3頁】

 

現代の「日本的経営」論(4)

 

手塚 公登・小山 明宏

 

1. イノベーションと日本的経営

1990年代以降,我が国の経済は低成長に直面し,企業業績も大きく低迷することになった。図表1にあるように,一人当たり実質GDPの推移をみると,2000年代に入ると,回復の動きがみられたものの,OECD諸国の平均に比べて大きく下回っている。1980年代を通じての,日本経済および日本企業の隆盛は,世界を驚かせるものであったので,強い表現を使えば悲惨ともいえる状況に陥った。その理由をどこに求めるか,少子高齢化や生産年齢人口の減少といった社会構造問題か,国の経済・金融政策や産業政策か,企業の投資行動や経営戦略か,あるいはより広く教育問題か,様々な議論があり得よう。おそらく多様な要因の複合した結果が失われた10年,あるいは20年,さらには30年と呼ばれる,今に続く我が国の低迷を生み出したのであろう。

このような日本の成長率の低下の背景には,資本および労働といった生産資源の伸びとそれがいかに効率的に生産活動に用いられたかを示す生産性の伸びが鈍化したことがある。生産性の伸びは企業の研究開発への投資やイノベーション活動と深くかかわっていると考えられる。

4頁】

そこで本稿の前半では,この間の日本企業の研究開発やイノベーションへの取り組み方に関してどのような問題があったのか,新しい産業や事業を生み出す動きがなぜ不十分であったのか,情報技術の進展やデジタル化などの技術環境の変化にどうして適応できなかったのか,検討していきたい。まず,企業経営に大きな影響をおよぼす技術動向にどのような変化が生じたのかを論じ,そうした変化に適応できなかった原因として,これまで筆者らが論じてきた日本的経営の特質はどのように関係するのか,今回は特に意思決定方式との関連も踏まえて考察していきたい。

 

1.1 技術環境の変化

1)アーキテクチャへの注目

1990年代において,企業の生産活動に多大な影響を与えた生産技術面における変化としては,製品の設計思想(アーキテクチャー)上の変革が注目に値する。この変革は,日本企業の独壇場であったエロクトロニクス産業で優位性を失っていくことになる一因となったといえる大きな動きであった。アーキテクチャには大別して,モジュール型とインテグラル型がある。モジュール型とは,製品システムを構成する要素を独立させ,それぞれの要素をインターフェイスを通して結合させることで,製品を完成することができるようにした生産方式である。サブシステム間の細かな調整を必要とせず,事前に個々の部分の結びつき方を決め,容易に組み立てが可能となる方式である。この方式は,個々の部分の接合の調整を組み立ての現場で行うインテグラル型とは異なり,生産工程間での微妙な調整や同期化は不要とされ,日本企業が得意としてきた現場での熟練技能や細かなコミュニケーションを要求しなくなった。

アーキテクチャをモジュール型とするか,それともインテグラル型とするか,またモジュール型とする場合,そのインターフェイスをオープン(公開)にするのか否か,といった選択は単に製品の基本設計の考慮にとどまらず,組織と戦略の基本設計の考慮とも関係してくる(沼上(2006))。モジュール型製品の場合,パソコン産業で見られたように,キーとなる部品をデファクト・スタンダードにすることで,一人勝ちを収めることが可能である1)。組み立て自体は,インターフェイスを通じて簡単にできるので,高い能力は必要とされない。従って,自動車産業で典型的にみられるような,現場におけるモノづくり能力が差別化要因とはならないのである。

モジュール型のケースでは,部品ごとに機能や性能の改善が独立的に追求されて,その結果として製品全体の性能は高度化していく。各企業が他企業との連携や調整を考慮することなく,研究開発や生産活動を行う。工程間の綿密な調整は不要であるので,企業間の取引は市場を経由して行われ,当該産業への参入も退出も自由であるという特徴を有する。

80年代に世界を制覇した,エレクトロニクス産業や半導体産業において90年代以降,日本企業が優位性を失った要因の一つには,製品開発や生産活動を規定する設計思想の変化にあったと考えられるのである。もちろん,バブル崩壊に伴う業績の悪化によって,高額の設備投資を適切なタイミングでの思い切った判断ができなかったことや,日本の労働者の賃金水準の問題,金融業の不振などさまざまな理由が関係していることは間違いないであろうが,生産技術 5頁】 面における変化とそれへの対応がうまくできなかったことも大きかったと考えられる。

自動車産業については,こうしたモジュール化の影響はあまり大きくはなく,性能や品質を確保するうえで,生産工程における調整と統合が重要であり続けたという意味で,インテグラル型の生産方式の優位性が根幹のところで維持されていた。日本企業の設計・開発・生産体制の強みは変わらず,競争力を保ち続けている。系列下請け企業との緊密な,長期的取引を基盤とする生産活動の仕組みの優位性は依然として維持され,それは現時点まで続いていると言えよう。しかし,自動車産業はやや例外であり,IT革命とそれに伴う製品アーキテクチャの変化に見舞われた多くの産業では,苦戦を強いられているのである。

 

2)オープン化の流れ

イノベーションとは,狭い意味では技術革新と訳されることも多く,わが国では伝統的にその意味にとられてきたが,そもそもイノベーションを先駆的に論じたシュンペーターの議論には,新組織の実現といった視点も含まれており,狭い意味での製品や技術の革新に限定されるものではなかった。現在では広く「社会に価値をもたらす革新」(一橋大学イノベーション研究センター編(2017),3頁)とする定義もあり,ここでも技術的な側面にとどまらず,経済的な価値をもたらす,新しい組織間の協働の仕組みの採用などもイノベーションと考えよう。

こうした観点から,イノベーションにおけるオープン化の流れは,価値の創出にとって重要な役割を果たすようになってきたことは,注目すべき論点となる。オープン・イノベーションの重要性についての指摘は,チェスブロー(2003,2006)で先見性をもってなされている。従来の研究開発は,一企業の内部で完結することが当然視されていた。新しい製品を企画し,開発し,生産し,販売するという,そのすべての段階を自社でやり遂げることができ,収益を最大限獲得できるならば,それは理想的である。他の会社との協働や連携は,技術に関する情報漏出を避けるという観点からも,また得られた利益の分配をめぐる紛糾を避けるという意味でも,必ずしも良い方法とはいえない。協働相手の機会主義的行動に直面する恐れがあり,また市場的な取引契約の締結・遂行には多大なコストがかかる可能性がある。それ故,自社の中で,クローズドな体制を構築することのアドヴァンテージは大きい。垂直的統合によって,企画,開発,生産,販売といった一連の段階を社内に抱え込むことに優位性が認められたのが,20世紀型の産業体制であった。

しかしながら,ICT技術の格段の進歩,産業を超えた複雑な製品・サービスの出現,経済のソフト化・デジタル化の進展は,垂直的統合というビジネスモデルの優位性を脅かすことになった。単純な技術,あるいは限定された領域での研究開発であれば,クローズドな体制が合理的であったが,近年における技術環境の変化の速さや複合的な技術の組み合わせの要請,業界の垣根を超えた商品開発の必要性などにより,1社単独で新しい製品・サービスを生み出すのに必要なすべての知識や情報,経営資源を保有することは困難となってきた。市場競争で勝ち残るためには,じっくりと時間をかけて経営資源を蓄積することが許されない状況が生まれてきたのである。

研究開発費用が大幅に上昇し,製品のライフサイクルが短縮する傾向が続いており,クローズドな研究体制を前提としたビジネスモデルでは対処できない状況が出現してきたと考えられる(図表2参照)。自社資源の一部を他社へ売却をしたり,他社との連携により,コストの削減を図ったりすることが重要な経営上の検討対象となるのである。

6頁】

チェスブロウ(2006)では,イノベーションのオープン化の典型として医薬品産業や半導体業界が取り上げられている。前者においては,特許制度により知的財産権は一定期間守られるが,それでもジェネッリック薬との競合など激しさが増しており,バイオ医薬2)の出現によって莫大な研究投資が不可避となっている。

後者は周知のとおり,半導体回路の集積密度の向上速度はすさまじく,生産に必要な設備投資額は爆発的に増えている。こうした状況下で,投下資本に見合う収益を上げるために,オープン・イノベーションが,戦略的に検討され,実行されなければならなくなっている。

ここで,改めて,オープン・イノベーションとは,「知識の流入と流出を自社の目的にかなうように利用して社内イノベーションを加速するとともに,イノベーションの社外活用を促進すること」と定義できる(チェスブロウ(2006))。この定義はかなり広いものであるが,企業内部と外部のアイデアを有機的に結合させ,価値を創造することを目指すものであり,社外の知識を意図的に取り入れ,社内の知識を意図的に流出するという2つの側面を有する(米倉・清水(2015))。つまり,インバウンド型とアウトバウンド型の2つのタイプがあるのだが,いずれのタイプであれ,これを効率的に行い,成功させるためには,組織構造や組織慣行,管理者と従業員の意識・文化の変革が必要となろう。オープン・イノベーションへの抵抗は,研究開発部門に根強くあるNIH(not invented here)現象,自前主義にあるという。アメリカ企業でもそうした思考様式がオープン・イノベーションの妨げになっているとの指摘もあるが,閉鎖主義的で縦割り意識の強い日本企業ではイノベーションのオープン化の推進には一層の困難が待ち受けることが予想されるのである。

7頁】

3)デジタル化とデジタル・トランスフォーメーション

最近,DX(デジタル・トランスフォーメーション)への対応が日本企業の課題として取り上げられることが多い。一橋ビジネスレヴュー(2020)で特集号も組まれ,立本・生稲(2020)は,DXを「デジタル技術の浸透が生活や産業などのあらゆる分野をよりよい方向に変化させる」という意味の概念であると述べている。そして,DXは単に業務改善を意味しているのではなく,デジタル技術で産業が変わるという,重要な視点が含まれている,と論じている。具体的には,コンピュータ産業を例として,図表3に示されているように,産業構造が1990年代

8頁】

に大きく変化し,縦から横に変化したとしている。

垂直的統合型のビジネスモデルは産業によっては限界を迎え,エコシステム型3)と呼ばれる産業構造が主流となりつつある。そこでは,中核となる企業が形成するプラットフォームに多くの企業が参加しつつ,協働・連携することによって,伝統的な秩序を打ち破る破壊的なあるいは,飛躍的な発想によって従来の製品・サービスにとって代わる新たな価値を生み出すイノベーションが創発されやすいと言われる。

伝統的な製造企業が従来の領域に留まるのではなく,積極的にデジタル技術を有する企業と接触し,新たな製品・サービスを提供していく姿勢が問われているのが,DXの本質である(図表4参照)。その際,データの果たす役割が大きいと言われている。立本・生稲(2020)は,データのバリューチェーンという概念を提唱し,データという資源をバリューチェンのどこで付加価値に変換し,ユーザーに提供するかの全体像を構想をすることが大事であり,トップマネジメントの関与と現場レベルの試行錯誤の組み合わせが,変革には必要であるとしている。

 

1.2 日本企業の意思決定方式の特徴と問題点

上述したようなICT技術の格段の進歩を中核とした,オープン化,デジタル化,の波は,第4次産業革命とも称せられ,日本経済も日本企業もかつてない激流に直面している。こうした状況の中で,企業はどのように対処するのが正解なのか,当然のことながら簡単にその解は見つからず,苦闘しているのが現実である。ここでは,日本企業の抱える課題を意思決定方式の特徴と絡めて論じてみたい。

日本的経営の3種の神器(終身雇用,年功序列,企業別組合)については,この連載の中で幾度か指摘してきたが,実は意思決定の在り方にも日本独特のものがみられる。その象徴が稟議制度である。稟議制度は,組織内の多くの人を意思決定に参画させ,情報を共有する手段として優れた方式であると理解される面もある。中村(1996)は「わが国の多くの組織体においては,通常,各種決定の問題提起・解決案の作成は,大きな権限をもたない第一線の担当者(通常は中間管理者層)が起案し,これを関係各部署に回議,合議し,捺印した内容の実施を,書類によって上位の権限者に上申し,その決裁を仰ぐ。上位者はこれによって下位者の総意を確認したことにより,その責任のもとに内容を認めて捺印し決裁され,これが下におろされることによって実行に移されるという方式を採用している」と述べ,これを稟議制度であるとしている。山城他(1979)や小野(1980)の研究は,稟議制こそが日本的経営そのものであると指摘し,欧米流の経営管理の方式と異なる独自の特色を有するとしている。

トップダウン方式ではなく,課長クラスからの発案を取り入れる稟議制度は,野中(1995)が知識創造企業で主張するミドル・アップダウン方式のマネジメントスタイルとも相通じるところがあるようにも思われる。わが国では,トップの階層がその権限を背景に,決定事項を下位階層の従業員に命令伝達するというよりも,ミドルの自発的な提案を尊重する風土があり,それによって円滑で,現場の創意あふれた発想を生かす組織運営を行っている。決定までに時間を要しても,実行する段階では,部署全体で了解が得られているので,遅滞なく物事が進む 9頁】 という長所もある。もちろん,トップのリーダーシップが欠かせない課題もあり,トップとミドルあるいはローワー双方からのダイナミックな情報の流れと意思疎通はどんな組織においても大切あるが,意思決定の際にどちらに重点を置くかが欧米企業と日本企業は異なっているのである。

80年代までは,日本企業の集団的な意思決定方式は強みを発揮していたが,上述のような技術環境や市場環境の変化の速度が増すと,その速さについていけなくなるという欠点も持つ。集団的合議制につきまとう変化への抵抗を排除するためには,トップダウン方式による迅速な決定の方が,ミドル・アップダウン方式より望ましいかもしれない。会社の境界を越えて他社との連携や協働を図ろうとする際には,集団的意思決定は,合意の形成に時間を要し,議論を素早くまとめることができない恐れもあり,それが致命的なデメリットになるかもしれない。この点は特に,地理的に遠く,馴染みのない,まったく見知らない企業との接触や関係の構築を試みようとする際には大きな障害となろう。

戦略面でみると,日本企業は多角化によって,幅広い製品・事業を抱えておく傾向があった(安本・真鍋(2017))。特に,電機産業で典型的にみられたように,多くの会社があらゆる家電製品をつくり,そのため激しい競争が展開され,結果的に産業全体として品質や性能が向上し,消費者にとって望ましい状態がもたらされた。しかしながら,一方において,それは自社内で研究開発から,生産,販売まで完結させ,それぞれの企業が垂直的統合型の経営体制を築き上げることになったのである。

日本企業は激しい企業間競争を繰り広げる中で,どのような新規事業に進出するかの決定は,必ずしも全社的な観点からトップダウン的になされるのではなく,各事業部においてミドルを巻き込みながら行われてきた。そのため雑多で,重複した事業編成となり,会社全体でみると,合理的とは言えない製品構成・事業ポートフォリオに陥った企業もあった。これは本社においてトップダウン型の戦略的決定が下されないが故の悲劇といえる事態だった評価できるかもしれない。

日本企業の組織は 縦割りで,部門間の壁が高く,社内での根回しや調整に時間がとられ,歩みの遅い巨像のようになっていた可能性もある。意思決定にあたって,コンセンサスを過度に重視した結果,イノベーションのオープン化が必須となった時代に入って,うまく適応できていないと評されても仕方ない面もあったのである。

 

1.3 我が国の企業間関係とイノベーション

オープン・イノベーションに対して,日本企業の取り組みが遅れており,それがアメリカ企業に劣後する原因となっているとの議論があるが,一方において企業の境界を越えた企業間の共同開発や現場の改善活動による生産性の向上などを通じたイノベーションの追求はわが国でも自動車産業を典型として,企業グループの中で盛んに行われ,それなりの成果を出してきた。見方によれば,日本企業はオープン・イノベーションを古くから実践していたともいえるかもしれない。しかしながら,それは昨今喧伝されている,オープン・イノベーションとはやや異なる。最近のオープン・イノベーションで期待されているのは,緊密な企業間関係をベースとする形式的には表現できない暗黙知の移転やそれに基づく相互学習ではなく,あえて言えば,市場関係をベースに従来,接触や取引のなかった企業と協働し,異質なアイデアをぶつけ合い,新しい価値を創造することである。構成メンバーがかなり固定した日本の系列関係ではそうし 10頁】 た価値の創造は期待できないと思われる。

企業間の長期取引関係が日本的経営の一つの特徴であることは,手塚他(2021b)で論じたが,その骨格は現在でも維持されている。それにはメリットもデメリットもあり,改善の余地もあることを指摘した。その際の論点として,系列関係にどうしてもつきまとう閉鎖性の問題点を挙げた。この点はかつて,日米構造協議において系列は参入障壁として機能していると強く批判されたところであったが,上で論じたイノベーションの潮流を鑑みると,外部からの批判を待たずともその欠点を是正していく努力が求められよう。

一般に組織間の関係には,タイトな結びつき(強い紐帯)とルースな結びつき(弱い紐帯)がある。それぞれの結びつきには,知の共有や知の探索に関して,一長一短があり,一概にどちらが優れているとは言えない(若林(2017))。

強い紐帯は,暗黙知の共有がしやすく,企業相互の信頼が醸成され,コミュニケーションが円滑になされ,共有された目的を達成するには優れている。技術的なイノベーションでいえば,従来の製品の品質の改良や性能の向上などの持続的イノベーションに適合的である。知の探索と活用という観点からすれば,後者に向いている4)。しかしながら,異質なアイデアや発想を結合して,飛躍的なイノベーションを生み出すには適しているとは言い難い。知の探索を実現するには,むしろ弱い紐帯の方が優れているだろう。弱い紐帯を契機とする企業間の結びつきは,地理的に離れた企業も,また多種多様な業界の組織も参加でき,思わぬ出会いがあり,セランデピティをもたらす可能性もある。その意味で,最近のオープン・イノベーションと適合的なネットワーク関係である。日本の系列を代表とする企業間関係は強い紐帯の色彩が強く,顔の見えるネットワークと言えよう。それは,必ずしも明示的に表現されない暗黙的な情報の綿密な受け渡しにはアドヴァンテージをもっている。

しかし,これまでの延長線上にはない破壊的イノベーションあるいは飛躍的なイノベーションを実行するには,強い結びつきでは難しく,むしろそうしたイノベーションを起こせないリスクが大きくなる。いかにして,企業グループの境界を低くし,透過性を高めるかが今問われている。例えば,知の深化と知の探索を両立させるために,緊密な連携と緩やかなネットワークを担当する部署を切り分けるといった形での組織の再編成が有効かもしれない。いわば,組織のイノベーションが要請されているのである。

 

1.4 変革に向けて

日本経済の低迷が長引き,生産性も上がらない要因として,「大企業が人材や設備という未来への投資をしなくなった」と,日本貿易振興機構アジア経済研究所の深尾京司所長は話し,改革が部門ごとの縦割りや人事起用の年次主義といった壁に阻まれ,デジタル化など構造変化への適応力は磨かれなかったという(日本経済新聞2020年1月10日付)。

11頁】

こうした日本企業の抱える問題は,雇用制度や慣行5)の根本にかかわるので,一朝一夕に解決することは無理であるが,抜本的改革を前提としなくとも,現時点で可能な改革に一歩でも踏み出すことは重要であろう。

アメリカのGAFAMのような突出した情報技術系の企業が出現しないこと,あるいは90年代におけるコンピュータ産業や半導体産業の衰退によって,3種の神器を代表とする雇用制度の仕組みや株主を重視しないコーポレートガバナンス体制,など日本企業の経営の在り方が強く批判された。またベンチャー企業やベンチャーキャピタルの少ないことが,新陳代謝の起きない原因とされ,問題視された。組織の閉鎖性,リスク回避的な経営姿勢,その根源にある和を尊ぶ伝統的思考様式への強い疑問も提示されてきた。アメリカ企業を範とするトップダウン的な迅速な決定の必要性,コーポレートガバナンスをはじめとして,人事制度や慣行,さらには教育制度まで,根本的な制度改革,そして企業文化や従業員の意識の変化を要請する議論も新聞や経済雑誌で盛んに論じられた。

米倉・清水(2015)は,オープン・イノベーションを推進するために,トップの強いコミットメントと強烈なトップダウン手法と専門部署の立ち上げを提言し,具体的な組織編成を論じている。確かに変革に遅れたかに見える日本企業の状況を考慮すれば,正しい方策であろうが,しかし,そうした方向に一挙に向かうべきなのか,あるいは向かうことができるのか,やや疑問なしとしない。伝統的な日本企業のミドルやローワーを巻き込み,衆知を集める経営の良さは,決して捨て去るべきではないと思われる。意思決定のスピードだけがすべてではなく,日本企業の強みを生かせるような製品・サービスや事業の開発・模索,組織構造の編成,企業間関係の仕組みを構想すべきであろう。そのためには,環境変化の速い部門とそれほど急激な変化への対応が求められない部門を切り離すなど,ハイブリッドな組織構造を構築することが必要となるかもしれない。また,DX化についても,伊丹(2020)が指摘するようにアナログ型の良さとデジタル型の利点の融合を視野に入れて,日本企業の特性,日本人の感性を最大限発揮できるような,戦略展開や組織改革を図るのも一つの方向であろう。

 

2.日本的経営の「財務的側面」

筆者らがこれまで「現代の「日本的経営」論(1)(2)(3)」で述べてきた,現時点での「日本的経営」論の「整理」では,まさに「いわゆる」日本的経営論を採り上げてきている。

これに対して本稿では,日本的経営の「財務的側面」について,検討する。

12頁】

2.1 バブル経済崩壊前の日本的経営の財務的側面

小山(1992)では,これを次のように概観している6)

 

(1)グループ内資金調達

わが国には多くの企業グループおよび企業系列があった。有名なところでは「企業集団」と呼ばれるものがあり,三菱グループ,三井グループ,住友グループ,芙蓉グループ,第一勧銀グループ,三和グループの6つを「六大企業集団」と呼ぶことがある。これら企業集団の中心には銀行が位置して,情報センターの役割を果たしていた。そして通常この銀行は,グループ内企業に資金の貸付を行い,また同時にグループ内企業の株主にもなっていることが多い。同時にそれら企業の従業員の給与振り込み銀行となっているのが通常である。

このような体制は,いわゆる「メイン・バンク」制度として名高いが,重要なことは,これらの企業グループが,実質的にはひとつの「ミニ資本市場」を形成していたことである。この「ミニ資本市場」は,資本市場全体に対して,ひとつの分断された,あるいは隔離されたマーケットを形成していた。このようなマーケットの存在の意義は,次の諸点に見出せると言われていた。

@グループ内企業の借入金利は市場一般にくらべ,変動を少なくしてもらえる。

メイン・バンクとグループ内企業の契約金利は,長期にわたり比較的に固定して設定されることにより,双方にとって有利となる。すなわち,金融緩和期には,一般に市場金利は低下するが,グループ内企業はそれにもかかわらず,より高い金利をメイン・バンクに支払い,一方,市場金利の上昇する金融逼迫期には逆にメイン・バンクはもとのままの,市場一般よりも低い金利を適用し,お互いの安定的な事業活動,取引を促進し続けることができる。

また,グループ内企業同士の取引にあたっては売上債権回転期間をグループ外企業よりも長く設定し,お互いに資金の融通がしやすくなるようにしていたことも知られている。

Aグループに属しているということが,当該企業にとっていわば「担保」を得たことになる。

何らかの企業グループに所属するということは,そこでのメイン・バンクが当該企業の「面倒をみる」ことを約束したことを,事実上意味しているとされ,仮に,経営不振や資金繰り悪化におちいっても,最後には必ずメイン・バンクが経営のテコ入れ,追加融資を行うことの保証を得たことになる。

これにより,当該企業は他の資金供給者からも,より有利な条件で資金を得ることができるようになる。

 

(2)株式の相互持ち合い

わが国の企業における株式の相互持ち合いは,特筆すべきものがある。すなわち,戦後の日本の経営者支配と呼ばれる現象は,終始一貫して,「会社による会社の所有」というものが土台になっていること,しかもそれは,会社の株式の相互の持ち合いによる「相互の持たれ合い」の体系だったということである。しかも,このような会社相互の株式所有という形は,常に着実に,進行してきていたのであり,個人株主の量的な比率の下落,および質的な変貌,すなわち株式所有の分散度の下落という現象,そして大法人の保有する株式の比率の増大という,相 13頁】 対する現象が,固定化しつつあった。

東証1部の場合,1991年時点での法人株主の持株比率は75%といわれていて,それらは市場で取り引きされることはなかった。なぜなら,「株主安定化政策」という目的から,売却されることはないからである。この場合,経営者自身にとっては,自社株自体を有意な比率,すなわち,支配可能なほどには所有しているわけではないが,彼が代表している企業は,持ち合いの相手たる企業の大株主になっており,それゆえ,彼自身が法人大株主のいわば「代表者」として,相手の企業に対応することとなる。さらに, このような経営者たちが一同に参会する「社長会」は,実質的には合同大株主会であり,ここに,遂に,「相互所有による支配」が迂回的なルートを経て具現化されるとされた(日本的企業集団の発生)。こうして経営者は,自らの会社を「所有」によって支配するのではなく,相手企業と相互に所有し合うことにより,相手の会社を迂回的に「相互支配」することになっていると言われていた。このように, 日本の企業集団における「社長会」は,相互に大株主として,いわば「信認」し合い,支配を行い合う「相互信認」の体系であったといえる。このような持ち合いは,アメリカの機関投資家のように,企業が資産の効率的な運用を図ろうという目的で,他企業の株式を保有した結果として生じたものではない。他の会社に自分の会社の株式を取得させることが,いわゆる安定株主工作,具体的にいえば乗っ取りの防止,あるいは,「株式をはめ込む」という言い方がされていたことからも明らかなとおり, このような相互持ち合いは,「はめ込み合い」というのがその実情とされていた。すなわち, もともとは「株主が会社を選ぶ」のが普通であるところを,わが国においては逆に「会社が自らの株主を選ぶ」ことになっていたとされる。しかも,このような法人株主は,アメリカの機関投資家のように取締役を送り込むこともあるが,そのような場合も大半が兼任取締役であって,経営を批判的に監視したりすることはあまりしないと言われてきた。もしそのようなことを試みても,相手の会社もこちらの会社に同じように取締役を送り込んできており(といってもやはり兼任取締役)こちらの会社の経営に, いわば「対抗的」に干渉することができるから,株式所有に基づく影響力は,事実上は相殺されているとされる。しかも,お互いの取引関係の途絶等によって,相互に持ち合いの関係を解消したりするような,まれな場合を除き,相手の会社が必要とする限り,その法人株主はその相手企業の株主であり続けるのが普通である。

 

(3)銀行による株式保有

当時,持株会社の容認をめぐって華々しい議論が起きていた「独占禁止法」では,金融機関は国内の会社の株式をその発行済株式総数の5%を越えて取得し, または所有してはならない(第11条第1項)という制約を設けている。戦前の財閥による,その金融力をもちいた産業資本の支配という事態に対する反省から盛り込まれた規制であるとされる。このような金融機関を中核とした企業系列の形成と,それによる経済力の集中は, しかしながら戦後着実に進行して来たものであり,昭和40年代のわが国の高度経済成長を支える重要な役割を果たしてきたことを忘れてはならない。そこでは企業が必要とする長短資金の橋渡し役,あるいは斡旋役を銀行が引き受けてきたわけであり,取引関係にある企業の株式を銀行が保有していることは,それによる株式収益を当てにしているのではなく,お互いの「関係の表現」だったと言える。つまり,金融関係を末永く続けることの証として事業会社の側から銀行に株式を保有してもらう,という形が取られてきたということである。そこでの銀行の目標は言うまでもなく,融資 14頁】 の促進である。

一方,エージェンシー理論の立場から言えば,銀行が同時に株主と債権者の双方を兼ねることはプリンシパルとエージェントの間の情報的非対称の問題を解決するのに大いに貢献しうる。この結果,モニタリング・コスト,ボンディング・コストは飛躍的に節約されたであろう。そして,その関係が長期的なものになればなるほど,契約関係の延長に伴うリストラクチャリング・コストは節約され,結果としてエージェンシー・コストの総額は効率的に抑えられたであろうと思われる。

また小山(1992)で挙げられていた「(4)硬直的な配当政策」についてはその後,次のような叙述となっている。

 

(4)硬直的な配当政策

長い間,配当政策には「安定配当主義」と「配当性向主義」の2つがあると言われてきている。前者は,毎期の1株当り配当金を一定に保つことを図る配当政策であり,後者は,利益が多く出た場合は多額の配当を,少ない場合には配当は少額に抑える,という考え方で,結果として配当性向が毎期安定した値になる,という政策である。一般的には欧米企業は後者に従い, 日本企業は前者に従う,と言われ続けてきた。

結論を述べれば,このような主張は完全に外れではないが,今や以前ほど顕著ではない,ということになろう。ちなみに自動車産業について,最近のその配当状況を比較すると,次のようになる。

これを見ると明らかなように,国際企業であるトヨタが,まあ配当性向主義といえなくもないが,それとてはっきりとしたものとはいいにくい。この時期,各社ともこの産業の好況に乗って業績を伸ばし,配当も増やしていたことがわかる。ただし, 2008年夏以降に世界を襲った,ほとんど経済恐慌と呼んでも差し支えない事態の結果,2008年度は,1株当り配当額はトヨタが100円,日産が11円,ホンダが63円と大きく減らしている。配当性向にいたっては,トヨタが554.4%(!),他の2社は損失を出したため配当性向は計算されない。

このように業績の極端な悪化に陥っても配当を何とか行ったことは強いて言えば安定配当政策といえなくもないが, もはや以前とは違って,ひとくくりに「日本企業の配当政策は・・・ 」などと述べることはむずかしいと思われる。

15頁】

こうして見てくると,「(2) 株式の相互持ち合い」を除いて日本的経営の財務的側面はあまりドラスティックな変化は目立っていない,ということができるようである。(2)については前号,現代の「日本的経営」論(3)で採りあげた。

 

2.2 日本企業の資金調達の変遷

企業の資金調達といった場合,まずは自己資本比率を論じることになる。自己資本比率は,業種によって大きく異なる。中小企業庁「平成30年中小企業実態基本調査」による業種別の黒字企業の平均によれば,次の通りである。

また,財務総合政策研究所による「法人企業統計調査からみる日本企業の特徴」は次の通りである

16頁】

筆者の一人は,1970年代に我が国の大企業の資本構成についてデータを見てフォローした時,昭和40年代の八幡製鉄の自己資本比率の8%(!)という数値を見て,非常に驚いた記憶が忘れられない。もちろんこのデータを今再現はできず,その正しさを証明することは難しいが,当時のこの状態の説明として,我が国の資本市場(自己資本,他人資本共に)の未発達,未成熟と,国として,これから始まる高度成長期にあたり,成長政策を国策として強力に推進していくにあたって,たとえば株主による経営政策への影響によって(特に当時,いわゆる「資本自由化」が始まった時期だったこともあり),国策が意図通りに進められなくなる可能性に鑑み,他人資本,特に間接金融を進めることを意図していたのではないか,という説に納得していた記憶がある。経済政策としての銀行への指導は,国策としてより効率的に行えるのでないか,影響力を行使しやすいのではないか,という主張で,一応の説得力はあると思ったものであった。

このグラフを見ると日本企業の自己資本比率は1974年頃を最低に,ゆるやかに上がっているように見える。現在までの変遷については,おおよそ次のようにまとめられるであろう7)

日本企業の自己資本比率は高度成長期には20から30%ほどで,当時のアメリカの企業などに比べると随分見劣りしていた。よく挙げられていた理由は,メイン・バンク制があって,いざという時は銀行が面倒を見てくれるからとか,地価が値上がりして含み資産が大きいからとか説明されていた。しかし平成不況になって,地価は下落する,銀行は貸し剥がしをする,などという事になって,きちんと自前の資金を用意しないと経営が危ないと言われるようになったのである。

そして平成不況になってから,不況の中でも企業は努力し,自己資本を積み増したり,運用総資産を圧縮したりして,自己資本比率を高めてきた。2013年になって日銀の異次元金融緩和政策で円レートが正常化し,長期不況からようやく脱出,製造業の輸出関連企業では円安差益などもあって,自己資本比率はさらに上昇してきたのである。

これをグラフで見ると下のようになる

赤:資本金10億円以上・大企業,薄緑:1〜10億円・中堅企業,紫:1千万〜1億円・中小企業,青:1千万円未満・零細企業となるであろう(全規模平均は紺)。

17頁】

中堅企業と全規模平均はほとんど重なっているが,大企業はそろそろ50%に達するところまで来ているのがわかる。2008年から2010年にかけて,リーマンショックがあり,金融機関をはじめ,日本企業も大打撃を受けたが,大企業,中堅企業は自己資本比率を向上させている。特に大企業では顕著で,これは収益を上げて自己資本を積み増したというより,リストラで,総運用資本を減らし,分母を小さくして自己資本比率を高めたという動きが大きいのであろう。

いずれにしても日本企業の自己資本比率は向上,企業の財務面での安定性はこの10年で見ても着実に高まっている。

2012〜2014年の円安局面では更なる着実な改善を積み重ねて来ているようで,製造業の改善が特に顕著とされる。

さらに同稿では,最近は国内経済の伸び悩みから,余裕資金は海外投資,海外企業買収などに向かうケースも多いようだ,と述べ,自己資本比率の向上に見るように,こうした企業体質の整備が,新たなフロンティアを広げることは確かだ,としている。そして,企業がこの自己資本比率の向上を,どれだけ巧みに活用できるかが今後の日本経済の行き先を担っているとも言えるのではないか,と結んでいる。

ただし,1964年(昭和39年)の東京オリンピック後の時期,昭和40年代についてはより批判的な見方も有力と思われる。その代表的なものが次の主張である8)

 

まず,経済白書にあらわれた企業の資本構成悪化の原因として,西野は次のように述べる。

昭和40年度の年次経済報告─経済白書─は,「安定成長の課題」と題して,文字通り,高度成長から安定成長への転換とその諸条件について分析している。白書は,昭和30年代は経済成長の時代であったが,40年代の経済が直面する重要な課題は,成長と安定とをどのようにして両立させてゆくかということであるとして,いろいろな角度から安定成長の道を検討している。その中で,とくに企業経営について,経済の総体的な成長の半面,利潤率の低下や資本構成の悪化が 目立ち,かえって不安定性が強まった点をみとめ,その原因を究明している。利潤率の低下はさておき,わが国の企業がどのような推移をへて資本構成が悪化したかを,白書により説明しよう。まず日本の主要企業についてみると,戦前(昭和9―11年)は総資本の6割以上は自己資本であった。しかし自己資本比率は,昭和30年には40%に下がり,39年上期には30%を下廻るようになった。また,アメリカ,イギリスにくらべても,他人資本への依存度が高いうえに,他人資本の中でも買掛金や短期の借入金など流動負債の割合が大きく,安定性が乏しい。このように,現在の日本の企業は,戦前とくらべても,また欧米諸国とくらべても,他人資本への依存が大きい。白書が指摘する自己資本比率低下の原因は,第1に,戦争中の傷がそのまま持ち越されていることである。戦争中,軍需産業では政府資金や銀行の貸し出しによって生産が行なわれたので,終戦時には自己資本比率は30%以下になっていたこと。また戦争の被害や敗戦による海外資産の放棄なども資本構成を悪化させたとする。このことは,アメリカやイギリスにくらべると西ドイツの資本構成が,日本と同じく悪いことによっても推察される。第2は,企業の投資の増加が極めて多かったことである。技術革新のテンポが早く,また全般的に資本不足の状態にあったので,新投資によって利潤を獲得するチャンスが大きかっ 18頁】 た一方,金利は固定的で利子率は期待利潤率を下廻っていたから,企業は利子を払って銀行から借金をふやしても充分引き合った。そこで企業は自己蓄積を越えて投資を拡大しようとした。たとえば,企業の総投資に対する総貯蓄の不足率は,34年〜36年度の3力年平均で46%,37年〜38年度平均で36%に達した。第3は,物的な投資増大ばかりでなく,売上債権の増加や投融資勘定など,金融資産あるいは経営外資産が増加したことである。第4は,資本市場の発達がおくれたことである。戦後のわが国では,長期資本市場,とりわけ株式発行市場や新規起債市場の発達が,国民経済の規模からみておくれていたために,こうした途による資金の供給は少なく,いきおい民間ならびに政府金融機関の貸し出しに頼らざるを得なかった。第5に,企業にとって借入れの方が増資よりも有利であったという事情がある。たとえば,株式配当には課税されるが,借入利子は費用として税金がかからないから,企業は借金をして資金を調達する方が増資をするよりも資金コストが低くてすむ。白書は前記5つの原因により企業の資本構成は悪化したとして次の如くのべている。

「企業の自己資本比率の低下には,このようにいろいろな原因がある。それ が低下したからといって,直ちに成長のゆきすぎだとすることは正しくない。もともと企業が高い成長に必要な資金を全部自己蓄積でまかなうことは不可能なことである。各国企業の資金調達方法をくらべてみると,高い成長をとげた日本と西ドイツは,アメリカやイギリスにくらべて,借入依存度がはるかに大きい。また企業の自己資本比率が低下しても,直ちに経営の健全性が損なわれたとみることも早計である。」

さらに白書はことばを続けて,

「企業の資本構成が戦前や欧米諸国にくらべて悪いからといって,それを直ちに企業の放漫な経営によるものだとすることはあたらない。それは,急速な経 済の復興と成長を実現するために,設備資本を拡大しなければならないという実体的な必要性,他人資本依存を有利とするような財政金融制度,企業や銀行 の行動様式などいろいろな原因が集って起ったものである。今後,設備投資の成 長率が一時程でなくなれば,それは資本構成を改善する1つの条件にはなると考 えられるが,借入依存度の増大には,前述のように,そのほか多くの原因があり,投資の拡大テンポがゆるんだだけで自然に資本構成がよくなるわけではない」 とのべ,「資本構成改善の条件として,企業や銀行がより慎重に行動することが大切なことはもちろんであるが,これと並んで企業に対して長期の安定した資 本を供給する体制をつくりあげることが重要である。そのためには,証券発行 形態の多様化,金利の自由化,税制の改革など,ひろく財政,金融政策全般に検討すべき点が多い」と結んでいる。

以上が白書の示すわが国企業の資本構成悪化の原因と今後の展望であるが,そこには自己資本比率の低下がいかに企業経営の不安定をもたらし,今日の不況の大きな原因となっているか,また景気が浮揚しない原因や資本構成の著しい低下に対する反省と,これらを解決する具体的な提案を何ひとつ持ち合わせていないことはまことに遺憾である。とくに,「自己資本比率が低下したからといって,直ちに成長の行き過ぎだとすることは正しくない」とのべるに至っては,その見方がまことに甘いと思う。もっともっと,そうしたことに対する反省と対 策が必要ではないだろうか。資本構成を悪化させた原因は,政府が税制の改革 を行なわずして,自然成長のままに法人税収入を過当に取り上げた結果であり,反面こうした高度成長をせしめるためには,あらかじめ西独やアメリカ等がとったような自己金融の道(減価償却費の拡大ならびに社内留保の拡大)を先に 講ずべきであったという反省のないことは残念である。

19頁】

以上が西野の意見であるが,これは50年以上前の論稿として非常に貴重な意見であろう。もちろん現代のファイナンスの理論という観点,そしてこのあとの我が国の企業のファイナンスの歴史を考えると,まさに「出発点の考察」ということになる。とりわけ「自己資本比率の低下がいかに企業経営の不安定をもたらし,今日の不況の大きな原因となっているか,また景気が浮揚しない原因や資本構成の著しい低下に対する反省と,これらを解決する具体的な提案を何ひとつ持ち合わせていないことはまことに遺憾である。とくに,「自己資本比率が低下したからといって,直ちに成長の行き過ぎだとすることは正しくない」とのべるに至っては,その見方がまことに甘いと思う。」という言説は,アメリカ流の「教科書的主張」そのままで,その後の日本企業が自己資本比率の低下によって企業経営の不安定に見舞われ,それが不況の大きな原因となったり,景気が浮揚しない原因や資本構成の著しい低下に対する反省を要されたりはしなかったことも,現代の私たちは知っている。現代企業の自己資本比率はまさにビジネスにおける,基本的に必要資本の需要と供給による均衡的な値であり,高度成長期,その後のバブル期,そしてそのバブル破裂後の過渡期と,資金需要の実態に合わせて進んできているのであり,それが高いか低いかはまさにそのときどきの実情を併せ見ながら論じなくてはならないわけで,言ってしまえば自己資本比率と不況・景気は基本的には関係はない,というのが,現代の私たちの知識である。

すなわち,財務に関して「日本的」なのはどこか,何か!ということだと「日本的」と呼べる特徴は薄れていきつつある,ということになる。ただし,自己資本比率は上がっている。その理由は?と言えば,「時価発行増資」の興隆は,その一因であることは確かであろう。ただしそれは,制度が変わったからである。それが時価発行増資である9)

わが国は,1968年に時価発行制度をアメリカから導入した。この時価発行制度が導入されたのは,企業の自己資本をすばやく充実して国際競争力を強化するためであったとされる。当時,わが国の外貨準備高は30億ドル前後と低水準にあり,輸出で外貨を稼ぐことが大きな課題となっていたとして,その為には企業の国際競争力を強化する必要があり,企業の財務力の強化が必要であったとされる。自己資本比率は,企業の財務力を示す一つの指標であるが,わが国の企業はこの点で非常に劣っていたとされる。1960年代初期における自己資本比率は,わが国が20〜30%であったのに対し,アメリカは60〜70%と,格段の差があった。そこで,証券業界の提案に基づいて検討されたのが,時価発行制度の導入であった10)。1980年代,株価の上昇から時価発行増資が急増した。しかし,バブル破裂後の1990年,株安の原因として大蔵省(当時)によって,一般の上場企業の時価発行増資は規制され,新規公開時などに限られた。その後,規制緩和され,1996年に規制は撤廃された。さらに2001年の商法改正で額面株式が廃止されたため,現在は,実質上,時価発行増資だけになり,いわゆる額面発行増資,中間発行増資はなくなっている。

時価発行増資は1986年に開始されて以降,1990年に平成バブルが破裂するまで,企業の資金調達手段として大いに活用された。それは1986年に大掛かりに開始されて以降,1990年に平成バブルが破裂まで,企業の資金調達手段として大いに用いられたのである。

20頁】

たしかに時価発行増資は,発行会社の「手軽な」資本充実には効果的で,多くの企業が無借金会社になったとされるが,このときの時価発行増資は,株主・投資家にとっては新株式を額面で割り当てられる権利を奪うほか,運用のやり方次第では弊害をもたらすことのある「曲者」である,という意見もあったのである。

また,1980〜90年代に,わが国の株式市場は「3割市場」と呼ばれていた。これは,上場企業の既発行株式の7割が機関投資家や法人に保有されていて,市場で取引されているのは3割に過ぎないことを意味した11)。一般の法人がリスクの大きい株式を大量に保有するのは異例のことであるが,この時期に大量の株式投資が行なわれた背景にはこのような事情があったのである。

法人間の株式の持ち合いが大規模に行われたことは次のような事実に表れている。まず,法人の保有比率が,時価発行制度の導入直後の1970年度の55.5%から90年度の73.1%へと急増し,そのうち,株式投資を経常業務とする生命保険会社を除く増加幅は,15.6%(45.5%→61.1%)という異常に大きいものであった。次に,全体の時価総額が急増する中にあって,法人の保有比率が異常に大きく増加したことである。第三次バブル期(1986〜90年)だけで246兆9千億円も増加し,1989年度末の残高は446兆であった。最後に,平成バブル期における法人による株式の買い越し額も異常に大きかったことが挙げられる。1986〜89年の4年間に,金融機関と事業法人の合計が24兆円の買い越しとなり,同じ期間に時価発行で調達された資金量は62兆円であったので,約40%が株式投資に向けられたことになる。

このような,法人による株式保有高の増大は,株式市場の需給関係を逼迫させ,株価工作によって時価を上昇させるのを容易にしたとされる。また,その後の平成バブルの破裂で株式市場が崩壊し,法人(特に金融機関)が巨額の損失を被ったことはよく知られていることである。そして,資産内容の健全化のために保有株式の放出を余儀なくされ,それが大きな株価下落要因となり,平成バブル破裂から20年以上が経った現在でも株式市場低迷の要因となっているとされるのである。

日本企業特有の財務的意思決定というと,ここでどうしても触れなくてはならないのは「内部留保の貯め込み(長期的視点)」であろう。

内部留保とは「利益剰余金」のことで,内部留保は企業を守る側面があるとされることから非常に重要な指標になる。内部留保として計上される利益剰余金は,本業が順調であれば,年々増え続けるはずで,経営体質そのものが良い状態の企業だといえるだろう。この利益剰余金(内部留保)は,本来は現金のまま持つのではなく,会社の成長のために工場設備や店舗などに投資されるものである。利益剰余金が多ければ,危機の時に企業を守る,そして成長のために行う投資に向けられるのがスジである。この内部留保が日本企業はとりわけ多いという主張がある。しかし,中島(2021)によると,主要国と比較すると,日本企業の内部留保は特に多いわけではないという。それによれば日本企業の人件費比率(雇用者報酬の付加価値に対する割合)は,2008年度に米国は上昇していないのに,日本では大幅に上昇しているという。その理由は,利益減少に応じて雇用も削減した米国企業に対し,日本企業は利益減少率ほどには雇用を削減せず,相対的に雇用を守ったためとしている。また,いわゆる労働分配率で見ても, 21頁】 日本では他の先進諸国に比べて高い推移が続いていて,日本企業は生み出した利益を他の先進諸国企業よりも多く雇用者に還元しているとする。特にリーマンショック後は,日本は他国よりも労働分配率の上昇が一番大きいとされて,労働分配率の推移からは日本企業は他の先進国企業よりも相対的に雇用を維持した状況が示されているとされる。このことから,企業の利益の雇用賃金への還元を複数指標で見れば,日本企業が利益をため込みすぎているとは思えない,とされる。そこではむしろ,企業を取り巻く環境が厳しい中,日本企業では従業員重視の経営が続いていると結論している。よく言われることは,日本企業の経営政策は長期的視点によるもので,まさに「会社のため」,すなわち安定指向,それが従業員のため,ということなのだ,ということである。ただし,現状での日本企業の賃上げの実情が,政府の目指す家計支出の増加,景気の浮揚に十分なものであるか,たとえば良いコーポレートガバナンス・システムの要件である,企業の利益をその実現に貢献したステークホルダーに「フェアに」配分するものとなっているか,という見方から,肯定されるものになっているかは,また別の検討課題になるのではないか。

 

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