.1と所得No.2の区別に関する論点について取り上げた。その批判には,前節で検討した論点のほか,事前の所得と事後の所得の区別,すなわち事前と事後で予想が変化する場合に生じるウィンドフォールに関する論点も存在している。本節では,この事前と事後の所得におけるウィンドフォールの論点について検討を加える。

事前と事後の所得について,Hicks[1946]では次のように述べられている。すなわち,いかなる特定の週における事後の所得についても,その週末にならなければ計算することができないうえに,それは現在の価値と,完全に過去に属する価値との比較の問題が含まれている。87頁】「既往は問わず」という一般原則に基づけば,事後の所得は,現在の意思決定にとって目的適合的ではない。行為に目的適合的な所得においては,常に意外の所得が除外されなければならない。もし意外の所得が生じるのであれば,それは今週のいかなる有効な所得に含められるものとしてではなく,むしろ(それに対する利子によって)将来の週の所得を高めるものとして扱われなければならない。事後の所得と事前の所得との理論的混同は,所得と資本との実際的混同に対応している(ibid., p.179)。

このようにHicks は,目的適合的な所得であるためには意外の所得すなわちウィンドフォールが除かれる必要があり,それが含まれる事後の所得は目的適合的なものではないと指摘している。前節までに述べた通り,包括利益は経済的所得を近似する理論的に優れた利益概念である,というIASB 等の見解における経済的所得とは,Hicks の事後の所得No.1であり,事前の所得については検討対象とされていない。しかし,Hicks 自身は,事後の所得は意外の所得すなわちウィンドフォールが含まれるために目的適合的ではない,と明確に述べている。つまり,IASB 等の見解においては,Hicks の経済的所得の概念は事後の所得No.1としてとらえられているが,事後の所得は,Hicks 自身によって,ウィンドフォールが含まれるために目的適合的なものではないと指摘されているのである。

この点について,Bromwich et. al[2010]は,上で示したHicks による言及(Hicks[1946],p.179)を指摘したうえで,次のように述べている。すなわち,いかなる実用的な所得の事後の測定値も,それがより客観的か否かによらず意思決定には目的適合的ではないとHicks 自身は考えており,それゆえIASB やFASB における財務報告の目的である意思決定有用性という方向性とは適合しえない(Bromwich et al.[2010],pp.356,357,364)。同様に,Basu and Waymire[ 2010]においても,次のように指摘されている。すなわち,Hicksは名目上の所得ではなく実質上の所得に基づいて意思決定を行うべきであるとしており,これは,価格の変動分は資本価値の計算から除かれるべきであって,未実現損益を除外すべきということを明確に述べている。このようなHicks の考え方は,明らかにIASB の公正価値測定アプローチとは相いれない立場によるものである(ibid., pp.137-138)。また,Nobes[2015]によっても,次のように同様の指摘がみられる。すなわち,Hicks の所得概念は誤解されており,事後の所得に関する実務的な測定値の理論的根拠として用いることはできない。これは,次のような重要な問題を示唆している。すなわち,会計は貸借一致を必要とするが,特に企業業績の測定については,資本の変動に依存する必要があるか否かという問題が提起されうる(ibid., p.433)。

このように,IASB 等の見解において,事前の所得ではなく事後の所得が検討の対象とされている点について,事後の所得は意思決定有用性の観点からは目的適合的ではないとHicks 自身が述べていることから,IASB 等が財務報告の目的として念頭においている意思決定有用性の観点とは相容れないことが,複数の論者によって言及されている。包括利益は経済的所得を近似する理論的に優れた利益概念である,とするIASB 等の見解においては,事後の所得No.1がHicks の経済的所得の概念とされているが,その一方で,事後の所得は,Hicks 自身によって,ウィンドフォールが含まれるために目的適合的な所得概念ではないと指摘されている。つまり,IASB 等の見解においては,Hicks 自身によって目的適合性が否定されている事後の所得概念が,「経済的所得」の概念として用いられていることになり,その点で誤りがあると言わざるを得ない。

 

88頁】

4-2 事前の所得No.2と事後の所得No.1

本稿ではここまで,IASB 等の主張に対する先行研究による批判について整理した。先行研究によれば,次のような批判が展開されている。すなわち,IASB 等の主張においては,包括利益の理論的根拠をHicks の経済的所得の概念に求め,そこでの経済的所得の概念として,事後の所得No.1が用いられているが,次の2つの理由から,経済的所得の概念として事後の所得No.1を想定することは誤りである。

その理由とは,第一に,Hicks の経済的所得の中心概念である恒常所得という性質を有するのは,所得No.1ではなく所得No.2であるという点にある。利子率が変動するという一般的な仮定のもとでは,所得No.1とNo.2は一致せず,毎期の所得の維持を資本というストックの維持よりも優先する所得No.2が,恒常所得の概念により近い所得概念である。期首と期末のストックとしての資本の変動分としてとらえられる所得No.1ではなく,毎期のフローとしての所得を直接に測定しようとする所得No.2が,経済的所得の中心概念である恒常所得としての性質を有しているのである。

第二の理由は,Hicks が目的適合的であるとする所得はウィンドフォールが除かれた所得概念であるから,ウィンドフォールが含まれる事後の所得ではなくウィンドフォールが除かれた事前の所得が,Hicks の考える目的適合的な所得であるという点にある。Hicks は,所得が行為に目的適合的であるためには,その所得はウィンドフォールを含むものであってはならないとしている。Hicks の定義する事後の所得はウィンドフォールを含む概念であるから,それはそうしたHicks 自身の考えに基づく目的適合的な所得には当たらない。つまり,Hicks のいう目的適合性を有する所得とは,ウィンドフォールを含まない事前の所得概念である。

このように,第一に,経済的所得の中心概念である恒常所得としての性質を有するのは所得No.1ではなく所得No.2であり,第二に,目的適合的な所得はウィンドフォールを含む事後の所得ではなくウィンドフォールを含まない事前の所得である。それゆえ,Hicks による経済的所得として取り上げられるべき所得概念は,事後の所得No.1ではなく,事前の所得No.2である。すなわち,包括利益は経済的所得に近似する理論的に優れた利益概念であるというIASB等による見解においては,事後の所得No.1がHicks の経済的所得の概念を表すものとして想定されているが,Hicks の経済的所得においてより意味のある近似概念は,事前の所得No.2である。つまり,IASB 等の見解はHicks の経済的所得について誤った理解に基づくものである。

先行研究においては,このようにIASB 等の見解における問題点が詳細に考察され,一定の検討結果が提示されている。しかし,先行研究では,事前と事後の所得概念におけるウィンドフォールに関する議論については十分に議論されていないという問題を指摘しうる。Hicks の所得理論における事後の所得概念については,Kaldor[1955]が述べたように,事前と事後の概念を提示したストックホルム学派における考え方が適切に反映されていないという問題が指摘されている。ストックホルム学派による事前と事後の概念の区別にしたがうなら,事前の所得と同様に事後の所得についても,ウィンドフォールを除く概念として定義されるべきである。しかし,Hicks の所得理論における事後の所得は,ウィンドフォールが含まれる所得概念として定義されており,事前と事後の概念の混同がみられる。

IASB 等の見解に対する批判を展開している先行研究においては,そうしたHicks の所得理論における事前と事後の概念の混乱が整理されないまま,事後の所得No.1についてウィンドフォールを含む所得として議論されている。事前と事後の所得概念の混乱を整理し,修正され89頁】た事後の所得概念を用いて,経済的所得の概念について論じなければ,包括利益と経済的所得との比較について検討したことにはならない。修正された事後の所得概念はKaldor[1955]によって提示されており,それによりHicks の事前と事後の概念の混乱は一定程度解決されうる。包括利益の理論的優位性を経済的所得との近似性に求めるIASB 等の見解の問題点を論じるためには,Hicks の所得理論における事前と事後の概念をストックホルム学派やKaldor により整理した所得理論を用いる必要があろう。

 

5.おわりに

 

本稿では,包括利益は経済的所得の概念を理論的根拠とする,というIASB 等の見解について,次の2点に整理し検討した。すなわち,第一に包括利益はHicks の事後の所得No.1に近似するという点,第二にHicks の事後の所得No.1は客観性という性質を有しておりそれを近似する包括利益もまた客観的であるという点に分け,いずれの論点についてもIASB 等の見解には誤りが含まれるとする先行研究の検討結果を整理した。

そのうえで,IASB 等の主張における経済的所得として,事後の所得No.1が想定されていることについて,次の二点に分けて検討した。すなわち第一に,利子率が変動するという一般的仮定においては経済的所得の中心概念を近似するのは所得No.2であること,第二に,意思決定有用性の観点から目的適合的な所得概念は事前の所得であること,という二つの理由から,Hicks の経済的所得の概念においてより意味のある近似概念は,事前の所得No.2である。事後の所得No.1にのみ着目しているIASB 等の主張は,その点で誤りであり,それに対する批判を展開する先行研究について整理した。

本稿における検討の結果,先行研究においては,所得No.1および所得No.2や,所得の中心概念との関係に関する議論については十分に展開されているものの,その一方で,Hicks の所得理論における事前と事後の所得概念の混乱やウィンドフォールの認識の有無については,十分に議論されていないことが明らかになった。包括利益と経済的所得の比較を行い,会計利益の理論的優位性を経済的所得の観点から検討するためには,事前と事後の所得概念について,Lindahl 等によるストックホルム学派とKaldor による修正概念を用いて整理した所得理論を用いて論じることが必要であろう。

 

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[付記]本研究は科研費(基盤研究16KT0092)の助成を受けたものである。