現代の「日本的経営」論(3)
手塚 公登・小山 明宏
3.2 東証コーポレートガバナンス・コードの問題点
3.2.3 株式の持ち合いについて
「株式の持ち合い」は,元々は「株式の相互持ち合い」と呼ばれていて,1980年代からこの用語で採りあげられていた。筆者の一人もこれについて,過去言及したことがある。それは小山(2011,2016)において,次のように採りあげられている1)。
(前節で採り上げたように,)バブル経済破裂前の日本的経営の財務的側面を特徴付けるものとして4つが挙げられていた。
①グループ内資金調達
②株式の相互持合い
③銀行による株式保有
④硬直的な配当政策
(このうちの④は,8−4で述べているので,そちらを参照されたい。)また,①と③は,「強固なメインバンク関係」としてひとくくりにできるであろう。
バブル経済の破裂以降,日本企業の経営財務は迷走を続けてきた。今や誰もがのぞいているインターネット記事や,新聞を見ても明らかなように,不況→デフレ→不況→デフレという循環で,わが国の産業はことごとく縮小傾向にある。産業内での有力企業の経営統合が相次ぎ,私は,ことあるごとに「そのうちに1・産業に1・大企業のみ,という状況になる!」という説を披露している。デパートやビール産業などでは,ひょっとしたら,近い将来にそれが起こるかもしれない。
この中で,前述の,①グループ内資金調達,②株式の相互持合,③銀行による株式保有,④硬直的な配当政策,も変貌している。特に①~③は,従来の日本的経営の重要な後ろ盾であった企業系列(企業集団)が事実上崩壊したことにより,形を変えつつある。すなわち,三井グループのメインバンクであった三井銀行(さくら銀行)と住友グループのメインバンクであった住友銀行が合併して,三井住友銀行ができたくらいであるから,もはや狭いグループ主義が通用しなくなっていることはわかる。ただし,②については,一時影を薄くしていたのが,また目立ってきている。その理由は二つあり,
ⅰ 投資ファンドによる株式の公開買い付けなどの企業合併・買収(M&A)が起こり,再び安定株主対策が注目されていること
ⅱ 経営戦略の手詰まり,すなわちマーケット自体の拡大があまり望めなくなっている現 【316頁】 在,単独で有効な戦略をみつけて実行することが困難であることから,相互に有益なパートナーをみつけて戦略的提携を行おうという傾向が強まっていること
が挙げられる。
わが国の上場企業約3900社の,2006年度の株式持合い比率は5.9%で,2005年度の5.5%から上昇している。1991年度はこれが23.6%だったのであるから,その低下は実感できる。実際,1991年以来持合い解消は動きとして続いていたが,2006年に初めて上昇(復活)に転じたのである。それは,企業同士の資本提携(戦略的提携)や買収防衛への意識が高まっていることによるとされる。特に2006年度には,国際的に事業展開する大企業同士の株の取得が目立ったと言える。試算によると,この年,トヨタ自動車は松下電器産業の株を約490億円分,逆に松下電器産業はトヨタ自動車の株を440億円分買い増したとされる。2006年度に新たに判明した持合い株の取得金額は,鉄鋼業が1425億円分と最も多く,電機が1417億円分,輸送機器が1030億円分となっている。そして,さらに特徴的なのが,持合い株の「広がり」で,企業が保有する他社株の銘柄数が増えている。2004年度は1社平均で2.8社の株を持っていたのが,2005年度は3.2社,2006年度は3.5社に増えたのである(データはすべて大和総研の調査結果による)。
これらの持合いデータから推察できるのは,業界ごとの事情,特に原料供給会社と調達会社との,典型的な戦略的な持合いであろう。自動車業界はその典型で,原料調達先である鉄鋼業界と持合いを行うことにより,材料調達の安定化を図る,ということである。また,鉄鋼業界の場合,外国企業による買収のリスクが消えないことから,前述のⅰ,すなわち買収防衛策として株式の持合いが行われる,ということになる。この結果,以前は異なった企業集団に所属していた大企業同士(独立系の新日鐵,住友系の住友金属,第一勧銀系の神戸製鋼)が,旧企業集団の垣根を越えて,相互持合いを行うこととなっている。
(以上,小山(2011)による。これ以下は小山(2016)で追加されたもの)
ところが,日本経済新聞2014年7月16日付の朝刊1面によると,持ち合い株を保有する281社のうち168社が2014年度中に保有銘柄の数を減らしていたという。住友商事が保有していた新日鉄住金株8000万株を242億円で売却したほか,みずほ銀行が富士重工業株830万株を331億円で手離し,三井住友信託銀行も三井不動産株632万株を223億円で処分したことなどが例として挙げられていた。同紙は「持ち合い解消は最終段階に入って来た」と分析している。
元日経記者の評論家によると,持ち合い解消はアベノミクスの成長戦略の隠れたターゲットで,2014年6月に閣議決定した成長戦略「日本再興戦略 改訂2014」では,「日本企業の稼ぐ力を取り戻す」として,コーポレート・ガバナンスの強化が「いの一番」に掲げられたという。そこでは柱として,コーポレート・ガバナンス・コードの導入が打ち出され,日本企業にガバナンスを効かせようとした場合,長年にわたって最大の障害であると指摘されてきたのが株式持ち合いだったとされる。企業や銀行が相互に株式を保有することで,経営者が相互に「白紙委任状」を手にするに等しく,外部の株主や投資家の声が排除されることにつながっていたのは事実という面もあるかもしれない。そこで,経営に規律を働かせるには持ち合いを解消するのが先決だ,というわけで,もちろん,こうした動きに経営者の集まりである経団連などは強く抵抗してきたという。
だが,経済界の反対をよそに,持ち合い解消策は着々と政策的に盛り込まれていった。2015年3月に金融庁と東京証券取引所が共同事務局を務める有識者会議で「コーポレート・ガバナンス・コード」が決まったが,そこにも持ち合いについて書き込まれている。コーポレート・ 【317頁】 ガバナンス・コードは上場企業のあるべき姿を示したもので,そこでは欧州などで広く使われている「コンプライ・オア・エクスプレイン」というルール体系,すなわち遵守(コンプライ)するのは義務ではないが,もし遵守しない場合にはその理由を説明(エクスプレイン)することが求められている。
そこには【原則1−4.いわゆる政策保有株式】なるものがあり,上場会社がいわゆる政策保有株式として上場株式を保有する場合には,政策保有に関する方針を開示すべきであるとする。また,毎年,取締役会で主要な政策保有についてそのリターンとリスクなどを踏まえた中長期的な経済合理性や将来の見通しを検証し,これを反映した保有のねらい・合理性について具体的な説明を行うべきであるとしている。上場会社は,政策保有株式に係る議決権の行使について,適切な対応を確保するための基準を策定・開示すべきであるというのである。
「もちろん,経営関係の緊密化といった説明も可能だが,それを国内外の機関投資家や個人株主が納得するかどうかは分からない。勢い,保有目的が明確ではない持ち合い株は売却する方向に傾いているのだ。」とこの評論家は述べている。しかし,これは果たして正論だろうか。前述の「戦略的持合い」に反対する株主は,実際はあまり多くないだろう。そして,日本的文化の特徴として,このような「戦略」はおおっぴらに声を大にしてアナウンスするものでないことは,今や日本の経済に関係するものならすべてが同意しているものである。こうして見ると,おそらくアメリカの教科書などを見て策定したとみられる東証コーポレート・ガバナンス・コード,そして筆者は「闇雲な経済前進政策」ととらえている「アベノミクス」なる代物は,現実を直視せず,実は前提条件だらけの教科書を機械的に真似て推し進めようという,トンデモナイ行いである,と思われるのである。つまり,「持合いを制限すれば我が国企業のコーポレート・ガバナンスが改善される」などという,はっきり言って「馬鹿な」議論は,まさに「勉強不足」の帰結であり,持合いが持つポジティブな効果にこそ,将来の発展のためには目を向けるべきだと,心ある経済人は考えていると,私は思っている。
手塚・小山,現代の「日本的経営」論(2)で筆者らは次のように述べた。
日本の企業経営の特色が最初に指摘され,広く世に知れ渡るきっかけとなったのは,前稿の手塚・小山(2021)で触れたように,アベグレンの『日本の経営』(1958)の出版であった。そこでは,特に雇用制度あるいは雇用慣行について,英米企業とは大きく異なっていることを,わが国の製造大企業を中心とした現場観察に基づいて,明らかにされた。端的にいうと,わが国の企業の大きな特徴は,終身雇用,年功序列,企業内組合のいわゆる3種の神器ともいうべき雇用システムに求められた。
ただし,研究者的な立場からの検討だけでなく,実務家は「日本的経営」をどのように考えているかも,同時によく確認しておくべきであろう。そこで,それを知るべく渉猟してみた結果,次の記事にたどりついた。すなわち,
THE OWNER 編集部「日本的経営とは?特徴やメリット・デメリットを詳しく解説!」2021/09/092)によると,
【318頁】1.日本的経営とは?
2.日本的経営の特徴「三種の神器・メインバンク制・株式持ち合い」
1.企業別労働組合(三種の神器)
2.年功序列制(三種の神器)
3.終身雇用(三種の神器)
4.メインバンク制
5.株式持ち合い
3.日本的経営の4つのメリット
1.1.経営の安定化
2.2.人材育成
3.3.社員のロイヤルティ(忠誠心)
4.4.組合との団体交渉
4.日本的経営の3つのデメリット
1.1.組織の硬直化・業界の閉塞感
2.2.年長者の高コスト化
3.3.経営の非効率化による競争力低下
5.日本的経営の代表3社
1.1.パナソニック
2.2.トヨタ
3.3.キヤノン
6.新時代の「日本的経営」
日本的経営の本質的価値を見直そう!
という目次が設定され,「企業別労働組合(三種の神器),年功序列制(三種の神器),終身雇用(三種の神器)」というアベグレンの三種の神器に続いて,メインバンク制と株式持ち合いが採りあげられている。そこでは,
株式持ち合い
株式持ち合いとは,2つ以上の企業が相互認識の上,お互いの株式を保有している状態をいう。株式持ち合いは,安定株主の形成(敵対的買収の防止),企業のグループ化,企業間取引による経営の安定化などを目的として行われてきた。
株式持ち合いのメリットは,メインバンク制のように経営に関与(介入)することや過度な利益要求などが起こりにくく,安定的に企業間の関係維持ができることにある。また株式持ち合いによる企業グループの形成は,資材の調達などにスケールメリットをもたらすことにもなり,両社の収益向上に寄与する点もメリットといえるだろう。
と記されている。
前号でも述べた通り,近年のコーポレートガバナンス改革について極めて批判的な論者の一人として加護野がいる。加護野(2014)は1990年代後半から始まったいわゆる英米流の株主第一主義を掲げ,それを目標とするコーポレートガバナンス改革は,伝統的な我が国の企業の経営の良さを否定する間違ったものであると断じている。
【319頁】再掲となるが,株式持ち合いについても,短期的な視点で,配当や利益還元を要求する株主の期待に応えることは,決して長期的な会社の発展や戦略の遂行にとって常に好ましいものではない,と加護野は述べる。仮に会社は株主のものであったとしても,短期的な視野にとらわれている株主の意向に経営者が強く左右されることは,従業員をはじめとする他の利害関係者にとっては望ましくない。そうした悪影響を避けるための方法が友好関係にある企業同士が株式を相互に持ち合うことであった。当初,相互持合いは1960年代に外国資本の買収から日本企業を防衛する手段として採用されたものであったが,日本企業の長期的な視点からの経営に貢献したものとして評価できるとしている。それにも関わらず,昨今のコーポレートガバナンス改革はその良い部分を消し去ることにつながっているという。ただし,江口(2011)は,株式持ち合いは不透明で不公正な方法であり,種類株式の発行や機関投資家との連携によって,必要であれば経営権の安定を確保すべきだと主張しているのは前号の通りである。
また,この主張に対しては,例えば,株式持ち合いは,実質的な資本の増強につながらず,また企業間競争を阻害するする可能性があり,独占禁止法上の問題を抱えているという主張もあり,会社法上は,持合いによって一般株主の権利が,特に少数株主の権利が無視されがちであるという問題を指摘する向きもある。
これらは加護野が主張・提案する,あるべき,あるいは望ましい「加護野の長期連帯株主」の概念にひとえに従った議論である。
加護野によると3),2010年をはさんだ時代の持ち合いは銀行を中心としたものではなく,取引相手,戦略的連携関係にある企業間,経営者同士の信頼関係のある企業間でお互いの株を持ち合うという形で進められている4)。持ち合いの目的ははっきりしないが,持ち合いは,前述のように経営者同士の暗黙の了解のうえに成り立っている。その暗黙の了解とは,まず,大きな事情の変化がない限り相手先企業の株式を保有し続けるという了解である。また,その株式を,相手先企業の了解なく売ることはしないという了解もある。それだけではなく,議決権行使に関しても,経営陣を支持するように行使するという了解もある。これらの了解は無条件に守られるのではなく,相手の経営に誤りがあると見なされれば,了解に反した行動がとられることもありうる。その条件を事前に特定できないから契約書は取り交わせないのである。日本の産業社会にはこのような書かれざる契約関係が多い。終身雇用も,長期的な取引関係も,そこからの離脱はありうるが,その条件を事前に特定できないから書面の契約書にはできないのである。
持ち合いのメリットとデメリットに関して言えば,たしかに,持ち合いは株主の利益にそぐわないと思われる側面もある。
まず,持ち合いは,株主の必須の権利である議決権を形骸化させる恐れがある。株式は,その所有者に,利益分配を受ける権利,清算後の残余財産の分配を受ける権利と並んで,株主総会で議決権を行使する権利という3つの権利を与える証券である。このうちの第三の権利が形骸化すれば,株主の権利が侵害されることになる。とくに,持ち合い株式の比率が高まれば,持ち合いに参加していない株主の権利は侵害されてしまう。持ち合い株の比率が過半数を超え 【320頁】 ている場合には,一般株主の議決権はないと考えてもよいほどだ。
第二に,持ち合いは,市場における価格形成をゆがめる可能性がある。市場では,それぞれの参加者が自己の利益だけを考えて行動する場合に,もっとも正しい価格が形成される。それ以外の目的を持つ参加者が入ってくると価格がゆがめられる可能性がある。第三に,かつて指摘されたことだが,持ち合いは配当の過剰支払いをもたらす可能性がある。それが株主にとってデメリットかどうかは議論の余地があるが,配当政策をゆがめる可能性は否定できない。
ただし,以上のような欠点ばかりでなく,持ち合いは,株主にメリットを与えることもある。
第一に,持ち合いは,経営者の相互監視機構としての性質を持っている。持ち合い関係に入るに先だって,経営者は,相手側企業の評価を行う。これまでに良い経営が行われており,今後も良い経営が行われるかどうかを評価し,信頼できる企業と持ち合い関係を結ぼうとする。良い経営が行えない企業と持ち合い関係を持てば,持ち合い関係は持続できないからである。このような相互評価は,持ち合い関係が形成されてからも継続的に行われている。一般の株主とは違って,取引関係あるいは比較的近い関係にある企業の経営者の間での相互監視は,より効果的である。互いにより良い情報を持っているし,評価する側もされる側も経営のプロであるから情報の交換は効果的だし,それをもとに行われる評価は正確である。多くの場合,市場での評価も参照される。一般の株主は,このような経営のプロに監視と評価を委ねることによって利益を得ることができる。それだけではなく,その評価の結果を参照することによって,より的確な判断をすることもできる。持ち合い関係を維持できなくなったということは,一般株主にも重要な情報となるからである。
第二のメリットは市場での流通株を減らすという効果である。株主にとって持ち合いは自社株買いと同じ効果を持つのである。
第三のメリットは,会社の長期的な利益とはつながらない経営を行う可能性を持つ敵対的買収から会社を守るという効果も持っている。このような買収防衛は,企業を取り巻く多様なステークホールダーの利益になり,最終的には,株主全体の利益にもつながる。この点についてはとみに強調されつつあり,昨今のM&Aにおいても取り沙汰されているところであることは知られている。
第四に持ち合いは,株主のモラルハザードを抑える効果を持つ。株主は,有限責任の所有者である。有限責任とは,出資分以上に会社の負債支払いに対しては責任を負わないという責任の限定である。この有限責任は,株主のモラルハザードを生む可能性がある。会社の利益の過剰な配分を要求してしまう可能性があることである。会社に利益を留保しておけば,それは負債の支払いに使えるが,利益を株主の手元に配当として支払ってしまえば,それは負債の返済に使われることはない。このモラルハザードを引き起こす典型は,グリーンメーラーである。保有した株式の影響力をもとに,その発行会社や関係者に対して高値での引取りを要求する者をグリーンメーラーというが,そこで使われる「グリーンメール」は,仕手の一種として,狙いを定めた企業の株式を多数保有した後,その株式の議決権行使において,経営者に圧力をかけたり,当該株式を経営陣が好ましいと感じない他者に転売することを選択肢として提示したりすることにより,企業を「脅迫」し,保有株式を高値で買い取らせて大きな利益をあげる手法である。一昔前の「総会屋」が資金を得て行える行為で,モラル的には「経済犯罪」と呼ぶ者もいた。
このような持ち合いの「メリット」を引き出すためには,持ち合い関係は正しく,あるいは 【321頁】 成功裡に取り扱われなくてはならない。互いの経営状態についての継続的な学習が必要だし,持ち合い株の比率が「過大」にならないようにすることも必要である。バブル経済の時代,銀行を中心とする持ち合いがうまく機能しなくなって,銀行を規律づけることができなくなったのは,持ち合い株式の比率があまりにも高まりすぎたからである,とされる。
このような加護野の主張は,現代において,まさにこれにつきる,ということができる。再掲になるが,前述の「戦略的持合い」に反対する株主は,実際はあまり多くないだろう,と筆者らは今も考えている。そして,ここが非常に重要なのだが,日本的文化の特徴として,このような「戦略」はおおっぴらに声を大にして周りに,あるいは競争相手のいるマーケットへ直接アナウンスするものでないことは,今や日本の経済に関係する者ならすべてが同意しているものである。すなわち,コンペティターたちが群雄割拠している世界で,すべての手の内をペラペラと公表する会社は,普通はない。
こうして見ると,おそらくアメリカの教科書などを見てある意味イージーに策定したとみられる東証コーポレート・ガバナンス・コード,そして筆者は「闇雲な経済前進政策」ととらえている「アベノミクス」なる代物は,現実を直視せず,実は前提条件だらけの教科書を機械的に真似て推し進めようという,とんでもない行いである,と思われるのである。つまり,「持合いを制限すれば我が国企業のコーポレートガバナンスが改善される」などという,はっきり言って完全に理解不足の議論は,まさに「勉強不足」の帰結であり,持合いが持つポジティブな効果にこそ,将来の発展のためには目を向けるべきだと,心ある経済人は考えていると,筆者らは思っている。
浜 矩子氏による「アホノミクス」論では,アベノミクスと称する様々な政策について詳細に批判を展開している。衆知の通りこの種の議論は一概に成否・正誤を断じることはできないが,海外から持ち帰った「正論」をそのまま我が国に持ち込むことの危険性については,もっと認識する必要があるだろう,ということは,間違いなく言えると,筆者らは考えている。
3.2.4 日本的経営のメリット再評価と株式持ち合い
こうして見てくると,次のような結論へ導かれるであろう。
まず,日本的経営の本質的価値を見直そう,ということである。日本的経営は,長期的な視点に立ち「人」を大切にするという,日本社会の価値観を反映した経営の考え方であり,特徴として,企業別労働組合・年功序列制・終身雇用が挙げられてきて,また「人本主義」という言葉も,究極的にはそれを踏まえたものと言えるであろう。
これらの慣習が持つメリットは,今日までの日本経済の発展を支えてきた企業経営の重要なベースであり,普遍的な価値を持つといえると考えている。とりわけ効率化や合理化(だけ)が強く求められる現代において,日本的経営の本質的な価値を見直すことが広く進められるべきであると筆者らは考えている。これはまさにグローバル化とかアメリカ的市場経済などの「先進的(あるいは単純な「教科書的」)」な発想だけによる現実への取り組みに一石を投じるもの,と言うことができると思われる,非常に貴重な指摘であると考える。
株式持ち合いは,企業間の結束を強める重要な方法のひとつであり,業績へのリスクを共有し,長期にわたった強固な関係を築く役割がある。株式持ち合いの合理的な理由が求められるようになり,株式持ち合いを解消する企業が増えているが,それはまさに一面的な「グローバル化」,そして安易な教科書的「経済合理性」の概念に基づく思い付きから発生する強制によ 【322頁】 るものであると考える。特に後者(安易な教科書的「経済合理性」の概念)は様々な前提条件に基づく,あるいはそれらの成立の下に実現可能な議論であることは,実はあまり理解・認識されていないようで,誠に遺憾かつ改めるべきものであると言える。
前節で検討したように,金融資本市場における企業間の株式の相互持合いも日本的経営の特徴の一つであるとして,そのメリットやデメリットが指摘されてきたが,完成品や部品の市場での取引のあり方にも欧米とは異なる日本的な特質が指摘されてきた。企業間の取引は,完成品メーカーが部品や資材を調達するサプライヤーシステムと完成品メーカーが卸売業者や小売業者と取引をする流通システムの両面から構成されるが,以下では前者のサプライヤーシステムを中心に日本の取引慣行について,どんな問題が指摘され,どのような評価を受けてきたのか,そして将来展望について考察を加えていきたい。
4.1 日米構造協議
1980年代後半,わが国の歴史的な貿易黒字,一方におけるアメリカの膨大な対日貿易赤字を前にして,アメリカはわが国の経済システムの在り方や政府と企業との関係,個別の企業行動や企業間関係について,英米流の自由な競争市場経済とは異なるのではないか,との疑念を深めた。80年代は自動車産業をはじめとして,電気・電子機器産業が急成長し,鉄鋼業も隆盛を極め,日本のものづくり経営が世界を圧倒した。そのため,特にアメリカとの間で貿易摩擦が生じ,その結果1985年のプラザ合意をきっかけに円ドル相場の水準の訂正が進み,歴史的な円高水準になった5)。円高は輸出産業の交易条件を悪化させ,日本企業は困難に直面したが,それにもかかわらず,日本企業は経営の様々な局面における工夫と努力によって,その難局を克服した。
しかしながら,日本企業の経営努力の表れの一つである日本市場における企業間の取引慣行や仕組みなどは,外国企業の参入を阻む障壁とみられた。日本側からすれば,例えば,大企業と中小企業のいわゆる系列下請け関係も製品の価格や品質,サービスの面での競争力の向上を図る必死の経営上の工夫であり,特段の問題がないとの認識もあったが,海外からは必ずしもそういう視線では見られなかった。
1989年に開催された日米構造協議では,日本の経済や企業活動の在り方について,多くの問題点が指摘され,改善が要求された。マクロ経済面では貯蓄と投資のアンバランスが問題視され,公共投資の拡大が求められた。産業政策では,大規模小売店舗法の見直しが要求され,ミクロの企業行動では,排他的取引慣行そして系列問題が検討対象とされた。企業の生産・流通過程における垂直的なものやサービスの流れの中における閉鎖的な企業間の長期継続的な関係が問題とされた。そうした関係が海外企業の参入を阻み,アメリカの貿易赤字の一因とされたのである。
1970年代以降の日本経済の成長は刮目すべきものであったが,理由の一つに,「日本的経営」 【323頁】 の良さにあるとする見方があった。いわゆる3種の神器(終身雇用,年功序列,企業別組合)を核とする独特の経営手法であるが,それは市場における自由な競争と参入・退出を基本とする新古典派的な経済学からすれば,異端であったともいえる。前稿の手塚・小山(2021b)で検討したように,この経営の在り方は,企業の構成員間の長期的関係,連帯,情報共有などを重要な要素として成り立つので,否応なく閉鎖的なシステムとならざるを得ない面がある。日本的経営は典型的には,企業内の雇用や労使関係にかかわるが,実は企業と企業の関係,つまり市場と組織の境界問題とも深く関係している。雇用関係と企業間関係は日本の企業経営の特徴を表す対をなす現象なのである。
まさにこの日本的経営の特徴が,日米構造協議で貿易収支というマクロ経済問題と結びつけられて非難された。その批判が妥当なものであったかどうかは議論の余地があるが,この節では,日本企業の企業間関係や取引慣行の特質とは何か,改めて検討していきたい思う。英米流の企業間関係や取引と比較してどんな特徴があるとされたのか,それは合理的・効率的なものであったのか,どんな問題点が指摘されていたのか,現時点でどのように評価されるのか。新制度派経済学,とりわけ取引コスト理論の知見を踏まえながら,議論を展開していきたい。
4.2 日本の企業間取引の特徴―系列下請け関係を中心に
4.2.1 日本の企業間関係の分類
市場機構を基盤として経済活動や企業活動を展開する資本主義諸国においては,企業間の取引は,基本的には価格をメルクマールとして市場を通じてなされる。企業と企業の取引関係は,アームズレンスの距離をおいて,自立した企業の意思決定に基づいて形成される。企業間の共謀や談合は資源配分を歪め,非効率な結果もたらすので認められないのが原則である。取引は一回ごとに清算され,取引相手は常に数多く存在することが基本的には望ましい。そのために,市場への新規参入は容易であることが必要である。これが教科書的な市場経済の世界であろう。アメリカ経済はこの理念型に近い形で運営されてきた。
これに対して,日本の状況はかなり異なっていた。わが国の経済活動において1960年代に注目を浴びていたのが,6大企業集団と呼ばれる巨大企業グループであった。三菱グループや三井グループなど戦前の財閥の流れを汲む大企業間の結びつきが日本経済に大きな比重を占め,それは独占的地位を占め,経済的影響力が甚大あるとの議論が展開されていた6)。そこでは相互に株式を持ち合い,集団としての結束を誇っていたと言われる。この企業集団には当時の都市銀行を中核に多角的・水平的な様々な業種に跨る企業が参加し,日本の代表的な企業が定期的に社長会を開催し,さまざまな情報の交換が行われていた。この企業集団が日本経済においてどのような役割を,どの程度果たしていたのかについては,宮崎(1976)の研究をはじめとして,一般的にはその経済的影響力あるいは支配力は強大であったとする見解が有力であった。しかし,三輪=ラムザイヤー(2001)はそうした通念に鋭い疑問を提示している。研究対象となっている企業集団それ自体の定義の曖昧さや,そこに所属することから得られる利益などに疑問をなげかけている。
次に,こうした多角的な企業集団とは別に,日立やトヨタなどの巨大メーカーを頂点に多くの部品・加工サービスを提供する企業群が階層的に取引を行っている系列下請け関係と呼ばれ 【324頁】 る,一連の生産段階を結ぶ企業間の垂直的な関係もわが国の経済構造を特徴づけるものとみられていた。
とりわけ,わが国経済が急成長を遂げた時期には,この系列下請けとの継続的かつ長期的な企業間取引の果たす役割が大きかったと言われる。この点については,次節で詳細に議論するとして,企業間の垂直的関係としては流通機構におけるメーカーと商社や小売店との関係もあるが,その関係にも長期継続的な色濃い業種も観察された。この意味で,日本の経済活動においては,自由で競争的な市場経済といいながら,欧米諸国に比していわゆる「見えざる手」による調整に委ねられている部分に比べて,「見える手」による調整の占める割合が目立っていたのである。
企業集団も含めて,企業間の関係を広義で系列と呼べば,今井(1992)によると,大別して,次のように分類できる。
1.財閥型企業グループ 緩く多角的に結びついた企業間関係であり,有力銀行がメイバンクの機能を果たしている,企業の集団。
2.独立型企業グループ 日立,トヨタのような有力な大企業を核として形成される関連企業のグループ
2の独立型のグループはその発展過程に着目して,さらにいくつかの小グループに分けられる。今井によると,2のタイプはどこの国にもみられるものであるが,1のグループはわが国に独特な存在である。1の財閥型の企業グループは,戦前の日本の歴史と結びつけて,その影響力が喧伝されてきたが,上述の三輪・ラムザイヤー(2001)が指摘するように,その実質的な機能はあまりなかったと思われる。企業集団外の企業との取引も行われていたし,そもそも経済合理性を欠いて集団内取引を優遇するような関係が利益や成長をもたらすとは考えにくいのである。
日米構造協議では両者とも系列(keiretsu)と呼ばれ,わが国の抱える閉鎖性を象徴する経済の構造問題として批判を浴びた。そうした評価が的確であったかどうかは,個々のグループの機能や役割に立ち入って検討する必要があるが,ここでは2に属するグループの垂直的な生産系列を取り上げことにしたい。この企業グループはどこの国にもみられると言われるが,その広がりや果たした役割の大きさといった面では我が国は抜きんでていたと思われるのである。
4.2.2 垂直的取引関係―系列下請け取引
1)伝統的議論とそれへの批判
そうした点を踏まえれば,わが国の企業間関係の特徴の一つに,系列関係を通じて取引が長期的になされ,継続的に行われていることを挙げてよいであろう。代表的な産業がトヨタや日産といった大企業を頂点とする自動車産業である。自動車産業は,最終製品の組み立てを担う大企業の傘下に一次,二次,三次・・・といった形で系列下請け企業がピラミッド状に階層をなしており,部品の供給,加工サービスの提供が連鎖的に行われている。
頂点に立つ企業は,親企業と呼ばれ,下請け企業は親企業から注文を受けて,生産加工をして,部品やサービスを提供する主として小規模の企業を指すのであるが,かつてはそこにおいて親企業からの収奪や搾取によって,交渉力の劣る下請け中小企業の状況は悲惨であることが指摘されてきた。
それがわが国企業や経済の急発展の陰に存在した二重構造問題である。この問題はマルクス 【325頁】 経済学の影響を受けた中小企業研究者がこぞって問題としていたところである。つまり,中小下請け企業の犠牲の上に,親企業の成長,さらには日本経済の発展が成り立っているというものである。買いたたき,取引の一方的停止,不当な値下げ要求,しわ寄せ,などが横行していたというわけである。この議論は,マルクス経済学的視点から展開されており,その理論的図式から独占的大企業と中小企業の支配従属関係をある意味,当然のこととしていた。
しかし,そうした大企業の専横がどの程度許されていたか,あるいはそもそも可能であったか,次第に疑問も呈されるようになった。伝統的な議論は,系列下請けを一括して弱者として位置づけ,技術力も劣り,労働条件が劣悪で,企業利潤も低いとしてきたが,生産現場を観察した研究者によって,実態は必ずしもそうではなく,成長する中小企業,技術力の確かな中堅企業も多く存在することが明らかになってきた。三輪(1989)は,1970年代以降の大企業と中小企業の利潤率を比較し,後者の利潤率が一貫して高かったデータに基づいて,搾取と呼ばれるような現象はそもそも存在しなかったのではないかと主張した。それに対しては,果たして利潤率だけをみて,中小企業の置かれた状況を判断してよいかどうかとの反論は可能であろうが,弱者としてだけ中小企業を捉える見方には限界があることを示していると言えよう。
また,浅沼(1997a,b)は系列下請け関係について,中核企業7)とそのサプライヤーとの関係と捉えなおし,系列下請けという言葉に含まれる従属的観念を排除して,その実態を丁寧な現場調査で明らかにし,自動車産業における部品取引構造に新たな光を当てた。
彼の分析は,中核企業と一次系列メーカーとの関係が想定されており,系列下請け関係全般に妥当するわけではないが,伝統的議論では見えなかった系列取引の側面が明らかにされた。
自動車産業で取引される部品は,一般に3種類に分類される。一つは,市販品と呼ばれるもので,購買市場において市場価格で入手できる部品であり,とりたてて,特定のメーカー向けにしつらえる必要性のない汎用品である。これを供給する会社には,規模の大きい会社もあり,下請けとは呼ばれないのが通例である。
次に,特定のメーカーの製品,あるいはモデル向けにしつらえる必要のある部品,半製品がある。これを供給する方式として,2種類あるという(図表1参照)。一つは貸与図企業を通した方式で,もう一つは承認図企業を通した方式である。前者は中核企業が設計図を与え,それに沿って,部品を製作する。設備や工具も与えられることが多く,実質的に中核企業の指導にそのまま従う。その意味で,自律性に欠ける企業ともいえよう。それに対して,後者は中核企業の要請に応えて,サプライヤーが部品の設計を行い,部品の製造もする。中核企業の特定の製品やモデルにだけ使える設備に投資し,生産することが要求される。この際,中核企業とは部品の設計段階から協力し,指導,援助を受けたりしながらも,次第に技術能力を蓄積し,自立していくケースもある。いずれにしろ,中核企業とサプライヤーの関係は長期継続的な取引となることが一般的である。
【326頁】こうした関係を通じて,中核企業とサプライヤーはともに成長してきた。一方的に搾取が行われたとか,不況期においてサプライヤーをバッファとして位置づけていたとか,支配従属関係にあったかという視点からは捉えられない現実があったのである。継続的取引といっても無条件に継続されるわけではなく,当然のことながら,複数発注の仕組みを織り交ぜながら,サプライヤー間の競争を促しつつ,効率性や経済合理性が貫徹させていたのである。それでは,こうした長期継続的取引はどんな条件のもとで、有効でありえたのだろうか。
取引コスト理論によって,その理論的根拠を探ってみよう。
2)取引コスト理論による説明
企業と企業との関係をどのように設計するのかという問題は,市場と組織の境界問題と言い換えることができる。新古典派的な経済学の市場観によれば,価格をメルクマールとするスポット市場による資源配分によって,効率性が達成される。極端に理想的なケース,完全競争の条件が満たされる場合には,市場ですべての資源配分が行うことも可能であるはずである。しかし,コース(1937)がかつて論じたように現実の市場を利用するには,さまざまなコストがかかる。市場は不完全であり,人間の合理性には限界がある。そこで,市場に代わるヒエラルキーが登場する。ウィリアムソン(1975,1985)が指摘するように,取引コストの存在が階層組織を誕生させることになる。
経済システムを構成する多様な制度の優劣を規定する有力な要因が取引コストというわけである。取引コスト理論あるいは新制度派経済学が1970年代に登場し,経済学や経営学に多大の影響を与えてきた。当初は,企業という組織はなぜ存在するのかという,ある意味極めて素朴な疑問に対する答えを見つけようとするものであった。その答えは,ごく単純に言えば取引コストの存在であり,市場の機能不全に対抗して成立する制度が組織であった。従って,市場か組織かという2分法に基づき,市場が効率的でなければ,垂直統合を行って企業内部に取引を取り込むことになる。当初は,市場において長期継続的な企業間の関係が続くということは,基本的には想定されていなかった。あるいはそうした関係は望ましくないものとみなされていた。
【327頁】ところが,日本経済や企業が急成長する過程で,生産面においても,流通面においてもまた金融資本面においても,企業間の関係がアメリカに比べて濃密で,継続的で,長期的であることが観察され,認識されてきた。こうした取引の在り方は,スポット的市場をメインとし,スポット的な市場が機能しない場合には,垂直的統合による階層組織がそれにとって代わるのが標準である欧米からは異質とみられてきた。しかしわが国では,自動車産業や電機,造船業などにみられたように,幾重にもわたる系列下請け企業が部品,加工サービスを提供するという体制ができていた。これは純粋な市場とも,統合とも異なる企業間の取引であった。なぜこのような関係が継続するのか,そしてそれは効率的であるのか。
これについて,伊藤(1989)次のように説明している。単純な市場取引ですべてうまくいくのであれば,長期継続的関係は必要ない。しかし現実にはそうはいかない。なぜか。一つには取引される部品が標準的でない場合である。このとき複雑な財について,その性質・仕様を明確に契約に落とし込んで,結ぶのが難しくなる。また仮に締結できても,契約後に取引を停止されるなどの,裏切り行為があれば,投資したサプライヤーは損失を被る。裏切り行為でなくとも,環境が変わったことによって,当事者が協議する必要が生じることもある。人間の合理性に限界があれば,それは避けられないことである。そうした場合,短期的な関係であれば,その当事者は利己的に一時的な利益の獲得に走るが,ゲーム理論の成果が示すように,継続的関係であれば,長期的な利得の最大化を考えて,行動することになろう。
また,企業特殊的な投資が必要な場合,自動車産業でいえば,市販品以外の部品については,投資した金額の回収には一定期間の時間が必要であり,その間の契約が順守される必要がある。この契約は必然的にすべての契約条項を規定できない不完備なものにならざるを得ないが,そのため長期的関係が要請される。これは法律の世界では関係的契約と呼ばれるものであり,契約の締結や解釈意味づけは社会的な背景や文化の中で行われる必要が出てくる。そこでは,酒向(1997)の言う信頼8),特に善意による信頼が大きな役割を果たすことになろう。日本は,同質的な民族で構成され,島国であるという地政学的事情もあって,信頼が長い年月をかけて蓄積されており,そのためもあって継続的関係が特に有効に機能してきたといえるのではないだろうか。ただし,それはもちろん完全に機会主義的行動を阻止するものではなく,逸脱の誘因は常にあるともいえる。そこで,利害の共通性を高めるため株式の相互持合いや協力会が形成されたと考えられるのである。
取引コストを規定するのは,取引環境と人間の合理性の限界によるのであるが,どのような統治構造が効率的であるかを左右する要因としてウィリアムソンが特に強調したのは,投資の非可逆性や資産特殊性である。資産の特殊性がなければ,市場を使うコストは安くつくので,すべて市場に任せればよい。資産の特殊性が高まるにつれて,より複雑な統御機構が必要とされるのである。前項で記述した承認図の部品にしろ,貸与図の部品にしろ,系列下請け企業が担っているのは,中程度の資産特殊性を有する部品であり,市場とヒエラルキーの中間的統治構造に適合的なのである。
この議論は基本的には取引コスト理論に基づくものであり,今井他(1982)の内部組織の経 【328頁】 済学で展開された議論と通底している。市場にも階層組織にもそれぞれメリット,デメリットがあり,取引環境や取引される財の特質によっては,両者の中間的な形態,統治構造も合理的であり得るのである。日本的な系列下請け関係とはまさにこの中間形態,ハイブリッド形態あるいはネットワークに該当すると考えられる。
3)系列関係の評価
こうした見方からすれば,一定の条件の下で中間的な組織,あるいはネットワークは効率的であり,知識や技能の蓄積にも貢献してきた。従って,どの国もおいても企業間の長期継続的関係は経済合理性があると考えられる。それがなぜ日本において顕著にみられるのかという点に関してはおそらく歴史的な要因,文化的要因が大きいのであろう。戦後の壊滅的状況にあって,資金的にも人材面でも大企業がすべての部品の生産,加工工程を自社で行うことは能力的にできなかった。そこで中小の地場企業を指導育成し,運命共同体的に産業の発展を担うことになった。自動車産業についてみると,アメリカではむしろ逆にその初期において利用可能な部品企業が存在せず,組み立てメーカーが内製せざるを得なかったという歴史的事情があった。
緊密な企業間関係がどのような時期に,どのような産業で形成されるかは,経済的要因もあるが,歴史的要因もあり,偶然の要素も大きいと思われる。一旦,形成された関係が続くためには合理性・効率性がなければならないが,それが確保されていれば,よほどの技術的変化がなければ続いていくとになろう。戦後の我が国における系列関係,長期継続的取引慣行はその条件を満たしていたと推認される。
4.3 近年の展開
1980年代から1990年代にかけて,日本的系列取引,もう少し広く言えば日本的な企業間関係を巡って大いに研究の蓄積が進んできた。それは概ね,欠点はあるものの,日本的企業間関係の効率性,経済的合理性を主張した。それを支える根拠は様々あるが,生産面からの技術的根拠は,自動車産業に典型的であるが,取引対象となる製品がすり合わせ型(インテグラル型)の特徴を有するということであった。厳しい品質設計,工程管理,納入時期の管理が自動車産業の競争に勝ち抜くための必須条件であり,それを最高度に推し進めたトヨタのカンバン方式はその代表的な生産方法であった。それはリーン生産方式としてアメリカでも,徹底的な研究がなされ,1990年代を通じて,浸透していった。
ただし,まさに,その時に,皮肉にも系列ないし長期継続的取引の見直しが経営不振に陥っていた日産自動車によって進められた9)。閉鎖的な取引関係がぬるま湯的な相互依存をもたらし,経営の効率性を損ねているとの見方から,ゴーン社長の下で系列の見直し,再編成が行われた。系列から外される会社も数多くあり,全世界を対象として最適購買のスローガンの下に厳しい調達戦略が展開された10)。こうした見直しは,自動車産業だけでなく,電気・電子部品 【329頁】 産業においても進められ,固定的・継続的な取引相手を対象とする購買行動は徐々に変わり始めた。その背景には,製品のモジュール化11)という流れがあった。モジュール化とは複数の構成部品から完成品が作られ,部品間の接合はインターフェイスを通して行われるような設計思想である。そのため,部品を組み立てるのに微妙な,そして複雑な調整が必要とされなくなったのである。この技術的な変革は,中核企業とサプライヤーの間での綿密な調整や情報交換を不要とするものであった。こうした事態が系列関係をどのように変えていくことになったのか。最近の調査を見てみよう。
2017年発行の『商事法務』に日本私法学会シンポジウム「「日本的取引慣行」の実態と変容」に提出されたいくつかの論文が掲載されている。そこでは,自動車産業,電機産業,システム・インテグレーション産業に絞って,質問紙調査とインタビュー調査を試みている。
問題意識はそれらの産業において,日本的取引慣行と言われる長期継続的取引関係があったかどうかの確認,それは現在も認められるか,近年どのように変化したか,変化したとしたらその理由は何か,またそれにともなって契約の在り方は変容したか,といった点である。宍戸(2017)は,関係特殊的投資の重要性と取引当事者の同質性という観点から日本的取引慣行とアメリカ的取引慣行を抽出している(図表2参照)。日本的取引慣行は関係特殊的投資が重要な産業で観察され,契約はあまり詳細にはなされないという特色を有している。これに対してアメリカ的取引慣行は,関係的特殊資産の重要性が少ない産業で,取引当事者が非同質性の状況で,契約はフォーマルな形で詳細になされるという特色をもっている,と論じている。
この調査によれば,産業によって異なるが,日本的取引慣行は確かに存在したのであり,契約の仕方においても日米の差がある。ただしそれは固定的なものではなく,技術革新,特にモジュール化という現象が,企業間関係にかなりの影響を及ぼしているようである。モジュール化は取引慣行に影響を与えていることは間違いなく,自動車産業ではまだすり合わせが重要であるが,他の産業では事情は少し異なっており,市場取引的要素が強くなっている。ただし,それにもかかわらず,契約の詳細さなど,契約のあり方は大きな変化は見せていないのが実態であり,これが日本の特徴といえるかもしれない。
次に,金(2021)は,図表3に示されているような市場性と組織性の絡み合いという視点から我が国の企業間取引を自動車,工作機械,鉄鋼業などについて戦前からの長いスパンの調査で,その特徴を明らかにしている。それぞれの産業は素材,部品,資本財といった性格が異なり,また取引を構成する企業も大企業と中小企業だけではなく,大企業間の関係も含まれており,企業間関係の分析として従来の研究とやや異なった,広い角度から分析を加えている。さらに,自動車産業の歴史を踏まえた日米両国の比較分析もなされている。
そこでの結論をごく単純化していえば,企業間関係における日本的な特徴は通常,金(2021)の表現を使えば,組織性に求められることが多いが,必ずしもそれは日本企業や産業に特有なものだとは言えない。アメリカでも組織的取引はかなり広範囲に観察されるのであり,日本独自の現象ではないということである。企業間取引において,市場に近い短期的な関係から,組織に接近した長期継続的な関係まで,ある種スペクタクルをなして並んでいるのであり,どの国においても,またどの時代においても,市場のケイパビリティの賦存状況や利用可能性を踏まえながら,合理的に選択がなされていると主張している。
一般に日本企業の企業間関係の特徴について,系列,企業集団といった組織的な紐帯を強調する議論が多く,それが経済合理的であったとする。ただし,戦前においては,日本においても市場的な短期的関係が主流であった産業もある。その観点から見れば,戦後の日本的経営ないし日本的取引慣行が伝統的であるともいえないかもしれない。伊藤(1989)が言うように,それは戦後の経済の高度成長という条件が支えていたともいえる。
日本的取引慣行の弱点は,その閉鎖性にあるのであり,近年ではその閉鎖性故に,技術変化に対応できない,グローバル化の妨げになるデメリットとして批判されることも増えている。しかし,実際には過去においても現在においても,組織的に企業間関係を編成するだけでなく,一方において市場的取引の側面も強くみられたのである。成長した企業はその両者の良さを巧みに取り入れ,発展できたのであり,その点においては日米企業の差は一般に言われているほど大きくはなく,金(2021)は類似性が高いと主張している。
4.4 小 括
長期継続的企業間関係は,自動車産業を典型に高度組み立て産業を支えた日本企業の強みであった。それに対して,その分業構造を搾取的であるとする批判的議論もあった。しかし,日 【331頁】 本的な企業間関係は経済合理性・効率性に裏打ちされた仕組みで,大企業だけに有利であったのではなく,リスク分担の在り方をみると実は系列メーカーにもメリットはあったのであり,肯定的な評価を下すことができると筆者らは考える。それは一定の技術的条件や経済環境,労働環境に支えられたものあったと言えよう。
インテグラル型の設計思想で作られる製品は,部品や加工サービスなどサプライヤーとのきめの細かい連携が大切である。その際,企業特殊的な投資に伴う機会主義的行動を阻止することは,密接な企業間関係の構築の重要な理由であった。しかしながら,将来展望としては,部品や最終製品のモジュール化が進むと,これまでのような長期継続的な取引関係のメリットは薄れていくかかもしれない。ただし,仮にそのような性質を有しないものであっても,不確実性の高い環境の中での取引であれば,長期継続的な関係の有用性は,今後も存在する場面は多々あると思われる。デジタル・トランスフォーメーションへの対応が課題となり,プラットフォームやエコシステムの形成が隆盛を極める中,サプライヤーとの開かれた企業間のネットワーク関係,市場的関係と組織的関係の融合や戦略的使い分け,そして技術蓄積や相互学習を可能とするダイナミックな企業間関係の構築が要求されることになるだろう。
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