95頁】

 

ランジュバン方程式(確率微分方程式)による設備投資行動の分析:

Uzawa-Penrose 効果の再評価

 

南部 鶴彦

 

 

1.分析の目的

 

設備投資行動を不確実性と主観確率という視点から捉えるというアプローチはケインズ・ラムゼイ以来の伝統である。しかしこのアプローチはいわゆる新古典派の投資理論の枠組では消失してしまっていることを的確に指摘したのがUzawa[1969]であった。宇沢モデルは,設備投資とは単純に投資資金を投下することで終わらず,企業内組織を再編し有機的に組み直すというペンローズ型の企業成長の視点が不可欠であることをモデルに明示的に導入した。投資を完遂するには新規のアイディアであるが故に直面する諸々の摩擦を克服して前進するための追加投資が必要なのである。後述するモデルを先取りして唐突ではあるが,宇沢モデルを本論文の観点から要約すれば,投資によって企業が達成するはずの企業規模を V とすると, V は初期投資 I と追加投資 F とによって達成され,

V I F

と表現される。

Dixit-Pindyck[1994]は,金融オプションにおけるBlack-Scholes[1973],Robert Merton[1973]が確立したオプション値の決定手法を実物(real)投資に応用して「不確実性下の投資」というタイトルの下に確率過程を導入することを試みた。ここでは不確実性(uncertainty)がブラウン運動と伊藤過程という数学的装置によって表現されてはいたが極めて残念なことに実物の世界を描写するのに金融オプションの理論的装置をそのままコピーしてしまうという単純化に陥った。つまり実物投資主体の設備投資モデルを株価の変動モデルと対応させるという手順によって不確実性下の実物投資と見做そうとしたのである。「不確実性」を投資モデルに内生的に導入するには,単にボラティリティという項を追加するだけでは投資行動の説明にはならない。この説明だと外生的に不確実性という項を追加するだけで,投資主体が不確実性にどう対処しているかはモデル内で記述されないからである。この結果,後述するようにオプション投資額F(Dixit-Pindyck[DXP以下ではこう略す]の表記法による)の持つ経済的含意は本来の持つべき役割を果たせないことになった。何故なら金融オプションとは金融派生商品という金融市場で売買される権利証書の取引の分析であり,「ペーパー」ベースつまり点としてしか存在しない「権利」,を対象とするシステムの経済分析である。これをリアルの資産つまり「質量」を持つ粒子のような存在の挙動─設備投資行動─には適用できないからである。後述する数学的モデルの外見からすると両者は結果として酷似したものになる。しかしモデルの持つ経済的含意は大きく異なることを示そう。

 

96頁】

2.ランダム・ウォーク ──格子点上の動点の挙動

 

ランダム・ウォークはウィーナー(Norbert Wiener)[1923]によって提唱された確率過程で,それ以後の確率過程モデルの出発点となっている。これの持つ経済的意味を後述するブラウン運動とは独立に区別して理解しておくことが重要で,それを怠ると経済分析にとって大きな「躓き」のもとになることに注意せねばならない。

まずランダム・ウォークを典型的な数学の設問として説明しよう(宮武・高橋[1978])。いま下図のような格子点があって動点が格子点上を自由に移動できるとする。問題はある動点が P から定点 Q まで移動するとき n 歩で到達する確率を求めることである。格子点の1桝を1歩とし,動点は各格子点上でどの方向へ向かうかの確率は1/4とする。つまりどの方向をとるかは不定であるという意味のランダムネスがこの歩行の条件となっている。

 

 

到着点は事前に決まっていて,動点が1桝を越えるのに必要な時間をτ(したがって速度は1/τ)とする。つまり n 歩で到達するには n τ時間が必要となる。さらに条件として動点の動きうる範囲は図のx軸とy軸内に限定されている。動点はこの壁にぶつかると消失するという仮定を置く。

Q n 歩で到達する確率を U P | Q , n τ)と書くことにする。するとこれを求めるには, Q より一歩手前の Q 1から Q 4に着目すれば良い1)

例えば( n −1)τ時間で Q 1に到着する確率は U P | Q ,( n −1)τ)だがこの Q 1 Q へ辿り着く確率は1/4である。これは他の Q 2から Q 4までのどの点をとっても同じことだから, U P | Q , n τ)97頁】 Q 1から Q 4までの期待値で次のように表現できる。

 

 

数学的な問題は定点 Q に到達する確率をここからどのように求めるかである。しかしここで数学を離れて動点の行動を考えてみよう。ランダム・ウォークは酔歩とも訳されて,酔漢がフラフラしながらも我が家に辿り着くプロセスとも形容される。この表現で重要なのは酔漢には格子点を移動するだけのエネルギーがあることを前提とし,そのエネルギーの源にアルコール飲料があるという点である。つまり1/τという速度で n 個の格子点をめぐり歩くだけの「力」が暗黙のうちに前提となっている。さらに酔漢は何故家に辿り着けるのか─その確率はゼロかもしれないのに─という疑問がある。これは俗には酔っていても帰り道は憶えているとも説明されるが,経済的に見れば帰宅するということの“reward”あるいは便益が n 歩のエネルギーを使わせていると考えられる。つまり Q 点に辿り着く時の確率には1というrewardが予め仮定されていると考えることもできる。このように考えれば酔漢が帰宅して得る確率とは限界効用であり,それが n τ時間あるいは t 時間を使うという限界費用と等しくなければならないという解が数学的にも得られなければならない。

そこで確率 U P | Q , n τ)を求める数学的な手続きを考える。まず時間τを無視して⑴から U P | Q , n −1)を引くと次式をうる。

しかし動点は時間( n −1)τをかけて Q 1から Q 4までに来ている。

Q 点における格子点の座標を( x , y )としよう。

すると Q 1から Q 4までの座標は格子の幅を h として

     Q1 : x h , y

     Q2 : x , y h

     Q3 : x h , y

     Q4 : x , y h

のように表記できる。したがって⑵は次のように表される。

ここで x h x h のグループと y h y h のグループに分けて書くことがわかりやすい。

⑶は一見煩雑な式のように見えるが,第2行目と第3行目とは離散型で表現した2階偏微分98頁】 に近似的に等しいことに注意する。

すなわち次式が近似的に成り立つ。

例えば y について U の2階の偏微分係数

⑶式について見ると左辺は U のτ分だけ差分であり,右辺は x および y についての h 2 だけの差分となっている。

いまτについて

と仮定する。

以上の準備の下に左辺をτで,右辺を h 2 で割ることができる。そしてτおよび h が微小なとき⑶式は

と表すことができる。

左辺は目標地点 Q に到着するときの限界確率であり,右辺は格子点上を x 方向と y 方向にランダムに移動するときの限界確率である。目的地に到達するときのrewardが1なので左辺は格子点をトラベルすることの限界利益,右辺は n 回格子点を通過することに対して支払うエネルギーコスト(つまり消費カロリー数)の限界費用であり,これらが経済的に等しいということを⑹は意味している。⑹の1/4は期待値を取るときの確率とされているが,本来はより重要な意味を持っている。次のFokker-Planck方程式(以下ではFP)では分散を示す項の係数Dは熱エネルギーを示す役割がある。

W は動点が時点 t に距離が x である確率である。ここでは x 方向のみの移動を仮定しているので, x 軸上2方向への移動を示す⑹は

となる。FPの係数 D はここでの1/2に対応している。

ただし, である。ここで は摩擦係数,k B はボルツマン定数,および T は絶対温度で, D は熱エネルギーである。

D は後出する⒅から距離 x と次の関係がある。

したがってランダム・ウォークの係数との間には

99頁】

さらに x 2 h 2 と書き直すと

     t x 2 h 2

よって, t =τであれば D と1/2の対応が成り立つ。

これは図−1で

Q 1 Q 3からあと一歩で Q に辿り着くということを意味している。すなわち1/2という係数はDという熱エネルギーに対応しているのである。

ここで次のことに注意しよう。 Q iから Q までの格子点1桝の距離を h とする。すると1桝の格子点を通過するのに必要な時間 t は速度が1/τだから

となる。そしてtとτの微小変化分について

が成り立つ。

さらに微小なtとτの間では

あるいは           ⑻

と表現することができる。この関係が後述するブラウン運動を伊藤過程として解釈するとき重要な役割を果たす。

 

100頁】

3.ランダム・ウォークに潜む諸仮定

 

ここで導入したウィーナー過程では更に明示されていない暗黙の仮定がいくつかある。

まず第一には,目標となる Q 点は( x , y )平面上の任意の点であり,ここへ到着するのに n 歩格子点を移動するという設定で n という歩数はモデルを解く上での任意の値だと仮定されている2)。そこで歩行者が P から Q まで最小の歩数で歩くというふうに問題を変えてみよう。すると⑺の左辺は n 歩でこれ以上確率を小さくすることができない(もう動く必要がない)という条件になるので∂U / ∂t=0でなければならない。したがって

これは物理学で定常状態を示すラプラス方程式と呼ばれる調和関数の1つである。つまり物理学と経済的に合理的な行動との明確な対応を見ることができる。

第二には動点の行動を特徴づけるものとして,ある格子点に立つとき,四方を見回してどの方向へ動くのかの確率が1/4だとしている点がある。つまりこの動点は極めて合理的で( x , y )平面上の可能性を等分に判断していることになる。ランダムな行動という意味は追加の情報がない限り常に冷静にあらゆる可能性に等分のウェイトを与えるということを意味し,動点は合理的な判断主体と仮定しているのに等しい。ランダムネスは「揺らぎ」という言葉に置き換えられるが無定見という意味ではないことに注意せねばならない。

第三には,動点が P から Q まで移動することを前提として, Q への到着確率が求められたが, Q 点でのreward 1があるというだけで,このような移行が必然的と言えるかという問題である。結果として⑹式は経済的な均衡点であるが,ウィーナー過程には動点をここまで牽引する力は明示的には存在しない。先述したように酔漢には帰巣本能があるという仮説は恣意的である。したがってウィーナー過程での均衡点を保障するには動点の動く範囲に「壁」があること,そしてある方向へ引張る力,つまり張力というものが働くという仮定を追加する必要が経済的には出てくる。

第四には,動点は格子点上を何の抵抗も受けずスムーズに移動することが暗黙の前提となっている。つまり物理学的な摩擦力がここでは働かないことが仮定されている。換言すれば動点には大きさがないのでどの平面上でも摩擦を受けないということを明示しなければならない。それと同値であるが動点に大きさがなければその動きによって( x , y )平面が傷つくことはなく,スムーズな平面が常に用意されていることは当然である。

 

 

4.ブラウン運動の導入

 

DXP [p.65]ではブラウン運動が次のようにして導入されている。

ブラウン運動とはウィーナー過程を一般化したもので典型的には次のように書ける。

101頁】

ここで X はブラウン運動する粒子の移動距離,右辺のαはドリフト・パラメータで,つまり期待値に対応し,第2項σは前述したランダム・ウォークする粒子のランダムな動き(つまり標準偏差の部分)である。このような形でブラウン運動が紹介された後には,ブラウン運動を伊藤過程により書き換えて金融オプションにおけるオプション値の計算と同じ手順でオプション値を求めるための分析が進められる。しかし本来αとσはブラウン運動する主体の特性を表現するものでなくてはならない。αとσとは何なのかの説明が必要なのだがDXPではentrepreneur(起業家)が主人公となる物理学としてのブラウン運動のメカニズムは一切触れられていない。DXPの分析の手続きが実物投資の経済分析を目指すにも拘らず,リアル・オプションのモデルが金融オプションのモデルに還元されてしまい,リアル・オプションが設備投資行動の分析とはなっていない。つまりDXPの分析では金融取引上のペーパー・ベースの権利の売買モデルと実物の設備ベースの資本形成モデルが全く区別がつかないことになってしまうのである。

前節における動点の移動モデルとブラウン運動に登場する微粒子との根本的な差異は,動点が大きさを持たない数直線上の点であるのに対し,ブラウン運動の粒子は質量を持つ「剛体」の性格を持つということである。すなわち剛体は3次元を必要とし,並進運動を行う主体である。ブラウン運動では粒子が移動しようとすれば抵抗を受けるのはそのためである。一方ランダム・ウォークの動点には大きさがないので抵抗を受けることは元来存在しない。金融オプションで登場する商品は権利証書であるから,実物的生産活動の写像にすぎず,抵抗のない格子点上を移動する動点に対応している。一方ブラウン運動の粒子が抵抗を受けながら並進するプロセスは,新規の投資プロジェクトが周囲の環境から反発・抵抗を受け,これを克服しなければ前進できないという状況に対応する。そして抵抗(摩擦)力が大きくて粒子の運動が停止するときは,張力を外部から与えて初めて移動できるという状況を考えなければならない。このようなブラウン運動で粒子が直面する状況がUzawaで取り上げられた企業成長のプロセスでの投資の調整費用モデルと対応していることは明らかであろう。そして投資主体が経験するはずのブラウン運動という動的メカニズムをモデル化せず,DXPのようにブラウン運動を⑼式として扱うことは以上の論点を看過することにつながる。

そこで本稿ではまず物理学的なブラウン運動の本質を主として江沢[1973]に基づいて説明する。そしてブラウン運動する粒子の挙動をモデル化したものとして一般的に利用されているランジュバン(Langevin)方程式を導入して,設備投資との結びつきを明示したい。

 

4−1 ランジュバン方程式によるブラウン運動のモデル化

ブラウン運動とは周知のように,ある微粒子がある特定の系の下でランダムに運動する様子を総称したものである。したがって取り上げる系ごとに様々なバージョンがあるが,ここでは水中で移動する微粒子という具体的に理解しやすいケースで考えたい(以下の議論は気体についても同様に成り立つ)。微粒子の大きさは水分子よりも大きいが水中にある水分子に四方八方から衝突されているとする。微粒子の典型としてコロイドを考えよう。これは通常の1マイクロメートル程度のものを指すが大事なのは水分子との相互関係である。

この粒子は図−2のような系の中にあるが水中に没するのではなく水中に浮いている。した102頁】 がってこれが浮くための条件として,それの比重をρ'とし,水の比重をρとすると浮力の原理から

(ただし W は物体の体積, g は重力加速度である)

が成り立たなければならない。つまり比重についての条件

が必要である。

粒子は水分子の四方八方からの衝突によって突き動かされている。水分子で粒子の真正面から衝突するものは限られていてそれ以外は粒子をある方向にプッシュするであろう。ブラウン運動の分析では粒子の軌道が x 軸上のみと単純化する。すると標準的なモデルでは次のように解説されている。

 

 

粒子は初速度 v (0)を持ち x 軸上を右方向に移動するものとする。このとき粒子は剛体だから右方向へ動こうとするとき水分子の抵抗を受ける。しかし正面方向以外の水分子は右方向へと粒子を押し出す働きをする(上下の力は相殺されるとする)。この水分子の働きはランダムだからランダムな力(揺動力 R t ))が粒子の挙動を左右する。

さらに粒子が浮かんでいる容器には熱が加えられているとしよう。この熱の力で水分子の活動は活発になり,粒子に並進する力を与える。一方で粒子の右方向への前進を阻む力があり,この摩擦力は粒子の動く速度に比例すると仮定し,比例定数をγとする。ランジュバン方程式とは粒子の活動を次の運動方程式で単純化したものである。ここで粒子の動く距離を X t )とし粒子の質量を m とする。運動方程式は

 

左辺の は加速度であり,摩擦力は右方向への運動と逆方向だからマイナスの符号,搖動力は粒子を右方向へ動かす力だからプラスの符号を付ける。

ここで

103頁】

とすると⑽は次のように書ける。

ここで R t )は,前節のウィーナー過程で微粒子をランダム・ウォークさせる力である。微粒子の移動方向はランダムだから R t )の期待値を取れば

が成り立つ。換言すればブラウン運動する微粒子(コロイド)に作用する R t )はホワイト・ノイズという性格を持っている。そこで⑾の期待値をとれば R t )が消えて

が成り立つ。

これは単純な微分方程式で解は

となる。

これを用いて⒀から x を求めると

すなわち求める速度 v

さらに t =0において外部の力が加えられ v (0)という初速度が与えられる。この外部の力を I と呼ぶが,これは後に説明する。

であるから

さてここで⒁で与えられる x の物理学的な値を推定する。

物理学では慣習的にγ/ m の逆数 m /γに着目する。そこで m /γの値は実際に次のように計算できる。まず粒子の大きさ m は半径が a とすると

であるがこれは水に浮かんでいるので先述したように水と同じ比重を持ち,ρ=1である。一方水中で粒子が受ける抵抗はストークスの法則によって

であることがわかっている。したがって

104頁】

コロイドの半径 a を0.5×10 −6 m とし,水の粘性係数を10 −3 Pa/secとすると

と推計される。したがってこれの逆数である⒂のγ/ m の値は極端に大きいから速度 v はゼロで,微粒子は水中の摩擦抵抗力によって動き出しても瞬時に停止させられてしまう。

この計算プロセスで明らかとなるのは,剛体 m の質量と水の抵抗の相対比が粒子の速度を決定することである。水中でのブラウン運動では微粒子は自らの速度で前進することはできない。しかしブラウン運動では花粉の微粒子が動き回る様子が観察される。γ/ m では停止してしまう粒子が何故運動するかと言えば R t )という搖動力が働くからである。かつてアインスタイン[1905]は,マクロ的な統計力学の手法を用いて粒子がランダムな力によって移動すると仮定して,その移動距離を決定するモデルを考えた。そして移動距離(位置) X の2乗の期待値が次式となることを導いた。

ただし< >は期待値,k B はボルツマン定数, T は絶対温度である。 D は後に登場する「ゆらぎ」である。これは当面純粋な物理学上の成果であり,投資の問題とは関係ないように見える。しかし後述するように投資の主体をブラウン運動する微粒子に投影して考えれば重要な意味を持つことがわかる。

 

4−2 確率微分方程式の解

次にランジュバン方程式⑽あるいは⑾に戻り,確率微分方程式としての解を求めよう。⑽ではランダム項 R t )が存在することにより,速度 v t )も確率変数となる。

まず R t )のランダムな変化とはウィーナー過程の動点のようなものだからその期待値は

しかし R t )は t という時点で無数の水分子がぶつかり合って,ある系またはシステムの「ゆらぎ」を作り出している。ブラウン運動では「ゆらぎ」は水容器の中の水分子の衝突だが,視点を変えて社会活動という視点から見れば例えばある「組織」を構成している成員相互の衝突がもたらす社会の「ゆらぎ」である。統計的には R t )は t と別時点の t 'とでは互いに独立で,特定の時点 t でのみ R t )の衝突がもたらす「ゆらぎ」がある。そこで R t )のもたらすゆらぎはゆらぎの大きさを D として,デルタ関数は次のように書ける。

これは t t 'のときはゼロで, t t 'のときのみ D という大きさのゆらぎを持つ。

この R t )が存在するために⑾式の粒子はブラウン運動という軌跡を描き,ランジュバン方程式の速度 v t )の解からアインスタインの導いた⒅式という結果が得られる。

D を求めるには速度相関係数と呼ばれる速度 v t )の分散

105頁】

を計算する必要がある。 v t )は⒆の微分方程式を解くことで次のように表される。

ただし である。

速度相関係数は t t 'のとき

という表現を得る。さらにエネルギー等分配則を利用して D を求めることができる3)

 

 

5.設備投資行動としてのランジュバン方程式の解釈

 

ランジュバン方程式では微粒子の運動は抵抗の存在によって瞬時に停止し,ランダムな動きのみが残ることがわかった。この状況で微粒子を x 軸上に沿って移動させるためには,外部から初速度 v (0)を与える I と張力がなければならない。今張力を S とすると下図のように微粒子には x 軸方向に S だけの張力が働く。張力 S

106頁】

抵抗力と同様に速度 v に比例し,比例定数をλと仮定すれば,新しい運動方程式は次のようになる。

これの期待値を取り,微分方程式を解くと

             4)           (25)

微粒子が並進するには

が必要である。

λはγよりも小さいと考える必要がある。もしλがγより大なら m の加速度 v 'は正になるから粒子は抵抗を物ともせず時間とともに加速的に飛び出してしまうことになるからである。

設備投資の観点から見れば,プロジェクトへの抵抗γを縮小させるような手段がλである。λが効果的なら社内的抵抗に対抗できるが,もしλがγよりも大きいとなれば,投資プロジェクトは社内の抵抗を無視し自由に活動できる。つまり抵抗はないに等しい。したがって追加投資 F が必要となるケースはλがγよりも小さいときに限定する。

λはこのプロジェクトの将来性を説得できるような,プロジェクトの新奇性やタイミングの良さなどをアピールする戦略的行動である。

(25)は書き直すと

γがλよりもある程度以上大きいときは,とある時点 t 'で

となるであろう。つまりλによって将来の時点までプロジェクトは推進させられるが t 'で成長は停止する。そしてこの間投資プロジェクトを推進させるのは R t )の持つ揺動力となる。

さて以上の分析から確率微分方程式の解として速度 v t )と移動距離 X t )とを得る。

速度 v は距離 X を微分したものだが,移動距離 X は設備投資として見ると建設される資産 V の規模がこれにあたるから X V として

したがって(25)は V で書くと

これを t について積分すれば規模 V が求められる。

107頁】

したがってこの V で(29)を割ると

よって次が成り立つ。

この項が後に重要な役割を果たす。

さらに(23)を利用すれば

ここでランダム・ウォークで導入されたτという時間単位を利用する。1/τは速度であったからこの速度で t 時間移動するときの距離 X あるいは V は次式で定義できる。

したがって次式が成り立つ。

微小時間については

が成り立つ。

まず(33)を次のように書き直す。

よって

ここで⑻の仮定から

したがって

(32)と(37)は dV と( dV 2 を与えるのでブラウン運動を表現する役割を果たす。さらにDXPでは幾何ブラウン運動を意図的に導入しているが, V V 2 の項はこのモデルでは必然的に(32)と(37)に現れることに注意しよう。

さてここで微粒子のブラウン運動を設備投資行動に応用する段階に来た。物理学では微粒子の規格を予め決めることができるが,経済学では投資主体の規模をそのように決めることはできない。ブラウン運動では微粒子の速度と移動距離を決めるとき, m とγとの比率に依存することは既に見た。したがって経済分析でも投資プロジェクトの持つ質的な中身─他者を説得できるだけのアイディアの集積─と,これを簡単には容認しない既存の組織との拮抗が数字では108頁】 測れないγ/ m の大きさとなるだろう。もしγ/ m が大きければ(抵抗γが大きければ)投資プロジェクトは停止せざるを得ない。したがって投資が実現するには,プロジェクトの提案者の説得力が十分大きいことが条件である。しかし他方には搖動力にあたる投資をサポートするグループも存在するだろう。このとき問題となるのが先に述べた張力にあたる推進力の大きさである。もし十分投資スピードが上がらないとしたら,プロジェクトを牽引する S という力が必要となる。

先述したランダム・ウォークモデルで,到達点 Q に相当するのが企業が投資によって達成しようとする目標企業規模である。ここでブラウン運動において距離 X t )とされていた変数を設備投資主体が目標とする規模 V t )と置き換える。距離が時点 t 0からの移動距離であるのと同じに, V t )は t 0からスタートする資産 V (0)が達成する資産規模である。ランダム・ウォークの酔漢が主観的判断で目標を定めるように,投資においてはケインズ以来の主観的判断が投資の目指すべき規模─Ambition Level─を決定するものと考えよう。

さらにここにおいてプロジェクトを遂行する上で,2つの投資が必要となる。第1はプロジェクトの内容に応じた物理的設備の取得ないし新規の建設である。このときブラウン運動において微粒子がそもそも活動できる条件と同じものが必要である。それに当たるのが図−2のような容器と溶媒だが,同時に浮力を生むためには比重が問題となるように,投資設備は投資案件が浮上できるような条件を備えていなければならない。つまり必要十分な大きさと耐久性を設備投資にあたって精査しなければならない。このような投資を初期投資 I と書くことにする。DXPモデルでは投資額 I は全く任意だが,ブラウン運動に相当するランダムネスを前提とする投資は,投資プロジェクトが浮上し,前進するための準備という特定化が必要である。

第2には,前述の張力に相当するものとして,追加投資─どれだけするかはオプションだからオプション投資が必要となる。DXPの記号では F t )とされている。そして F t )は投資家がどれだけの規模の V t )を達成しようとしているかで,その最適な規模が決まる。但し投資案件 V t )そのものがランダムな搖動力に晒されているのだから,解を求めるにはダイナミック・プログラミングの手法─Hamilton-Jacobi-Bellman方程式が必要となる。

ここで F の役割は,ブラウン運動での抵抗力に対抗する張力である。 F によって初期投資 I では不十分であった張力に当たる追加投資が生まれる。そしてこの社会的・組織的な抵抗を克服するためになされる投資は後戻りできない性質のものである。一旦提案した案件がいつでも撤回(再提案)できるなら抵抗は無いに等しい。したがって F という投資は不可避性(irreversibility)を持つと考えられる。つまり F はオプションではあるが,不可逆的な投資であり,それこそが設備投資─リアル・オプションの核心である。サンク・コスト(sunk cost)という視点からすれば, I F もサンク・コストという性格をもつ不可逆的投資である。これが宇沢のペンローズ効果に対応していることも明らかであろう。ペンローズの企業成長論では企業スペシフィックな投資の重要性が取り上げられているが,ここでの F はまさに臨機(contingent)に必要な個別の調整コストとして支出されるものである。

 

 

6.投資における不確実性と不動点

 

ここで本稿の当初の目的である「不確実性下の設備投資」の視点について改めて整理してお109頁】 きたい。基本的な論点は,人々が不確実性に直面するときは,意思決定は主観的なものにならざるを得ないということである。ベイズ確率が確立した現在では,このような立場は何ら新奇なものではない。しかし歴史的に見れば主観確率は伝統的な確率論からは異端と見做されてきた。また,確率過程を主柱としたオプション理論も1970年代以降に市民権を得たものにすぎない。この点について極く簡単な展望をしておこう。

 

6−1 分析の前史

不確実性下の実物投資の分析は,不確実性をどう分析するかという観点から見るとき,いくつかのエポックとなる研究がある。

 

⑴ J.M.ケインズ:一般理論(1936)

 ケインズは「一般理論」で長期期待(long term expectation)という視点から投資を取り上げた。このとき核心をなしているのが企業家(entrepreneur)の主観的思い込みである。投資するかしないかの決断は主観的確率に基づかなければ不可能であるとして,“animal spirit”という比喩が持ち出された。この考え方についてフランク・ラムゼイ(Frank Ramsey)はその不徹底さを批判しベイズ確率に基づく意思決定論の必要性を強く主張した。しかしラムゼイは27歳で夭折したためその後の発展はSavage[1954]を待たねばならなかった。

 

⑵ G.B.Richardson: Information and Investment(1960)

 ケインズ以後,投資理論は大勢としてはアメリカ・ケンブリッジの新古典派分析に取って代わられ,ケインズの精神は失われた。しかしイギリスではリチャードソンがケインズ一派からは独立して不確実性の問題を「情報」と言い換え,実物投資が有効となる条件を考えた。リチャードソンは新古典派的完全競争の世界では「投資」という名に値する行動は導けないという立場を明確にしたため,新古典派全盛の時代には全く顧みられなかった。リチャードソンは真の企業家的投資がなされるには,市場の不完全性つまり独占的市場の存在と情報の不完全性─つまり全ての人が同じ情報を共有することはない事─こそが必要条件である(十分条件ではない)ことを最も早く喝破している。

 

⑶ Jack Hirshleifer: Time, Uncertainty and Information(1989)

 ハーシュレイファーはアメリカにあって新古典派の流れに影響されず投資と貯蓄の純粋理論を開拓した。特にアーヴィング・フィッシャー以来の投資理論に不確実性を導入し状態選好アプローチ(state-preference approach)として再構築し,理論的発展をもたらしたが新古典派投資理論(D.Jorgensonなど)とは道を異にしていて十分に注目されることがなかった。

 

⑷ ブラック・ショールズ/マートン・ミラー〔1973〕

 株式価格の動きをランダムプロセスであると捉えると,物理学の知識を金融商品の分析に当てはめることができる。金融オプションの理論は,ランダム・ウォークのアイディアに伊藤清が1942年に発表した確率積分を応用すれば確率偏微分方程式に集約できかつ斉次110頁】 2次方程式であるために,解が珍しく確定できることからスタートした。実際株価は微粒子が水分子という無数の因子の圧力を受けて全く予想不可能な動きをするのと同じ動きをする。リアル・オプション理論はDXPが金融オプションのモデルの骨格を実物資産にそのまま応用できるものとしてスタートした。

 

6−2 主観的投資決意と不動点

DXPモデルはブラック・ショールズの手法を踏襲してオプション値を求めることに分析を集中している。その結果,偏微分方程式の解がそのまま実物投資にも置き換えられると考えた。どのような発想が解を正当化できるのかについては触れていない。しかしベルマン方程式によって解を得るという以前に,以下のような思考プロセスが必要である。

 

「ポリヤの壺の思考実験」

⑴ 投資主体は資金を投入する前段階でいくつもの投資機会─案件を比較検討する。そして投資するのは「勝ち馬に乗る」ことが必要である。投資主体はいくつも投資案件−−アイディアのポートフォリオを比較して成功のベイズ確率が少なくとも1/2以上のものを選別するであろう。このことを説明するのに「ポリヤの壺」あるいは“urn”problemを紹介しよう。

“urn”problemというのは次のような思考実験である。

 

状況:いま2つの「壺」があって,黒玉と白玉が入っている。その比率は以下のように事前にわかっている。

 

 

黒玉,白玉は投資プロジェクトのポートフォリオを示していて,黒は将来性の高いアイディア,白はあまり有望ではないアイディアを指すとしよう。2つの「壺」を比べてどちらの「壺」を選ぶかといえば,「壺」内の黒玉と白玉の比率が最初にわかっていて2つを単純に比べられるなら黒の多いαのほう(「壺」Ⅰ)を採用するのが自然である。しかしここに不確実性を導入する。「壺」ⅠとⅡとが投資しようとしている人にとって確率的にしか現れないとしよう。つまりⅠとⅡとが常に眼前にあるのではなくてⅠとⅡとに遭遇するのは確率的だとするのである(これは常にあることで,「めぐり合い」は確率的な現象である)。

そこで「壺」Ⅰにめぐり合う確率を X ,「壺」Ⅱにめぐり合う確率を Y とする。すると黒を111頁】 Ⅰから取り出す確率とⅡから取り出す確率はベイズ確率で計算できる。

・Ⅰから黒が出るベイズ確率 BⅠ

・Ⅱから黒が出るベイズ確率 BⅡ

BⅠとBⅡを比べると

BⅠ>BⅡであるためには

α>β なので X > Y なら常に

となり,Ⅰから出る確率が高い。

X > Y とはX > 1/2ということで,X > 1/2という十分条件があればⅠが選択される。X >1/2を必要条件としたらⅠを選ぶことが強制されるのでこの思考実験には意味がない。詳細は省くが「ポリヤの壺」問題では司会者がいて観客に壺から玉を次々に取り出し「黒(白)が出たらどちらの壺から出たか」を答えさせる問題である(カーテンで壺から取り出す姿は見えない)。ここでは「答える」ことがどちらかを選ぶことを意味するとしよう。つまりこれは「めぐり合い」と同じ構造を持っている。もし司会者がランダムに「壺」を選んでいるなら( X Y =1/2),先の例と同じで答えはⅠに決まっている。しかし司会者には偏見がありα >βならαのほうを贔屓して「壺」Ⅰを取り出しやすいとしよう。すると X の出現するベイズ確率のほうが Y より高くなる。これはケインズの美人投票の例と同じである。もし司会者が一般世論を代表しているとするとみんながいいと思うほうに投票するのと同じ行動をしているからである。主観確率に従ってプロジェクトを選ぶというのはベイズ確率に従って投資家が行動する事を意味する。

 

⑵ 投資家は案件の価値を現状の資産 V t )を見て推測する。つまり確率的に変動するプロジェクトの発展スピードを比較し,初速 v (0)が十分大きいかを検討する。 v (0)が非常に低いときは無視できるから,ある水準以上に到達したとき─これを V 0とする─をスタートとして,将来について「夢」を描く。この夢がケインズの言う「アニマル・スピリット」の源泉である。図–1はそのような投資主体が投資対象に対して描くポジティブな予想─ V t )の発展軌道を描いたものである。これを「渇望」曲線 と呼ぶことにする。

 

112頁】

 

図で V V は45°線を示し, は2つのタイプのものを描いてある。

投資家は当然案件 V t )の中身をまず精査する。それはランジュバン方程式の例では,浮力つまり比重や粘性係数を調べることに当たる。それで納得した後に初速度 v (0)を与えるフリー・キャッシュ I の投下を決断する。このとき投資家は次のように予想を立てるとしよう。

観察される V t )の値に対し,投資家が野心を実現できるような V t )の予想値つまり渇望値を t )とすれば両者には次の写像関係が想定できるとする。

Vtiの観察によって ti は変化し,投資家にとっての野心を実現できるような予想曲線を図−5のように描ける。これが「渇望」曲線である。

この 曲線は V V という45°線に漸近していき,DXPのsmooth pastingが仮定されれば,いずれかの位置で V 直線に接する5)。その接する位置が,投資主体の将来に対する渇望の水準 を示している。

 

⑶ 渇望の水準は初期の投資額 I が与えられるとき,当然ある水準に収束しなければならない。すなわち の自己写像となる V の水準 V が存在する。それは の限界増加率 ∆ /∆ V について V が増加しても,もはや は増加しないという点がなければならないからである。そうでなければ の増加が永遠に続くと仮定することになり,いつまで経っても投資の決断機会は訪れない。

つまり

113頁】

という点で不動点が決定される。これを図示したのが次図である。

 

 

V I からスタートする渇望曲線の傾きは45°線の V V と接するとき, V の増加分が の増加分と等しくなる。図−6で, I に追加される投資額AB F とすると F I によって不動点 が実現する。さらに 曲線を I だけ下方へシフトさせると I から引いた45°線と 曲線との接点で V が得られる。そしてスタート時点での投資主体の純渇望値( I )の形状に応じて自己写像となる不動点が決まり,図−6ではそれが V である。したがって I に対する追加投資額は V I F であり,総投資額K

と示される。

以上によって主観確率を強調して渇望曲線と名付けた または I と45°線の接点が不動点水準を決めることがわかった。しかしこれは一つの寓話であって追加投資である F (= V −1)の具体的水準は決定できない。ここにおいてダイナミック・プログラミング(DP)の手法で最適な F を求めなければならない。

 

 

7.最適な追加投資額の決定

 

資本予算的に考えれば, I とは予め回収を期待していないフリー・キャッシュ・フローから支出されるものである。ベイズ確率で判断している投資家は,X > Y という条件は満たされないとしても,それは覚悟しているからである。これを前提として追加資金 F が必要となるが,114頁】 これは投資プロジェクト V がどれだけ有望かに依存する。フリー・キャッシュ I は投資案件を精査し,その身の丈が決まると定額が支出されるが, F はどれだけ支出するかについてオプションがある。もしも投資案件の初速 v (0)が十分に大きければ,即座に I を投下することができる。このときオプションはゼロである。しかし計画は有望だが不確実性があり,時を待って追加支出 F をして を完成させるという主観的な判断が働く時は, F をいくら出すかというオプションが生じる。言い換えれば,不確実だが有望だというプロジェクトでは,次の関係が成り立つ。

V I を上回らなければ追加投資は意味を持たないが,その大きさは追加投資 F よりも小でなければならない。なぜなら V I F よりも大きいなら,元来 I という投資額が V に対して小さすぎるのであり,その時はもっと大きい V を最初に選ぶべきだからである。

確率的に変動している投資プロジェクトの動きを見ながら,追加的に投資するというオプションが経済的であると判断されるとき,企業家は追加投資 F を決定する。つまりオプションは投資コストであると同時に積極的に投資する意欲のある投資家がプロジェクト V に与える主観的な効用である。

ここでオプション値としている F は,ランジュバン方程式の枠組みに当てはめると張力 S に相当することを確認しておこう。摩擦抵抗によって即座に停止する微粒子に対して張力を加えて加速度をつけ,微粒子を並進させることができるのを既に見た。これを投資モデルとして見ると諸抵抗によって投資が頓挫するのを防ぐために追加投資 F が支出される。これは摩擦抵抗という投資のリスクを減殺するのに必要なコストである。ランジュバン・モデルではγという並進のリスクをλだけ減殺するのでリスクはγ−λに縮小するのである。そしてより遠くまで並進する過程では揺動力が働いて微粒子はその分前進できる。以上のようなプロセスでDPによって F の最適値を求めよう。DPでは V t )についてHJB方程式を用いることもできるが,ここではDXPのように直接 V I である F t )についてベルマン方程式を利用することにしよう6)。そのほうが揺動力の効果を見やすいからである。

ベルマン方程式とは次のように書ける。

ここで投資家の主観的な時間割引率ρを導入する。これによって今期の追加投資Ftが来期の F t+1)と等しく評価され,それ以上は追加投資の増加は望まないという条件が設定できる。つまりρは最大の期待収益率でもある。

(42)から F の差分 dF は次のようになる。

ただし Ft は確率変数であり,その期待値 E をとる。

さらに dFt をテイラー展開すると

115頁】

(44)の dV と( dV 2 はランジュバン方程式の解から求められた(32)と(37)である。

(32)から

(37)から

以上から伊藤過程を新しいα',φで再定義しよう。

ここで(47)は幾何ブラウン運動を仮定しているのではなく(32)と(37)から導かれるものであることに注意せねばならない。

(43)式は次のように書ける。

これは斉次2階微分方程式なので次が解となることがわかっている。

              7)  ( A は定数)        (51)

このことを利用して(51)を(50)に代入して計算するとβについての特性方程式が得られる。

βの特性方程式は次のβの2次式である。(50)で dt は消去されるので解は定常解の性格を持つ。

βは次のように弾力性となっている。

すなわち V を1%増加させるためには,追加投資 F が何%必要かを示しているので,投資の限界費用と呼んでよい。

さてここで次のことに注目しよう。(52)の左辺は時間割引率だが,同時に投資の限界収益率も表わしている。一方右辺はβの2次式で示される投資の限界費用である。右辺の第1項は,−α'という摩擦に着面するリスクを示す部分,第2項は投資をプッシュする揺動力を示す部分である。つまり右辺は正に企業家のリスク・テーキングの姿を表現したものに外ならない。

F の値はβの特性方程式の解からβを求めて(51)に代入すれば得られる。

116頁】

βの決定メカニズムを次式によって見ることができる。(52)の右辺は

f (β)は次が成り立つ。

一方 f '(β)=0 からβの最小値

βは後述するように2以上の必要がある。その領域でρが f (β)と交点を持つためには

したがって

以上を満たす f (β)式は以下のような形をとる。

 

 

図−7でρと f (β)との交点は限界収益率が限界費用と一致する点である。そして図−7でρがρであるとき,限界収益率=限界費用となるβが特性方程式の解となる。

ここでDXPと比較しよう。DXPでは(52)に相当するのが次式である。

これを図示すると図−7の破線となる。このときβ=1で=αとなりρと限界費用との交点は1<β<2でも存在する。ところが図−8からこのときの F I より大きくなる。つまり F I という予算制約を満さない領域を含む。したがって F はいくらでも大きくなれるという117頁】 矛盾を避けられない。

さてβによって最適な追加投資額あるいはオプション値 F

で与えられる。

このようにして F が決まると,企業の投資目標である あるいは最適な投資額 V も次のように書ける。

この値は予算制約を満たすとともに,主観的最適を実現する不動点ともなっている。(51) (54)から

これらを(54)に代入して整理すると次式が成り立つ。

すなわち F V I を用いて表現されている。 I とβが与えられれば F が決まるメカニズムは,図−8に示されている。

さらに定数 A

βは弾力性として表されるが同時に不動点では次が成り立つ。

I F という予算制約から

            β≧2         (59)

つまり弾力性かつ限界費用であるβは2以上である必要がある。

ここで各パラメータの比較静学を行ってみよう。まずβに対して各パラメータの符号条件は以下の通りである。

118頁】

F は(55)によってβで表せるので,βが F に与える効果は次のように図−7から見ることができる。例えば割引率ρがρ1のときβの値はβ1となる。このβ1に対しては下図の F でβ1に対応する縦軸上の F から F 1が決まる。ρ2のときは同様にβ2に対応して下図の F 2が定まる。ここで各パラメータが最終的に F に与える効果が以下のように決定される。

 

119頁】

9.分析の含意と宇沢ペンローズ効果

 

以上の各パラメータが F に与える含意を次に要約する。

 

(ⅰ)まず第一に実物投資(剛体と見た投資)には摩擦力(γ)の抵抗が必ず存在する。その摩擦力が大きいほど不確実性は高まり追加投資のリスクが大きくなるので投資インセンティブは下落する。これを示したのが(64)である。

(ⅱ)しかしこの摩擦によって投資が停止してしまわないように,抵抗を緩和するための活動(λ)がなされる。抵抗勢力と戦う力λが有効なほど追加投資は増大する。これが(65)である。

(ⅲ)(66)のφで示されたものはランダム力が働いているとき,もたらされる系のゆらぎ D あるいは kbT で示される熱量である。これはDXPでのσのようなリスクではない。ランダムな力は揺動力となり,全体の系を刺激する。その大きさは物理的には kbT (ボルツマン係数×絶対温度) だが,設備投資のコンテクストで見るときは,投資環境の周りの「熱気」や「盛り上がり」と考えてよいだろう。つまりλというリスクを敢えて取るインセンティブは強くなる。このφが大きいほど投資 F も大きくなる。日本の「失われた20年」を考えると,設備投資が特に2000年代前半から失速したのは,日本経済・社会の失われた活気が原因ではなかろうか。物理学の kbT という値は理想気体論から導出される抽象概念だが,“economy”をひとつの大きな系と見れば,活気のない日本社会の病状と象徴的な対応があると考えてよいだろう。つまり不確実性の世界では実物投資は熱気の理論なのである。

(ⅳ)時間割引率が高いほど投資が減少するという(67)の意味するのは,経済システムがより競争的になるほど,投資も近視眼的(myopic)になることに対応している。これはRichardsonが夙に強調している論点である。Richardsonによれば活発な投資と市場の独占的要素との関係はMarshallが既に指摘していたところだという。新古典派モデルではリスクが高く競争的であるほど投資が活発となるという反常識的な結果を得る8)がランジュバン方程式の設備投資モデルは逆の結果を与えると言える。

 

以上から不確実性をブラウン運動によって内生化した投資モデルは新古典派モデルと対照的な結果を与えることがわかる。特に分散の項は通常リスクと捉えられるが,それは逆となりポジティブな意味での“fluctuationであって熱気と解釈すべきものなのである。

ここで最終的に得られた投資行動の経済的な意味合いについて,宇沢・ペンローズ効果との関連を指摘しておこう。Uzawa[1969]ではマクロの成長モデルのコンテクストでペンローズ効果が導入されている。それは企業が旧システムから新システムへと企業が移行するときには,投資が必要だがコスト企業規模を増大させるには投資コストは逓増しなければならないという主張である。その原因は企業は単に生産要素の集合ではなく,その運営についてadministrative and managerial resourcesが必要だからである。つまり投資という新しいアクティ120頁】 ビティに対応するとき,組織運営や経営は即座にスムーズに対応できるとは限らない。そこで新しいアイディアに対して抵抗勢力が形成されることがあり得る。新機軸を受容させるには,抵抗を排除するためにextra costが発生する。つまりこれは本稿のモデルで導入した,速度に比例して発生する摩擦力γを削減するためのコストである。

ペンローズ効果は投資の限界費用が逓増するという主張であるが,このことはモデルの設定が異なるが本論文の枠組みでも成り立つことが示せる。

βの定義は次のように書き直すことができる。

ここで F V の関数だから F V についての可変費用と見ることができる。一方先行投資 I は定数で V が総コストになる。

そこで平均費用 AC と平均可変費用 AVC は次式で定義できる。

同時に限界費用 MC

平均費用 AC の変化を見るために V で微分すると次式が常に成り立つ。

平均費用が V について増加する条件は

つまり MC > AC なら である。

ここでβを書き直すと

β>1の条件は

9)

しかし AC が増加するには

が必要である。そこで次図のような関係が成り立つ。

 

121頁】

 

可変費用 F (=追加投資)は初期投資 I を超えないという予算制約があるので,

 一方β≧2のときは(68)から

が成り立つ。

すなわちβ≧2なら MC は常に AC よりも大で図の太線のように逓増していなければならない。

宇沢・ペンローズ曲線10) は資本増加率( K / K K は資本)に対して資本1単位当たりの投資額(Φ/ K :Φは投資額)が逓増することを主張しているがオプション投資について同様のことが成り立つ。

 

122頁】

 

宇沢モデルでは不確実性は陽表的には取り入れられていないが,ペンローズ効果とは新規投資という不確実性に対し,経営組織が対応に苦慮し「摩擦」が生じるということである。つまりペンローズの企業成長のモデルは,不確実性に対応するオプションとしてFという変数が追加的に必要でそれが投資コストを逓増させるということと同意味なのである。

 

【参考文献】

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